4.視線の先に見つけたもの⊕
晩餐会が終わり、フォード邸の広間では、数人のメイドたちが慣れた手つきで食器を片付け、テーブルクロスを整えていた。
銀製のカトラリーが揃えられ、残った料理は静かに厨房へ運ばれる。動きは正確で、無駄がない──まるで舞台裏の演出のようだ。
クレアとシャルロットは、その脇を通り抜け、二階のクレアの部屋へと向かった。足音は絨毯に吸われ、廊下に静かな余韻だけが残っている。
部屋に入ると、微かに晩餐会の香辛料の余韻が漂い、窓の外の外灯が庭の木々を淡く照らしていた。二人だけの時間が、静かに流れ始めた。
部屋のソファに背を預け、スマートフォンを眺めながらクレアは言った。
『……らしくないよな、シャルロット。お前がそんな緊張するなんて。カレーが嫌いだったか?』
揶揄するように伝声魔術で響かせると、シャルロットは「違いますわ!」と即座にむくれた表情をつくった。
「むしろ……オウカさんのお料理の腕前は素晴らしかったですわ。今日のカレーは絶品でした。……ただ、その、フォード家の皆様が揃っている前で食事をするのが……」
最後の部分だけ、シャルロットは声を小さくした。紅茶を両手で包むように持ちながら、カップの縁に視線を落とす。
スマートフォンでSNSアプリの画面をスライドさせながら『やはり、彼女らしくない』とクレアは思った。どんな場所に出向こうともシャルロットは常に気品と自信を崩さない。それは任務先であろうと変わらぬ態度だった彼女が、何故か自分の家族の前では肩を窄めていたのだ。
『まさか──』クレアが目を細めて、シャルロットを見つめる。『シャルロット、お前。アル兄様の事……何か気にしてる?』
「……ッ!?」
シャルロットの肩がびくんと跳ねた。
紅茶の表面までわずかに揺れ、カップを持つ指先に力が入る。
「な、何をおっしゃるかと思えば……わたくしが、き、気にしてなど……っ!」
『いや、気にしてるじゃん。その反応』
「その……あの方は確かに、噂に違わず優秀で、ご立派で、紳士的で……落ち着きがあって……」
言いながら、シャルロット自身がその感情に気づいていないような声音の反応だった。
クレアは小首を傾げ、わざとらしく言葉を区切る。
『──もしかしなくても、それ、気になってるって事じゃない?』
「き、気になってる!? わ、わたくしがアルフレッド様に、ですって……!?」
シャルロットの声が裏返り、紅茶のカップがかちりと小さく鳴った。
その顔は耳まで赤く染まっており、否定の言葉とは裏腹に、動揺は隠せていない。
『いやいやいや、だって。任務で標的の喉元に刃突きつけてても眉ひとつ動かさないような動きだって平気でできるくせに、なんでウチの兄様相手だと急に初任務の構成員見習いみたいになるんだよ』
「し、仕方ありませんでしょう! だ、だって……」
シャルロットは言葉を詰まらせ、視線を泳がせる。
まるで『言いたくないけれど、胸の内では認めざるを得ない』とでも言いたげに。
「フォード家のご令息で、魔術学院を首席卒業された天才で、協会本部の要職にも就かれていて……あの上品で穏やかな物腰……。そ、それに、わたくしの名前まできちんと覚えてくださって……すごく紳士的な対応で……。晩餐会の時もずっとこちらを熱のある視線で見つめてくださって……。ただ──」
もじもじと膝の上で指を絡めながら、シャルロットはさらに小声になる。
「ただ──その、アルフレッド様のような方から見れば……わ、わたくしなんて、たいした者ではありませんわ。きっと『妹の友人のひとり』という程度の認識で……」
『へぇ? 『たいした者じゃない』って? 随分殊勝な発言じゃんか。お前、カヅキ相手に迫る時は、あんなに情熱的なのにか?』
「っ……!」
シャルロットは椅子から転げ落ちそうな勢いで身をのけぞらせた。
「ち、違いますわ! モ、モン・シューに迫るのは……べ、別問題ですの……っ!」
『別問題なのかよ』
「べ、別問題ですわ!!」
胸元を押さえ、シャルロットは必死に言い訳しながら、耳まで真っ赤にしている。
「モン・シューは……その……わたくしにとって特別なんですの。彼は確かに素っ気なく見える時もありますけれど……近くにいると、どうしてか胸が熱くなって……。手を伸ばそうとしたら、もう既に足が勝手に動いているというか……!」
『……つまり、カヅキには情熱が暴走してすぐ抱きついたりするけど、兄様の熱視線には気後れするってことか。へぇー、ほぉー、ふぅーん? まあ、カヅキはボクのだからお前にはやらんが』
「ふ、ふざけないでくださいまし……! こんなの、わたくしが……わたくしがこんなに動揺するなんて……!」
シャルロットは顔を覆い、肩を小刻みに震わせる。
クレアは吹き出しそうになる口元を必死に抑えながら、しかし視線だけは優しく彼女を見つめていた。
(……シャルロットにも、こういうところがあるんだな)
任務先で見せる隙のない冷静さ、香月に向ける過剰なほどの熱情。
それが彼女の普段の姿なのに、一転して乙女そのものの羞恥に包まれている。そのアンバランスが、どこか微笑ましく、いじりたくなる。今日のシャルロットはからかいがいがある。
(っていうかあのアル兄様が、ね……)
クレアはそこで思わず眉をひそめ、先ほどの晩餐会を回想した。
アルフレッドがシャルロットを見るあの目──
あれは興味深い対象とか礼儀としての視線ではない。
むしろ、彼にしては珍しく、思考が読み取りづらいほど深くて柔らかい色を帯びていた。
冷静沈着で人当たりも完璧。だが、内面は家族以外にほとんど感情を見せない男だ。
その兄が、あれほど長くシャルロットに視線を留めていた理由──
(アル兄様、シャルロットみたいなのが……好みだったりするのか?)
クレアはじっと、顔を覆ってうずくまるシャルロットを眺めた。
淡い亜麻色の髪が、肩でゆるく波を描いている。
光の加減で金にも銀にも見えるその色は、伏せられた横顔をいっそう柔らかく見せていた。
頬は耳まで赤く染まり、普段の冷静さは影もない。
伏せた睫毛は驚くほど長く、影を落としたままかすかに震えている。
その下に隠れる碧眼は、羞恥に染まって水面のように揺れて──妙に、色っぽい。
整った顔立ちは「美人」と呼ぶには幼さが残り、「可愛い」と形容するには大人びた線の美しさがある。
そのどちらでもあり、そのどちらでもない、絶妙な均衡だ。
(……有り得るかもしれない)
そう結論づけた瞬間、クレアの胸に、得体の知れないもやもやが湧き上がった。
(もしアル兄様とシャルロットが仲良くなって、恋人とかになって、結婚なんかしたりしたら……)
脳裏に未来の光景が浮かぶ。
フォード家の広い居間。
穏やかに微笑むアルフレッド。
その隣でしとやかに紅茶を淹れるシャルロット。仲睦まじい二人、その脇に佇む揺り篭の中には──
(いやいやいや、待て待て待て!!!)
クレアは想像の中の光景を、慌てて脳内で停止させた。
脳内ではシャルロットが赤ん坊を抱っこしていた。
フォード家の家紋入りよだれかけまで付けられた、父……いやこの場合祖父という扱いになるのか? とにかくリーヴァイ・フォードに絶対甘やかされる未来の甥か姪である事に違いない。
(何か……嫌だな……。でも、待てよ? そうするとシャルロットは、ボクの……義理の姉になる可能性が……?)
ぞわり、と嫌な汗が背筋を走る。
(義姉がシャルロットって……何その状況。なんかこう……想像するだけで胃がキュッとするんだけど!?)
これは絶対に話題を変えるべきだ。
クレアは深く息をつき、慌てて思考の迷路から手を引いた。
スマートフォンの画面に視線を戻し、何気なくSNSのフィードをスライドさせる。
すると、ある投稿が目に留まった。
それは、海外の匿名掲示板群に突如現れた投稿を転載したものだった。
英語で綴られた文章には、一見ただの夜景写真が添付されている。だが、よく見ると、写真の中には幾何学的な図形が隠されており、ところどころに数字とアルファベットの断片が散りばめられていた。
画面下にはQRコードのようなものも添えられ、キャプションは短くこう書かれていた。
『解ける者よ、この世界の秘密への道標を辿れ。#ARG #謎解き』
クレアはその投稿をスクロールしながら見つめる。
文章は、まるで挑戦状のようだった。
「こんばんは或いはおはようございます。この世界には、人知れず隠された秘密が存在します。我々はその秘密を探求し、陰謀を打破する勇気ある仲間を求めています。この画像に隠されたメッセージを解読できる者は、その道標を辿ることになるでしょう。幸運を。3301・51419」
この文章を見た時、クレアの胸に、どこか懐かしい感覚が走った。
(……あれ? この感じ……どこかで……)
夜景写真、幾何学的な図形、断片的な数字とアルファベット、そしてQRコード──いいや、それじゃない。もっと、わかりやすい何か。
そして、クレアの目がもう一枚の画像、これは最初に投稿された謎へのアンサーらしいとされる、とある有名ゲーム実況者の配信中に映し出された画像。
「我々は世界の秘密を探し求めている。目にしたのは狼か……あるいは月か。これが3301・51419に対する回答だ。1052167・11014」
その文章を見てハッとした。クレアの脳裏に、一瞬にして過去の記憶と感覚が重なった。
「シャルロット、これだ……!」
クレアは思わず直接口から声を上げていた。シャルロットがキョトンとした顔を向ける。
「……クレア?」
クレアはスマートフォンを握りしめ、画面を見つめたまましばし沈黙する。
その目には、確信と興奮が交錯していた。
探していたもの、見つけたくても見つからなかった手がかりが、偶然ながらも目の前に現れた。
これは痕跡だ。しかも、この暗号の読解方法には覚えがある。辿れる、失踪した彼の所在が。
「……見つけた」
再度噛み締めるように、伝声魔術ではなく、その口で言葉にしていた。クレアの声は震えていたが、それは恐怖ではなく、喜びと安堵の混ざった震えだった。
画面をシャルロットに向けて、彼女の反応を待つ。
「……な、何をですの?」
シャルロットは首をかしげ、まだ状況を理解できずにいる。そんな彼女に、今度は伝声魔術でしっかりと発音した。
『コレだよ! この、暗号! 見つけたんだ、カヅキへの手がかり!』




