第三十四話 転回
上司への報告、そして叱責。それらを平身低頭でやり過ごしたアルス・藤木は悪態をついた。
「私が、あんな、ホムンクルスなどに、恥をかかされるだと⁉」
普段の丁寧で冷静な口調はどこへやら、荒々しく電話鳥が鎮座している鳥かごをガンっと蹴り上げ、中の鳥が羽ばたき、その羽が散らばった。
「なぜ誰もが私の邪魔をする⁉ サラまで……どうして私の思う通りにならない⁉」
怒りが頂点に近づいているのかその語勢は噴火寸前に聞こえた。
しかしふと水を掛けられた火のように、その怒りは鎮火した。
「いや……そうか。今回の件で新星教には借りができた。それを利用すれば……あの生意気なホムンクルスにも……」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながらいやらしく笑うアルス・藤木の顔を見たのは電話鳥だけだった。
まず主である坊ちゃま、そして今回協力していただいた菜月様やアテシン家に連絡したのち、我が家に向かって帰路につく。
花梨と二人、手をつないで。
「二人とも! おかえり!」
満面の笑みで元気に出迎えたのは坊ちゃまだった。侍従と主人という立場からすると、褒められた行動ではないけれど、今日は大目に見よう。
「ただいま戻りました」
「ただいま! 藤太お兄ちゃん!」
「お、お兄ちゃん……」
戸惑っているがまんざらでもない顔だ。……花梨は思いっきり猫を被るつもりですね。
「お姉さま。ご夕飯の準備は順調です」
雫は一歩引いた場所から謹厳に、しかしほっとした笑顔だった。この子もきっと心配していたのだろう。
それに応えようとして、後ろから騒がしい声が聞こえてきた。
「こんにちは! 全員揃ってるわよね!」
菜月様だろう。律儀にもわざわざ訪ねてくださったらしい。
「花梨。雫に案内してもらいなさい。いいですね?」
「はい。お姉さま」
「わかった! よろしくね! 雫お姉ちゃん!」
「お、お姉……」
……顔を赤らめてあっさりと妹の毒牙にかかる妹。ちょろいですねー。仲良くなれそうで何よりです。
先を行く雫に花梨はてくてくとついていった。そういえば花梨用の服も後で見繕っておかないといけな――――。
「来たわよ!」
バーン、という擬音が似合いそうな勢いで登場する菜月様。……が。
「ようこそおいでくださいました。ですが、なぜ着物をお召しなのですか?」
私の記憶にある限り、富裕層の正装である和服を今まで菜月様が着ていたことはない。
「私だってたまには正装に着替えることもあるわよ!」
それにしても妙に気合が入っているような……? 疑問を感じていると坊ちゃまがこっそりと耳打ちしてきた。
(今日、黄ノ介さんが来るはずだったんだけど……用事があったみたいで……)
なるほど。かつての婚約者にきれいなところを見せたかったと。いじらしいけれど、間の悪さといい往生際の悪さといい、とにかく恋愛がかかわると残念な人だ。
(ひとまず黄ノ介様のことは内緒にしておきましょう)
私も耳打ちを返して密談を完了させる。
「何こそこそしてんのよ」
「いえ、なにもございません。夕飯までしばしおまちくださ――――」
言葉が途切れる。
「お、お姉さま……そ、その……」
雫がよろよろと、青ざめた顔で駆け寄ってきた。
「どうかしましたか?」
「そ、それが、花梨が……」
「小百合お姉ちゃ――――ん! これ見て――――!」
台所が急ぎ歩きの花梨が持っていたのは、お皿にのった毒々しい縞模様の……物……体……?
「か、花梨? それは一体……?」
「ご飯! アレンジしたよ!」
「「「「…………」」」」
花梨以外の時間が停止する。
どこからどう見ても人間が食べていいものではない。なんかうごめいている気がするし。
異臭なんかはしていないけれど見た目からして生命の危機を感じる。
「じゃ、私はこれで」
一人合法的に逃走可能な菜月様が踵を返すがその肩をがっしり掴む。
「お待ちください。もうすぐ黄ノ介様がいらっしゃるはずなので挨拶だけでもしていかれてはいかがでしょうか」
「う、ぐ……」
もはや私は逃げられない。こうなれば一人でも地獄に巻き込んでやろう。
「さ、小百合……」
「お姉さま……」
「……大丈夫ですよ。死ぬときは一緒です」
悲壮な覚悟で顔を見合わせる。
目の前にはニコニコと笑う花梨。
結論から言うと、食べられない味ではなかった。むしろあの見た目で一応料理の体をなしているのが不気味だった。
なお、花梨は料理当番から外されたのは言うまでもない。
その女は薄暗い森を必死で駆け抜けていた。
顔は涙で濡れそぼり、ぐしゃぐしゃになっている。あまりにも淑女らしからぬ様子に、父母や夫が見れば小言が豪雨のように押し寄せるだろう。そもそも彼女は本来今ここにいるべきではない。後のことを考えれば今すぐ家に戻るべきだ。
しかしそれでももうあの家に戻りたくなかった。それくらいならこの暗い森の中で永遠にさまよっていたほうがいい。
やがて息の乱れから木の根につまずき、地面に転がった。
それがよかったのか悪かったのか、ほんの少しだけ正気に戻った。
「私、なにしてるの……」
その質問には誰も答えてくれない。自分自身でさえも。
がさり、と茂みから物音がする。
「ひ……⁉」
尻もちをついたまま後ずさる。ここ最近獣に襲われるという事件があったばかりだ。切り開かれていない森は危険と無縁ではない。
体感時間としては数分に匹敵する時間が流れ、茂みから顔をのぞかせたのは緑色の肌をした小さな人間だった。
否。それは人ではない。
「ゴ、ゴブリン? ど、どうしてこんなところに?」
それは人を襲う異種族だった。ぎょろぎょろと目玉を女性に向ける。
「ひ……⁉」
怯えた女性にゴブリンは近づき、そして。




