第三十五話 薄幸
新星教の一件から数日がたったけれど、平和そのものでしかない日々だった。花梨に侍従としての業務を教えつつ、テレビの開発にも着手する。ちなみに花梨の服はスモックをメイド服風にアレンジしてもらった。裁縫は苦手なので近所の衣料品店に頼んだものだ。
なぜ子供向けの手縫いと思われる服がこの屋敷にあったのかは……おおよそ察することができる。きっと生前の奥様なら喜んでくれるに違いない。
私も法律家としての仕事を再開したかったのだけれど、このままでは忙殺、というか比喩抜きで過労死コースに突入しかねない。
人権がないので保障もないから過労死なんてまっぴらごめんだ。いや、あっても嫌だけれど。
何はともあれ手伝ってくれる事務員あたりが最低でも二人は必要だ。そのめどがつくまでは見切り発車はできなかった。
だがその平穏の終わりを告げるようにうららかな午後に、赤子を抱いたエミ様と見知らぬ女性が私たちの家を訪ねてきた。
「エミ様。お久しぶりです。本日はどのようなご用件でしょうか」
客間で応対する。エミ様のお子様はすやすやと眠っており、真面目な話をするにはちょうどよかった。
「そんなにかしこまらなくてもいいわよ。あなたは法律家だし、私もお世話になったから、ちょっとくらい威張っても怒らないわ」
「法律家は休業しております。私は現在、侍従として職務を全うしております」
「そうなのね。うーん、ちょっと相談があったんだけど……かまわないかしら?」
……一般人は法律家のことを便利屋か相談員か何かだと勘違いしているのではないだろうか。拒否権はなさそうだ。
それと、どうにも声が明るい。おそらく鳥子さんが処分されたせいで記憶を失ったのだろう。それを救いとみるか、残酷だと見るべきか。私には判断ができなかった。
「相談に乗るだけならば」
「あらそう? なら早速で悪いけれど、この人は夫とうまくいっていないらしいの」
ちらりとエミ様が連れてきた女性に目をやる。
茶色の髪を長く切りそろえており、美人と言って差し支えなかったけれど、どうにも幸が薄そうだった。
(また面倒なことになりそうですね)
こっそりと心中で愚痴をこぼした。
まず自己紹介したのは初見の女性だった。
「私は、サラ・藤木と申します」
ん? 藤木?
心当たりがなくもない名前。
「私は法律家の小百合と申します。どうぞ、お気軽にお話しください」
そう言ったものの、サラ様は口が重そうだった。
「私は今夫のアルス・藤木と離婚調停中なんです」
聞き覚えのある人物の名前だった。偶然だろうか?
「どちらかが離婚に納得できず、協議離婚が成立しなかったということですか?」
「はい。私が、夫の出す条件に納得できませんでした」
離婚のステップは主に三つ。協議、調停、裁判。
協議離婚はお互いに納得して離婚届を提出すること。これなら法律家の出番はない。
調停離婚は調停委員がお互いの仲立ちを行う。この場合弁護士などを介入させることもできる。
裁判離婚は家庭裁判所が判決を言い渡す。当然ながら後半になればなるほど費用や時間がかかる。
それもあって最も多いのは協議離婚だ。そのあたりのルールをきちんと知らない人もいるので今の質問をした。
というか、この国の女性は案外知らないことが多くてびっくりした。まあ、地球と違ってなんでもネットで調べられるわけではないから当然なのだけれど。
「私はお金もありませんし、私の親族も味方をしてくれません。誰も……頼れる人がいないんです」
耳にタコの大群ができるくらい聞いた典型的な夫婦間の問題を抱えた女性だった。
日本でもこういう女性は珍しくない。おそらく昔はもっと多かっただろう。問題が表面化することは少なかったかもしれないけれど。
「では離婚に至った原因は何ですか?」
「それは……私の不倫です」
おや、と脳内に疑問が湧き上がる。このパターンは初めてだ。というよりどう考えてもサラ様に責任があるはずなのだし、それは自分でもわかっているようだが……?
その疑問が顔に出ていたのか、エミ様が弁明するように横から口をはさんだ。
「違うの。先に不倫したのはサラさんの夫のほうなのよ。それに、ずっとサラさんは夫から口うるさく責められ続けていたの」
それなら話は別だ。しかし問題もまた、別にある。
「離婚事由、さらには慰謝料の請求を認められる用件となるのは今回の場合夫婦の不貞行為です。どちらかというと先に不倫をした、つまり家庭を崩壊させる原因を先に作った側に慰謝料を請求できますが……失礼ですが証拠はありますか?」
「……ありません」
これに答えたのはサラ様だった。
「では、サラ様が不倫したという証拠はありますか?」
「現場の……写真を……」
これはもう致命傷だ。ボクシングならダウンしてからナインカウントまで進行している。どれだけ主張したところで物理的な証拠があるのと、ないのでは雲泥の差がある。
「法律家さんの言いたいことはわかります。以前にお伺いした法律家さんももう無理だと言っていました。でも、慰謝料があまりにも高すぎるし……どうしても納得できないんです」
「どのくらいの慰謝料を請求されているのですか?」
返答を聞いて驚いた。相場よりも高すぎる。まさに法外な金額。
「確かにこれはおかしいですね。いえ、以前にも相談したのなら、そう指摘されたはずですね? なぜ、ここまでの金額になっているのですか?」
「それは……私の不倫相手が……」
「不倫相手がどうなさったのですか?」
「私の不倫相手は……ゴブリンなんです」
サラ様から放たれた衝撃発言によって私の思考回路は数秒間焼ききれた。




