第五十話 奴隷
「お姉さま!」
勢いがついた雫をきちんと抱き留める。
「よく頑張りましたね。後は任せなさい」
「はい……お姉さま……ありがとうございます!」
などと微笑ましい会話の裏で私は。
(こっわ! いやなんですかあの動き⁉ プロの格闘家か軍人ですか⁉)
パピヨンとドーベルマンが同居しているような雫には恐怖しか感じない。多分、本気なら旦那様の命はもう無いだろう。それを疑えないほど凶悪な動きだった。
しかしそのおかげで証拠は集まった。
「坊ちゃま。写真は取れましたか?」
「う、うん。カメラカメレオンで現像できたよ」
ぴらりと一枚の紙とカメレオンを差し出す。これがこの世界の写真らしい。白魔法を使いながらカメレオンに特殊な紙を押し当てるとカメレオンが見た景色を紙に映し出す。原理? 私が知っているわけないでしょう。
ちなみに正式な裁判の証拠としても採用されているらしく、信用性は十分だ。
もうお分かりだろう。私は旦那様を罠にはめたのだ。雫に乱暴を働いたという証拠を掴むために。
役者の質、特に旦那様をおびき出すための電話を行った菜月様の演技力は不安だったけれど、上手くやってくれた。雫にほとんど何も伝えなかったのは演技ができないと踏んだからだ。
罠にはめられたと悟った旦那様は立ち上がり、こちらを睨みつけている。
「どういうつもりだ」
「お察しの通りです。あなたが雫を襲う写真を撮影しました。もしも旦那様が雫に対して一切の暴力行為を行わないと宣誓できないのであればこれを警察に提出します」
「馬鹿馬鹿しい。私のホムンクルスをどう扱おうが私の勝手だ」
「お父さん! 僕たちは家族なんだよ⁉ どうしてそんなこと言うの⁉」
「お前は黙っていろ!」
ケレム様の一喝にも坊ちゃまは動じない。
「黙らないよ! 同じことを言わせないで!」
「……。もういい。手足の一本でも残っていればいい。傷害罪だ。風と知恵の精霊シュトート」
何度も見た翠の蝶が舞い踊る。雫が臨戦態勢に入ろうとするがそれを止める。
この時点で詰みだ。雫がホムンクルスとしてどんなに強くても精霊には勝てない。それはもう嫌というほどわかっている。
「小さい方のホムンクルスを捕らえろ」
ふわりと風に乗るように飛んでくる。私たちを一瞬で切り刻む鱗粉を纏わせて、迫る。だが、もちろん、なんの備えもないわけがない。
「弁護士法第七十二条、非弁護士の法律事務の取り扱い等の禁止の解釈。無報酬であればいかなる存在であれ自己を弁護する機会が与えられる」
シュトートは私の鼻先で止まった。
「な——」
旦那様の目が驚愕に見開かれる。この世界の人間からするとそれも当然だろう。
地球では金銭的な理由などにより弁護士などを雇わずに自分で裁判を起こす、というのはまれにある。この世界では……さて。
「ありえん! 異種族が裁判を起こせるわけがないだろう!」
「いいえ! 弁護士法には異種族でなければ弁護人になれないとは明記されていません!」
当たり前だ。だって地球には人間以外の知的生命体は存在しないということになっているのだから。
「人権が無いだろうが! 人権がないのに弁護人になれるわけはないだろう!」
「いいえ! 弁護人には人権が必要だとは明記されていません!」
「そ、そんなわけがあるか!」
「そんなわけもあります! 例え弁護士法によれば犬猫だろうと弁護士になってはならないと明言されていません!」
「猫……?」
勢い込んでいた旦那様は妙なところで怪訝な顔をした。
「物の例えです。ですが事実として私は雫の弁護が可能です。そうですよね?」
『はい。ホムンクルスは自己、および他者の弁護が可能だと判断します』
これで明言された。私は法律で精霊から身を守れる。
雫と坊ちゃまの表情が明るくなる。少なくとも議論には持ち込めた。
だが、衝撃から立ち直ったのか旦那様は先ほどの焦りが消えていた。
「お前が弁護するというならそれでいいだろう。だがそこにいるホムンクルスが私の所有物であることには変わりない。私の所有物をどうしようが私の勝手だ」
その通り。法律において人と物は厳密に区別される。物ならばどうしたところで罪に問われることはない。
例外を除いては。
「いいえ。自己の所有物であってもみだりに傷つけることを禁じられるものはあるのです」
「何を言い出すかと思え——」
「まずお聞きしますが、私たちは何ですか?」
話を遮られてやや不快な顔をしたが、それをすぐに消した。
「ホムンクルスだ」
「では、ホムンクルスは何ですか? 道具? 財産? それとも、奴隷ですか?」
「……」
そうだ。この場合最も適切な表現は奴隷だろう。しかし日本国憲法において奴隷は禁じられている。だから実際にそのような扱いを受けていたとしても、奴隷であると声高に主張することはできない。それどころかむしろ人間側が奴隷ではないと必死に否定するだろう。
もしも異種族が奴隷だったのならば、異種族を所持しているすべての人間は犯罪者であるのだから。
「答えはそこにあったんですよ。単純に考えればよかったんです。私たちが何者か」
その答えを持っていたのは哲学者でも神学者でも芸術家でもない。誰もがわかっていたのだ。
「我々は、ホムンクルスは、異種族は、動物です」
「……へ」
「……え」
雫と坊ちゃまは何を当然のことを、とばかりにぽかんとした口を開ける。
だが、旦那様は雷にうたれたようによろめいて下がる。
「まさか、お前は……」
私は不敵に笑って見せる。ただのはったりだ。この論理が絶対に正しいと断言できない。しかしもう賽は投げられた。後は川を飛び越えるだけ。
「ええ。当たり前です。ですが、その当たり前を誰もが何十年も見落としてきたのです。日本国憲法において奴隷の所有を禁じていますが、家畜の所有を禁じてはいません」
「お前は、お前は! 自らを家畜だというのか⁉」
「その通りです。動物愛護法違反。それが貴方の罪状ですよ」




