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セイを肩に抱え、ぼくは大通りを真っ直ぐに走った。
セイが震えているのがわかる。アンドリューの心配はもちろん、多分両親やお兄さんのことを思い出しているのだろうと思うと、ぼくも苦しくなった。
妙にアンダーグラウンドが広く感じる。いくら走っても目的の場所が見えて来ない気がする。
焦りがぼくを煽る。――使うしかない。
「セイ、これからとぶよ。ぼくに捕まって、息を止めて」
ぼくはそう言って、セイの背中を軽く叩いた。
セイが頷き、大きく息を吸い込む音がする。
セイが息を詰めたことを確認し、ぼくはテレポートした。
この時ばかりは、自分がGXだということに感謝した。
ぼくはすぐにアンダーグラウンドの入り口に現れ、そしてたった一人横たわるアンドリューを見つけた。
「アンドリュー!」
ぼくはセイを降ろし、すぐに駆け寄った。
アンドリューはうつ伏せに地面へ横たわり、ぴくりとも動かない。
右肩からの出血がひどい。シャツが真っ赤に染まっている。
ぼくは他に外傷や出血はないかと、アンドリューを念入りに見回した。
セイも側に屈み、何をすればいいのかとあちこちに目線を走らせる。
いつも元気なセイが、すっかり眉を下げて慌てる様は、見ていてなんだか辛かった。
「まだ動かしちゃダメだ。セイが見たときには、アンドリューの意識はあった?」
「わからない。ただエドワールが慌てて走っていったから、何なのかと思って来てみたらアンドリューが倒れてて……それでぜんぜん動かないから、オレ、どうしようかって……」
セイの声がどんどん小さくなり、そして泣き声交じりに消えていく。
セイはぼくの服を掴み、縋るようにぼくを見上げた。
「アンドリュー、死ぬのか? 大丈夫だよな?」
「大丈夫、落ち着いて」
ぼくはセイの肩をさすり、そしてまたアンドリューを見下ろした。
多分、下手に動かさないほうがいい。ドル爺さんを待とう。
ぼくはとりあえず簡単な止血だけをして、皆の到着を待つことにした。
こんな時、GXの能力なんて何の役にも立たない。ぼくは自分が無力で、ものすごくちっぽけな存在に思えた。
それからすぐに、担架とドル爺さんが駆けつけた。
後からついてきたダーラさんがアンドリューの様子を見て悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちる。
ぼくらはアンドリューをゆっくりと担架へ乗せ、大急ぎでセンター内の病院へ向かった。
――何十人もが黙ってたたずむ廊下で、ダーラさんのすすり泣く声だけが響いていた。
ぼくはセイと一緒に扉の一番そばへ腰を下ろし、治療が終わるのを待っている。
セイはずっとうつむいたまま、膝を抱えて肩を震わせていた。
妙に時間が長く感じる。ぼくは張り詰める空気の中で、降るように出てくる嫌な推測に潰されそうになっていた。
アンドリューが誰かに襲われたのだとしたら、それはきっとGXだろう。
アンドリューは普段あまり能力を使わないようだけれど、出会った頃の一件でアンドリューの能力の高さはぼくも見せつけられていた。
きっとアンドリューに本気で襲い掛かったら、勝てるのはマルシェさんとぼくたちGXぐらいだろう。
セイはアンドリューのことをバカにするようなことも言っていたけれど、とんでもない。あれほどの能力者が、マルシェさんの他に居るとは思わなかった。
だからこそ、きっと目をつけられたんだ。ぼくらのかつての長、お父様に。
闇に響く高笑いが聞こえたような気がして、ぼくは思わず身を震わせた。
――怖い。
もしも、このアンダーグラウンドが公司にばれてしまっていたら。
もし、お父様がGXと共に、アンダーグラウンドに攻めてきたら……
かつての仲間に今の仲間を壊される。……そんなこと、絶対に嫌だ。
お父様は残酷だ。冷酷で、残忍。だからこそ、こんな大きな勢力があることを知れば、理由すら聞かずにすぐにGXを送り込んでくるだろう。
そうしたら……その時は、きっと……――
その時、ぼくの向かい側に座っていたエドワールさんがゆっくりと立ち上がった。
何の動きもなかった空間で、皆がすぐに気づき、顔を上げる。
「みんな、心配なのはわかるが、今はそれぞれの仕事に戻ろう。このアンダーグラウンドは皆の力で保っているんだから」
エドワールさんの提案に、だれも嫌だとは言わなかった。
何人かが頷き、そしてゆっくりと立ち上がる。
「それと、このことはあまり大げさに騒がないようにしよう。混乱を起こしかねないし、きっとアンドリューもそれを望んでいない」
ふたつめの提案に、ようやくいくつか「わかった」「そうしよう」という声があがった。
そしてゆっくりと、何度か振り返りながらも、それぞれの生活へ戻っていく。
ぼくはその背中を見送りながら、まだ膝を抱えてうずくまるセイに、そっと話しかけた。
「……どうする?」
「ここに居る」
セイは首を横に振って、すぐにそう答えた。
ぼくもそのほうがいい。ヴォルトには悪いけれど、まだあの姿のままで居てもらおう。
――それから、何十分も、何時間も経った。
ここに残っている人も徐々に少なくなり、今はぼくとセイ、時々すすり泣く音をあげるダーラさんと、その両脇に居る不安そうな双子。その他に、大人が二、三人が居るだけ。
まだ扉は開かない。ドル爺さんの声も聞こえないし、何の変化もない。
しかしその時、廊下に響いた大急ぎの足音に、ぼくも、うずくまっていたセイも顔を上げた。
「お兄様!!」
空気を裂いた悲鳴と共に、アンドリューとよく似た金髪が揺れた。
「メリサ」
ぼくは立ち上がり、病院の扉に突進しようとするメリサを止める。バニラのような、甘い香りがした。
メリサが足を止める。大きな青い瞳からボロボロと零れ出てくる涙には、さすがにぼくもぎょっとした。
「お兄様は大丈夫なの!? どうして教えてくれなかったの!」
メリサがぼくの服を掴み、何度も引っ張ってそう言う。
「言えなかったんだ。あまり騒ぎたくないから」
ぼくはどうしたらいいのかわからず、ただ真実だけを言った。
すると、メリサが泣き顔をさらに顰めた。どうしよう、もっと泣かせちゃったかもしれない。
しかしメリサは、次に立ち上がったセイに標的を移した。
「どうしてお兄様と一緒に行ってくれなかったの!?」
メリサは大声で叫び、セイに詰め寄った。
セイは今まで震えていた肩をぐっと突っ張り、メリサを睨みつけるように眉をつり上げる。
「仕方ないだろ、それは大人が決めることだ」
セイの冷静な言葉に、メリサはさらに憤慨した。
「どうして守ってくれなかったのよ! 同じ力を持っているくせに!!」
「おまえだって何だよ! アンドリューが危険なめに合っている時に、のんきにタルトなんか焼いててさ!」
ついに大声で言い返したセイに、メリサが大きく目を見開いた。
そして、大きく手を振り上げる。
セイを殴るのかと思ったら、メリサはセイの服をぎゅっと掴み、セイに顔を埋めた。
「だってそれしか覚えていないんだもの!!」
メリサのその言葉に、今度はセイが目を見開いた。
メリサが肩を震わせ、力なくその場に腰を下ろす。
セイもメリサに捕まれたまま、再びその場に座り込んだ。
「私、地上に居た頃のお兄様を、ぜんぜん覚えていないの。ただママの作るお菓子が好きだったってことぐらいしか、覚えてないのよ! 私にはお兄様やセイのような能力はないし、お手伝いできることも、ほとんどないわ。でも、私だって、少しでもお兄様を喜ばせたかったの!」
メリサは何度も詰まりながらそう言って、ついにワッと泣き出した。
セイはどうしたらいいのかわからず、さっきのぼくと同じように意味もなく宙を掻く。
「な……泣くなよ、わかったよ……」
セイは呟くようにそう言いながら、戸惑いつつもメリサの背中をさすった。
メリサはさらにセイの服を引っ張り、体を震わせる。
「お兄様が死んじゃったらどうしよう! 私、わたし……」
「アンドリューが死ぬわけないだろ!!」
突然セイが大声を出し、メリサの肩を掴んだ。
メリサはブルーの大きな目を見開き、セイを見つめる。
「いつかオレがアンドリューより強くなって、そうしたら守ってやるよ。アンドリューも、おまえも!」
病院前の廊下に、セイの声だけが響いた。
決意を告げたセイの姿には、今まで怯えて震えていた影はなく、ただ目の前のものを守り抜くという、強い覚悟が見えた。
セイの声が消え、静まる辺りに、メリサが小さくしゃくりあげる声が響く。
「……それで、いいだろ」
セイが少し照れくさそうに唇を尖らせ、メリサを離した。
「私、私も、この子たちを守るわ!」
その背後で、ダーラさんが声をあげた。
双子をぎゅっと胸に抱き、その瞳からはまた涙が溢れ出す。
しかし、その表情からは絶望が消え、代わりに強い決意があった。
メリサがまた小さくしゃくりあげ、両手で目をこする。
「お兄様は私にとってのヒーローよ。そんな簡単に勝てっこないじゃない」
「じゃあスーパーヒーローになってやる。今に見てろよ」
セイがそう答え、生意気そうにふん、と鼻を鳴らした。
メリサが顔を上げ、ようやく笑顔を見せる。
ぼくはぎゅっとこぶしを握るセイの頭を撫で、頷いた。
「今は待とう。アンドリューはきっと大丈夫だから、ね」
セイはメリサとアンドリューを守ると言った。
ダーラさんは子供たちを守ると言った。
ならばぼくは、アンダーグラウンドのみんなを守ろう。




