アリスの祈り
更新遅れてすまんな!!
「きゃあぁぁあぁぁあああっっっ!」
地響きの隙間を縫ってアリスの悲鳴がフレデリカの耳に飛び込む。
フレデリカが気づいた時には既に遅く、天井から降ってきた岩がアリスを覆い隠す。
砂埃が晴れた頃、そこには岩に挟まれたアリスの姿があった。
幸いにも岩同士が重なり合い、体が潰されなかったようだが身動き一つ取れない状況に陥っていた。
「今、助けにッ……」
「ダメです、お兄さん! トロールがッ!!」
アリスの言わんとしていることに気づいたフレデリカが咄嗟に横に跳ぶ。
先ほどまでフレデリカがいた箇所を、地面に亀裂と振動を与えながら拳が振り下ろされた。
〈コロス、コロス。ゼッタイ、コロス〉
フレデリカが気を取られた一瞬、怒りで我を失っていたはずのトロールは冷静さを取り戻しつつあった。
加えて崩落した鍾乳石がそこら中に転がるという足場の悪い状況がフレデリカの逃げ場を狭めていた。
その好機にトロールは勝利を確信して目を細める。
「これは、だいぶピンチね」
己の窮地を察知したフレデリカの頰を汗が伝う。
アリスの掛けた神聖魔法は一定時間が過ぎて効果を失っている。
その事に気づいたアリスがせめて魔法をかけなおそうとして、首から下げていたはずのアミュレットがなくなっていることに気づいた。
神へ祈りを捧げる事で魔法という奇跡を起こせているが、それは聖印を介して祈りを捧げなければ神への祈りは届かない。
他の魔法も知らず、聖印のないアリスでは魔法の発動すら不可能である。
(アミュレットが、聖印がないと魔法が使えない!)
焦ったアリスがうつ伏せで岩に挟まれた状態でも無理やり体を起こす。
岩に擦れて傷一つない肌に擦過傷がついても構わず竜鱗を探す。
倒れ込んだ拍子に紐が千切れたのだろう、手を伸ばせば届きそうな位置に見慣れた聖印が刻まれたアミュレットが転がっていた。
「あと、ちょっと……なのに…………ッ!」
アリスが懸命に手を伸ばしても、あと少しというもどかしい距離が詰められない。
それどころかトロールが攻撃するたびに地面が揺れ、アミュレットが少しずつ遠ざかってしまう。
アリスが悔しさに下唇を噛んだとしても、何一つ現状は改善しない。
それどころか、悪化の一途を辿っていた。
「このままじゃあ、本当に全滅する……ッ!」
最悪の事態がフレデリカの脳裏を過ぎる。
アリスの魔法が切れたことで、トロールは幾分か動きが素早くなっていた。
障害物のない場所なら余裕を持って回避できたが、人としての限界を迎えつつあったフレデリカをついにトロールの拳が捉えた。
「あがっ!?」
叩き込まれた拳の威力でフレデリカの体が吹き飛ぶ。
辛うじてアリスのかけた〈プロテクション〉のおかげで即死しなかったとはいえ、決してダメージがなかったわけではない。
ごろごろと地面を転がり、手に持っていた剣がカランと洞窟内に響く。
その光景を見ていた子供達は小さな悲鳴を上げる。
「ね、ねえ。どうしよう、ライカ。このままじゃあ、アリスお姉ちゃんが、お兄ちゃんが……!」
震える声で問いかけたセシルがライカのシャツの裾を掴む。
恐怖でくりくりとした大きな目に涙を溜め、膝をガクガクと震わせていた。
元々怖がりだったセシルの恐怖がライカにも伝播して、彼女の目にもじわりと涙が浮かぶ。
それをぐしぐしとシャツの裾で拭い、つり目がちな目をさらに吊り上げる。
「なっさけないわね、セシル!! あの岩を退かすしかないでしょ! そんな事も分かんないの!?」
ビシッと指をセシルの顔に突きつけ、次いでアリスを拘束する岩を指す。
ライカの言葉にセシルは余計ボロボロと涙を零した。
「む、むりだよお……! あんなおっきい岩、僕たちだけでどうにも出来ないよお!」
「あっそ、じゃあここにいてトロールに引き摺り出されるまでガタガタ震えていればいいわ!」
ライカはセシルの制止を振り切って、安全だった亀裂を飛び出す。
仕方なしにセシルもライカの後を追う。
トロールはこちらに背を向けて、フレデリカの方に近寄っていく最中だった。
ライカはなるべく物音を立てないように静かにアリスの元へ移動する。
ライカに気づいたアリスは目を丸くし、声を潜めて苦言を呈する。
「やっぱりこの岩、僕たちじゃあ動かせないよお……」
「あなた達は! 動かないでっていたはずでしょう」
「でもっ、アリスお姉ちゃんが!」
「……ですが、今回は助かりました。あのアミュレットを代わりに取ってきてください」
アリスが指差す先のアミュレット。
それをライカはこくこくと何度も頷いて、素早く拾い上げてアリスの手に渡す。
受け取ったアリスはアミュレットに刻まれた聖印に傷一つないことを目視で確認し、すぐさま神に祈りを捧げる。
「どうか、戦う者へ癒しを〈セイクリッド・キュア〉!」
地面を転がっていたフレデリカを柔らかな光が包み、擦り傷や打撲が徐々に消えていく。
聖を纏った魔力を感じたフレデリカがはっと意識を取り戻した。
まだぼんやりとする頭を振って剣を拾い、迫りくるトロールに向けて剣を構える。
さらに苦境に立たされたフレデリカを援護するべく、アリスは追加で魔法を行使する。
「〈フィールド・セイクリッド〉! 〈プロテクション〉!」
トロールの動きが再び鈍重になり、フレデリカの体をアリスの魔力が覆う。
これで体勢を立て直したとフレデリカとアリスが確信する一方、トロールは血走った左目をぎろりとアリスの方へ向けた。
〈グギギッ! 邪魔ッ! 邪魔ッ!〉
トロールはすぐさま自分の動きを制限している小癪な存在がアリスだということに気付いた。
と、同時にアリスの横にいる幼子の存在に気づく。
見るからに脆弱で、か弱い存在にトロールの視線が釘付けとなる。
柔らかな肉を彷彿とさせる艶々とした精気に満ちた肌がトロールの、魔物の、生き物の反応を強く揺さぶる。
〈…………ウマソウ〉
だらだらと強酸性の涎がトロールの肌を伝い落ちて地面を溶かす。
己より弱いもの、殊更幼いものを好んで捕食するというのは肉食性の要素を持つトロールにとって自然の掟だった。
さらに攻撃を受けたことで体力を消耗したことで、目の前に立つ剣を持った男も、岩に挟まった女も思考から追い出されていく。
トロールの目には己の身一つ守れない、おさげ髪の幼女だけが映る。
〈喰ワナキャ……オデガ、喰ッテ……〉
トロールはフレデリカに背を向け、ライカの元へ一歩踏み出す。
ダラダラと紫色の唇から溢れた唾液が肌を溶かし、傷口をさらに痛めても構う事なくまた一歩踏み出す。
フレデリカの牽制すら完全に眼中になく、思考の全てが食欲に支配されていた。
(このままだとアリスが、子供たちが、攻撃されるッ!)
フレデリカの焦りを嘲笑うかのようにトロールは距離をジリジリと詰めていく。
両足の腱を切り落としたというのに手を使って這っていく。
フレデリカの危惧する通り、例え両手の腱を切って絶命するまで攻撃したとしても、それより先にアリスの元に辿り着いてしまうだろう。
「あなたたちだけでも逃げなさい」
「で、でもアリスお姉ちゃんがっ!」
「いいからっ、早く逃げなさいッ!」
子供がアリスの言いつけに従って逃げようとした矢先、トロールは怒りに満ちた咆哮をあげる。
その悍ましいほどの執念に満ちた魔物の姿にライカは腰を抜かした。
セシルが懸命にライカの腕を引っ張るが、子供が自分と同じ体格の人間を運べるはずもない。
悪戯に時間だけが過ぎてトロールとの距離が縮まっていく。
(ああっ、女神フレデリカ様……私が、私にもっと力があればっ!)
アリスがつい癖でアミュレットを強く握りしめた拍子に、薄く鋭い竜鱗が掌を切り裂く。
その痛みすら今のアリスにとってはどうでもよかった。
思考を占めるのはこの状況を打開できたかもしれない女神フレデリカの御加護。
女神フレデリカの僕のみが使える唯一の攻撃手段、魔を討つ女神の力〈処女神魔力砲〉
「女神フレデリカ様! どうか、どうか一度だけ私に力を……子供を救うための力をお貸しくださいッ!」
懇願にも似た祈りの言葉を口にしながら、アリスはつい最近習ったばかりの、まだ使いこなせていない手印を結ぶ。
祈りが通じているならば、問題なく発動するはずの加護に手応えを感じず、アリスの顔に絶望が浮かぶ。
(どうして……ッ!? フレデリカ様、お願いです。このままでは、子供たちが、お兄さんがッ!!)
アリスがふっとフレデリカに意識を向けた瞬間、これまで感じていなかったはずの手応えを感じる。
どこか暖かくて、ずっと近くにあるような懐かしさすら覚えるその気配にアリスは目を丸くした。
(まさか、お兄さんが? ありえない! ……でも、もしもそうだと仮定したら全て辻褄が合う)
フレデリカの姿を女性に変えればなるほど確かに教会や書物で見かける女神の肖像画に合致する。
豊かな栗色の髪に意思の強そうな琥珀色の瞳、そして既に手放したレイピアの装飾。
点と点が繋がり、絶望は希望へと転じた。
その希望にすがるように、アリスは一縷の望みをかけて一心不乱に祈りを捧げる。
「フレデリカ様ッ! どうか、どうか魔を打ち払う力を、その奇跡を今一度ここにッ!」
アリスは一切の躊躇なく、女神フレデリカではなく、トロールに立ち向かう青年に祈りを捧げた。
瞬間、先ほど感じた手応えをより鮮明にアリスは感じ取る。
まさしくそれは、女神フレデリカと同じ、聖なるものを纏う気配だった。
「こ、これは……この力は!」
突如流れ込んできた魔力の流れにフレデリカもまた驚く。
全盛期とは程遠いが、それでもトロールを討ち倒すには十分なほどの力が体中に漲る。
と、同時にこの力がいつまでも体に留まり続けるわけでもないとすぐに察知した。
一秒過ぎる事に器に収まり切らなかった魔力がこぼれ出している。
「それなら、このありったけの魔力で攻撃あるのみ!」
トロールとの距離を一気に詰め、剣に魔力を流し込みながら上空に飛び上がる。
目の前に近く脅威に目もくれず飢餓に苛まれた哀れな生き物に向かって剣を振り下ろす。
「〈剣の舞い〉ッッッッ!!!!」
ありったけの魔力で剣と筋力を強化して、トロールの分厚い脂肪に覆われた首に剣の切っ先を突き立てる。
体を捻り、体重をかけながら勢いよく回転すればまるでバターを切り落とすかのようにトロールの首はいとも容易く分断された。
バキンッと甲高い音を立てながらフレデリカの手に握られていたエストックに罅が入る。
悲鳴をあげる間も無く、聖の気配に当てられた邪悪な魔物は粒子と化して跡形もなく消え失せた。
誰もがその光景に唖然として言葉を失う。
最初に我に返ったのは腰を抜かしていたライカだった。
「…………った」
先ほどまで肌に突き刺さるような殺気はなく、青白いキノコの明かりにぼんやりと照らされたフレデリカの背中だけ。
まるで、最初からトロールという邪悪な魔物などいなかったかのようにも錯覚してしまうほど静寂に満ちた部屋のなかにライカの呟きが木霊する。
「…………勝った、勝ったよ!! おにいちゃんが、魔物に勝った!!」
歓喜に満ちた声に呆然としていたセシルもはっと意識を取り戻す。
呆然としていた己を恥じながら無言でうつ伏せになっているアリスが心配になり、ライカの手を離してアリスの肩を揺さぶる。
「アリスお姉ちゃん……アリスお姉ちゃん!?」
返事がないことに焦ってセシルはがくがくとアリスの体を揺さぶる。
瞼を閉じたアリスは力なく地面に横たわっているだけで、目を覚ます気配はない。
死んだのではないかと恐怖に駆られたセシルの肩を大きな手がポンと叩く。
「魔力の使い過ぎで気絶しただけだよ。暫くは起きないだろうね」
フレデリカは罅の入ったエストックをしまい、アリスの上に乗っていた岩を『よいしょっ』と声を出しながら持ち上げた。
ガラガラと音を立てて岩を退かし、挟まれていたアリスの体に改めて外傷がないことを確認する。
掌から血が流れていることに気づくと、服の端を切って巻きつけて簡易的な止血を施す。
「アリスは運ぶとして、君たちは大丈夫? 外まで歩けるかな?」
ライカとセシルはこくこくと頭を上下に振る。
二人は土埃で体が汚れているものの、特に目立った傷はないことにフレデリカはほっと息を吐く。
アリスを抱え上げようとしたフレデリカの裾をクイッとライカが引っ張った。
「お兄ちゃん、あのピカピカしたやつは持っていかないの?」
首を傾げながら指差す先、トロールがかつていた場所に輝く鉱石があった。
拾ってみるとそれは角度によって色が変わり、表面に細かい凹凸が刻み込まれている。
掌ほどの大きさのそれを布で作った簡易ポケットに放り込んで、今度こそアリスを抱え上げた。
「とにかく、もう帰ろうか」
「「はーい!!」」
子供達の元気な声と足音を聞きながら、フレデリカは外へ通じる扉を開けて一歩を踏み出した。
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