邂逅
ダンジョンボスのトロールを退治したフレデリカは子供二人を家に送り届けた後、アリスを病院へ運んだ。
えらく感謝されたが、仕事の一環ついでに助けただけなので金銭は最低限だけ受け取った。
次の日、その報酬金で服を一新してから冒険者ギルドへ報告に行った。
そこまでは順調だったが、どうも受付の職員は目を丸くするばかりで話が一向に進まない。
「あははっ、やだなあ、私ってば。疲れてるようで幻聴が聞こえているみたいですね。……もう一度説明してもらえますか?」
「ですから、ダンジョンボスを退治したんです」
「一人で?」
「……まあ、剣を持っていたのは私だけでしたね」
受付の職員は眼鏡を指で押し上げ、大きなため息をつく。
フレデリカの報告に聞き耳を立てていた他の冒険者もどっと笑い出す。
何故笑い出したのか理解できないフレデリカはそっと眉を顰めた。
「ふう、本来は虚偽の申告をしてきた場合は罰するのですが、今回は特例として見逃しましょう。今度からはもう少しマシな嘘を考えるんですね」
「はあ……?」
「こちらが冒険者ギルドの正式な証明書です。ナンバーと魔法陣は決して他人に写し取らせないでくださいね」
「分かりました」
呆れた笑いを噛み殺しながら職員はフレデリカに鎖で繋がれたプレートを渡した。
仮登録のものよりもしっかりとした作りのそれを懐にしまい、フレデリカは依頼が張り出されているボードの前に立って見比べていく。
冒険者ギルドは大まかに分けて四つの位が設けられていて、それによって受注できる依頼に制限がある。
ストーン、メタル、ジュエル、オリハルコンと区別された順位は皆初めはストーンから始まるのだ。
フレデリカもその例に漏れず、カードに刻印された位はストーンだった。
冒険者ギルドであることを示すと同時に死体の身元確認にも使われているらしい。
平原のスライム討伐の依頼を持って受注したフレデリカはその日の宿代を稼ぐべく折れかけたエストックを片手に平原へ向かった。
◇◆◇◆
「お風呂、お風呂入りたい……」
日暮れごろ、満身創痍なフレデリカは冒険者ギルドからフラフラと出てきた。
新調した服はスライムの粘液でベトベト、エストックは度重なる酷使に耐えきれずついに折れてしまって使い物にならない。
規程のスライム数を討伐したことと、途中で回収した薬草が売れたことでフレデリカの懐が暖かいということだけが救いだった。
宿屋には風呂がないそうなので、フレデリカは覚束ない足取りで公衆浴場に向かって歩き出す。
そのフレデリカの背後に近寄っていく一人の人物の姿があった。
「よお、元気そうじゃないか。これから風呂に入るのか?」
背後から投げられた声にフレデリカの体が硬直する。
昼前に分かれたはずの悪魔ジュダスがそこにいた。
「そうですけど、何か御用ですか?」
「丁度俺も入ろうと思ってたんだ。……ここは一つ、男同士で裸の付き合いをしようじゃないか」
「お断りします」
「そう言わずにさあ……! 深めようぜ、男の友情ってやつをよお!!」
街中であることを加味してなのか、人間に擬態したジュダスが一歩フレデリカに近づく。
フレデリカとしては、何故一緒の風呂に入ろうとするのか理解できない恐怖が勝って一歩退く。
「嫌です……嫌です!!」
「お〜お〜こんなに穢れっちまって……俺が丁寧に洗ってやるからなあ」
「ひぃっ!? く、来るなあ!!」
「言ったろ、俺が手取り足取り腰取り棒取り教えてやるって。なあ、お前は俺に全部委ねればいいんだぜ?」
気色悪さが許容限界を超えたフレデリカはついに我が身を抱きしめて悲鳴を上げる。
その悲鳴を聞いたジュダスは更に口角を歪める。
悪魔としか言いようがない悪循環に終止符を打ったのは一人の青年だった。
「おい、そこの二人。そこは公衆浴場の入り口だ。口論するなら別の場所に移動するか中に入れ。業務妨害だ……ぞ……」
金髪の青年はフレデリカに視線を止めると驚愕に顔を歪めた。
フレデリカも青年の視線に気づき、その青年の名前を思い出す。
クインベル防衛軍指揮官のフリッツだった。
「お前は問題しか起こさないのか?」
「そーそー。ここは俺と大人しく風呂に入ろうぜえ?」
助け舟を出していると見せかけて着実に追い詰める手筈を整えているジュダスにフレデリカの頰を汗が伝う。
「友人か」とフリッツの誤解を招き、肩に手を回しているあたり確信犯以外の何者でもない。
(このままだと、このまま連れ込まれたら確実にヤられる!?)
たしかに見えた未来への恐怖に咄嗟にフリッツの腕を掴む。
掴まれたフリッツは露骨に嫌な顔をする。
「おい、離せ。俺はお前らと仲良く風呂に入るつもりはない」
「お願いしますから一緒に、一緒に入ってください!!!!」
「おいおい、浮気か!? ひどいぜ、この前あんなにぐちゃぐちゃのどろどろになるまで抱き締めたってのによお!!」
「やめろ、変なことに俺を巻き込むんじゃない!!」
フレデリカの絶叫とジュダスの如何わしい発言に周囲の効果の目線が突き刺さる。
小さい子供の目を手で隠しながらその場を立ち去る夫人の姿にフリッツの自尊心が大いに傷つく。
さらに何人かの男が「修羅場だ、薔薇の修羅場だ」と鼻を押さえていたことも苛立たせた。
「ええい、とっとと中へ入れ!!」
堪忍袋の切れたフリッツの叫び声が街中に響くのだった。
◇◆◇◆
フレデリカとフリッツとジュダスの三人が公衆浴場の前で揉めていた頃、すっかり体調の良くなったアリスは日課となっている教会でのボランティアに向かっている最中だった。
道すがら、豊かなウェーブを描く茶髪の姿がないか目で追いかけてしまうアリス。
茶髪や長い髪は見かけても、ダンジョンで出会った冒険者の姿は見当たらない。
(兄さん、ちゃんと冒険者を見つけてくれるかしら?)
碌にお礼も言えず、名前も知らない冒険者のことを思い出す。
気がついた頃には冒険者の姿は見当たらず、医者やフリッツの話から既に立ち去ってしまったと聞いた。
結局最後まで名前を聞けなかったことに悲しさを覚える。
アリスは『冒険者と深く関わるな』と兄から釘を刺されていた。
なんでも最近、ダンジョン内の特異性を利用した犯罪が横行していて、反社会的な組織の人間が冒険者へ流れ込んでいるらしい。
過保護な兄はあまり教えてくれないが、教会でボランティアを行うアリスには親切なご老人の噂話が届く。
ダンジョンボスに勝てるのに、財宝や魔物に目が眩んで攻略を後回しにしただの、ダンジョンの魔物を死体処理に使っているだの、果てには冒険者はまともな職につけない犯罪者が成るものといった聞くに耐えない汚い噂話がまことしやかに囁かれている。
少なくともアリスにとって冒険者とは決して良いイメージではなかった。
それが、窮地を助けてくれた見知らぬ冒険者によって跡形もなく粉々に砕かれた。
誰よりもボロボロの服で、子供を助けるために命を賭けて、そして……
トロールを倒した瞬間、アリスが意識を失う寸前の景色が瞼に蘇る。
女神フレデリカが如き一振り。魔を打ち払う強い意志を秘めた琥珀色の瞳、そして全てを包み込むような穏やかな微笑。
(ああ、きっとあの人が女神フレデリカ様の御使なのですね。本来なら教会にご報告すべきですが……、私の一存で報告してはご迷惑をかけてしまうかもしれません。一度、お会いしてどうすべきかご相談させてもらって……)
舞い上がったアリスは上機嫌に頬を緩ませる。
一時は女神フレデリカの加護が使えなかったことに絶望していたが、今では女神の気配をもう一度感じたいと思うほどに切望していた。
魔物に襲われた恐怖などとうに消え失せ、頭の中では冒険者は既に女神の化身ということで結論づいている。
(女性体でないのは驚きましたが、天におわします神の考えは私には分かりかねますもの。もしかしたら極秘の天命の可能性もあります。ええ、ええ、教会に報告するのはやはり相談した後がよさそうです)
首から下げたアミュレットを手で撫でながら、ふと騒がしい往来の向こうに視線を向ける。
薄い金髪と黒髪と茶髪の男がなにやら揉めているーー
「ッ!!」
アリスの瞳孔が開き、その姿をまじまじと凝視する。
豊かなウェーブのある茶髪に琥珀色の瞳ーー間違いない。昨日会った冒険者だ。
そう認識するよりも早く、アリスは飛び出していた。
「その方に気安く触れないでいただけますか?」
黒髪の男の手を叩き、体をねじ込むようにして間に割り込む。
きっと黒髪の男を睨みつけ、毅然とした態度でキッパリと告げる。
「このお方に、その汚らしい手で触れないで」
「ア、アリス!? なんでここに!?」
横にいた金髪の男に名前を呼ばれ、ようやく金髪の男が兄のフリッツであることに気づいた。
「ああ、兄さん。冒険者ギルドに行くはずじゃなかったの?」
「こ、これから行くところだったんだ。……いや、それよりいきなり割り込んできたら危ないだろッ!」
誤魔化すようにアリスの行動を注意してきた兄への追及を飲み込んで、アリスは目の前に立つ男に意識を戻す。
「おいおい、そんなに睨むなって。俺の逞しい腹筋に見惚れたか?」
上半身裸、明らかに不審。
ニタニタと口角を歪めるとギザ歯が覗く笑み、気色悪い。
造形は整っているというのに、どこか人を不快にさせるような雰囲気と面白そうに見下ろす緑色の瞳。
アリスの本能が如実に告げていた、これは異物だと。
「……この人に、近づかないで」
「アリス? どうしたんだ、一体?」
普段のアリスならやんわりと注意して、それでどうにもならなくなったらフリッツに視線で救いを求めていた。
これまで共に過ごしてきたフリッツは妹の珍しい言動に目を丸くする。
どれほど嬉しくとも微笑むだけで、負の感情すら苦笑いでしか表現してこなかったそのアリスが『怒り』の感情を剥き出しにして見ず知らずの男を睨みつけている。
「ふうーん……? 嬢ちゃん、王色の持ち主か?」
「それがどうしましたか?」
黒髪の男の問いかけにアリスは更に目を鋭くする。
背後で冒険者の慌てる気配がしたが、それすらもアリスは気にならない。
胸中を支配するぐつぐつとした感情に自分ですら名前が分からないまま、昂る感情を視線に込めて男へぶつける。
「羨ましいねえ……しかし、俺好みじゃない。うん、気配はするけど全く別のものだな」
「さっきからなにを訳の分からないことを……!」
一向に立ち去る様子のない男にアリスの感情が限界を迎える。
激情のままに首元のアミュレットへ手を伸ばそうとした矢先、不意に肩を叩かれた。
「落ち着いて、アリスちゃん。ジュダス、彼女の感情を逆撫でするようなことはやめてくれ」
「先に仕掛けてきたのはソイツだぜ?」
「ジュダス」
「……わーったよ! あーあー、折角お前と風呂に入れるって期待したのによお!」
背後から鼓膜を震わせる落ち着いた声音に強張っていたアリスの体から力が抜ける。
先ほどまで心を支配していた激情はすっかり消え失せ、自分でも何故それほどまでに怒りを感じていたのか思い出せないほど心は落ち着きを取り戻していた。
「あれ……? あ、お兄さん!」
「やあ、また会ったね。元気そうでなによりだよ」
ふわりと琥珀色の瞳が緩むとアリスの顔も釣られて緩む。
以前ジュダスと呼ばれていた男への不快感はあるが、それをなんとか理性で押さえつける。
(やだわ、私ったら……。どうしてあんなに怒っていたのかしら。幻滅されてないといいのだけど)
アリスがはっと我に返ると同時に先ほどの失態を思い出し、一人で顔を青ざめているとフリッツが会話に加わってきた。
「アリスを助けた冒険者というのはお前だったのか」
「まあ、そうなりますね。助けられたのは私の方ですが」
「礼を……と言いたいところだが後にした方が良さそうだな」
フリッツの視線の先にはスライムの粘液がこびりついた服。
そこでようやく自分たちが公衆浴場の前にいることに気づいて、更に顔を青ざめる。
「ご、ごめんなさいっ! 私……ッ!」
「いや、大丈夫だよアリスちゃん。私も紛らわしい言動をしていたからね、勘違いさせちゃってごめんね」
「いえっ、私もよく確かめずにジュダスさんを叩いてしまいました。ごめんなさい」
ペコリとアリスが頭を下げて謝罪する。
ジュダスは僅かに驚いたようで、気まずそうに視線を逸らした。
「さて、私はこんな格好だから少し清める時間を貰いたいんだけど……」
「あっ、私もちょうどお風呂に入ろうと思ってたんです!」
今朝シャワーを浴びたことなどとうに記憶の片隅から葬り去り、アリスはズズイッと顔をフレデリカへ近づける。
「お背中お流しします! 先に混浴でお待ちしておりますね!!」
言いたいことだけ告げてしまうと驚愕のあまり固まる三人を他所にアリスはさっさと暖簾をくぐってしまったのだった。
5/10 改稿。二つ目の◇◆◇◆からアリスの話を入れました




