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「お前も自爆するなよ?」という、これ以上ない牽制だ。
カイウス伯爵の頬の肉が、ピクピクと痙攣した。
「ハハハ! 威勢が良いな! だがウアルバナ嬢、我がファビウス家は軍部に根を張る伝統ある家柄。ドミティウス殿下のような青二才や、テレンティウスのような文官と一緒にされては困るな!」
カイウス伯爵は胸を張り、従者から受け取った二つのグラスを手に取った。
そのグラスには、透明で美しい最高級の泡立ちワイン(シャンパン)が注がれている。
「せっかくの素晴らしい夜会だ。和解の印として、私と乾杯していただこうではないか。……さあ、受け取りたまえ」
カイウス伯爵が、右手のグラスを私に差し出してきた。
(――来たわね!!)
私の脳内社畜警報が、ギャンギャンと大音量で鳴り響いた。
前世の接客・営業経験、そして今世の毒殺防止知識が、カイウス伯爵の挙動のすべてをスローモーションで分析する。
カイウス伯爵がグラスを差し出す際、彼の親指がグラスのフチに不自然に触れていた。
そして、その指輪――大きなエメラルドが嵌め込まれた銀の指輪の裏側に、微小な仕掛け(粉末状の毒を落とすスライド構造)があることを、私は見逃さなかった!
さらに、前世の社畜時代に叩き込まれた「危機管理」の知識が囁く。
『相手が自分で用意した飲み物を差し出してくるときは、九割九分罠である』と!
(テンプレすぎるのよ手法が!! 令和の社畜を舐めるんじゃないわよ!!)
私は微笑みを絶やさないまま、差し出されたグラスに手を伸ばした。
周囲の貴族たちが「あっ……飲むのか!?」とハラハラした様子で見守る。
ウァレリウスのの手が剣の柄にかかり、今にもカイウスの首を撥ねようと動きかけた――その瞬間。
「まあ! なんて素晴らしい泡立ちのワインでしょう!」
私は歓声を上げると、あえて【盛大につんのめるフリ】をした。
「きゃっ!?」
「うおっ!?」
ガッシャーン!!
私の体がカイウス伯爵にぶつかり、彼の手から二つのグラスが手元から滑り落ちる!
一つは床に激突して木々に砕け散り、もう一つのグラスは――奇跡的(というか私の計算通り)に、カイウス伯爵自身の豪華な軍服の胸元へとバシャリとぶちまけられた!
「な……ななな何をするのだ貴様ぁぁぁっ!?」
カイウス伯爵が悲鳴を上げた。軍服が高級ワインでビショビショである。
「大変申し訳ございませんカイウス伯爵様! ドレスの裾を踏んでしまって……! あら、大変! 軍服がワイン濡れてしまいましたわ!」
私は慌てたフリをして、胸元から自分の絹のハンカチを取り出すと、カイウス伯爵の濡れた胸元をパパッと拭き取った。
……その際。
彼の胸元のポケットに刺さっていた「小さなガラス瓶(毒薬の予備)」を、スリの如き手際で私の袖の中へと回収しながら!
(よし、証拠品一丁確保!! 前世の混雑した満員電車で財布を守るために鍛えた手先を舐めるなよ!)
「お、おのれ不器用な女め! 弁償しろ! この軍服がどれほど高価か――」
怒り狂うカイウス伯爵。
だが、次の瞬間、彼の顔色が劇的に変化した。
「ぐ……っ!? あ、熱い……!? 胸が……皮膚が焼き切れるように……ッ!?」
「え?」
カイウス伯爵が自身の胸元を押さえ、悲鳴を上げてその場に崩れ落ちた!
彼の高価な軍服の生地が、ワインのかかった部分から見る見るうちに黒く変色し、ジュージューと煙を上げ始めたのだ!
大広間が、一瞬にして恐怖のパニックに包まれた!
「ひっ……! 毒だ! 毒ワインだ!!」
「服が溶けているぞ!?」
「何という強力な腐食毒……!」
貴族たちが悲鳴を上げて退散する。
そう。カイウス伯爵が仕込んでいたのは、ただの致死毒ではなく、即効性で皮膚や内臓を焼き切る恐ろしい『腐食毒(無色無臭の暗殺毒)』だったのだ。
彼はこれをウアルバナに飲ませ、彼女が口から血を吐いてのたうち回る様を公開し、「公爵家の参謀が自爆した」あるいは「公爵家が毒を持ち込んだ」と罪を擦り付けるつもりだった。
だが、ウアルバナが転んでワインをぶちまけたことで、自身が用意した毒ワインを自らの胸元に浴びる結果となったのだ!
「ぐわあぁぁぁぁっ! た……助けてくれ! 医者を! 毒消しをぉぉぉっ!!」
床をのたうち回り、苦悶の表情で叫ぶカイウス伯爵。
私は冷静にその光景を見下ろし、袖の中から先ほどスったガラス瓶を取り出すと、大広間全体に見えるように掲げた。
「皆様! ご安心ください! カイウス伯爵様が胸ポケットに大切に隠し持っておられた『この毒薬の予備瓶』に、おそらく解毒剤の成分も記載されているはずですわ!」
「な……ッ!?」
のたうち回るカイウス伯爵が、絶望の表情で私を見上げた。
「カイウス伯爵様」
私は冷ややかな、しかし極上の笑みを浮かべ、彼を見下ろした。
「ご自身で用意された特製の毒ワインの味……いかがでしたかしら? 私に飲ませようと仕込まれた罠のハシゴを、またしても自ら蹴り飛ばしてしまわれましたね」
「ぐ……あ……お……おのれぇぇぇっ! ウアルバナァァァッ!!」
「そこまでだ、カイウス」
重厚な足音が響き、ウァレリウスが前に出た。
彼は氷のような冷酷な瞳でカイウスを見下ろし、腰の剣を静かに抜き放った。
「帝国新春大夜会における禁忌毒薬の持ち込み、並びに公爵家参謀に対する暗殺未遂の現行犯だ。……監察庁の名において、ファビウス伯爵家を即刻改易、全財産没収とする」
「ひ……ひえぇぇぇっ! 助けてくれ! ウァレリウス閣下! 私は……私はただ、テレンティウス兄様の仇を……ッ!」
「罪人は牢で弁明しろ。……連れて行け!」
ウァレリウスの合図とともに、影から現れた監察庁の暗部騎士たちが、毒で苦しむカイウス伯爵を容赦なく引きずっていく。
広間に残された貴族たちは、言葉を失って震えていた。
バカ王子ドミティウス。
悪徳侯爵テレンティウス。
そして、軍部の大物カイウス伯爵。
公爵家に歯向かい、そしてウアルバナという『毒の参謀』に挑んだ者たちが、ことごとく惨めな自爆を遂げて失脚していく。
今や、誰もが理解した。
ウアルバナ・セルウィリアという女を敵に回すことは、自らの手で生へのハシゴを外すことと同義であると――!
─
騒動が収まり、警備の騎士たちが後片付けを始める中。
私は熱気と喧騒から逃れるように、大広間に面した夜の庭園へと抜け出していた。
夜風が、火照った頬を心地よく冷やしてくれる。
「ふう……。やっぱり、社交場は疲れるわねぇ」
欄干に背をもたれかけ、星空を見上げる。
(これで……これで本当の意味で、反公爵家派の残党は全員一掃されたわね。バカ王子も、悪徳侯爵も、豚まん伯爵もみーんな自爆していなくなった。私の命の安全は、これで完璧に確保されたはず!)
前世の記憶を取り戻したあの夜会から、怒濤のような日々だった。
だが、私は生き残ったのだ。社畜の危機管理術と、不屈の生存本能で!
「……一人で何に浸っている」
背後から、低く甘い声が聞こえた。
振り返ると、そこに立っていたのはウァレリウスだった。
夜の月光を浴びた彼の美貌は、人間離れした幻想的な美しさを放っている。
「ウァレリウス様。……さきほどは見事な検挙手際でしたわね。感謝いたします」
私が微笑むと、ウァレリウスは無言のまま一歩、また一歩と私へと近づいてきた。
その威圧感と、逃げ場のない存在感。
私の背中が、バルコニーの欄干に当たって行き止まりになる。
「ウ……ウァレリウス様……?」
ウァレリウスは私の両脇の欄干に手を突き、私を完全に閉じ込める体勢(いわゆる壁ドン)をとった。
至近距離に迫る、彼の完璧な顔面と、氷灰色の熱い瞳。
「お前は……本当に恐ろしい女だ」
ウァレリウスが呟く。その声には、怒りではなく、深い吐息のような情熱が混ざっていた。
「私の目の前で、平然と毒薬の瓶をスリ取り、敵を自爆へと導く。……お前が私の敵でなかったことを、神に感謝したいくらいだ」
「は、はは……。前世……じゃなくて、以前から手先だけは器用でしたのよ?」
「……冗談で流すな」
ウァレリウスの手が伸びてきて、私の顎を優しく、しかし力強く持ち上げた。
指先から伝わる熱が、私の皮膚を痺れさせる。
「カイウスの毒ワインがお前にかかったかもしれないと思った瞬間……私は正気を失いそうになった。自分の手で、夜会にいる全ての人間を斬り捨ててでも、お前を連れ去りたくなるほどにだ」
「……っ!?」
心臓が、跳ね上がった。
生存本能の恐怖じゃない。胸の奥がキュッと締め付けられるような、甘く、切ない高鳴りだ。
「ウアルバナ。もうお前を……誰の目にも触れさせたくない。私の部屋に閉じ込め、私の視界の中だけで生きさせたいとすら思っている」
(重い!! 重すぎるよウァレリウス様!! 監察官の愛が執着の塊すぎる!!)
前世の社畜OLだった私には、こんな過剰な愛は刺激が強すぎる。
だが――彼の瞳の中に映る自分が、恐怖ではなく、どこか愛おしそう揺れているのを見て、私は逃げ出すことができなかった。
「……ウァレリウス様。私、こう見えて『公爵家の参謀』として、まだまだ働かなきゃいけないんですけれど?」
私が上目遣いで、少しだけ悪戯っぽく微笑むと、ウァレリウスはフッと、今までに見たこともないような、甘く切ない笑みを浮かべた。
「知っている。……だからこそ、永遠に私から逃げられないようにしてやる」
彼のお顔が迫ってくる。
月光の下、私の唇に、冷たくて温かい、氷の監察官の誓いのキスが重ねられた――。
──
「……あらあら♡」
バルコニーの影、薔薇のアーチの後ろで。
ポンポニア・コルネリア公爵令嬢は、高級なシャンパンを一口含みながら、完璧な微笑みを浮かべて二人を見つめていた。
「バカな王子を捨て、悪徳貴族を返り討ちにし、ついには帝国の『氷の死神』すら骨抜きにしてしまうなんて。……ウアルバナ様、貴女は本当に最高の参謀であり、最高の『毒婦』ですわね」
ポンポニア様は夜空に酒杯を掲げ、静かに呟いた。
「さあ……次はどんな面白そうな仕事を、我が参謀に与えて差し上げましょうかしら?」
前世の記憶を取り戻し、一世一代の「ハシゴ外し」から始まった私の異世界生活。
どうやら、私の彩られた波乱万丈な人生は、まだまだ始まったばかりのようだった――。




