『真実の愛』のハシゴは、秒で外すに限る
「――ポンポニア! 貴様のような冷酷無比にして心悪しき女との婚約など、もはや一刻たりとも維持できん! 本日、この栄えある国王誕生記念夜会において、宣言させてもらう! 貴様との婚約を破棄し、私の真実の愛であるウアルバナと新しく婚約を結ぶものとする!」
絢爛豪華なシャンデリアが天井で煌めき、数百のろうそくが眩い光を投げかける王城の大広間。
その中央で、朗々と響き渡る朗らかな、しかし絶望的に頭の悪そうな男の声。
声の主は、我がアルビヌス帝国の第一王子、ドミティウス・アルビヌス。
金髪を輝かせ、いかにも彫刻のような整った顔立ちをした、顔だけは超一流の男だ。
そして――。
そのドミティウス殿下の右腕に、まるで熟しきった葡萄の房のようにぴったりと胸を押し当て、甘えるようにすがりついている女。
それが、私。
ウアルバナ・セルウィリアであった。
(……え?)
その瞬間。
まるで脳みその真ん中に、巨大な雷が直接叩き落とされたかのような、激しい衝撃と眩暈が私を襲った。
頭痛。違う、これは頭痛なんて生温いものじゃない。脳細胞のひだというひだに、泥流のような大量の『記憶』が強引に流し込まれていく感覚だ。
(あ、つッ……痛い痛い痛い! 何これ、なにこの記憶、私……え? 日本? 令和? 会社員……? 毎晩残業して、週末は小説を読み漁るのが唯一の癒やしだった、定年退職後の快適老後生活を計画する限界社畜OL……!?)
激痛とともに、視界が白く明滅する。
覚醒した。前世の記憶だ。
そして、前世の記憶が戻ったことで、現在の私のありとあらゆる状況、スペック、そして『これから起こる未来』の輪郭が、驚くほどクリアに脳内に展開された。
今の私は、ウアルバナ・セルウィリア。
地方の貧乏男爵家の三女。
取り柄といえば、前世の記憶が戻る前の私が磨き上げた「男を上目遣いで転がす小悪魔的テクニック」と、無駄に愛くるしい狸顔、そして底なしの図々しさだけ。
私は、自身の美貌と愛嬌(と巧みな嘘)を武器に、この顔だけはいいバカ王子・ドミティウスを徹底的に持ち上げ、「殿下ぁ〜♡」「まあ、ドミティウス様ってなんてお強いのぉ〜♡」と甘い言葉で籠絡。正妻の座を奪い取って、一発逆転の大金持ち&公爵以上の地位へ成り上がろうとしていた、いわゆる『真実の愛(笑)を振りかざす性悪女』その人だったのである!
そして、目の前で冷たい眼差しをこちらに向けている女性。
ドミティウス殿下の正婚約者、ポンポニア・コルネリア公爵令嬢。
黒髪を完璧に結い上げ、隙のない夜会ドレスを纏った彼女は、帝国屈指の大貴族・コルネリア公爵家の令嬢であり、頭脳明晰、文武両道、領地経営から宮廷政治まで完璧にこなす「完璧すぎる婚約者」だ。
(待って……待って待って待って!!!!)
前世で読んだ無数の定番小説の記憶が、警報音のように頭の中で鳴り響く。
『婚約破棄を突きつける愚かな王子』
『冤罪で糾弾される完璧な公爵令嬢』
『王子の腕にしがみついて勝ち誇る性悪な愛人』
これ、完全に【ざまあ】の開幕シーンじゃん!!!!
この後の展開が、まるで走馬灯のように脳裏をよぎる。
バカ王子ドミティウスは、存在もしない冤罪(ウアルバナをいじめた等)をでっち上げてポンポニア様を糾弾する。
しかし、完璧なポンポニア様は動じることなく、あらかじめ用意していたドミティウスの公金横領、職務怠慢、さらにはウアルバナ一族の汚職の証拠をズラリと突きつけ、ぐうの音も出ないほどに論破する。
結果、ドミティウス王子は廃嫡&極寒の国境警備へ追放。
そして、王子の腕にしがみついていた私は「王家を惑わし国を揺るがした重罪人」として、即刻処刑されるか、一生出られない鉱山へ奴隷として売却されるのだ――!!
(嫌だあああああああああああッ!! 死にたくない! 鉱山でピッケル振るいたくない! ていうか、冷静に見たらこの男何なの!?)
私は、自分の右腕を抱え込んでいるドミティウス王子を、横目でのぞき込んだ。
金髪碧眼、鼻筋の通ったイケメン。
……だが、前世の記憶が戻った今の私から見れば、その瞳には知性の欠片もなく、浮かべているのは「俺って格好いいだろ」と言わんばかりの浅薄な自己満足の笑みだけ。
(無理無理無理! 生理的に無理!! なんで私、こんな顔しか取り柄がないポンコツ男に『殿下のお言葉はいつも深い知性に満ちていらっしゃいますぅ〜♡』とか言ってたの!? 黒歴史すぎるだろ私の前世覚醒前の脳みそ!!)
一刻も早く、この男から離れたい。
一刻も早く、この『自爆確定の泥船』から脱出したい。
私はそっと、ドミティウスの腕から自分の手を引き抜こうとした。
スルスル……と、力を抜いて身を引こうとする。
だが。
「ウアルバナ! 怖がることはないぞ!」
ドミティウスは、何を勘違いしたのか、私の肩をギュッと力強く抱き寄せ、さらに自分の方へと引き寄せた。
「ひえっ!?」
変な悲鳴が出た。だがドミティウスは私の悲鳴を「怯える可憐な少女の声」と好意的に解釈したらしい。彼はドヤ顔を深め、大広間に集まった数百人の貴族たちに向かって、誇らしげに叫び続けた。
「見よ! この可憐で慎ましいウアルバナの震える姿を! 彼女は貴様の陰湿な嫌がらせに怯えているのだ! ポンポニア! 貴様が裏で彼女を脅迫し、昨夜、王城の噴水広場で冷酷にも彼女を突き飛ばし、怪我を負わせたことはすでに調べがついているのだぞ!!」
バンッ!とドミティウスが力強く床を蹴る。
周囲の貴族たちから「まあ……」「恐ろしい」「ポンポニア様がそのようなことを……?」とヒソヒソ声が漏れ聞こえる。
ポンポニア様は、眉一つ動かさず、冷ややかな瞳でドミティウスを見つめている。その氷のような眼差しは、ドミティウスを通り越して、彼に抱き寄せられている私にも注がれていた。
(ひいいいいいいっ!! 殺される! 公爵令嬢の眼光だけで私は灰になっちゃう!!)
冤罪だ。
言っておくが、昨夜の噴水広場の件など完全なでっち上げである。
ドミティウスがポンポニア様を悪者にするために、私と裏で適当にでっち上げた口約束(「ウアルバナが転んだことにして、ポンポニアに押されたと言えばいいんだよ」「まあ殿下ぁ、お頭が良いですぅ♡」という地獄のような会話)に過ぎない。
だが、今の私は知っている。
ポンポニア様は昨夜、自邸で宰相閣下と三時間に及ぶ領地改革の会談を行っており、完璧なアリバイがあることを。
このままドミティウスの冤罪劇に乗っかれば、十秒後にポンポニア様の完璧な反論が破裂し、私もろとも木っ端微塵だ。
(やるしかない……! ハシゴを外すなら、今、この瞬間しかない!!)
私は意を決した。
生き残るためだ。前世のOL時代の修羅場(炎上案件の責任を上司に押し付けられそうになった瞬間)で鍛え上げた回避本能が、全力で叫んでいる。
「あ、あの……! ドミティウス殿下……!?」
私は、ドミティウスの抱擁を力ずくで振り払い、ぴょんと二歩ほど後ろに飛び退いた。
「ん? どうしたのだウアルバナ。大丈夫だ、この私がいる。何も恐れることは――」
「大変申し上げにくいのですが、殿下!!」
私は大広間全体に響き渡るような、通りやすい高音で叫んだ。
「私、昨夜は噴水広場になどおりません!!」
「…………はい?」
ドミティウスの動きが、ピタリと止まった。
彼の誇らしげな笑顔が、まるで凍りついたお面のように固まる。
大広間を包む静寂。
数百人の貴族たちが、一斉に首を傾げた。ポンポニア様ですら、ほんのわずかに片方の美しい眉を上げている。




