第9話 嫌いなわけないじゃん。
「いま何時……?」
近くに置いてあるスマホで確認してみる。
スクリーンには、午後6時と表示されていた。
かなり長いあいだ、私は眠っていたらしい。
頭痛もかなり良くなった気がする。
「食べ物とかあったっけ……」
そう呟いてベッドから起き上がった。
食品棚にカップラーメンがあった。
賞味期限を確認してから、それを食べることにした。
電子ケトルでお湯を沸かしている間に、あることを検索する。
「あーコレとか良さそう」
そう呟き、公表されているPDFを開いてみた。
タイトルは『大学生の自殺の現況』。
冬月くんが自殺して一か月経過した今、ようやくその理由が気になり始めた。
目についたのは、『性別にみた主な自殺の原因・動機』というタイトルのスライド。
男性で自殺する理由の1位は学業不振で、女性はうつ病等の病気の悩みらしい。
「学業不振ねぇ……」
スマホから視線を外して、少し上を見る。
冬月くんは中高ともに成績がかなり良かった。
学年の中でもトップクラスの成績だった記憶がある。
大学になってからは知らないけど、学業不振で自殺をするイメージは湧かない。
他の理由に視線を流していると、ある単語が目についた。
「失恋……」
私に失恋して自殺したのでは、という可能性が過ったがすぐに打ち消す。
冬月くんが、そんな理由で自殺するはずがない。
そもそも恋愛が生まれること自体が間違っている。
だって私たちはセフレ。
相手を利用するだけの関係だ。
そんな関係の中で、恋愛が生まれるわけがない。
だから冬月くんが私に失恋して自殺することはない。
「……あっ、お湯沸いた」
そのとき、電子ケトルがカチッと音を鳴らした。
だから私は、すぐにその資料からブラウザバックした。
お湯を入れて3分待ってから、カップラーメンを啜る。
誰でも美味しく食べられるように作られた食べ物は、私でも美味しく感じられた。
ご飯を食べ終えてから、なんとなく煙草に手を伸ばす。
もうあと2本しか残っていなかった。
舌打ちをして、そのうちの一本を取り出した。
火をつけて、煙を口の中に溜める。
「ふぅー……」
口をすぼめて、煙を前に出した。
灰色の煙は、すぐに拡散して空気に溶け込んでいく。
その煙が何秒後に完全に見えなくなるか、なんとなく測ってみた。
10秒くらいだった。
「……別にどうでもいいけど」
そう呟いて煙草を灰皿に落とす。
灰皿から立ち上る煙を、しばらくぼーっと眺めた。
その煙はうねりながら天井へ上り、やがて消えていった。
「……シャワー浴びよ」
そう呟いて、椅子から立ち上がる。
軽く伸びをしてから、浴室に向かった。
すぐに服を脱いで浴室に入る。
ぬるま湯になったのを確認して、髪を洗い始めた。
「はぁー……」
溜め息を吐いて、シャンプーを手に取る。
手のひらで軽く泡立ててから、髪につけた。
シャカシャカと音を立てて、泡立ち始める。
「……もう」
マジで何なの、と思わず言葉が漏れた。
なるべく距離を置こうとしているのに、それはいつまでも消えてくれない。
冬月くんのことを考えないようにしているのに、どうしても頭から離れなかった。
彼は私のことを気になっていたらしい。
そして秋島さんからの告白も断ったという。
もしかしたら私は、秋島さんから冬月くんを奪ったのかもしれない。
「だからなにって話ではあるんだけど」
髪をすすぎながら、そう呟いて自分をなだめる。
セフレは、利害が一致する間だけの不安定な関係でしかない。
もし利害が一致しなくなったら、その関係を終わらせればいい。
だから、もし冬月くんが秋島さんの告白にOKしていたら——
「……」
シャワーを止めて、トリートメントを手に取る。
さっきから、私は何を考えているんだろう。
起こらなかったことを考えても、何も意味はない。
後ろ髪を前に持ってきて、時間をかけて丁寧に塗り込んだ。
私の心の中に、余計な感情が芽生えていた。
排除したいのに、それはどんどん広がっていく。
「……別に、好きとかじゃないから」
独り言のように、私は呟く。
嫌いではないけど、決して好きではない。
少し好意的には見てるけど、付き合いたいとかじゃない。
でも向こうが告白してきたら、最初は否定するけど最後は受け入れる。
私にとっての冬月くんはそんな印象だったはずだ。
「死んでからその人の印象が変わるって意味ないじゃん」
冬月くんは7月に自殺した。
彼はもう、この世にはいない。
そんな彼のことを好きになっても、私が報われることはないことはわかっている。
生きている人間について考えた方がもっとマシだ。
相手が頷いてさえくれれば、付き合ったりセックスしたりできる。
だからもう死んだ冬月くんのことなんて——
「もう!」
自分の太ももを思い切り殴る。
浴室の中、パチンという音が響く。
鈍い痛みが少し遅れてやってきた。
何度も、私は自分の太ももを殴り続けた。
骨に響く痛みに耐えながら、唇を噛み締める。
「……なんなの、マジで」
彼の部屋を出る直前にされたキスが頭を過る。
死んでも私の記憶に残りたくってキスしたわけ?
それで私が色々考えるんじゃないかって?
マジで馬鹿でしょ。
私のこと好きだったとか知らないから。
セフレのこと好きになるとか意味わからないんだけど。
ていうか、好きだったんなら告白して来いよ。
何年間もセックスしてる相手のこと、嫌いなわけないじゃん。
ていうか自殺すんな。
あんたが自殺したせいで色々困ってるんだから、生き返って何とかしろ。
「……チッ、マジで死ね」
その呟きはシャワーの音にすぐかき消された。
複雑な感情を抱えて浴室から出る。
身体を拭いて服を身に着けた。
鏡に映る自分をじっと見つめる。
お風呂上りだからか、頬が上気していた。
初めて冬月くんの家に来た時に姿見で見た、あのときの私みたいだった。
「はぁー……」
胸の奥に溜まっていたものを吐き出すように、私はため息をついた。
参考.
いのち支える自殺対策推進センター. 『大学生の自殺の現況』




