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私のセフレが自殺した。  作者: 夏野恵


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10/10

第10話 レースカーテンがゆらゆらと揺れた。

「まもなく目的地に到着します。お降りの方は……」


車掌のアナウンスを合図に、私は座席から立ち上がった。


電車から降りて、眩しい日差しに思わず目を細める。

小さめのペットボトルを購入してから、外に一歩踏み出した。


すぐに湿った熱気が身体を包み込む。


「あっつ……」


なるべく日陰を選びながら、バス停に向かった。

バスに乗り込み、前方の座席に腰を下ろすと、すぐにバスは動き出した。


今は8月下旬。


大学は夏季休業期間に入っている。


私は実家に帰らず、ある場所に向かっていた。

その場所というのが——


「引っ越してないといいんだけど……」


バスの中、小さな声で呟いた。


今向かっているのは、冬月くんの家。


冬月くんの死を悼むためじゃない。

私の感情を整理するために、冬月くんの家に行く。



最寄りのバス停で降車した。


バスの外へ出た瞬間、湿った熱気がふたたび身体にまとわりつく。

汗で張り付く服の感触にうんざりしながら、冬月くんの家へ向かった。


「久しぶりだな……」


目的地まで来て、上に視線を向ける。


それは、少し古びた一軒家だった。

高校生の頃に来た時と、何も変わっていない。


『冬月』という表札を確認して、ほっと胸をなでおろす。


「あーどうしよ……」


直前になって、急に不安が押し寄せてきた。


冬月くんと同い年の私は、遺族にとって目障りに感じてしまうかもしれない。

そもそも私がここに来ること自体、冷やかしにとらえられる可能性だってある。


でも——


ピンポーン。


色々な考えを断ち切って、私はインターフォンを押した。


何もしないままだと、後戻りできないところまできてしまうかもしれないから。

部屋の中でパタパタと足音が聞こえたので、通話ボタンを押してから口を開く。


「こんにちは、春宮千夏はるみや ちなつと申します」


私の本名を口にした。



春宮千夏。


自分でも変わった名前だと思う。

春夏秋冬のうち、春と夏が入っているから。


子どもの頃、「温かそうな名前だね」と言われることが多かった。



「……なんの御用でしょうか?」


少し距離のある声が返ってきた。


声の主は、おそらく冬月くんの母親。

葬儀のときに聞いた声とそっくりだった。


「もしよければ、蒼くんにお線香をあげさせていただければと思い、伺いました」


はっきりと用件を伝える。


「蒼くん」と口にしたのは初めてで、それになんとなく気恥ずかしさを覚えた。


冬月くんは私を「千夏」って呼んでくれなかったのに、

私だけ「蒼くん」って呼ぶのはなんだか違う気がしたから。


玄関に向かう足音が聞こえたので、少しだけ後ろに下がる。


すぐに扉が開いた。


「こんにちは」


彼女の目を見て挨拶をする。


目の前にいる女性は、葬式で見た冬月くんの母親だった。

ほんの少しだけ、痩せているようにも見える。


「葬儀のときにいらしてた……」

「あ、はい」


頷くと、「どうぞ上がってください」と言って扉を大きく開けた。


「失礼します」

「少し散らかってますが……」


その言葉が謙遜だということは、家に入ってすぐにわかった。

高校生の時に来た時と比べて、物がかなり少なくなっていたからだ。


姿見もなくなっていた。


夏なのに、どこか冷えた空気が漂う奇妙な雰囲気だった。


「こちらへどうぞ」


冬月くんの母親は、私を仏壇まで案内してくれた。

玄関を上がって左に曲がったところに、畳の間があった。


そこにあったのは、コンパクトな仏壇。


「今、ライターを持って来るので少しお待ちください」


そう言って冬月くんの母親は、パタパタとどこかへ行った。

棚を開ける音がした直後、小さな足音がこちらへ向かってきた。


「すいません、お待たせしました」

「いえ、大丈夫です」


彼女からライターを受け取り仏壇に向き合う。

線香に火をつけてから、()()()を鳴らした。


透き通るような音が、部屋の中に広がっていく。


静かに手を合わせ、『線香あげに来たから』と事実だけを伝えた。

私の本心が冬月くんに知られるのは、なんとなく癪だった。


音が完全に聞こえなくなってから、冬月くんの母親に視線を向ける。


「少しお話することはできますか?」

「お時間は大丈夫ですか?」

「私は全然大丈夫です」


そう応えると、彼女はにっこり笑ってリビングに案内してくれた。


「春宮さんがいらっしゃって、蒼も喜んでいると思います」


彼女は私にお茶とお菓子を出してくれた。


お茶の入ったコップを、自分の方へ少し寄せる。

水面がわずかに揺れたが、すぐに静けさを取り戻した。


本題に入ろうと思い、座り直してから口を開いた。


「あの——」

「あっ、その前にちょっと待っててくださいね」


私の言葉を遮り、彼女は席を立つ。


「すいません、どうしてもライターを近づけておくのは心苦しくって」


仏壇に置いてあるライターを別の場所に移動させた。


たぶんそういうことなんだろう。

それ以上、私は何も聞かなかった。


「お線香をあげに来ていただいて、ありがとうございます」


彼女は頭を下げた。

それに倣って、私も頭を下げる。


顔を上げると目が合い、彼女は少し笑って口を開いた。


「そこまで畏まらなくても結構ですよ」

「……わかりました」


ガチガチのまま、全く味のしないお茶に口を付ける。


畏まらないでいいとは言われても、そんなことはできない。

不用意な発言が一生モノの傷になることだってあり得るから。


「法要は……?」

「先日、執り行いました」

「参加できず、申し訳ありません」

「いえ、お葬式に参列していただけただけで本人も喜んでいると思います」


一瞬だけ言葉が途切れた後、冬月くんの母親は続けた。


「蒼と春宮さんはどんな関係だったのでしょうか」

「友だちでした」


事前に用意していた答えを口にした。


「中学から一緒で、席が近くなったときよく話していました」

「蒼は失礼していませんでしたか?」

「はい」


「不愛想でしたけど」と付け加えると、冬月くんの母親は小さく笑みを零した。


「蒼は赤ん坊の頃から物静かな子で、夜泣きもほとんどしなかったんですよ」


だから、育児が煩わしいと思ったことはそこまで多くなかったらしい。


「出産する前は、お医者さんから『生まれてくることはできても、普通の子どもと同じように運動するのは難しいでしょう』と言われていたんです」

「それは……」


どう答えるのが正解なのか分からなかったので、言葉を切って座り直す。


「でも私と夫は、『どんな状態で生まれてきても、私たちの子どもであることに変わりはありません』と言って、出産することを決めました」


その結果、冬月くんが生まれたという。


出産後は定期的に検査を受けたが、特に問題もなく成長していったらしい。


「あの時は、本当に神様っているんじゃないかと思いました」

「あの、お辛いようでしたら……」


この後に自殺した話が出てくると思うと、とても心苦しかった。


その話をさせること自体が、この母親にとって苦しいことになるだろうから。


私の顔をじっと見つめて、彼女は静かに口を開いた。


「変なことを聞くようですが、春宮さんは死にたいと思ったことがありますか?」


彼女の目は、真剣そのものだった。


何を聞きたいのかも、どう答えればいいのかもわからない。


だから私は、正直に答えることにした。


「……あります」



別に、大した理由があるわけじゃない。


小学校の頃、周りからハブられそうな雰囲気を感じて、

それが嫌で自分を作って、お淑やかな自分を演じていただけだ。


それに疲れて、「死にたいな」って思ったってだけ。


死んだら周りの目とか気にしないでよくなるから、楽そうだなって。


でも私は死ななかった。


それも別に、大した理由があったわけじゃない。


私には『死ぬ理由』がなかった。


死んでも周りが納得しそうな理由が、どうしても見つからなかった。


だから私は、今も生き続けている。


生きたいからじゃなくって、死ぬ理由がないから。



私の答えを聞いて、冬月くんの母親は飲み物に口を付けた。

コップの中の氷が、カランと小さな音を立てる。


「……私たちも、理由は分かりません」


遺書は残されていなかったらしい。


「でも蒼がいなくなってから、不審なメールがたくさんくるようになりました」


彼女の携帯には、詐欺らしいメールが毎日届くようになったらしい。

人の不幸に付け込んで、銀行口座への振り込みを促してくるのだという。


本当にゴミだな。


「子どもを失うことがきっかけに、ご両親が詐欺に巻き込まれることもあります」

「……それは、嫌ですね」


親が被害にあうというのは考えたくない。


溜め息を吐いてから、冬月くんの母親は口を開いた。


「お金だけが理由ではないですが、道徳だけでは難しいですから」



親が悲しむから死ぬな。

周りの人間が悲しむから死ぬな。

生きていれば、きっといいことはある。


そんな道徳、本当に苦しんでいる人の役には立たない。


親が嫌いな人だっている。

周りの人間が嫌いな人だっている。

生きてて、つらいことしかなかった人だっている。


自殺を考えている人には、ありふれた言葉は耳に届かない。


だからといって、何もできないわけじゃない。

ありふれた言葉が届かないなら、別の方法を考えることはできる。


道徳だけが、人を救えるわけじゃない。




「短い間でしたが、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ」


席から立って、リビングを出る。


しばらくは無言だったが、彼女はおもむろに口を開いた。


「春宮さんは以前、この家に来たことはありますか?」


振り返って、彼女の顔を見る。


もちろん、嘘を吐くことはできた。

嘘を吐くことで、自分を隠すこともできた。


でも私は、正直に答えようと思った。


彼女の目を見据えて、私は口にした。


「……あります」

「彼女、ではなかったんですよね?」

「私と冬月くんは友だちでした」


「でも——」と言葉を切って、冬月くんの母親を見る。


その先を言うべきか悩んだ。


不用意な発言だと思われるかもしれない。

彼女を傷つけることになる可能性だってある。


でもやっぱり私は、どこまでも私利私欲に塗れた人間みたいだ。


冬月くんの家に来たのは、自分の気持ちを整理するため。

そのためなら、相手を傷つける選択だって取ることができる。


それが、本当の私だから。


口にするのは癪だったが、それでも言わなければならなかった。


深呼吸をひとつしてから、私は口を開いた。





「私は、蒼くんのことが好きだったのかもしれません」







季節は廻り、1月の第2月曜日。


成人式ではなく、『はたちの集い』として、私たちは集まった。

会場の入り口には、高校の頃に知り合いが写真を撮っていた。


「やっほー春宮さん!」


肩を叩かれて振り返ると、晴れ着姿の綺麗な女性が立っていた。


「秋島さん?」

「そうだよ!」


今回はわかったんだね、と言って秋島さんは笑った。


前回会ったのは冬月くんの葬儀だったから、半年近く経ったことになる。


本当にあっという間だった。


「ていうか春宮さん、めっちゃ可愛いね!」

「ありがと」


秋島さんも似合ってるよ、と返す。


朝4時に起きて準備を始めたらしい。

私も似たようなものだった。


「同窓会どうする?」

「私は不参加にしたけど」

「マジ?」


じゃあ私も今から不参加にしようかな、と秋島さんは呟いた。

連絡先を交換したものの、彼女と連絡を取ったのは一度もなかった。


それが普通だと思う。


「せっかくならさ、ご飯食べに行こうよ!」

「いいね」


『はたちの集い』が終わってから、私たちはご飯を食べることになった。

当時の映像や中学校の生徒会長による祝辞などがあって、その式は終わった。


高校生の頃の知り合いと写真を撮ったあと、私はすぐに駐車場に向かった。


「成人式どうだった?」

「『はたちの集い』ね」


あーそうだった、と父親は笑う。


「友だちと会えて楽しかったよ」

「それはよかったな」


本当に友だちと言えるかどうかは分からないけど。



家に帰りついた。



「どうだった?」

「楽しかったよ」

「友だちには会えた?」

「まあ何人か」


母親にそう答えながら、晴れ着を脱ぐのを手伝ってもらった。


「あとで、友だちとご飯食べに行くから」


夜ごはんはいらない、と告げる。


「どうやって行くの?」

「送ってもらえるって」

「あらそう」


ちゃんと感謝してね、と母親に言われたので、黙って頷いた。



約束の時間に家から出ると、ちょうど秋島さんの車が向かっているところだった。


車が停車して、ゆっくり窓ガラスが開く。


「お疲れー!」


乗って乗って、という彼女の言葉を合図に、私は助手席のドアを開いた。


「晴れ着って脱ぐのもめっちゃきつくなかった?」

「マジで大変だった」


晴れ着の話を車に乗っている間は続けた。



夏に秋島さんと来たファミレスに入る。

注文を済ませると、一瞬だけ沈黙が生まれた。


「春宮さん、蒼くんにお線香上げに行った?」

「行ったよ」


素直に頷いた。


冬月くんの母親から聞いたらしい。


「でも、よく冬月くんの家知ってたね」

「親に教えてもらったんだ」


「あっ、そうなんだ」と秋島さんはいつも通り呟いた。


私と冬月くんとの関係は、死ぬまで誰にも言わないことにした。


私たちだけの秘密、なんて口が裂けても言えない。

冬月くんとの関係は、そんなロマンチックなものじゃなかったから。


周りに知られると困るから、ということにしている。



料理が提供されたので、私たちは乾杯することにした。


秋島さんは普通のジュース、

私はいつも通りのレモンサワーだった。


「じゃあ、かんぱーい!」


軽くグラスを当てて、私たちは飲み物に口を付けた。


その後は色々な話をした。

講義とか、バイトとか、恋愛とか。


「春宮さんはまだ彼氏いないの?」

「いないねー」


レモンサワーを飲んでから口にした。


別に引きずっているわけじゃない。

良い人がいないだけだ。



ご飯を食べ終わって、私たちはレジに向かう。


「今回は私が払うよ」

「いや、送ってもらってるから払わせて」

「じゃあ割り勘にしようか」

「それなら、まあ……」


精算を済ませて外に出る。


「やっぱ1月って寒いよねー」

「ほんとだね」


雪は降っていないけど、降ってもおかしくないくらいの寒さだった。


ふと思い立って、私はあることを口にした。


「でも私、季節でいえば冬が一番好きかな」

「えー春宮さんなのに?」

「もしかして私、今名前いじりされてる?」

「まさか、まさか」


秋島さんは、慌てて手を横に振った。

その様子がおかしかったので、私は笑みを零した。



「今日は楽しかったよ!」

「私も楽しかった」


車の窓ガラスを開けて、私たちは話をしていた。


「次ってあるかな?」

「どうだろう」


今度同窓会があれば、そっちに参加するかもしれない。

でも今回行かなかったから、次から誘われない可能性もあるかも。


まあ別に、どうでもいいんだけど。


「まあ会ったときはよろしく!」

「うん」


じゃあね、と手を振って私たちは別れた。





「『はたちの集い』の翌日から講義あるとか、頭おかしいでしょ……」


ひとり暮らしをしている家まで戻って、荷物を置きながら呟いた。

講義も終わったから、今日はもう何もすることがない。


鞄を整理してから、ミニバッグに手を差し込んだ。


「最後の一本か……」


取り出したのは、冬月くんから貰った煙草。

そこまで湿ってはいないような気がする。


あの日以降、私は煙草を吸っていなかった。


別に深い理由があるわけじゃない。

吸う気分にならなかったから、吸わなかったってだけ。


でも今日は、なんとなく吸いたい気分だった。


久しぶりにライターを使ったが、火をつけるのが難しかった。


部屋の中に、キン、キンという音が響く。


ようやく火が付いたので、煙草を口に咥えて火を近づけた。


乾燥した煙草とは違って、火が付きにくかった。

でもそのまま、辛抱強くライターを煙草の先端に当て続ける。


しばらくすると、やっと煙草に火が灯った。


少し遅れて紫煙が立ち上る。


軽く吸い込んで、煙を肺の中に入れる。


「ふぅー……」


ゆっくり煙を吐き出した。

すぐに空気の中に溶け込んで行く。


湿っているからか、ただ苦いだけだった。


でも私は、その煙草を吸い続ける。

煙草はどんどん短くなって、灰に変わっていった。


人差し指の第二関節ほどの長さになった煙草を、灰皿に落とす。


「まっず」


「二度と吸うかこんなもの」と呟いて、灰を燃えるゴミの中に入れた。


灰皿を水ですすぎ、キッチンペーパーで水気を拭きとる。


その灰皿を、ミニバッグの中に入れた。

視界に移るところに置いておきたくなかった。


窓を開けて換気をする。

寒いから数センチだけ。


「シャワー浴びよ」



軽く伸びをしてから、私は浴室に向かった。




外から吹き込む風に、レースカーテンがゆらゆらと揺れた。






『私のセフレが自殺した。』完。

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