第2話 セフレの葬式
「春宮さーん、今日の講義終わったらカラオケ行かない?」
大学の講義が始まる数分前に、私の隣の席に腰かけた女子に誘われた。
この子は大学一年生のオリエンテーションのときから関わりがある。
ペアワークのときとかに一緒に話したり、ごくたまに出掛けたりもする。
「あーごめん」
午後からちょっと用事があって、と断る。
「なに、もしかしてデート?」
「まさか」
「えーでも春宮さん、めっちゃ可愛いじゃん!」
実は彼氏とかいるんじゃないのー? と恋愛の話になってしまった。
すぐに講義室にいる男子たちの視線を感じ始める。
本当に気持ち悪い。
「いや、マジで違くって……」
セフレの葬儀に参加するから、とは言えず、どういえばいいのか考える。
セフレだった冬月くんが自殺した。
ただそれだけのこと。
最初にその話を聞いたときに思ったのは、寂しさや疑問ではなかった。
面倒なことすんなよ、という怒りだけ。
私にとって冬月くんは、性欲を解消するためだけの相手でしかなかった。
だからこそ、その相手がいなくなってしまって怒りを覚えてしまったのかもしれない。
「一回、実家に帰らないといけなくて……」
「あ、そうなんだ」
実家ってどこ? とその子は矢継ぎ早に質問を続ける。
なんでわざわざ答えないといけないわけ? と冬月くんになら言えるが、私はお淑やかな人間と周りに認知されている。
だから私は、そのお淑やかな仮面を被って答える必要があった。
「ちょっと、親が会いに来てって言われて……」
あくまでも実家の場所を聞き出すのは、私がカラオケを断った理由を知るための回り道でしかない。実家の場所は答えずに、彼女が本当に知りたいであろう理由だけを口にした。
「へー春宮さんって家族想いなんだね」
「まあそうかも」
私が答えるタイミングで、教員が講義室に入ってきた。
その直後にチャイムが鳴って講義が開始する。
つまらない概論を聞きながらノートパソコンに立てかけたスマホで時間を潰す。
前の席に座っている学生がしているように、SNSのタイムラインをひたすら眺めていた。
教員がスクリーンに映すスライドを切り替えたタイミングでノートパソコンに映るスライドも切り替える。そして話を聞き流しながらスマホを見ていた。
講義の終了直前で、来週までの課題が提示された。
その内容をスマホのメモ帳に記入して、パソコンの電源を落とす。
隣の女の子に目線をやると机に伏せっていた。
後で課題の内容を共有しておこう。
私と彼女の間でも、利害関係はある。
私は細々とした連絡を彼女に伝えて、彼女は私に過去問を提供する。
もしどちらかがその約束を反故にした場合、これまでの関係はなかったことになる。
私と彼女は利用する、されるの関係なのだ。
それは冬月くんとの間でも同じだった。
セックスのできない冬月くんに興味はないし、セックスのできない私に冬月くんは興味を持たなかっただろう。
過去形なのは、冬月くんが過去の人になってしまったから。
もし生きていたら、現在形で表現することができたんだけど。
「じゃあ私、もう帰るから」
起こさない程度に彼女の呟いて、講義室を後にした。
家に戻ってすぐに支度を済ませて、再び家を出る。
電車に揺られて実家のある最寄駅まで向かった。
その間、『葬儀 マナー』と検索して出てきた記事を斜め読みする。
通夜は昨日済ませたらしいので、その箇所は読み飛ばした。
「うわー香典とか供えないといけないのか」
めんど、なんていうと怒られそうだが、私と彼との間の話だ。
それくらい許してくれるだろう。
「ていうか自殺したの、私許してないから」
ぼそっと電車の中で呟いた。
他の乗客には声が聞こえてなさそうなので少し安心する。
そもそも、彼が命を絶った理由が分からない。
人生を悲観したり楽観したりするような人間ではなかった。
プライドは私と同じくらい高かったけど、私以外にそれを見せる人はいなかったはず。
良くも悪くも、冬月くんはゾンビみたいな人間だった。
だからこそ、セフレという不安定な関係を比較的長い間続けることができた。
「あーだっる……」
車窓から見える、爽やかな夏空を見ながら口にした。
電車から降りて改札を抜けると父親が待っていた。
実家まで少し距離があるので、送ってもらえるとのことだった。
「元気にしてたか?」
「うん」
まあまあかな、と応えて私たちは駐車場に向かう。
軽自動車に乗り込んで、車がゆっくり動き始めた。
「大学はどうだ?」
「それなりかな」
課題も多いけど、と呟くと父は少し笑った。
その後、父は無言で車を走らせ続けた。
話すとしても、信号機が止まったときに一言か二言程度。
その距離感は私にとって、とても心地が良いものだった。
私の性格は父親寄りであり、容姿は母親寄りだ。
そのため、こういう沈黙も気まずいと感じないでいられる。
今回は葬儀に参加するために実家に戻ったが、だからと言って極端に悲しい雰囲気を出すのはちょっと違う。
私と冬月くんは傍から見るとただの幼馴染程度の関係だ。
中学から高校までの6年間、同じクラスだっただけの知り合い。
他の人が私と彼が一緒に話しているのを見たことはほとんどないだろう。
周りから見れば、私たちはそれくらいの関係だ。
自殺する数日前までセックスしてました、なんていっても信じる人は誰もいない。
「一旦、服を着替えてからでることになるからすぐに準備してくれ」
「この恰好じゃダメなの?」
一応、黒が基調の服を着てきたつもりだった。
私の姿をちらっと見てから父親は続けた。
「それでもいいかもしれないけど、スーツをレンタルしたから」
せっかくだから着てくれ、と頼まれてしまった。
そう言われると私は弱い。
「……じゃあ着てくる」
スマホだけ持って車から出た。
実家に戻ると、喪服姿の母親が玄関に待っていた。
「おかえり」
「ただいま」
母親は悲しい雰囲気を纏いつつ、今後の流れを説明してくれた。
葬儀から火葬までは参加するように、とのことだった。
なお香典は一家族として出すので、私ひとりで一万円を出す必要はなかったらしい。
「私、着替えてくるから」
母親の話を切って自分の部屋に戻った。
階段を上って自分の部屋の扉を開く。
窓が少し開いており、スーツがベッドに置いてあった。
「……はぁ」
スマホを机の上に置いて服を脱ぐ。
せっかく空気を読んで黒めの服を着てきたのに、なんでわざわざスーツ着ないといけないの?
着替えを進めながら、ぼーっと自分のベッドを眺めた。
この部屋でも、何回か冬月くんとセックスをしたことがあった。
親がいない時間帯が分かっていた時に、彼を家に誘った。
あのときは高校生だったから親のいない時間帯を見つけるのが難しくって、毎回激しいセックスをしていた。お菓子や飲み物を出さずにすぐ制服を脱いで、親が帰ってくる15分くらい前まで続けていた記憶がある。
「まあ今更、どうでもいいか」
ストッキングを履いて姿見でチェックしてから、自分の部屋から出て行った。
父親の自動車に乗り込んで葬儀場まで向かう。
車の中は終始無言だったが、母親がおもむろに口を開いた。
「冬月くんとは仲が良かったの?」
「そんなにかな」
周りから見た私たちのイメージで答えた。
実際の私たちも仲の良い感じではなかった。
セフレであって恋人ではない。
あるとしても最後の日に—
「じゃあ降りてくれ」
いつの間にか葬儀場の中に入っていた。
車から降りると、その自動車は駐車場まで進んでいった。
葬儀場の入り口には従業員らしき女性が立っており、目があったタイミングで会釈された。
私たちはゆっくり葬儀場の中に入った。
入り口の右手には、冬月くんの遺族らしき人たちがいた。
「この度はご愁傷様です」
母親は聞こえるかどうかくらいの声で呟いて香典を女性に手渡した。
年齢的に、冬月くんの母親だろう。
そして私たちは会場に入った。
パイプ椅子の数の割には、人が少ない印象だった。
最前列にいるのは親族として、私と同じ年代の人はひとりかふたり程度だった。
なるべく人のいない方の席に座り、開会を待つことにする。
会場の中央に置かれている棺をぼーっと眺め続ける。
棺の中に入っている人間は死んでいる。
その異物感というか、奇妙な感覚に圧倒されてしまった。
しかもあの中に冬月くんがいるらしい。
でも私にはそのイメージが全く湧かなかった。
死んだ人が棺に入るのはまだわかる。
ただ、その中に冬月くんが入っているということがどうしても想像できなかった。
「……ちょっとお手洗いに行くから」
母親に告げたタイミングで会場から抜け出した。
あの場所に長い間留まることはできなかった。
それくらい、あの大きな棺に影響されてしまった。
お手洗いに入って用を済ませた後、開式の直前までここでスマホを見て時間を潰そうと思ったが、流石にそれは失礼だと思って自重した。
本人は許してくれそうだけど、遺族の人は許してくれなさそうだから。
「もしかして春宮さん?」
手を洗ってお手洗いから出て、会場に戻るタイミングで肩をトントンと叩かれた。
後ろを振り返ると、そこにいたのは私と同じ年代の子だった。
黒いワンピースの似合う、綺麗な女性だった。
「……そうですけど」
誰ですか? と距離感を保ちつつ尋ねる。
「私、秋島だけど」
「え、秋島さん?」
少し驚いて彼女の顔をもう一度見る。
印象がかなり変わっていたので気づかなかったみたいだ。
彼女とも冬月くんと同じく中学校から高校まで一緒のクラスだった。
「だいぶ印象変わったね」
「まあね」
大学入ったんだからちょっとは変わるよ、と彼女。
ちょっとというか、かなり変わっていると思うけど。
高校の頃の彼女は可愛い系の顔立ちをしていたが、今は綺麗系の印象だ。
当時から男子たちの間で人気はあったけど、誰かと付き合っていたという話は聞かなかったな。彼女と話す機会はあまりなかったので、会話の距離感に若干苦戦しつつも話を続ける。
「秋島さんって冬月くんと幼馴染みだっけ?」
「まあ小学校の頃から一緒だったね」
大学は違うけど、と彼女は零した。
彼女は冬月くんの通う大学の前期試験に不合格で、少し離れた大学に入学した、という話を聞いたことがある。
彼女は気にしないで私に質問を続けた。
「春宮さんも大学の講義抜けてきたって感じ?」
「そうだね」
久しぶりに実家に戻ってきたよ、と付け加えた。
「春宮さんは?」
「私は午後の講義を欠席して来たって感じ」
「蒼くんも迷惑なことするねー」
ほんとだよ、と不謹慎ながら小さく笑ってしまった。
冬月蒼、というのが彼の本名。
中学校で始めて彼の名前を見たとき、涼しそうな名前だなと思った。
彼のことを蒼くん、と呼ぶのは私の知っている中では目の前の彼女しかいない。
「このあと一緒に話せる?」
「このあとって?」
うーん、火葬が終わった後とか? と彼女は呟いた。
『火葬』という言葉を聞いて、ここが葬儀場であるということを思い出した。
「話せるよ」
「じゃあ、あとでちょっと」
オッケーと応えて、私たちは会場に戻った。




