第1話 私のセフレが自殺したらしい。
「……はぁ、はぁ」
一生懸命私に擦りつけてくる、上に乗っかっている男の顔を眺めていた。
いつものすまし顔が蕩けて、かなり滑稽な表情をしている。
今は私も彼もベッドの上で裸になっている。
いわゆるセフレってヤツ。
ただ性欲を満たすためだけの関係だ。
彼とはなんだかんだ数年来の付き合いになる。
いや、セフレになる前を入れたらもっと。
しかし、そんなことは関係ない。
私たちはただ、私利私欲のために相手を利用しているだけなのだから。
相手のことなんて、見ているようで全く見ていない。
私の上に乗っかっている彼の顔の後ろにある壁を見ようと焦点を合わせる。
「なんか、そういうの冷めるんだけど」
「別にいいでしょ」
スマホは触ってないんだし。
「前までは普通に良かったのに」
「まあ演技してからね、して欲しいならやってあげるけど」
「じゃあやって」
少し驚いて彼の目に焦点を戻す。
普通、そんなことを頼むタイプじゃない。
私も彼も、プライドが頗る高いからだ。
「……早くやれって」
「別に、良いけど」
腰を畝らせつつ、ベッドコイルの軋みをかき消す嬌声を漏らした。
少しずつ彼の腰を振るスピードが速くなる。
演技って言ってるのに興奮するって馬鹿じゃないの。
彼は徐々に余裕のない表情になっていった。
やがて動きが止まり、私に覆いかぶさってゆっくり腰を動かした。
中に入っていたそれは、徐々に小さくなる。
彼はゴムを結んで、近くにあったゴミ箱に捨てる。
匂いとか大丈夫なのかな、とか思うけれど、私はこの部屋に一週間に一度くらいしか来ないので、そこまで気にしていない。
彼は冷蔵庫からペットボトルを取り出して口を付けた。
終わったようなので、ヘッドボードに置いていたスマホを取り出して電源を入れ、SNSを開いた。
「……チッ」
誰々と一緒に晩御飯に行きました、みたいな、人生をエンジョイしているような投稿が目についたので、思わず舌打ちをしてしまった。
乱れた髪を手櫛で整えながら画面をスクロールしていると、彼がキッチンから戻ってきた。一瞥してから再びスマホに視線を戻す。
「春宮って行き帰りってどうやってるんだっけ」
「普通に電車だけど」
スマホ見てるときに話しかけてくんな、という言葉は飲み込んで応える。
「なんで?」
「別に」
ちょっと興味があった、と応えて彼はライターを取り出した。
キン、キン、と高めの音が部屋に響く。
シガーケースから煙草を一本取り出して口に咥えて火をつけた。
なんとなくその様子を眺めていると不意に彼と目が合った。
「春宮も吸う?」
「……じゃあ一本貰おうかな」
煙草を吸ったことはないけど、いらないというのもちょっと違うと思って彼から煙草を一本受け取った。
手にしたそれは、とても軽かった。
大人たちが上手そうに吸っていた煙草は、数グラム程度の巻紙に過ぎないということを、今更ながら実感する。
「吸い方わかる?」
「普通に火つけて吸い込むだけでしょ」
まああってるけど、と彼は言ってライターを寄越してきた。
拾い切れずにベッドに沈む。
ライターの表面が私たちの汗やら体液やらで少し汚れてしまった。
シーツの隅で拭いてから、私はライターの火をつけた。
口に煙草をくわえて、慎重に火を近づける。
すぐに火は煙草の先端に燃え移り、紫煙が部屋に浮かんだ。
「……ゴホッ、ゴホッ」
肺の中に煙が入り込みすぎたためか、少しむせてしまった。
「もっと軽く吸った方がいい」
「……分かってるから」
口出ししないで、と呟いて彼が見えない方向で慎重に口の中に煙を入れた。
ただ苦いだけのそれを、肺の中に入れては吐き出すという行為をしばらく続ける。
「どう?」
「まあ普通じゃない?」
マズい、ということもできず強がって答えた。
灰皿を寄越してきたので、その中に人差し指の第二関節まで縮んだ煙草を落とす。
小さく上がった煙をなんとなく見つめていた。
「俺はマズいって思ったけど」
「あっそ」
そう応えると、しばらく沈黙が生まれた。
私たちの間で沈黙が生まれるのは良くあることだ。
初めてセックスした後もそうだった。
高校生の頃の話だ。
私たちは実家が比較的近かったこともあって、子どもの頃から一緒だった。
幼馴染み、と言われると少し違うと思う。
その名詞からイメージされる仲の良さというのは全くなかったから。
たまたま帰り道が一緒になって、たまたま彼の親が留守で、たまたまそういう雰囲気になった。お互いに初体験だから、みたいな良く分からない理由でセックスした。
終わった後に生じたのは虚無感。
その時は数センチだけ開けた窓から入りこむそよ風に揺れるカーテンをぼーっと眺めていた。
それ以降、予定が合えばするようになった。
向こうが言ってくることもあれば、私が言うこともある。
どちらかと言えば、私から言うことの方が多い。
それは高校を卒業して別々の大学に入学した今も変わらない。
どちらとも一人暮らしで、つかず離れずの距離に住んでいる。
なんとなく、彼の様子を見ながら決めた。
でもそれは会いたいからじゃなくって、セックスがしたいから。
ただそれだけの理由で独り暮らしをするアパートを決めたのだ。
「俺はもうこの煙草いらないけど」
春宮いる? と尋ねてきた。
「いらないならもらうけど」
「じゃあやるわ」
そう言って彼は煙草の箱をこちらに投げてきた。
しかし私の手まで到達せずにベッドにポスッと音を立てて落ちた。
何本か中身が出てしまったのでさっさと拾う。
「ていうか灰皿も持ってないだろ」
それもやるよ、と彼は呟いた。
「なに、煙草やめるの?」
「今日初めて吸ったけどあんまだった」
もう吸わねぇわ、と付け加えた。
彼の返答を聞き流し、灰皿の中身をさっきゴムを入れたゴミ箱に落としてティッシュで拭く。そしてキッチンで手洗いしてキッチンペーパーで水気を取ってから、鞄の中に入れた。
「私、もう帰るけど」
「……」
フローリングにあった下着を履きながら彼に言ったが、彼は何も答えない。
無視されることも時々あるので、気にしないで服を身に着ける。
来た時と同じ格好になっているのを浴室の鏡で確認してから、再びベッドに戻る。
彼はまだ、裸でスマホをいじっていた。
「私、もう帰るけど」
さっきと同じ言葉を繰り返す。
ようやく、彼はこちらに視線を向けて口にした。
「ちょっとこっち来て」
「なんで?」
いいからこっち来いって、と彼は手招きした。
命令してくるのが癪に障ったが、ひとまずベッドに近づく。
「なに?」
そう尋ねたのとほぼ同時に、彼は私の腕を引っ張ってベッドに引き込んだ。
ベッドに仰向けになって彼を見上げる。
いつも通りの表情で私を見下ろしていた。
私の両腕をギリギリと押さえつけるので、抵抗することができなかった。
「は? マジで何なの?」
意味わからないんだけど、と彼を睨むが表情を全く変えることはなかった。
彼はいきなり身体を落とし、私の唇に口づけをした。
「……え?」
突然のことで頭が真っ白になる。
イライラしていた気持ちが一瞬にしてどこかへ行ってしまった。
私たちの間の暗黙の了解的なものがあった。
それは「行為中にキスをしない」というもの。
お互いにその一線だけは超えなかった。
この関係は何年も続いていたので、突然のキスに驚いた。
「もう帰っていいぞ」
悪かったな、と呟いて彼は再びスマホを手にした。
「……じゃあ帰るから」
少し乱れた服を整えてから、私は彼の家から出て行った。
電車に揺られながらさっきのことを思い出す。
私のファーストキスはセフレに奪われてしまった。
別にそれは問題じゃない。
全く知らない男に奪われるよりはよっぽどマシだ。
でも—
「アイツ、なんでやったんだろ……」
唇に触れながらぽつりと呟いた。
しかしその声は、電車内の喧騒にすぐさまかき消されてしまった。
それから数日後のことだった。
母親から、一通の連絡が届いた。
とてもシンプルな内容だった。
『冬月くんの葬儀に参加するように』とのこと。
私のセフレが自殺したらしい。




