86.来訪者
「ごめんなさいね、お忙しいのに」
急いで戻ると、そこにいたのは長く華耀殿に籠もっていたアザミ様だった。
「いえ……もうお体の具合はよろしいのですか? 」
「えぇ、そのことで貴女に話があって来たのだけれど……噂通りで、少し驚いたわ」
最後に会ったのはいつかも思い出せないほど前だった。
戸惑いを隠しながらソファーへと案内し、紅茶を淹れる。
「変わらないわね……ここは」
懐かしむような口調、確かにたった一年で、私もアザミ様も、そして私達を取り巻く人間関係も変わってしまった。
特に私は。
庭園を眺める、少し痩せたその表情から何が狙いなのか、読み取ろうとしてしまっているのだから。
打算的な醜い自分を隠していると紅茶の味まで濁る気がする。
ごまかすように、レモンの果汁を一滴落として、それを差し出した。
「……嫌いじゃないわ」
一口飲んで、彼女が微笑む。
「暑い日が続いているので、レモンを取り寄せてみたのです」
間を繕うように微笑んで自分も一口。
「紅茶ではなく、今の貴女のことよ。理由まではわからないけれど気持ちならわかるわ……宮殿では素顔のままいられないもの」
見透かされていた。
きっと誰を真似ているのかも、この人にはもうわかっているのだろう。
「私ったらだめね、まずは御礼を言わなくては。メロにお医者様を紹介してくれた事も、レイトンの面倒を見てくれている事も……本当に感謝しているわ」
カップを置いてかしこまると、アザミ様は頭を下げる。
「王妃様、格別のお計らいをありがとうございました」
「アザミ様、頭をお上げに……」
「貴女の改革に協力させてほしいの。どれだけ悲しみに浸ってもメロはもう戻ってこないわ。それに……これ以上貴女が心ない噂で傷つかない為にも」
頭を上げ、私を見るその瞳には今までになく強い力が感じられる。
「手に職をつけ、学ぶ事が人生を切り拓く術となる……貴女の言葉に感銘を受けたわ、それに共感も。学ぶ機会もなく虐げられて、生きる為にはへりくだるしかない……それが女だと思ってた」
その瞳に、これまでどのような世界を映してきたのだろう。
「だから、あの人にも従ってきたの……色々されたわ」
「アザミ様が……カメリア様に……」
「えぇ、逆らえば子供達が何をされるか……そう思うと逆らえなくて。まさかあそこまでして権力を欲しがる人だとは思っていなかったけれど……」
酷い拷問の後遺症で寝たきりとなり、今も離宮で囚われたまま……口が聞けなくなるまでずっと否認し続けた、強く欲深い人。
「変えられるのよね」
念を押す、強い眼差し。
嘘がないか、いつの間にか試されているのは私の方だった。
「それで……どのようにお返事を」
アザミ様が帰った後、エランやサラを部屋に招き入れて相談する。
「もちろん私の一存では決められないとお伝えしたわ。アザミ様はレイトン皇子の生母だから公務に携わるとなると王様がどうお考えになるか……」
「アザミ様というと……元は、あの恐ろしいお妃様のお仲間だったのですよね……大丈夫なのでしょうか」
「そうですね、侍女から成り上がったという点を考えても相当強かであるかと。恐らく、後に母后として実権を握るための準備でしょう。王妃様が信じたいと思われるお気持ちはよくわかりますが……」
「なら尚更、断る事は出来ないわ。邪険に扱えば他の手を使う可能性もある」
「レイトン皇子の即位を急ぐ策……ですか」
「そうなれば王様の身に危険が及ぶ可能性もあるわ」
「どちらにせよ、王様に相談致しましょう。すぐにでも王宮殿へ、日時の調整をしてまいります」
「いえ……この事はエランに任せるわ。貴方が王様と相談して決めてちょうだい」
「ですが……」
「頼むわね」
半ば強引に、エランに頼むと疲れた振りをして寝所へ逃げ込む。
いつまでも逃げているわけにいかない、それはわかっている……けれど向き合って拒まれる事が、怖くて仕方なかった。
「重症、ですね」
「あんなに仲睦まじくいらしたのに……どうするんですか、もしこの間に王様が他の女性と」
「それはあり得ませんよ。あの人はそんなにモテやしません」
「もう! そんな冗談言っている場合じゃないでしょう。何とかして二人に仲直りしてもらわないと……う~ん……あっ、そうだ! 」
何かを思いついたサラはエランにこそこそ耳打ちをして。
「なるほど……では早速」
そうしてエランは部屋を出ていく。
そして、その日の夜更け。
「……王様……」
サラに相談があると言われたリリーは、月華殿の書庫で待たされていた。
そこに現れたバッカスに驚き立ち上がると、バッカスもリリーを見て同じように驚いて……避け続けてきた視線が交わる。
“下手な芝居はもうお止めに”
そんなメッセージ付きのワインを二人が見つけるまでには、まだもう少し時間がかかるのかもしれない。




