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私がもらい受けます

「止めて下さい……!」


 突如として聞こえた女性の声に私は「な、何事!?」と立ち上がって警戒態勢をとった。

 何か事件でもあったのかと声がした方へ視線を向けると、少し離れた場所でスケッチブックのような物を引っ張り合っている男女がいるのが見えた。


「これは私が描いたものです! いくらかの写しはあるんですから持ち帰っても問題ないでしょう!」

「それを持ち帰ってどうする。お前一人で扱える代物じゃないだろう。それに、その作品をより美しく最高の品に仕上げることが出来るのは我々の方だ」

「あんな変な物をつけて改悪することがですか……!? 前までは先生のためだと思っていたから我慢できましたけど、先生のやり方に疑問を呈しただけでクビになったなら、もう耐える必要なんてありません。これまでのドレスは諦めますが、まだの分まで汚されるのは真っ平ごめんです。手を離してくれないというのなら、真実を公表しますよ!」

「長く勤めて弟子の中でも贔屓されているからと調子に乗って楯突いたからだろうが。大体、周囲は貴族御用達のうちの店とクビになった平民のお前のどちらを信じると思う? 結果が分かっているのに叫ぶというなら好きにしろ」


 何か大きな事件でも起きたのかと身構えたが、どうやら違うようだ。

 聞こえてきた会話から揉めている理由は何となく察したが、これは助けに入った方がいいのだろうか?

 でも、詳しい事情を知らないの無関係の人間が首を突っ込むのも……と思っていると、隣に座っていたライナス殿下が口を開いた。


「……あれはマダム・ボネールの店の従業員だな。また弟子をクビにしたのか」


 呆れた様子で口にするライナス殿下のお蔭で、私はあの二人の関係性を把握した。

 クビになったのは弟子の女性で、男性はそこの店で働いている従業員ということで間違いなさそうである。

 絵の所有権がどちらなのかこの世界の常識かは分からないが、女性が不利らしいのはなんとなく察した。

 だが、その前に。


「マダム・ボネールという方は有名なのですか?」

「ああ。今の貴族の流行を生み出している仕立屋の女主人だ。おそらく王都で一番の店だろうな。だが、あの女主人は虫の居所が悪かったり何か気に入らないことをした者は問答無用でクビにする気性の荒い人物でも有名だ」


 パワハラだ。

 紛うことなきパワハラだ。断然女性の方を応援したい気持ちが湧いてくる。

 仕立屋ということはあのスケッチブックらしき物に描かれているのはドレスのデザイン画なのだろう。

 話の内容から女性のデザインしたドレスを基礎としてマダム・ボネールが色々と手を加えられていたというところだろうか。

 女性の描いたデザインの写しの分があるらしいし、マダム・ボネールの描いたデザインもあるというのになぜスケッチブックを奪おうとするのか。

 首をひねりながら再び二人の方を見ると、こちらに背を向けている女性が大きく仰け反っているのが見えた。

 あれは、相手が手を離したら危ないのではないか?

 そう思っていると案の定、押して駄目なら引いてみろという感じで男性が手を離してしまった。

 途端にバランスを崩して崩れ落ちる女性、それと動いた衝撃で手から離れて宙を舞うスケッチブックらしきもの。

 咄嗟のことで見ているしかできなかったが、割と豪快に転がってしまった女性の安否が心配になり、私は駆け寄ろうとした。


「あー! 踏まないで!」

「え?」


 何のことだと立ち止まって女性の視線の先、つまり私の足下に視線を落とすと飛んできたであろうスケッチブックが地面に落ちていた。

 結構な飛距離だなぁ、と思いつつ私はそれを拾い上げて二人に視線を向ける。


「あっ……」

「わぁ……」


 普通にしているだけなのに威圧感を与えてしまったのか、私の顔を見た男性は短い悲鳴を上げて怯えたような表情を浮かべた。

 対して女性の方は私の顔を見ても怖がるどころか何故か目を輝かせている。


「……拾っていただき、ありがとうございます。こちらに」

「わ、渡しちゃ駄目です!」


 だが、すぐに冷静になったのか悠然と歩み寄ってくる男性と這いつくばりながらこちらにゆっくりと進んでくる女性。

 両者ともに必死すぎて、思わず私は手に持っていたスケッチブックを胸に抱え込んだ。


「こ、これはどうしたら良いのでしょうか?」

「君が正しいと思う方に渡せばいいのではないかな」


 それは一番難しいと思うのだが……。

 個人的には女性に返したいけれど、そうすると彼女にとって不利な状況になりはしないだろうか。

 特に王都でも有名な仕立屋なのだから、圧力くらいいくらでもかけられるだろう。

 かといって男性に返すのは……。

 どちらにした方がいいのか悩んでいると、痛みが治まってきたのか立ち上がった女性が口を開いた。


「お願いします! それは私の命の次に大切な物なんです。私に返してください……!」

「もしその女性に渡すのであれば、彼女に提供していたうちが所有する部屋から今このときをもって退去してもらいます。部屋にあるものも全て処分させてもらいますので」

「えぇ!? ちょっと待ってくださいよ! 部屋にはまだ私物とかお金が置いてあるんですよ? 持ち出す時間くらい……」

「すでに家の従業員ではないのだから、どうしようとこちらの自由だ。勝手に部屋に入ろうとしたら泥棒として突き出してやるから覚えておけ」


 これは女性を脅しているように見えて、私に向かって言っている。

 渡せば彼女が路頭に迷うことになるぞ、という脅迫である。

 いくらなんでも、それはあんまりではないだろうか。

 張本人の女性は可哀想なくらいに落ち込んでしまっているではないか。


「さすがに大事なものくらいは取りに行ってもよろしいのではありませんか?」

「でしたら、貴女がこちらにスケッチブックを渡してください。そうすれば取りに行く猶予は与えますよ」

「そのような取り引きはあまり好きではないのですが。……それほどここに描かれているものはお店にとって大事な物、ということなのでしょうか。ですが、大きなお店なのですから一人のお弟子さんのデザイン画にそこまで拘らずとも良いのではありませんか?」


 言ってはみたものの、私の言葉は何ひとつ響いていないのか男性は涼しい顔をして首を振った。


「名の知れた店だからこそです。これまでの弟子も在籍していたときに描いていたデザインは全て置いていってもらっていますしね」

「それは、お辞めになった方が他のお店に再就職して同じドレスを作るということが問題なのでしょうか? ですが、そこで作られたとしても知名度やお店のブランド力の差がありますし、そちらのお店が脅かされることはないと思われます。ご主人のデザインしたものも素晴らしいものだと予想できますし、懐の大きいところを見せるのも周囲の評価に繋がるかと」


 直後に男性の表情が険しいものに変わった。

 遠回しではあるが、褒めているのになぜだ。


「……つまり貴女はうちが弟子のデザインに頼りきりの屋台だけが立派な店だと仰りたいのですか?」


 言ってない……! 一言も言ってない!

 どういう勘違いをしたらそういう受け取り方をするのですか……!?


「……違います! 私が言いたいのは、ご主人のデザインだけでも十分でしょうということです。決してそちらのお店を貶す意図はございません」

「そうでしょうか? 私の耳には弟子のデザインに執着する狭量な店だと聞こえました。それに、うちの店を軽んじているような態度をとっておられるように見受けられます」

「全く露程も思っておりません……!」


 むしろ王都で名の知れたお店だと聞いて敬意を払っているくらいである。

 誤解だと言いたいが、男性はすでに私を敵だと認識したのか警戒心を隠そうともしない。


「ああ。もしや彼女の肩を持って貴女が贔屓にしている店を押し上げようとわざとしておられるとか? 確かにマダムは弟子の中でも彼女のデザインを採用することが多かったですが、それはあくまでも他とは違うデザインだからという理由なだけです。それに中途半端に全ての作業に手を広げていただけのただの雑用係。見限られた今、その価値はゼロどころかマイナスにしかならないというのに」

「贔屓にしているお店などございません。ただ私は、このような往来で揉めている様を見られるのはお店のためになりませんし、なんとか穏便に……と思っているだけです」


 悪巧みなどしていないと精一杯主張する私を男性は凝視した挙げ句、頭の天辺から足の爪先までジロジロと見てくる。

 正直不快感でいっぱいだが、文句を言って拗れても困るのでグッと堪えた。


「……うちの店を利用されたことのない方に言われても説得力がありませんね。お顔や雰囲気から上級貴族なのかと思いましたが、うちを利用されていないとなると貴族の伝手はないということですし、商家のご息女……といったところでしょうか。多少裕福とはいえ、所詮は平民。言葉には気を付けた方がよろしいですよ? でないとマダムを支援しているシーモア伯爵が何をするか分かりませんのでね」


 シーモア伯爵?

 頭に疑問符が浮かんだ私はそっとライナス殿下に視線を向けると、彼は小声で「先ほど話した例の貴族だ」と教えてくれた。

 つまり今王国内で富と権力が有し、彼の婚約者候補筆頭でもある令嬢のご実家。

 疑問が解消されてスッキリとはしたものの、家をバカにされたのことには全く納得していない。

 確かに貴族の伝手はないけれど、このまま何もしなければ没落まっしぐらだけれども!

 これでもれっきとした貴族なのだ。

 大体、仮に平民だとしてもその対応は如何なものかと思う。

 かなり店に自信を持っているみたいだが、傲慢さはお客様が離れる要因にもなるというのに。

 商売に対する価値観の違いと家をバカにされたことも相まって、私は男性に対して腹が立ってきた。


「彼女を庇うというのであれば今後、紹介があっても店を利用できると思わないでください。それに常連の貴族を敵に回すということも。貴女だって実家が潰されるのは困るでしょう?」


 あまりに分かりやすいお手本のような脅迫に私は思わず笑みをこぼした。

 私の顔がよほど凶悪に見えたのか男性は少しばかり動揺しているが、彼は何も分かっていない。


「そもそも我が家はそちらのお店に伝手はございませんので、利用することは諦めております。それに元から貴族は敵に回っておりますので問題もございません。何を言われようとこれまでと一切変わりないのですから、その脅しは私には効果がございません」


 言っていて悲しくなってくるがこれが事実。

 意見をひっくり返すのを期待していただろうけれど、私には何もダメージを与えられないのだから無意味である。

 大体、自分の思い通りにならないからといって、すぐに脅すやり口が気に入らない。


「貴方の主人のお店が他とは違うと言うのであれば、弟子のデザインに頼らずともどうにでもできるはず。いくらこの場に人がほとんどいないとはいえ、その発言はお店の評価を下げる行為です。相手の身分が正確に分かっていない状態で喧嘩を売ることは褒められたものではありません。気を付けた方がよろしいかと思いますが」

「……ご忠告感謝致します。ですが、私一人の発言で評価が落ちるような店ではありません。デザイナーの頂点に君臨するマダムの不興を買った何の価値もないただの平民を助けた判断が誤っていたことを後悔なさらないように」

「貴方がどのような立場なのか分かりませんが、お店で働く従業員の質はそのお店の評価を大きく左右するものです。……それとそちらの女性の価値を決めるのは貴方でもマダム・ボネールでもなく、私です。勘違いなさらないでください。私はこのスケッチブックを絶対に貴方に渡しません。諦めてくださいませ」


 あそこまで言われて笑って流すことなど誰ができるというのか。

 何を言われても持ち主が女性である以上、彼に渡すことはしたくない。


「……庇ったところで彼女が路頭に迷うことは決定しているというのに、出会ったばかりの人間にそこまで肩入れする気持ちが理解できませんね……。ああ、もしかして貴女が彼女を雇うとでも? ただの商家風情がうちと対等に戦えると思っているとしたら笑ってしまいますね」


 マダム・ボネールの店が一流であることは間違いないが、なんたる言い草だ。

 馬鹿にされたことにふつふつと怒りがこみ上げてくるが、その前に男性の言った言葉を思い出した。


『もしかして貴女が彼女を雇うとでも?』


 彼は商家の娘ごときが決めるのは無理だと思ったからこそ口から出たのだろうが、よくよく考えればそれもありかもしれない。

 他とは違うという理由ではあるものの、マダム・ボネールが女性のデザイン画を採用することもあったというし、割と長く努めていて全ての作業をしていたというのは利点になる。

 腕の方も一流と言われるお店で働いていたのだから心配はないだろうし。それにデザインだけでもお釣りがくるのではないだろうか。

 私に似合うドレスを作ってもらえるかという点は今の時点では分からないけれど、変な物を付け加えるというのが流行のドレスのことであれば、少なくとも彼女はまともな目を持っているということだろう。

 たとえデザインの仕事が来なくても元々生地を売る、というのが目的なのだから何も問題はない。評判になれば貴族はすぐに掌を返すはず。

 ここまで考えて、私はウンウンと頷いた。


「貴方の言うように、それも良いかもしれませんね」

「は?」


 男性は『こいつは何を言っているんだ』というような表情を浮かべている。

 子供だからとか商家の娘だから家に圧力をかけると言えば諦めるとでも思っていたのだろうか。

 生憎とこちらは脅しに屈するような性格はしていないのだ。

 そうして私は男性に向かって自信満々の笑みを浮かべて見せた。


「大抵の未来は努力次第でどんな可能性も見出せます。最初から諦めることなど勿体ないではありませんか。私は彼女に賭けたいと、そう思ったから雇おうという気持ちになっただけのこと」

「愚かなことを考えるものです。疫病神を自ら進んで受け入れるなど正気の沙汰ではありません」

「貴方がそう思うのであれば、それで結構です。何を言われようと私は自分の判断を信じます。これ以上の問答は必要ありません。……さあ、お帰りはあちらですよ?」


 どうせまた女性を扱き下ろして酷いことを言うつもりなのだろうが、もう沢山だ。

 反論しても無意味だし、私の決意は変わらない。

 怒りを表に出さずにニッコリと微笑みを浮かべた私は自然公園の出入り口辺りを手で指し示した。


「……目的が果たせないのであれば仕方がありません。覚えているデザインもありますしね。ああ、それと……店の人間全てに貴女がなさったことを報告しておきますので。彼女を雇うのはそちらの勝手ですが、子供の言うことをご両親が聞いてくれると良いですけれどね……! では」


 さすがに男性もこれ以上留まるのは無意味であると諦めたのようだが、確実に納得のいっていない表情を浮かべている。

 負け惜しみともとれる言葉を発した後、彼はそれ以上何も言わずに不本意そうにしながら立ち去っていった。

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