身勝手な願い
翌朝。
時雄はカーテンの隙間から差し込む光の直線に、目が覚めた。
昨日の伊勢正一の告白が、非現実的かつ衝撃的であったにもかかわらず、ぐっすり寝た。
こんなに深く眠ったのは、十年ぶりかもしれない、と思いつつ、起床し洗顔する。
ポストで彼を待機する新聞には向かわず、シャワーを浴びてから、居間に向かい、チェアに、どかっと腰を下ろして考え込む。
- 胸が、軽い。何故だ。 -
影はあった。
それは、消えようのないものだった。
ただ……。
- ああ、、そうか。賢太。お前か。 -
時雄の胸から、何故の疑問が1つ消えていた。
- お前は殺されたって、人を祟るようなやつじゃない。
怪異は悪魔のせいだ。お前のせいじゃない。 -
その悪魔、境間に対抗する必要があった。
5年ある、と伊勢は言っていたが、時雄からすれば、5年しかないのだ。
- まず、まとめないといけないな。 -
時雄は昨日の面談を反芻する。
賢太の父親から得た境間の特徴。
30年前には20歳前後の容貌だった。
水が苦手だ。
動物に言葉をしゃべらせる。
首が人間ではない曲がり方をする。
悪魔のしたこと
職場の人間、またその家族を事故や病気にかけた。
動物でコンタクトしてきた。
時計を止めた。
……人間業ではない。
が、人間でもできる。
腹話術に催眠術。
単独ではなく複数による犯行。
- つまり、魔術師かもしれないし、手品師かもしれない。
どちらにせよ、奇をてらうことが好きな男だ。賢太のおやっさんは、2回騙されている。ー
トラブルが部品ではなく、同僚たちへの災厄だったこと。
止まっていた時計。
- 俺も、騙されているのか? -
時雄は右手の人差し指をまげて、その第二関節の側面の柔らかい部分を噛んで、思考する。
ー 一番の前提は、なんだ? 俺が、一番思い込んでいることは。 -
……3月の雪。
一番思い込んでいるのは、3月の雪である。
見込みをはずすことは、最も効果的な打撃である。
- 裕也が10歳の時点で、狙いにくることは変わらないはずだ。だが、3月とは限らない。 そして、5年後まで下見に来ない
とも限らない。 ー
引き付けておこう、と時雄は思った。
自宅の内外には監視カメラを設置する。
あわよくば、悪魔を拘束する。
暴力的な手段に訴えるのも、この際かまわない。
ー 俺は賢太のおやっさんとは違う。力も金も、裕也のためなら、暴力もためらいはしない。ー
時雄の眉間に鬼気がただようと、びくっとふるえる気配を感じたので、視線を向けると裕也がいた。
水色のパジャマ姿で、幼い黒髪がくしゃくしゃである。
時雄は息子に。
「おはよう」
というと、裕也は
「おは、よう。とう、ちゃん」
と言ったので、時雄は息子の顔をじっと見た。
視線はお穏やかである。
- 賢太がいるのかもしれんな。復讐でも祟りでもなく、単純に迷ってしまったのかもしれん。賢太、お前は保育園のころは、俺と一番仲がよかった。だから、ついてきたのだろう。
けど、な。吃音は勘弁してくれ。お前が俺に苛められたように、裕也も俺みたいな馬鹿に吃音で苛められるかもしれん。-
「裕也」
「なあ、に。?」
「自分の名前を言ってみろ。あせらないで、ゆっくり」
「ゆうや」
時雄は破顔する。
- だから、賢太願わくば。-
時雄は裕也を抱きしめる。
ー 願わくば、裕也を守ってくれ。 -




