愛をこめて 後編
―side 菱谷―
「だから、ここ最近、鬱陶しいくらい落ち込んでたんだな」
八木の容赦ない一言に、落ち込んでいた松岡はさらに肩をすくませて小さくなる。
まあ、俺も鬱陶しいとは思ってたけど、さすがに本人目の前には言わないぜ……
「でもさ、今朝はちょーご機嫌だったじゃん? 貰ったんだろ、チョコ」
「貰ってない……」
「はっ!?」
松岡の声があまりに小さくて、俺は思わず苛立った口調で聞き返してしまった。
「なんだって?」
「だから、貰ってないんだよ。俺だけ……」
そう付け足された言葉は、悲しみと嫉妬に包まれていた。
「ああ、あれは……」
芹香ちゃんははっきりと義理チョコとは言わなかったけど、あれは正真正銘の義理チョコだったしな……
松岡の目の前で貰っといて今さらだけど、申し訳なくなる。
「ごめん……」
「で、松岡がチョコもらってないのは分かったけど、今朝、機嫌がよかった理由はあるんだろ?」
八木がばっさりと会話を切って、元に戻す。
確かに、それは気になる。絶対、芹香ちゃん関係だろ?
「それは昨日メールしてた時に、芹が聞きたがっていたCDを貸すって話になって『明日、学校の帰りにうちに来て』って芹が返信してきたから、このタイミングで家に呼ぶってことは、バレンタインにチョコ貰えないと思っていたのは俺の勘違いでちゃんと用意してくれてるんだって思って……、でも、それもやっぱ勘違いだったみたいだ……」
そう言って、自分だけ昼休みに芹香ちゃんの手作りチョコクッキーを貰えなかったことに、自虐的な笑みを浮かべて再び落ち込みだした。だけど。
うなだれた松岡の頭上で俺と八木は視線を交わす。
それってさ、芹香ちゃんはちゃんと松岡の分のチョコを用意してるんじゃないのか?
俺達の義理分は学校でしか渡せないけど、松岡の分は家に呼んでゆっくり渡そうって考えてると思うのが普通だろ。
俺と同じことを思ったのか、八木も困ったように苦笑している。
まあ、確かに、自分より先に義理チョコが配られる――しかも、目の前で――なんて松岡は思いもしなかっただろうけど、それだけ松岡が特別ってことじゃないか。
芹香ちゃんのチョコは買わない発言も、今年は義理も本命も手作りするからって意味だろ。むしろ、義理は本命のついでって感じだよな。
あまりに落ち込んでいる松岡が気の毒だが、そんな風に勘違いされてる芹香ちゃんのが気の毒に思えてならない。
気づけよ、松岡……
松岡が気落ちしてたのは勘違いで、心配しただけ損した気分だ。だから、もう少しそのまま落ち込んでいろ。
せっかく芹香ちゃんがサプライズでチョコを用意してくれてるんだろうから、俺の口からそれをぶち壊したくはない。
まっ、これでもしも、本当に芹香ちゃんからのチョコがなかった時はなぐさめてやるよ――
―side 芹香―
放課後、部活を終えた松と一緒に帰る通学路。松はずっと無口で、なんとなく緊張してしまう。
私の家に向かっているのだけど、これからのことに思いをはせて、私ははぁーっとため息を漏らした。
―side 松岡―
フラれるかも……
そんな考えが頭をよぎっては消え、またちらついて、芹と一緒に歩く帰り道は沈黙が続いていた。それに耐えきれなくなったというように、隣から小さなため息が聞こえて、俺はビクっと体を震わせた。
やっぱり――?
そう思わずにはいられなくて、俺は必死に芹を繋ぎとめる言葉を探した。
※
俺の家の最寄駅を通り過ぎて、芹の家のある駅で降り、徒歩数分のところにある芹の家について、ごくりと喉を鳴らした。
まだ二月だっていうのに、背中にはなんだか冷たい汗が溢れてくる。
「お邪魔します」
芹に促されるまま玄関に入り、靴を揃えてから芹の家にあがった。
後をついてきている俺を確認するように一度振り向いた芹は、また前を向いて芹の自室のドアを開けて中に入った。
「どうぞ。コートはこのハンガー使ってね」
芹の家には何度か来たことあるし、このやりとりもだいたい毎回のこと。
だけど、今日はどうしようもなく緊張して、芹が渡してくれたハンガーを受け取る手すら震えてしまう。
コートを脱いで鞄を手近なとこにおいて、カーペットの敷かれた床に腰を下ろすと、同じようにコートを脱いだ芹は座ることなく、入り口のドアを開けながら言う。
「お茶入れてくるね、ちょっと時間かかるかもだから、適当に本読んで待ってて」
「えっ、お茶とかいい――」
俺の言葉が言い終わる前に、芹は部屋を出て行ってしまった。
―side 芹香―
松を自室に残し、私は急いで階段を駆け下りてキッチンに向かった。
だいだいは昨日のうちに用意しておいたといっても、一時間くらいは待たせてしまうかもしれないから、私は早速ダイニングテーブルの上に用意していたエプロンを身につけ、お菓子の本の付箋を貼ったページを開いた。
作るのはフォンダンショコラ。
結衣と今年のバレンタインについて話した時に、今年は市販のチョコじゃなくて手作りにしようかなってぼんやりと考えていた。
去年はほんとに松のこと友達としか思ってなかったから市販の義理チョコをあげたから、今年は手作りがいいかなって。
それに、結城君と付き合っていた時も本命チョコは市販品しか上げたことないし。
ちょっと手作りって憧れなんだよね。
松は甘い物好きだから、きっと喜んでくれるだろう。
それから、どうせ作るなら出来たてをあげられたらいいなぁ~、そんなことを考えて思いついたのが、バレンタイン当日に松を家に呼んでフォンダンショコラを作ること。
混ぜるだけだし、中がとろ~としたチョコにするために焼き時間が短めだからちょうどいいかなって。
私はうきうきとした気分で、材料をぱっぱと混ぜ合わせ、ココットに流し入れ、予熱したオーブンに投入した。
うん、あとは焼くだけ。この間に紅茶を入れてしまおうと、やかんを火にかけた。
―side 松岡―
コツ、コツ。
扉をノックする鈍い音に、俺の体がビクっと大きく飛び跳ねる。
死刑宣告をとうとう言い渡されるような気分で、びくびくと芹が入ってくるのを待っていたが、いっこうに扉は開かない。
「芹……?」
立ち上がり、扉に近づく。さっきのはノックの音じゃなかったのかと訝しげに扉の向こうに声をかけると、芹の声が聞こえた。
「松、開けてー」
慌てて扉を開けば、そこにはお盆を抱えた芹の姿。
お盆の上に乗っているものを視界の端にかすめて、ああ、お茶を持っていて開けられなかったのか、そう思ったけど、俺はつい二度見してしまった。
なぜなら、お盆の上に乗っていたのは、ティーポットとカップが二つ、それから白いケーキ皿には横に生クリームとミントの葉が添えられたチョコケーキが乗っていたから。
扉を開けた格好のまま、室内に入っていく芹を呆然と見つめてしまう。
「おまたせ、松」
お盆をガラスのローテーブルの下に置き、ポットとカップと皿をセットしていく芹。カチャカチャという陶器とガラスが当たる音が静かな室内にやけに大きく響く。
俺は急激に早くなっていく心臓の音を耳の奥に聞いた。
カップと皿をセットし終えて振り返った芹は照れたようにはにかんで俺を見る。
「あのね、フォンダンショコラを作ってみたんだけど、一緒に食べよ?」
小首をコクンっと傾げて、頬をわずかに染めて尋ねた芹。体の奥から熱いものがこみあげてきて、可愛く尋ねてくる芹を抱きしめたい衝動に駆られるのをどうにか理性で押しとどめて、俺はぎこちない動きで扉を閉めて、ローテーブルの前に座った芹の隣に腰を下ろした。
「これ、芹が作ったの……?」
「うん、今年のバレンタインは手作りがいいかなって漠然と考えていて、直前までどうするか決められなかったんだけど、どうせ作るなら出来たてを松にあげたいって思って……」
だんだんと声が小さくなっていく芹は、ほんとうに可愛い。
わずかに桃色に染まった頬も、遠慮がちな口調も、俺の様子をうかがうような視線も、すべてが愛おしくて仕方がない。
芹がチョコを用意しないって聞いた時よりも、昼休みに芹が七海にチョコクッキーをあげてる――しかも手作り――のを見て、胸が切り刻まれるように痛んで苦しくて。でも。
俺だけなしなんじゃなくて、俺だけ特別だったんっだ――
そう分かって、俺はそっとフォークを手に取る。
「食べていい?」
「うん、温かいうちにどうぞ」
ぱっと瞳を輝かせて頷いた芹を見て、微笑む。
「いただきます」
そう言って、フォンダンショコラにフォークを差し込むと、中からとろ~としたチョコが溢れてくる。口に含めばチョコの濃厚な香りが口いっぱいに広がって、甘さと苦さが絶妙な風味になっている。
「うまっ……」
感激に言葉をあげれば、芹はこの上なく嬉しそうに微笑むから。
「芹」
愛おしい名前を呼ぶ。芹の左手を掴んで引き寄せ、振り仰いだ芹の唇に顔を傾げて自分の唇を重ねた。
「好きだ、ありがとう」
約1年ぶりに書いたので、登場人物のキャラが多少変わっているかもしれません。
違和感などなかったでしょうか…?
松岡のヘタレっぷりは健在ですが、なんとか最後頑張りました(笑)
楽しんで読んで頂けれたなら嬉しいです。
また何かの機会に番外編を書けたらいいなと思います。
みなさまも素敵なバレンタインをお過ごしください~




