第二十話 白い井戸の匂い
角は、昼前に曲がった。
曲がった報を、アリアが杭の線の途中で掴んだ。掴んだ顔が、槍を抱えたまま学院へ走る。赤髪が粉と Sweat と乾いた風で一色濃い。濃い匂いが、門の五樽の湿った木を殴る前に、彼女の声が先に落ちる。
「小屋だ。尾が監視小屋の白い井戸を嗅いでいる。嗅いだ鼻が、底の殻と同じ甘さを知った。知ったあとに、頭が学院のほうを向いた。向いた。方向が定まった」
定まった。杭の線が、水を止めた直線と同じ手で学院へ続く。続く先を、キリカが本数に足した。足した声が、柱の陰で短く切れる。
「誘導が終わった。終わった線の先は旗だ。旗を見ろ、の命令が、尾の目になる。目になるまで、あと半日。半日で視界に入る」
視界に入る。緊急の下書きが有効になる条件だ。条件を、リリアは門の上で一度だけ繰り返した。繰り返す金髪は結い直してある。結い直した Sweat が、名目の切れた旗を一日分先に消耗している。
「視界に入るまで、門は閉じない。閉じれば手続きが先に走る。走らせないために、父上の空白を使う。空白のあいだ、客は外。外の客が旗を見るな」
見るな、を、外套の男が敷居の外で笑って受けた。笑いは、もう商人のそれではない。ない角の手前で、手の顔が半分出ている。
「方向が定まった。定まった影は、半日でお前の旗を見る。見たあとに斬っても、空の井戸は戻らない。戻らない水位を、机が配る。配る印は、戦争ではない」
戦争ではない。保護の語が、成体の方向と一緒に門へ落ちる。落ちた語を、クラッドが内から拾う。香水は薄い。薄い口が、五樽の残を知っている。知っている顔で、彼はリリアの貼りついた胴衣を見る。見る位置は、右隣のつもりをまだ捨てていない。
「下書きを有効にしろ。有効にした門を閉じれば、尾は予備の内側の話になる。内側の話を、団長の Sweat で止められると思うな」
「有効は視界だ」セレナが短く切った。「視界の前に閉じれば、閉じた側が先に手続きになる。手続きを、防衛卿は書いていない。書いていない空白のあいだ、五樽は外の在庫。在庫の減少を、帳面は追記する」
追記。昼のうちに、門の外の樽は四になった。四は二百四十リットル。印のない喉が、方向の定まった報をまだ半信半疑のまま減る。減る水を、帳面は正確に書いた。搬入なし。減少一。印なし。円筒は戻らず。
トオルは六袋の残を、剣の届く距離でリリアに見せた。見せる数字は、山へは出られない、のままだ。出られない代わりに、小屋の白い井戸までなら、数字の上では半日で届く。届いても、成体は斬れない。斬れない人数を、彼は口に出した。
「八人では、尾を止められません。止められるのは、視界に入ったあとの門だけです。門を閉じる語が、緊急の下書きです」
「下書きは父上の引き出しにある」リリアが言った。言う声は、嫌いだ、の熱を残している。「引き出しは、視界の報と一緒に開く。開くまで、棚の紙を増やすな。増やした紙は、すでに医箱にある。ある紙を、改修屑にはできない」
できない。物証は七枚のまま固定されている。固定された棚の前で、ミレイユが空の縁を一度だけ見た。見た底に、自分の顔は映らない。映らない井戸が、試めしの継続として神官正の口から落ちる。落ちる加護を、彼女は計量の紙で否定し続ける。
夕、甘い臭いが監視小屋の方向から強くなった。
強くなった風を、アリアが鼻で嫌った。嫌った顔が、槍の石突きを地面に突く。
「小屋の殻を、全部嗅いだ。嗅いだあとに、動かなくなった。動かないのは、夜を待っている。夜に歩く尾は、音が小さい。小さい音で、半日を削る」
半日を削る。視界は、明朝か、真夜中だ。真夜中を、キリカが本数の最後に置いた。置いた声が、初めて名前の手前で長く止まった。
「呼ばない。呼ぶと、保護が先に走る。先に走った手続きが、旗を内側に入れる。入れたあとに斬っても、水位は机のものだ。机のものを、空の顔と鎖の外れだけではまだ呼べない。呼べないあいだ、半日を門で稼げ」
稼げ。名目の切れた門が、緊急の下書きを待っている。待っているあいだに、四樽が門の外で熱を返す。返す熱は救済の顔のまま、学院の印を持っていない。持っていない水が、尾の接近を知らない喉を予約している。予約の向こうで、監視小屋の白い井戸は嗅がれたあとの静けさにある。静けさが、方向の定まった成体の夜の全文だった。
リリアが影でトオルを止めた。止めた距離は、指定どおり剣の届く長さだ。金髪の Sweat が頰に張り、門でも会議でもない夜の熱になっている。
「六袋では、小屋へも間に合わない。間に合わない代わりに、視界の報を一番に取れ。取った報で、父上の引き出しを開けさせる。開けた紙が、門を閉じる。閉じた門の内側で、旗は斬る側に戻る」
戻る。クイーンビーの仕事が、止める旗から、閉じる旗へ移る直前だ。直前の夜に、誰も魔王とは呼ばない。呼ばない沈黙が、第二十の夕の全文だった。
――第二十話 了――




