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イヴ・メモワール ―隔離された台湾―  作者: アニキ
第二章:本物の闘い、はじまる
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とんでもない贈り物

「悪いわね、待たせちゃって!」バタン!と勢いよくドアが開け放たれ、一人の女性が飛び込んできた。


「わあぁっ!」ユエは驚きのあまり、ソファから飛び上がりそうになっていた。


「いやぁ、あの長老たち、話が長くてねぇ。追い払うのに手間取っちゃったわ」


 な……何、この人は。

 彼女が部屋に足を踏み入れた瞬間、強烈なプレッシャーが押し寄せてきた。空気が燃え上がるような熱量。それは天上の放っていた、周囲を凍結させるような重圧とは正反対の質のものだった。


「あの、あなたは……?」


「あなた筱玥シォユェね? はは、ごめんね、驚かせちゃって」


「はい、ユエっとお呼びください。失礼ですが、どちら様でしょうか」


「ユエね、わかった。あたしは苓蘭レイランよ。ここの連中からは『大王女』って呼ばれてるわ」


「レイラン……様」


 レイラン。

 太っても痩せてもいない、標準的で引き締まった体型。身長は165センチほどで、年齢は三十代といったところかしら。

 その身なりは、驚くほど普通だった。どこにでもある白いシャツに、これまた普通のデニムジャケットとジーンズ。足元は履き古したスニーカー。肩まで届くボブカットの髪に、整ってはいるがこれといった特徴のない五官。

 一言で言えば、市場で夕食の食材を選んでいる主婦と言われても誰も疑わないほど、徹底的に「普通」なのだ。

 口調も、よく言えば自然体、悪く言えば無頓着。一見しただけでは「この人が指導者?」と首を傾げてしまうだろう。


 だが、初見にもかかわらず、一目でもわかる、それは外見だけの話。

 彼女から自然と溢れ出す、周囲の空気を焼き尽くさんばかりの圧迫感は、まるで太陽そのものだ。地獄の底まで照らし出すかのようなオーラ、背後に後光すら見えるような錯覚。

 もしこの世界に魔王に挑む「勇者」がいるとすれば、それは彼女のことを指すのだろう。そう確信させるほどの聖なる輝きが、彼女には備わっていた。天上とはまさに極端な対極に位置する存在だ。


「レイランでいいわよ。様なんて付けないで、気持ち悪いじゃない」


「そ、そんなわけには……」


「んー……じゃあこうしましょう。親しい連中はあたしのことを『小春こはる』とか『はる姉ぇ』って呼ぶわ。あなたもそう呼びなさいな。年齢的にもちょうどいいでしょ?」


 春、か。確かに彼女は春を連れてくる風のような雰囲気を持っている。


「は、はい! 春姉……春姉ぇ……」


「ははは! なによそんなにカチカチになっちゃって。もっとリラックスしなさいな」


 レイランが歩み寄り、ユエの頭を撫でた。するとユエは、なんとも嬉しそうな、とろけたような表情を浮かべた。


「はい、春姉ぇ……」


 まずいわ。この人、相当タチが悪い。

 まだ会って数分だというのに、ユエはもう尻尾を振る子犬のように懐いてしまっている。これでは主導権を完全に握られてしまうわ。

 けれど、理解はできる。この人は本当に、温かな陽光そのものなのだ。五感を持たないわたしでさえ、何らかの錯覚を起こしそうになる。人間の天性の魅力カリスマがここまで強いとは。これもある種の超能力なのかしら。


「この子たちがゾゾとユユね?」レイランはソファで爆睡しているクソガキ共を指差した。


「あっ、ご、ごめんなさい! こんな場所で寝ちゃうなんて……すぐに起こします!」


「いいのよ、寝かせておいてあげなさい。それに言ったでしょ、そんなに畏まらなくていいって。自分の家だと思ってくつろぎなさいな」


「は、はい……」


 そう言うと、レイランも無造作にソファに腰を下ろした。セントラルが言っていた通り、実に豪快で大らかな人だわ。……いや、大雑把と言うべきかしら。


「さて、あたしも時間がないから、単刀直入にいきましょう。あなたたちは天上から紹介されたわ。きっと何か凄い人物なんだろうと思っていたけれど……」レイランは腕を組み、ユエを上から下まで値踏みするように眺めた。


「あたし、そんな凄いところなんて……」ユエは恥ずかしそうに俯く。


「ええ、見たところ超普通ね。なんだか親近感が湧いちゃうわ」


「がっかりさせて、すみません……」


「そういう意味じゃないわ。逆にもっと興味が湧いてきたのよ。天上が理由もなく、こんな普通の女の子をあたしに紹介するはずがないもの。もっと好奇心がそそられるわ……まさか、天上って巨乳好きなのかしら?」


 この女、口に戸締まりというものがないのかしら。わたし以上に過激な発言をするわね。


「ええっ……?」


「冗談よ。おそらく天上にしか見えていなくて、あたしには見えていない部分があるんでしょうね。残念ながら、今のあたしにはあなたの特殊な部分は見抜けないけれど」


「あたしは、ただ……」


「だからこそ気になるのよ。あなたの一体どこが違うのか。なぜ、あの天上に気に入られたのか。まあ初見じゃ仕方がない、時間を置きゆっくとと観察させてもらうわよ。」


 なに?まさか軟禁するつもじゃないでしょうね。


「あの、失礼ですが……天上さんは、ここの高官か貴族の方なのですか?」


「んー……表向きは、あいつには何の職位もないわ。特殊な身分もない。ただの一般人よ?」


「表向き?」


「ええ。それ以上知りたいなら、残念ながらあたしの口からは言えないわね。知りたければ自分で天上に聞きなさいな」


「そうなのですか、残念です……」


「ふふ、あなた。あいつに一目惚れしたでしょ?」


「ええっ?! なぜ分かったんですか?!」


「あたしもあいつのこと大好きだからよ。天上の話をしている時のその顔、昔のあたしとそっくりだもの。それにこの数年、あなたみたいに天上に落とされた女を腐るほど見てきたから、すぐに分かるわ」


 まさかの女だらし?!


「えっ、本当ですか?!」


「ええ! それで、何が知りたいの?ん?」


「天上さんの趣味が知りたいです!」


〈ちょっと待ちなさい、ユエ! 何をやってるの?! そんな無駄話は後よ、今は情報!情報が先でしょう!天上がわたしたちを引き合わせた理由さえ分かっていないのに、女子会トークをしている暇なんてないわよ!〉


「ふむふむ、趣味ねぇ。あたしの知る限りじゃ……」


「あ! ご、ごめんなさい! その話はまた後での楽しみにとっておきます。まずは、なぜ天上さんがあたしたちを紹介したのかを知りたいんです」


「ああ、そうね。理由か?……ないわよ」


「えっ?」


「ただあなたに会えって、それだけ。あいつはただ、あたしに『できる限りあなたの力になり、望みを叶えてやれ』って言っただけ。理由は何も話してくれなかったわ」


「ええ……どういうことでしょう?」


「あたしにも分からない。けれど、天上の頼みとあれば、公私ともに断る理由はないわ。さっきも言った通り、あたし自身もあなたに興味が湧いたしね。必要なことがあれば、できる限り力になるわよ」


「あ、ありがとうございます!」


「ええ、じゃあ次こそがあなたにとっての本題ね。あなたの事情と、要望を聞かせてもらいましょうか」


 ――ぐぅぅぅ~……。

 その時、妙な音が部屋に響いた。レイランとユエは同時に音の源へ視線を向ける。


「あの、すみません……お腹が空いちゃって……」


「なに、あなたたちまだ食べてなかったの?セントに先に食事をさせろって言っておいたはずなんだけど!セント!セント!!」


 レイランは叫びながら入口へと駆け出していった。

 ……忘れていたのかしら、あの執事。


 #


「本当に申し訳ありません、ユエ様。これは私の失態です。食事という重要な事項を完全に失念しておりました」


 その後、わたしたちはセントとレイランに連れられ、城内の食堂のような場所へ移動して食事を摂ることになった。


「いいわよ、気にしないで。セントラルも一緒に食べない?」ユエは、隣に立ってしきりに謝罪を繰り返すセントラルに声をかけた。


「い、いえ、私のような者が……」


「セント、あんたはいつまでその下男みたいな態度を続けるつもり?ここには身内しかいないんだから、座って食べなさいな」レイランが手招きして、無理やり彼を座らせた。


「はっ、姫様の仰せのままに」セントは大人しく指示に従った。


「もう……何度も言ってるでしょ、姫様って呼ぶのはやめて。あたしもいい年なんだから、聞いてて恥ずかしいわよ」


「姫様は私にとって、いつまでも小さくて可愛らしいお姫様なのです!」


「何が可愛いよ! あたしはもう三十過ぎなの、あんたが恥ずかしくなくてもあたしが恥ずかしいわ!」


「お嬢様がたとえ百歳になられたとしても、私にとっては……」


「ストップ、ストップ! あんたと口論するのは疲れるわ!」


「あ、あははは……」二人の言い合いを眺めながら、ユエが困ったように笑っている。


「ユエお姉さま、春姉ぇって本当に面白い人だね」ユユがミートソースパスタを頬張りながら言った。


 ったく、食事中くらい静かにできないのかしら。少しはゾゾを見習いなさい……。


「ハフッ、ムグッ、うますぎ……ガツッ!」


 ……取り消すわ。ゾゾはナイフ、フォーク、箸を総動員し、挙句の果てには手づかみで猛烈に食らいついている。なんて行儀の悪い食べ方かしら。


 それにしても、ここに出てくる料理は実に見事ね。「方塊酥スクエアクッキー」に「鶏肉飯ジーロウファン」。あたしには味覚がないけれど、見ているだけで美味しそうなのが分かるわ。

 そして驚くべきことに、ユエはなんと五人前を平らげた。イヴ・システムの影響で大量のエネルギーを補給する必要があるとはいえ、一体あの体のどこに消えていくのかしら?排泄にも問題なさそうだが、実に不思議だわ。


 昼食は和やかな雰囲気で進んだ。ユユがしきりにレイランに話しかけ、レイランも「ユユのワンピース、可愛いわね」とか「この料理は何て名前なの?」とか、挙句の果てには「ユエの胸が大きくて羨ましいわ」なんていう、実に他愛もない世間話に付き合っていた。……隣にセントラルが座っていることを忘れているんじゃないかしら?


「姫様、そろそろお時間です……」セントラルが立ち上がり、告げた。


「おっと、3時から会議だったわ。ユエ、ごめんね。セントが食事をさせていないなんて思わなかったから、時間がなくなっちゃった。でもチャンスはこれからもたくさんあるわ。その時にまたゆっくり話を聞かせて。あたしは先に行くわね」


 レイランも席を立ち、食堂を出ようとする。


「はい、今日はありがとうございました、春姉ぇ」


「ええ。あとセント、あんたは天上の意向通りにしなさい。あたしに遠慮はいらないわ。あたしも、これがあんたにとって良い機会だと思っているから」


「承知いたしました。天上様と姫様のご下命通りに。実を言えば、私個人もユエ様には少々興味が湧いております」


「あんたまで……。ユエ、あたしにはまだ何も見えないけれど、やっぱりあんたには何か特別なものが備わっているのね」


 レイランは入り口で足を止め、セントを振り返った。「じゃあ、あとは任せたわよ、セント」


「安心してお任せください」


 セントが深く一礼し、レイランは去っていった。

 レイランを見送った後、セントは席に戻り、ユエに向き直った。


「さて、ユエ様。まずは環境に慣れていただく必要があります。私がこの嘉義城をご案内いたしましょう」


「セントラル。春姉ぇがあなたのことをセントって呼んでたから、あたしもそう呼んでもいい?」


「もちろんです。むしろそう呼んでいただきたい。天上様も、親しい人から全員も、私をそう呼ばれますから」


「それじゃあセント。さっき、あたしに興味があるって言ってたけど、どうして?」


「あの天上様があなたを特別視されている。あなたが他の方と何が違うのか、非常に興味深いのです」


 なるほど、レイランと同じ理由ね。わたしはてっきり、ユエが外界から来たことや、頭はおかしい……失礼、チップが入っていることがバレたのかと冷や冷やしたわ。


「そうなのね。それで、天上さんに命じられたことっていうのは?」


筱玥シォユェ様、佐方ゾファン様、佑芳ユファン様、お三方の身辺警護、および最大限のバックアップです。仁義道徳に反すること、あるいは人類に不可能なこと以外であれば、どのようなことでも私に命じてください」


「えっ? それって、つまり……」


「簡単に申し上げれば、ユエ様、ゾゾ様、ユユ様お三方のボディーガード兼執事、ということです」


「ええぇぇぇーーーーーーっ?!」


 う、嘘でしょう? なにこの大盤振る舞い。何の貢献もしていない、それどころか来たばかりのあたしたちが、これほどの贈り物を受け取っていいはずがないわ。


〈ユエ! 嫌な予感がするわ。理由もなくこれほどの援助を与えるなんて、絶対に裏がある!〉


「……条件はないの?」


「ユエ様、唯一の条件は、私をこの嘉義・雲林一帯から連れ出さないことです。もちろん、それは私に限った話であり、お三方の行動を制限するものではありません」


「なるほど、あなたを連れ出すのはダメってことね。春姉ぇのデッドラインかしら」


 その可能性は高いわね。セントとレイランの態度を見れば、二人に深い絆があることは一目瞭然だわ。となると、セントの助けは限定的なものになる。わたしたちの目的を果たすためには、ここを離れる必要があるのだから。


「いいえ、それは私が自分に課したものです。実のところ、姫様も天上様も、むしろ私がここを去ることを望んでおられます」


「えっ? それはどうして……」


「申し訳ありません、ユエ様。その理由については、今はまだお話しできません。とにかく条件はそれだけです。それ以外であれば、大抵の要望には私の権限でお応えできます」


「姉貴、僕新しい服が欲しい!」なんと、ゾゾが遠慮もなしに口火を切ったわ!


「お姉さま、こんな都会でこんなボロボロの服……なんだか恥ずかしいよ」


 な、何を言っているの! そんな風に甘えてしまったら、後で断れない要求をされた時に困るでしょうが!


「ゾゾ、ユユ! ダメよ、そんなことしちゃ。これ以上迷惑をかけたら……」ユエも当然、問題の所在を理解して制止しようとした。けれど……。


「はははは! ゾゾ様、ユユ様、構いませんよ! この嘉義・雲林の内であれば、望むものは何でも用意いたしましょう!」


 セントの豪快な笑い声は、クソガキ共の図々しい要求を本気で気にしていないようだった。


「本当にありがとうございます、セントさん!」ユユが嬉しそうに椅子から飛び降りた。


「それでは出発しましょうか。ユエ様、いくつか良い店をご案内しましょう!」


「え、あ……ちょっと、待って……。わぁっ! ゾゾ、ユユ、待ちなさいってば!」


 ああ! クソガキたちに強引に引っ張られていく!子供を利用するなんて……これは厄介なことになったわね。天上、レイラン、そしてセントの意図が読めず、この嘉義城で何が待ち受けているか、任務をどう果たすべきかも分からないのに、このままでいいのか?

 しかし、台湾に足を踏み入れて一ヶ月余り。わたしたちは初めて、確かな「安全」というものを感じていた。少なくとも、澎湖ほうこにいた時のようにコソコソと隠れる必要も、周りに敵だらけの状態も、もうないのだから。

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