絶対優先
C.E.2063_04/29_20:32
現在、わたしたちは赤崁に近い樹林の中に辿り着いているが、道中はずっと無言のままだった。入院期間中、クイ兄は逃走計画の相談と、ユユとゾゾのユエに対する信頼を育むために、毎日二人を連れてユエとお喋りをさせていたが、知り合って一ヶ月も経たないため、どうしても生どかしさが残る。特に今の二人は、お喋りを楽しむような心境ではないのだろう。
通樑から赤崁までの直線距離はそれほど遠くないが、わたしたちは海岸沿いに大きく迂回し、いくつもの林を抜け、点在する建物や小さな村を避け、巡回する自衛隊をやり過ごさなければならなかった。途中で何度も立ち止まり、遠回りを繰り返した結果、直線なら2、3時間の道のりに8時間も費やすことになった。
今、ゾゾとユユは林の中に身を潜め、クイ兄が用意してくれた保存食をバックパックから取り出して、お喋りをしながら食べている。その隙に、林の縁から前方の建造物を観察しているユエへ、ようやく話しかける機会が巡ってきた。
〈なあ、スマホの件はどういうこと?〉
「あ、イーちゃん、気づかなかったんだね。あたし、まだ小船にいた頃にすべてのリボンを結んでバッグの中に入れておいたんだよ。外側にも一つ、ほら見て」 ユエはバッグを目の前に掲げ、ファスナーの部分に結びつけられた結び目を見せてきた。
リボン?ヘアバンドのことか。確かにこんな形にしたらリボンに見えるな。
〈はあ? いつそんなことを。わたしは知らなかったわよ。〉
「船の上で目が覚めた時だよ。まだクイ兄たちに見つかる前」
なるほど。もしユエが事前にこうしていなければ、没収されたとき、バッグは焼き尽くされるはず。将来的に不必要なトラブルを招いたり、怪我を負ったりしていた可能性もある。ユエにこれほどの先見の明があるとは、驚きだ。
「だって、お風呂上がりに毎回リボンを結び直すのって面倒でしょ? 結び方を覚えているうちに一気に全部やっちゃおうと思ったんだよ」
……感心した矢先にこれだ。ただの面倒くさがりじゃないか。
〈 とにかく、スマホを持ち続けるのは危険よ。隙を見て処分しなさい。〉
「えーっ? 嫌だよ!」
〈クイ兄たちの話を理解してないの? 万が一の事故で発火したらどうするつもり?〉
「リボンがあるから大丈夫でしょ?」
〈それでも危険はあるわ。もしリボンが紛失したり、変形したりしたらどうするの?〉
「そんなこと言ったら、この大きなバックパックだって捨てなきゃいけなくなるじゃない」
〈問題は発火だけじゃないわ。一番重要なのは、見つかるリスクよ。現にクイ兄にはバレたじゃない。もし敵対的な人間に見つかったら、それこそ命取りよ。バックパックの仕組みは中身を全部切り裂かない限り外見からは分からないだろう、スマホの危険性はそれより遥かに高いわ。〉
「嫌、嫌だ! この中にはあたしの凄く大事なものが入ってるんだから。もし無くなったら、あたしもう生きていけない!」
この子は……。まあ、いいわ、勝手になさい! どのみち、わたしは何もできないし。
この時、ユユとゾゾはこっちに近づいてきた。
「わたしたちの目標は赤崁まで行って、おじいちゃんが手配してくれた人と接触し、そこから船で台湾本島へ渡ることだよね?」ユユが言いながら、クイ兄が描いてくれた簡易地図を指差して確認してきた。
クイ兄の計画によれば、概要はこうだ。北側の海岸沿いに移動し、中央に点在する集落を避けて、外国人を狩る過激派に見つからないように赤崁へ辿り着く。そこから現地の船で本島の嘉義を目指す。
この地図、絵面は適当だが、相対位置だけがかなり正確的に描いている。少なくともわたしの20年前のマップとだいたい合致してる。
「ユユ、まずはここをどうやって通り抜けるか考えなきゃ」ユエは目の前の廃墟を見つめて言った。
この沿岸部から急に建造物が増えてきた。大きな村に近いのだろう。わたしたちは検問を避けるため、かつての赤崁の中心地へと迂回した。当然、そこもとっくに廃墟と化している。
「廃墟にはもう誰もいないと思ってたけど、まさか軍事基地にされているなんて」
廃墟の至る所に、刀や剣を携えた村人たちがいる。明らかにここを拠点、あるいは訓練場として利用しているようだ。ここは北へ向かう主要通路の一つであり、天然の防御要塞としても機能している。
「お姉さま、ここを通り抜けたとしても無駄だよ。赤崁の廃墟は真ん中あたりから、高い柵で仕切られているから」ユユは廃墟に指差しながら言う。
何ですって?台湾版のベルリンの壁でも作ったつもり?けれど、防ぐなら南側を防ぐべきじゃないの? なぜ前線からこれほど離れた場所で、まるで身内を拒絶するかのように仕切っているのかしら。
「あ、お姉さまは知らないんだね。2ヶ月前、南の連中がここまで攻めてきたんだよ」
何?!そんな近くまで攻め込まれていたの! 誰も教えてくれなかったわ。ここに大勢の人間がいる理由はこれだったのね。
西嶼との唯一の連絡橋は爆破され、白沙のほぼ半分が占領されている。残された最北端の者たちは塀の向こう側に孤立している。これでは遅かれ早かれ全滅してしまう。戦況がこれほど絶望的なのに、なぜクイ兄たちはあんなに平然としていられたのか。
いいえ、平然としていたのはクイ兄とあの医者だけだったのかもしれない。わたしたちはあそこで1ヶ月近く過ごしたが、彼ら以外の人間に直接会うことはなかった。情報収集を少数の意見だけに頼るべきではなかった。もっとも、ユエのような外国人の存在が知れ渡れば、デメリットの方が大きかったでしょうけれど。
でも、そうなると、目的地である港はすでに南側の占領下にあるのではないか。クイ兄がこの状況を知らないはずがない。だとしたら、なぜこんな計画を立てたのか。
「でもお姉さま、わたしたちなら解決できると思う」ユユは自信に満ちた様子で胸を張った。
「へへっ、昔は毎日、白沙中を駆け回ってたんだ。ここらへんのことは詳しいよ!」ゾゾも興奮気味に言った。
主目的は二人を逃がすことだが、確かに彼らは頼りになる。二人が解決できるという言葉に疑いはない。問題は、どうやって解決するかだ。
わたしたちは慎重に廃墟へと潜入し、二人が言っていた巨大な柵の前まで近づいた。
現在、柵までの距離は約500メートル。柵の全容がはっきりと見えるようになったが、廃墟内は柵に近づくほど人が増えている。ここが限界ね。
ところで、二人はこれを「柵」と呼んでいるけれど、これはどう見ても鉄筋コンクリートの壁よ。しかも想像以上に高く、ベルリンの壁の倍以上の高さはある。ユエが自力で乗り越えるのは不可能だ。不可解なのは、彼らは電子機械設備を失っているはずなのに、どうやってこれほどの規模の建造物を作り上げたのかということ。まさか、これも超能力なの?
とにかく、今は民兵がひしめくこの廃墟を通り抜けなければならない。そして、二人の能力はまさにこの状況で発揮される。
「姉貴とユユ、しっかり掴まって!」ユエが反応する間もなく、ゾゾが唐突に彼女を抱き上げた。一方、ユユは手際よくゾゾの背中に飛び乗り、ぴたりと吸い付いた。
わあ……6歳も年下の男の子に「お姫様抱っこ」をされるなんて、ユエはどんな気分かしらね。
「えっ? あああ?!?!」ユエが悲鳴を上げた。
その悲鳴は抱き抱えられたからではなく、目の前に突如として円形の黒い穴が出現したからだ。強烈な引力と気流が周囲のものを飲み込もうとしている。
次の瞬間、わたしたちは壁の前に出現した。500メートルの距離を、一瞬に。
「今、何が起きたの?!」
「『絶対優先』だよ。姉貴が僕たちの超能力につけてくれた名前、忘れちゃったの?」
「絶対優先」
実は、その名を付けたのはわたしであり、彼らもそれを気に入っていた。わたしもまだ正確な原理は把握していないし、クイ兄も詳しくない。二人自身ですら、どういう理屈かは完全には理解していないようだ。しかし、何度か観察し、彼らが過去に行ってきたことを聞き取った結果、彼らの能力は「物理現象への干渉」であると推測した。
非常に抽象的な表現だが、全貌を解明できていない以上、そう説明するしかない。 彼らの能力は、彼ら自身が理解できる物理原理のすべてに干渉できるようだ。先ほどの瞬間移動は、空間への干渉の結果である。彼らに干渉された現象は、約5秒間維持される。ゾゾは先ほど空間を干渉し、特定の範囲の空間を歪めて結合させた。その状態を維持できる5秒間のうちに、その干渉現象を潜り抜けることで瞬間移動の効果を得る。
瞬間移動と言えば分かりやすいが、本質的にはワームホール理論に近い。当然、彼らはそんなことは知らない。ワームホール理論に近いから、時間への干渉が可能かも疑ったが、彼らは否定した。科学的理論で解釈することは今のところ無理だが、とにかく凄まじいちからだ。
もちろんそれだけではない。5秒間の飛行、地面への潜行、壁の透過なども可能だ。さらに、既存の物質の材質を変化させることもできる。わたしたちが横たわっていた金属製の病床を石に変えたこともあるし、光の屈折を干渉して姿を消すことさえできる。要するに、あらゆる物理原理において、既存の法則を無視し、自分が意図する現象を「優先」させることができるのだ。
だからこそ、わたしはこれを「絶対優先」と名付けた。実に理不尽な能力だ。さらに、異なる効果を同時に発動させることさえできる。ゾゾがユエを抱き、ユユを背負いながら自由に動けるのは、それも重力を干渉した結果だろう。それを維持したままワームホールを開くのだから、規格外と言う他ない。
一見すると無敵だが、弱点も存在する。 まず、効果が5秒間しか維持できないこと。5秒が過ぎれば、干渉されたものは元の状態に戻る。あの病床も5秒後には石から金属に戻ったし、先ほどのワームホールの門も5秒しか維持できない。
次に、干渉範囲の問題だ。彼らが視認できる、あるいは感じ取れる範囲に限られる。そうでなければ、とっくに本島まで直接瞬間移動させている。
そして理解力だ。彼らはまだ幼く、正統な教育も受けていない。この世界には彼らがまだ理解していない法則が数多く存在する。理解できない事象には干渉できないのだ。例えば、コップの水を溶岩に変えるよう求めても、本物を見たことがない彼らにはそれをイメージできず、変化させることはできない。
また、生物への干渉もできない。生物の構造があまりに複雑なため、その法則を覆すイメージを持つのが困難なのだろう。クイ兄が「ユエなら二人に勝てる」と断言したのは、彼らが生物に直接干渉できないからだ。ユエの超速度は彼らの理解と反応を遥かに凌駕している。発動する前にねじ伏せられるか、発動されても回避できる、というのがクイ兄の見立てだ。
それでも、わたしはユエが勝てるとは思えないけれど。
病院でユエがこの推測を説明した際、クイ兄は目を丸くして驚いていた。「ユエを選んで正解だった」と独り言を漏らしていたけれど、ユエがわたしの言葉を代弁しているとき、何を言わされているのかさっぱり分かっていなかったのではないかしら。
「……病院で瞬間移動を見ていた時はカッコいいと思ったけど、自分がやるとなると怖すぎるよ!」 ユエは驚き冷めやらぬ様子で言った。
「まだ終わらないよ姉貴。次は壁抜けだ」ゾゾが得意げに言う。
「えっ? うわあああ!」
ゾゾは何気ない動きで柵に向かってダッシュした。しかし衝突の瞬間、何の衝撃も感じなかった。まるで柵が最初から存在しなかったかのように、わたしたちはそこを通り抜けた。ユエが振り返ると、柵には何の損傷も変化もなかった。
「……凄すぎる。これ、魔法じゃない」病院で何度も見ていたはずなのに、ユエはその都度悲鳴を上げている。
〈 少し静かにしなさい。周囲は敵だらけなのよ! 〉現に、巡回中の人間が遠くからこちらへ向かってきている。
ここにいるのはおそらく南側の陣営の者たちだろう。幸い今は夜であり、至る所に燭台があるとはいえ照明としては不十分だ。そうでなければとっくに見つかっていた距離だった。それに、今更ながら気づいたけれど、今後こういう事をする時は、まず向こう側に人がいないか確認しなければ危なすぎるわ。今回は運が良かっただけ。
続いて、ユユが光の屈折に干渉し、わたしたちの姿を透明化させた。まるで全身に光学迷彩を施したかのように。そのまま、わたしたちは前方の廃墟へと駆け込んだ。
「お姉さま、次はどうする? どこに行けばいいか分からないよ」ユユは廃墟の窓の下にうずくまり、ユエを見上げて言った。
港にはかなり近づいている。クイ兄が手配した人物もこの近くに潜んでいるはずだ。
「えーと……クイ兄が言うには、その人は頭に赤い頭巾を巻いているって」ユエは記憶を掘り起こして答えた。
「こんなに暗いのに、どうやって見つけるの?」ゾゾが首を傾げながら尋ねた。
「わたしに考えがあるよ」ユユは本当に頼りになるわね。わずか5分早く生まれただけで、どうしてゾゾとこれほど差が出るのかしら。
ユユはゾゾとユエを連れて廃墟の入り口まで移動し、ゾゾの耳元で何かを囁いた。それから窓から顔を出してゆっくりと周囲を観察し、空を仰いだ。
突如として、上空一面に強烈な光が放たれた。いや、実際にはそれほど強烈ではないのかもしれないが、あまりに急激な光に目が適応できない。
待って、これは……何!? 空気が熱い!いや、わたしには温度を感じられない、ただ周囲の空気が急遽に温度が上がり、わずか歪曲されたから、見ただけでも熱く感じる。
そしてゾゾが迅速にユユとユエを抱きかかえ、外へと飛び出し、一気に廃墟の屋上へと舞い上がった。
信じられない……。これはあまりにデタラメよ……。ユユは、上空に「小型の太陽」を作り出したというの?!
「見つけた!」
屋上に着地したゾゾは、わたしたちを降ろすとすぐさま屋上の縁へ駆け寄った。どうやらすぐに標的を捉えたようだ、運がいい。ユユの狙いは、まず光を放ち、次にゾゾは高い位置へ飛び、赤い頭巾の人物を探させることだった。そして彼らは見事に成功させた。
しかし……。ユユは冷静沈着だと思っていたけれど、やはり表面上が落ち着いているだけだったのかもしれない。彼女は後先を考えていないわ。案の定、柵の付近にいた者たちはこの突如とした強光に腰を抜かしている。たとえ5秒だけでも、彼らは大混乱に陥るだろう。
「ユユ! こんなことをしたら、わたしたちまで危なくなるって分かってないの?」ユエが声を潜めて叱責した。
「え……ごめんなさい、わたし……そこまで……考えて……」
所詮は子供……いいえ、子供云々の問題ではないわね。この年齢なら後先を考える知恵は備わっているはずだもの。けれど、一瞬でこれだけの戦術を思いついたことは、この年齢にしては賞賛に値する。詰めが甘かったのは残念だけれど。
「わたし……」ユユは最後まで言葉を紡ぐことなく、その場に倒れ込んだ。
「えっ? ユユ!?」ユエが慌てて彼女を抱き起した。
「ユユ! どうしちゃったんだよ!」ゾゾもすぐさま屋上の縁から駆け寄ってきた。




