黒猫クロの大冒険 2
大恩あるキジ猫のおじちゃんを離れ山であった自殺しそこなった青年、兄ちゃんの家に来た僕、黒猫クロまだ0歳。兄ちゃんは僕を風呂に入れ食べ物もきちんとしてる。兄ちゃんと自動車で買い物に出かけ車内で待っていると女の子がやって来る。そこに男が女の子に近づき嫌がる子を連れて行く。帰って来た兄ちゃんが車を開けたドアから飛び出て男を追い詰め一件落着。その後も正月に彼の姉ちゃんが帰って来たり、近所の家が火事になる所を知らせたりして僕は少し有名になったけど、寒くなって山に残ったキジ猫おじちゃんがとても心配。何としてもおじちゃんを寒さから救いたいと考えるが・・・
僕は兄ちゃんの車に乗せられ、着いた所がここだった。兄ちゃんに体を掴まれカチャカチャ鍵を開けて「ほれクロ着いたぞ、ここが俺とお前のこれからの住まいだ。気に入ろうがそうでなかろうがここしか俺の住まいはないんだ。死んだ父ちゃんと母ちゃんの残してくれた唯一の家なんだ」と言われた。
僕はキョロキョロ辺りを見回した。そして第一歩をふみだした。悪くない、悪くない決して死にたくなるような所ではないのだ。
「クロ、ここがお前のトイレだ。他の所でするなよ」彼が言った。僕は兄ちゃんの顔を見て分かったよとニャーと一回鳴いた。
「お中空いたろう、まあ上がってこっちに来てみ、一応ドライフード買って来たけどよ、ま他にも色々買わされたからおいおいその内上げるよ」
僕は兄ちゃんの後から土間から続く廊下へ上がった。
「こっちこっち、こっちが台所、ここがお前の食事する所だ」兄ちゃんはそう言って二つ並べた皿の片方に水を入れ、もう一方へドライフードなるものを入れた。
「お前は今までネズミや虫を取って食べていたんだろうけど、今日からはこのドライフードを中心に食事するんだな。ま、気が向けば暖かくなって虫が飛んで来たら勿論取って食べても良いけどさ」
僕は兄ちゃんが入れてくれたドライフードに口をつけた。懐かしい味が蘇る。ドライフード、昔の家で本の少しの間食べた事がある。あの頃は母ちゃん猫と切り離されてあの山に捨てられるなんて考えてもいなかったな。あの時おじちゃんに出会わなければ僕はどうなっていただろう?おじちゃんには感謝しても感謝しきれないほどお世話になった。おじちゃんは今頃どうしているんだろう、イナゴの保存に精出してるかなあ、それとも僕の事思い出してぼんやり考えているかしらん。
「どうしたクロ、食欲ないのか?」おじちゃんの事をあれこれ考えてた僕を見て兄ちゃんが尋ねる。僕ははっとして又食べ始めた。お水も飲んだ。すべてが行き届いている。感謝のまなざしで兄ちゃんを見つめた。この人が自殺を考えていなかったら、あそこに来ていなかったら、僕はまだおじちゃんと二人で冬支度に追われていただろうなあ。
「それから、ここがお前の寝床だよ」兄ちゃんはそう言うと台所の向こう側の襖を開ける。
「これはなコタツ、ここで寝ても良いし、この隅の小さな洞穴みたいのが猫用ベッドだ。冬の間はどちらで寝ても良い。俺の布団で寝ても最高だよ、ハハハ」」
兄ちゃんはそのコタツなるものにどっかり座って横にあった新聞なるものを広げて読み始めた。
「フーンロシアもイスラエルもまだ戦争を止めないのか、困ったものだ。何でも武力で解決しようとして犠牲者が山のように出ても上の奴らは痛くもかゆくもないらしい」
兄ちゃんは大きなため息をつく。僕は傍らで暫く彼の愚痴を聞いていたけれど眠くなってコタツなるものに潜り込み暫し寝る事にした。コタツはあったかくて周りが囲ってあるからとても居心地が素晴らしい。これでここにおじちゃんがいてくれたらどんなに良いだろう。僕は半分夢見心地でおじちゃんに語り掛ける。
「ねえ、おじちゃん、如何して僕と一緒に来ないの?冬一人ぼっちじゃ寒過ぎない、寂しくない?ここには怖い父ちゃんもいないんだし、誰に義理立てしてるんだか。そこのお姉ちゃんにかな、それとも母ちゃん兄ちゃん達にかな?僕には分からないよ。何としてもこれから来る冬を乗り越え生き抜いて欲しい、ホントだよ、そしたら・・・そしたら僕はどうにかしてもう一度あの山へ行って、あの山へ行っておじちゃんにこの家に来るように説得する積りだよ」
水の音がして目が覚めた。コタツには兄ちゃんの姿はなかった。はい出てみたが部屋の中にも兄ちゃんの姿はない。どうも台所か他の所から水の音はするようだ。襖は締まっている。僕は自分の手を見つめた、野生で鍛えた腕だもん、この位のものを動かせないでどうする、と自分に問う。良し、やってみようじゃないか。わずかな隙間に手を差し込む。入ったぞ。エイヤーと力を入れて襖を押し開いた。自分の頭が入るくらい開けられた。ヌ~と体を滑らせて台所へと移動する。
そこに兄ちゃんはいたが、水の音は別の所でしていた。
「お、クロ、目が覚めたかい?良くあの襖開けらたなあ、さすが野良育ちだ、力が違うね。ああこの音ねこれはほら隣の風呂場で水を取ってる音だよ。早く風呂沸かしてお前の体を洗ってやりたいのさ」
「体を洗う?僕の体を洗うの?」僕は兄ちゃんの顔を見る。
「昔は猫は風呂に入れるもんじゃなかったけど、今はまず風呂に入れるもんらしい」兄ちゃんはそう言って作ったカップヌードルを啜った。何か美味しそうな匂いがした。
「これはお前は食べれないよ、猫には良くないものが一杯入っているからなあ。お前にはドライフードとか猫缶の魚とかそれを食べて大きくなるんだ。うん?もう少し大きくなると俺は思うよ」
「も少し僕大きくなれるかな,おじちゃんみたいに」僕は尋ねてみたが兄ちゃんにはニャーとしか伝わらなかったらしい。
「風呂が沸いたぞ、少し早いけどお風呂に入ってさっぱりするかクロ」兄ちゃんは僕を見た。「うーんそうだな、先ずはお前にピッタリの浴槽は・・・そうだ、母ちゃんが使っていたたらいがあったな、あれがお前にピッタリだ。あれでお前を洗おうかな。うん、それが好いな」
兄ちゃんは棚の上に置いてある色んなものから中でも大きいボールのようなものを引きずり下ろした。これがどうやらたらいと言うものらしい。
「どうだ丁度良いだろう、これにお湯を入れてそれからシャンプーをするんだ。良いか、大人しく好い子にしてシャンプーするんだぞ。けっして暴れたりしちゃいけないよ」
そう言うと脱衣場へ行って少し身軽になって来た。
「さあクロ、覚悟は良いな、ここに入れ」僕は良く分からぬままに、兄ちゃんの言うとりにそのたらいと言うものに体を入れる。
「よしよし好い子だ、今お湯をかけるからな」兄ちゃんはそう言うと洗面器で先ず一杯風呂桶から汲むと僕の体にかけた。僕は少しばかり驚いたけれど、あの川の水より温かいし量も多くなかったので、驚いた素振りは見せなかった。兄ちゃんはもう2、3杯お湯をかけてシャンプーを僕の体に振りかけた、
「それでさごしごし洗うんだ。うん思っていたより汚れていないなあ、誰かに手入れをしてして貰っていたのかなあ」
そうおじちゃんなる猫が居て互いになめあっていたのさ、兄ちゃんは知らないだろうけど。兄ちゃんはくまなく泡立てて、それから白くもこもこしたシャンプー野郎を又お湯をかけて流し落とした。何回も、何回も。その後バスタオルで水分をごしごし拭き取るとそのままコタツに押し込んだ。
「しばらくそこに入って大人しくしてるんだ、俺が風呂から上がるまで」
こうして一大風呂事件は終わりを告げた。お陰で前より随分さっぱりした気分になったよ。これは兄ちゃんに感謝しなくちゃいけないな。兄ちゃんも僕が風呂を嫌わず大人しくシャンプーされたので非常に喜んだ。
「さてクロ、これからもっと大変な事をして貰わなくちゃいけないんだ」
兄ちゃんは僕を見つめる。何だろう?僕も兄ちゃんの顔を見つめる。
「近々獣医へ行ってさやらなくちゃいけない事があるんだ。注射もあるし、検査もある・・それよりもっと大変な事をしなくちゃいけないんだ。でも今日はここまでで終わり、良い子だったよお前」
そう言ってその日の話は終わった。
翌日兄ちゃんが居間の雨戸を開けて朝が来た。ここは居間だけど兄ちゃんはここの部屋しか使ってないから食堂であり寝室であり、はたまた仕事部屋にもなっている。
「今日は日曜で会社休みだからいるけどさ、明日から勤めに行くから、俺が帰って来るまで好い子で持っているんだよ」と兄ちゃんは言った。
「つ・と・め?」それは何かと兄ちゃんに尋ねたかったけど、どうせ僕の言う事理解できないから小さく肯いただけだった。
でもその日はお隣の仏間を見せてもらったよ。つまり、兄ちゃんの亡くなった父ちゃんと母ちゃんが無くなった後も忘れないように写真等を飾ってある部屋だ。それ以外に身支度するための部屋もあるがそこは小さい部屋だ。もう一つ階段があってどうも2階にも部屋があるらしかったが、彼は見せてはくれなかった。ま、明日がある、明日になれば僕は一人、自由に探索出来るのだ。それより今日は仏間や身支度部屋を探検しよう。仏間は扉の仕舞った仏壇だけが置いてあって後は襖で隠された押し入れだけですこぶる面白みに欠けるけどもね。でも彼の目を盗んでこの押し入れの中をのぞいてやろう。面白いものが見つかるかも知れない。
でもそのチャンスは中々やって来ない。仕方がないあの身支度部屋を散策するか。箪笥があって、大きな籠が二つ、コートやスーツを脱いだら直ぐかけられるように部屋の隅の方に物干し掛が渡してある。うん、一番端の所にさっき来ていた上着も描けてあるようだその先に物を置く板張りになっていて三段作りになっているようだ。これは色んなものがあって何か遊びに使えそうなものがありそうだ。
「クロ、引っ掻き回すんじゃないぞ、引っ掻き回したら拳固だからな」
僕は拳固の意味が分からなくて兄ちゃんの顔を眺める。兄ちゃんにも僕が考えているのが分かったらしく教えてくれた。
「拳固と言うのはなこうして拳を作ってな、それでお前の頭を叩く事だよ。痛いからな悪戯しちゃ駄目って事さ、ハハハ」兄ちゃんは豪快に笑った。とても彼が本のこの間まで死ぬ事を考えていただなんて信じられない位だ。
「でもさ、お前もあれこれ探索したいだろうからなあ、ちょっと対策を考えなくてはいけないな。まあも少し待て何か買って来るか、作るかしてみよう」
下にはもう一つ部屋があったけど兄ちゃんはそこは説明してくれなかった。
その日はそうやって寝る時間が来た。僕は兄ちゃんと一緒に寝る事にした。そうして寝る事があのおじちゃんと寝ていた日々を思い出させてくれるようだったから。
目覚まし時計のけたたましい音が響いた。僕はその前から目が覚めていたけど兄ちゃんに遠慮して大人しくしてた。兄ちゃん大きく伸びをしてから起き上がった。それを合図に勿論僕も起き上がり伸びをする。兄ちゃん居間の雨戸を開ける。布団を畳み押し入れに仕舞う。あ、ここも今日の探索にもってこいの場所だと僕の脳裏に浮かぶ。
「良く寝たかいクロ」僕の朝食用のドライフードを出しながら兄ちゃんが問うた。
「良く寝たよ、ここでは夜ネズミを捕る必要もないからね」と僕は答えたがったけど、出た僕の声は一声のニャーだけだった。でも兄ちゃんはよしよしと僕の頭をなでてくれた。何とか通じたのか?
「なあクロ、昨日も言ったように俺は今日の夕方にしか帰れないんだ。だから一応ドライフードを出しておくからお腹が空いたらそれを食べて俺の帰りを待つんだぞ。ま今の所遊ぶものが何にもないけど、我慢してくれ、分かったな」
会社に行く準備をしながら僕に念を押した。僕も一声ニャーと答えた。彼はそれから車に乗って会社なるものへ出かけて行った。
さあてこれから何をしようか、と僕は考える。でも先ずはあの居間の押し入れを探検しよう。上の段の半分は兄ちゃんの布団が占領しているから、後の残りを探索しよう。
襖を少し開ける。先ず下の段を調べてみよう。うん、僕の興味を引くようなものは何かないかなあ。キョロキョロ見回すが僕の手には負えない大きなものしか置いてないようだ。つまらない、反対の方の襖をまた少し開ける。上の段に飛び乗った。ほほう、ここには小さいものが沢山はいったものがあるぞ。僕は目を輝かせ、その中に首を突っ込んだ。何に使うものかは猫の僕にはさっぱり分からないが、こいつらは僕でも動かせる手頃の大きさのものばかり、僕の心は高鳴った。
「うん、こいつが丁度好いやこれを出して遊ぼう」
僕はそれを加え押し入れの下へと飛び下りた。
「フーン、こいつしっぽみたいなのが出てるな、これを引っ張たらどうなるのだろう?」
僕はそれを手で押さえ出てる奴をぐいと引っ張ってみた。うん、これはどうもしっぽらしい。その物体は引っ張た分だけ少し伸びたが口を話すとすぐ元に戻った。どうも痛かったらしい。済まない事をしてしまったらしい。手で2,3回はじいてみた。そいつはするりと畳の上を滑って行く。強くはじくと素早く動いてするりとコタツ布団の中へ逃げ込んだ。僕は慌てて彼をコタツ布団から救い出した。こいつは何にも喋れないけど、もしかしたらお腹が空いているのかも知れない。そうだ兄ちゃんが僕の為に用意したドライフードがあるぞ、あれなら食べれるかも知れない。こいつにあのドライフードを食べさせてみよう。
僕はこの小さな生き物を又口にくわえて台所の僕の食べ物が入れられている食器の所に運んでやった。暫くこいつの様子を見ていたが全然動かない。
「お中空いていないのかなあ」僕は諦めて隣の茶碗に入った水を飲んだ。
「こいつは眠いのかもしれない、まあ暫く寝かせてやろう。その代わり僕は他の物を探すしかないな」
支度部屋をじろりと見まわす。「うん、あの棚の中に僕を待っているものがいるかも知れないな」僕は
支度部屋の方へ歩を進めた。
棚に飛び乗り幾つか乗っかている箱を物色。「おやこれは何だ?柔らかくて何だか温かそうな物は?」
どうもこいつは生きてはいない。人間が身に着けるものだろうか?それにしては少々小さ過ぎないか、分らない、さっぱり分からない。何か袋のようでもあるが袋にしては小さいし持ち手もない。傍らを見ると似たような色の物が丸まったまま突っ込んある。「ここ掘れわんわんだな」とそいつをほじくり出した。丸くて軽いから僕の手からポロリとこぼれ、棚からも落ちて支度部屋の真中へ転がって行った。
僕は勿論その球を追いかけて棚から飛び降りた。こいつはさっきのより素早く出来ているらしく僕が手で少し触るだけでコロコロ転がって行く。僕は我を忘れて球を追いかける。支度部屋から台所へ。台所から廊下を転がり玄関へ。玄関に落ちて僕のトイレで止まったよ
「ふーん、こいつトイレに行きたかったのかなあ」しばらく様子を窺ったが全然それ以上は動こうとしない。仕方がないので又口にくわえて玄関から助け出して支度部屋へ連れ戻した。
「でも外が見られないのって凄く退屈だな、獲物を取らないで済むのはありがたい事だけど、でも、でもたまらなく退屈」僕はもう一つ探検していない仏間を思い出した。「あそこも探索して見ようかな?」
ここも襖だったので難なく開けられたが、雨戸が閉められていたので中は真っ暗だった。
「ここは人間がいない時は朝が来ないんだなあ」と僕は理解した。それに真っ暗でも猫の僕には平気だもん、自慢の髭で何処にいるか分かるし、薄ぼんやりと物自体も分かるんだ、何しろ野良生活が長かったもんだから。と言う訳で仏間の探索開始。お目当ては押し入れだけどね。
襖を開ける。上は布団のようなものが置いてあるのでここはパスだ。下の探索を始めるとするか。うん?何か大きなものがあるぞ、これは何だ?これもさっぱり分からない。触ってみたけど一杯針のようなものが出てて増々分からない。もっと奥の方を探してみよう、僕が相手になれる奴はいないのか?うんあったぞ、柔らかくて包んであるものだ。これはー、これは凄くやわらかだぞ、何が入っているんだろう。あっちこっち引っ張ったりひっ繰り返したりしている内に包んであったものがほどけて中身が出て来た。その中はもっと細かなもの、布切れのようなものが一杯入っていた。
「布、布だよなあ、人間が着ている服を作るものだ。フーンこいつはまるっきり転がらないな。詰まんないや、僕眠くなちゃった、これは丁度好い枕になるよ」と言う訳でそのまま寝てしまった。
ガチャガチャと言う音で僕は目が覚めた。玄関の開ける音だ。
「クロ今帰ったよ、ただいまー」
兄ちゃんの声だ。僕は大きく背伸びをして押し入れから出て仏間から外へ。
「クロ、お前ここに居たのか?まさか仏壇は悪戯しなかったよな」
兄ちゃんは仏間に入って明かりをつけた。仏壇をあける。彼はちらっちらと点検し異常なしとみて扉を閉める。
「ここかな?」襖が少し開いてるのに気づき襖を開ける。
「別に変った事もない様だけど・・・あ、これか、この風呂敷包みを悪戯したのか。まあいいや、何もお前の興味を引くものはなかったようだな」彼はその風呂敷包みなる物を引っ張り出して包み直して固く縛った。
「うーん向うの部屋は如何だろう?」彼はまず支度部屋へ向かう。僕もその後から付いて行く。
「ここは・・何とかセーブかな?毛糸を出して遊んだのか?母ちゃんが編んだ俺用の帽子も引っ張り出したのか?ハハハこの帽子俺は要らないからお前にやろう」
兄ちゃんはその帽子とか言うものを取り出して僕の目の前に置いた。僕はそれを貰ってもどう使えばいいのか分らず暫し考えた。でも考えても考えても分からなかった。
彼はスーツ姿からセーター姿にその部屋で着替えた。背中に背負って来たバックは居間のコタツの上におろす。それから手に提げて来たビニール袋は今日の夕食などが入っているらしくそれは台所へ。
「あ、何だ、こんな所にメジャーが落ちてるぞ、これもお前の仕業だな。まあ手頃な大きさだからな。そうか、何かおもちゃが必要なのか・・明日買って来てやろう」彼はそう言いながら居間と支度部屋の雨戸を閉めた。でも僕は兄ちゃんの明日買って来るものより今目の前にあるビニール袋に興味深々。
兄ちゃんは冷蔵庫やら調理台上に買って来たものを出して行く。僕はその下で袋が空になって下ろされるのを只管待つ。
「お中空いただろう?」と兄ちゃんは問うた。
「そうでもない、それよりそのビニール袋が欲しい」ニャーと鳴いた。兄ちゃんは勘違いしたらしく僕のお皿にドライフード一掴み乗せた。僕はそれをじっと眺め仕方なくそれを食した。朝と同じ味がした。ああ、ネズミを一匹食べたいなあ、僕の脳裏をあの野原の楽しいおじちゃんとの夕餉の一時が蘇る。
「何だあんまり食べないね、他の物を食べたいのか?そうだあれをかけてあげようかな、待ってろ今出してあげるから」
彼は戸棚の中に仕舞っている僕の食料品の中から細長い筒状の物を取り出し、はさみでその口をちょこんと切り、食べ残したドライフードの上に一押ししてくれた。うん、これは旨そうな匂いがするぞ。一なめしてみる。これは旨い、旨すぎると残ったドライフードも全部食べた。
あ、さっきのビニール袋は?キョロキョロ見回したが彼がどこかに仕舞ったらしく見当たらない。しかたがない、今度はコタツで一寝入りしよう。コタツの中で目が覚めた。はい出てみると兄ちゃんは何か書き物をしている。上手く書けないらしく何回も書き直しているようだ。最後にどうにか満足したものが書けたらしく大きく肯いて清書なるものに取り掛かり、無事出来上がったらしい。下書きした紙を彼はクルクル丸めて狙い定めてゴミ箱めがけて放り込む。ちょっとそれてゴミ箱の横に落ちた。僕はぱっと飛び掛かった。それを遠くに飛ばし、そこへ目掛けてまた飛び掛かる。もう楽しくて仕方がない。この家に来て初めて味わう狂喜の一時だ。
「お前そんなもんで遊んで楽しいのか?ふーんそうなんだ。それ投げてあげよう」彼も僕の遊びに加わった。僕は一層狂喜した。
翌日の朝が来た。少し寒さが増したような気がする。そうなると僕はおじちゃんの事が気になって仕方がない。僕は昨日兄ちゃんに貰った毛糸の帽子を眺める。ああ、おじちゃんにこれを上げられたらいいのにこれは枯れ葉より温かいし柔らかだ、きっとおじちゃんは喜んでくれるだろう。でもおじちゃんの住む山はどこにあるんだろう、それにこの僕がどうすればそこへたどり着けるのかさっぱり分からない。何としてもおじちゃんに会いたいなあ。そうだ、ここで嘆いてても仕方がない、今日はあの階段を上がって二階を探検しよう。僕は心の涙をふくと二階への階段を上る決心をした。
とことこ上がって行った。階段の左側はガラス窓になっているらしく明るかった。窓だ、しかも普通のガラスになっている。じっと窓を見つめる。狭いけど何とか足場は確保出来るぞ。僕は狙い定めて窓の枠下に飛び乗った。見えた、見えたぞ、昨日はまるっきり見ていない外がガラス戸の向こうに広がっている。先ずは隣の家が見える。木が植えてあってその下には花の咲いてる背の低い植物があるようだ。その向こうにも同じような家が並んでいる。そのずっと向こうには何と山が見えるぞ。あそこの近くに行ったらおじちゃんに会えるのかなあ。おじちゃんに会いたいよ、とっても会いたい。あれからおじちゃんはどうしたろう?イナゴ取りに精を出したろうか、それともボーっと僕の事を思い続けているだろうか?分からない、全然わからないけど、おじちゃんは昔の僕がいなかった時を思い出して頭を上げてこれから来る冬に立ち向かう準備を始めるだろう。僕はその少し狭い桟の上で只じいっと山を睨んでいるしか出来なかった。そしてボンヤリそこで数時間も過ごした。
「そうだ、僕は部屋を探検するためにここ迄来たんだった」気が付いて下に飛び下りた。探検しなければ今日の僕の仕事は終わらない。
二階には二つ部屋があった。右手の部屋の出入り口はドアになっていて開ける事は不可能だったので、左側の部屋に挑戦する事に。こちら側の出入り口は襖になっている。ここなら何とか開けられると挑戦する事に。もう長い事開け閉めされなかったのか滑りが悪い。中々言う事を聞いてくれない襖、でも僕は諦めない。ガタピシ文句を言ってる襖君、僕はそんな事では引き下がらないぞ、必ず開けて見せる。うん、少し何とか空いたよ。そのわずかな隙間に全身全霊をかけて何とか頭が入るだけ押し上げた。へへへ僕の手に掛かったらどんな襖でも開けられない事はない、と一応強がりの一言を言わせてくれえ。
部屋はやっぱり真っ暗だった。でも雨戸が少し古い所為なのか元々作りが悪かったのか、隙間が出来ていてカーテン越しに日が差していてぼんやりと部屋の様子が分かった。
雑然とした部屋だ。本らしきものが数冊散らかっているし、新聞も何日分も重なっていた。僕の気に入るものはその中にはない様だ。キョロキョロ見回す。うん、机の引き出しが少し開いてるぞ。あそこを探索しよう。僕は机の上に飛び乗った。あるある、宝の山だ。鉛筆、消しゴム、ボールペン。嫌々これは手始めに過ぎない。何だか分からないけどカードのようなものが束になってる。多分これを使って何かして遊ぶんだ。おや、これは何だ、丸くて艶々して、こんな薄暗い部屋でもとても美しいものだとはっきり分かる。これぞ正しく宝石だ、そんなお宝がこんな所で寝ているなんて。先ずはこのぴか一の宝石で遊んであげよう。その宝石の一つを救い出し畳に落とす。コロコロそれは転がり本の一冊に急き止められた。僕は丸い宝石目がけて飛び下りる。その反動かは知らないけど又宝石は横の本の方へ転がって行く。面白くて僕は何回もこの宝石と追い駆けっこをして遊んだ。少し喉が渇いたので一階に降り水を飲み、ついでに横にあるドライフードも口にした。少し眠たくなったので居間のコタツの中に潜り込んで眠る事にした。
目が覚めた。少しボーとした頭で考える。僕は一体どうしてここに居るんだ?おじちゃんは如何した、イナゴの引っ越しはどこまで出来たのかな?いやいや、そうじゃない、僕は宝物を探し出し遊んでいたんだっけ。そうだ、又二階に行って遊びの続きをやらなくちゃいけないな。それにあの宝石以外にも目ぼしいものが沢山あったっけ。
僕はコタツから抜け出し居間から二階へ大移動。あの部屋は僕が出て行ったままの状態で大人しく待っていた。「よしよし、良い子にしてたな」と僕は部屋を褒める。部屋は僕に何の返事もしなかったけど僕にたてつく事もしなかった。
僕は少し考えた。又宝石と遊んでも良いけどそれじゃあ他の物に失礼だ、彼らだって遊びたいと思って待っていたに違いない。僕は再び机の上に飛び乗った。鉛筆を二本ほじくり出した。「今度はお前たちと遊んでやろう」下へ弾き飛ばす。これも同じようにコロコロ転がったが、残念な事に宝石君のようには転がらない。下へ降りて手ではじくと鉛筆君も少し元気を取り戻し少し転がる.でも直ぐ息切れして伸びてしまう。
「うーん根性のない奴だな、直ぐ息切れするなんて。そうかお前たちご飯を食べていないのだろう。仕方がない、も少ししてからこいつたちとは遊ぶ事にしよう」
僕は又机の上に飛び乗り今度は消しゴムなるものを引っ張り出した。下へ放り投げる。消しゴムは鉛筆よりも勢い良く転がった。「うんこれはそれ程腹ペコじゃないな」僕は嬉しくなって消しゴムの後を追いかける。宝石君ほどではないけれど彼は息切れしながらも程々に頑張る。でも暫くすると飽きてきた。二階の偵察はここまでにしよう。僕は思いっきり良く二階の部屋を後にする。最後に「又明日遊ぼう」と言う言葉を残すことを忘れなかったよ。一階に降りてトイレを済ませ、支度部屋に戻ると、昨日兄ちゃんが僕にくれた帽子なるものと毛糸の玉が転がっていた。僕は彼らも相手にしてやらないと悪い気がして手ではたく。帽子は固く口を閉じ動こうとしなかったが毛糸の方は転がってやはり廊下を通り、玄関の土間に落ちトイレの前に止まった。
「こいつ何時もトイレの前で止まるなあ、もしかしたらトイレが好きなのかも知れない」と僕は考えたが毛糸はそんなことは一言もしゃべらなかった。毛糸を加えて又支度部屋へ戻る。もう日が暮れかけ外も薄暗く、部屋は暗くなった。もう暫くしたら兄ちゃんのお帰りだ。でも僕は又眠くなって帽子なる物の上で寝てしまった。
僕は人の気配を感じて目を様いた。兄ちゃんだ。「お帰りなさい」と僕は鳴いた。勿論ニャーとしか発音出来ないよ。
「ただいま、良く寝てたね。帽子の上が気に入ったのかい、でも少し寒くなかったかい?」
別に帽子が気に入った訳ではない、たまたま近くにあったので何もない所より帽子の上の方が何となく寝心地が良さそうなので寝てしまっただけなのだが、ここは兄ちゃんの顔を立てて気に入った事にしようかな。と言う訳で僕はもう一度鳴いて起き上がり兄ちゃんの足に顔を摺り寄せた。兄ちゃんはそれを凄く喜んでくれて、僕の頭を何度も「良い子だ、良い子だ」と言ってなでてくれた。
「ほら、今日はマグロの刺身が安かったので買って来たよ。美味しいぞ」
兄ちゃんはそう言って僕のお皿にマグロの刺身なる物を二切れ乗せてくれた。僕は先ずは匂いを嗅ぐ。うん、これは美味しい匂いだ。「御馳走さま」と僕は一声鳴いてマグロなるものにかぶりついた。それはあの川から僕が取る魚より少し弾力や複雑な味にはかけるけども大きいし柔らかいし。それに、それにこれはこれで充分に美味しいや。ああここにおじちゃんがいたらおじちゃんどんなに喜んだろう。
「旨いかい?」兄ちゃんが聞く。僕は旨い旨いと食べながらアピールした。「そうか、そうか」と兄ちゃんにも分かったらしくニコニコして頷いた。おもちゃの土産はなかったけどね。
その次の日も次の日もこういう風にして時は過ぎて行き土曜日がやって来る。
兄ちゃんはその日は少し長く寝ていて中々起きてこなかった。僕は少し心配になり兄ちゃんの顔を覗き込んだ。息はしていた。大丈夫死んじゃいない様だ。少し手で触ってみた。兄ちゃん吃驚して目を開けた。
「あ、クロか今日は仕事休みなんだ。でもお前はお腹空いたんだろうな、分ったよ、今起きるよ。今日はお前の物を買い揃えなくちゃあいけないな。この一週間遊ぶものがなくて詰まんなかったろう」
兄ちゃん立ち上がって雨戸を開ける。今日も好い天気らしく日差しが差し込んできた。僕は外を見たかったけど残念ながら背が低すぎてみる事の出来たものは青い空だけだった。
朝ご飯が終わり洗濯物を済ませ一応掃除機なるものをあの秘密の一階にある閉ざされていた部屋から引っ張り出した。それはビックリするようなけたたましい音を焼て、一階の部屋と言う部屋をさっさと掃除していく。小さなごみがこのけたたましい怪物の中に吸い込まれて行くんだ。うん、それなりに綺麗になったみたいだ。
「どうだ、綺麗に鳴ったろう?」と兄ちゃんは僕に尋ねた。僕はニャーと鳴いて同調した。
「よおし、昼飯食べたら買い物に行くぞ。お前の物を買い揃えるからな」兄ちゃん張り切る。兄ちゃん、カップメンなるものをかき込むと僕を自動車に乗せて出発。大きな建物の前に車を止めた。
「ここはペット同伴で入れるのかなあ、それとも無理なのかなあ」兄ちゃん暫し考える。
「まあ無理だろうな、お前ここで待ってろ、買って来るからな」兄ちゃん決心すると僕を残して店の中へ消えて行った。僕はフロントガラスの所に乗って周りの景色を眺める事にする。
これが実に面白く楽しい。一週間ぶりに味わう生き物の様々な行動だ。犬がいた、良く見ると僕みたいな猫もいるぞ。勿論人間もいる。大人も子供もだ。男女、老人もいれば赤ん坊もいる。みんな実に楽しそうだ。見ている僕も嬉しくなってくる。おおっ、5,6歳位の女の子が一人で出て来たぞ。スキップしながらこちらに向かって来る。誰も彼女の付き添いがいない事を気にしてない。ニコニコしてとても可愛い彼女、僕に気づいて手を振った。僕も彼女に笑顔を送ったが彼女にそれが伝わったかどうかは皆目分からない。その時一人の男性が彼女の元へやって来た。ああ、彼女の連れがやっと現れたと思って僕は安心した。男性は何やら彼女に話しかける。彼女もそれに答えているようだ。暫し二人は話し込んでいたが、何やら雲行きが怪しくなった。彼女が首を振る。男性周りを見回す。二人の様子を怪しむ者は僕を除いてだあれもいないようだ。男性彼女の手首を掴んで歩き出す。彼女彼の手を振り放そうとしているようだが、小さい子だから全然それは役に立たないようだ。二人が何処に行くのか僕は必死で眺めた。もう少しで二人が見えなくなると僕は焦った。その時車のドアが開いた。兄ちゃんが手に一杯荷物を持って帰って来たのだ。今だ、今しかチャンスはないぞ。僕はフロントガラスの所から兄ちゃんの開けたドアに突進する。
「あ、クロ、お前何処に行くんだ!」兄ちゃんの叫び声。
僕は二人が消えたあたりを目指して走った。無我夢中で走りに走った。後ろからは僕を呼ぶ兄ちゃんの声。前にはさっきの二人連れ。
「あ、猫、さっきの猫だ」女の子が叫んだ。男性も彼女の言葉に歩くのを止めて僕を見つめた。
「す、済みません、うちの猫が逃げ出しまして」ようやく追いついた兄ちゃんが男性に謝る。
「い、いえ、べ、別に何もしていませんよ」と男性。
やっと捉まれた手を離された女の子、ほっとしたらしく嬉し気に兄ちゃんの方にすり寄った。
「こ、このお子さんは・・あなたの連れではないんですか?」兄ちゃんが尋ねる。
「あ、ああそうですね、この子、ええっとこの子、迷子になったので連れて行こうと思ったんですよ、ハハハ」男性の力ない笑い。
「だったらこっちじゃなくて店内の事務所かなんかにお願いした方が良いんじゃないですか?さあ参りましょう」兄ちゃんが男性に話すと彼は慌てた様子でそこから逃げようとしたが、その時もう周りは人だかりが出来ていて、逃げる事も出来ない。
「あ、あああここに居たのね、心配で探していたのよ」女性の声だ。
「あ、ママー」女の子が女性の傍に駆け寄った。
どうもパパなる人もいたが彼も他の所を探していたらしく遅れてやって来た。パパなる人は3歳位の男の子を連れている。兄ちゃんがこの二人に事情を説明しているが、肝心の僕が説明に加わっていないので、話がずれているようだ。
「分かりました、この男はここの事務所に引き渡します。ほんとに危ない所をありがとうございました」
二人は丁寧に兄ちゃんに礼を言うとさっきの男性を引き連れて消えて行った。
「さてクロよ、一時はお前が逃げて行くんじゃないかと心配したが、お前、人助けをしたんだなあ。うん、中々感心したぞ、お前は偉い!」と兄ちゃん褒める。
さて帰ってからが大変だ。大きいものは何だか組み立てて使うものらしく兄ちゃんもう一杯カップ麺を啜りその作業に取り掛かる。
「よーし、出来たぞ。どうだ、俺の腕前も捨てたもんじゃないだろう。これでお前もここに上って外が眺められるぞ。今まで眺められず退屈だったに違いない」居間の窓際に兄ちゃん手作りのその怪物は設えられた。うん、中々のものだ。一応乗ってみる。見える見える、これで外が見えるぞ、ありがとう兄ちゃん。僕は嬉しくて2度もお礼の鳴き声を上げた。それにその怪物が入っていた箱だ。何とも言えず素晴らしいな。僕はその箱にも入ってみる。こりゃ何と言ったら好いのかな、もうそれだけで御殿に住んでる気持ちだ。でも兄ちゃん、この箱を捨てたいらしい。僕は必死でこの箱の良さをアピールする。兄ちゃんやっと僕の気持ちが通じたみたいで捨てるのを諦めた。兄ちゃん暫く考えてその箱を居間から支度部屋に移した。
「まあ、ここならそんなに邪魔にはならないだろう。ここなら使って良いぞクロ」
兄ちゃんの言葉が嬉しくて支度部屋の隅に置かれた段ボール箱の中に入ってみる。ここは僕の別宅だあ。
兄ちゃんは他にも爪とぎ器や玉取り用のおもちゃなどを買って来ていた。そのどれもが僕は気に入った。
「さあて、俺は俺の為に夕ご飯を作るぞう、今日は豚肉と玉葱小松菜の野菜炒めにしようかと考えているんだ。どうだ、簡単だがきちんと野菜も肉も取れて良いと思わないか?」
兄ちゃんは僕に尋ねる。でも僕に聞かれても人間の食事の事はサッパリ分からない。僕は何か相槌を打たなければと一先ずニャーと鳴いてみた。
「おーそうかそうか、お前もそうだと思うのか。うん作ろう作ろう、味はこの昆布醤油を使うから、仕上げにはこれを使うとして玉ねぎと肉を炒めるんだ。ほうれ好い匂いだろう、でもさ何だか玉ねぎは猫には良くないって八百屋のおじさんが言ってたから幾ら良い匂いがしてもお前には上げられないな。悪しからず。その代わりお前には夜用にカツオの缶詰を開けてあげるからな」
僕はカツオの缶詰がどんなものか分からなかったけど、何か特別に美味しいものだろうと推察してニャーと鳴き声を上げた。兄ちゃんも嬉しそうに僕の頭をなでてくれた。
兄ちゃんの夕食は無事出来上がり味も上々だったらしい。そして約束通り僕にはカツオの缶詰が開けられた。これも僕には上々の夕食だった
翌日も晴れていたが北風が酷くて気温が下がって来ているみたいだった。
「寒くなったみたいだなあ」と兄ちゃんは言った。僕はおじちゃんの事を思って少し悲しくなった。多分殆ど虫はいなくなったろうし、トカゲもいない。彼の命を繋ぐものはもうネズミしかいないのだ。おじちゃんが耳でネズミの大きさや数の事を知りえたのはきっと冬と言うものを長年に渡って経験したからに違いない。
「どうしたクロ、何か気になるのか?」兄ちゃんが尋ねたが、僕はおじちゃんの事を伝えたくても伝える事が出来ない、只ニャーとしか彼は聞き取れないだろう。兄ちゃんは僕の頭をなで居間と支度部屋の雨戸を全部開けた。僕は朝ご飯を食べると早速兄ちゃんの作った見晴らし兼色々の怪物の上に登ってみた。二階で北の風景は見ていたが南側をこうやって眺める事はとても素晴らしい事だ。昨日も少し上ってみたがもう夕暮れが近くてそんなにじっくり見なかったので、こうして改めて見る風景は格別な思いがある。我が家の庭には枯れた草が生い茂っていたが、それが枯れる前には何か特別な花か実がなっていたのかは不明だ。でも左手の方には背の高い木と小さな灌木があって高い木は裸ん坊だったが、小さい方はまだ熟してないミカンのようなものが成っている。垣根越しに隣の家も見えるが窓が閉まっていて、中がどうなってるかを知る事は出来ない。
「ほうれクロ、洗濯物を干すぞ、ちいっと風が入って寒いけど我慢我慢」
兄ちゃんはそう言って居間の大きなガラス戸を開けた。風がビューと吹き込む。でも山育ちの僕にすればそれは日常茶飯事の事だ。兄ちゃんの一週間分の洗濯物を眺める。少々眺めが悪くなった。
おや、玄関から男性の声がする。誰だろう?兄ちゃんが返事をして出て行った。何やらその男性と話しあいをしていたが、兄ちゃんが僕の名を呼んだ。僕はあんまり出て行きたくなかったが、余りにも呼ぶので仕方なく出て行った。
玄関には何やら制服らしきものを着た男性と普通のネクタイを締めた男性が居た。
「あ、この子ですか?その男を捕まえたのは?」
「猫ですから捕まえた訳ではありませんが、俺が車のドアを開けた途端飛び出して行ってその男を追い詰めたと言うのが本当の所でしょう」-
「フーンそれは困りましたねえ、彼がどうしてあの子を誘拐したのか聞くに聞けないなあ」
「あなたは二人のやり取りを全然見ていないんですか?」二人の男性が兄ちゃんから何か聞き出そうとシックハック。
「俺が車に戻った時は、二人所か車の所には誰もいませんでしたよ。でもクロが、これの名前ですが、クロがニャーと鳴いて男に飛びついた時あの子が、あ、さっきの猫ちゃんだ、と言っていましたから、あの男が現れるまできっと車越しに遊んでいたんでしょう」
「ふうん、そうですか、そこの所は女の子が言ってた事と一致するなあ。分かりました大体の所は。それであなたが問い詰めた所逃げようとしたんですね、その男」
「まあそんな所ですね。初めは、もしかしてクロが勘違いしてるのかも知れないと思って俺はクロの非礼を詫びようと、礼儀正しくその男にあたっていたんですが、どうも彼の様子が可笑しくて、もしかしたら彼はその女の子を誘拐しようとしてたのじゃないかと思いました。そこにその子のお母さんらしき人が来て一件落着と言う所です、ハハハ」
話はこの後もしばらく続いたが結局この後も僕の出番は一切なかった。少し残念。でも僕が事細かく説明しても三人の耳にはきっとニャーニャーとしか聞き取れなかっただろうけどさ。
「クロ、お前女の子を救ったんだぞ、偉い!偉いよ、お前。うん、お昼は又カツオの缶詰を上げよう」
兄ちゃんは上機嫌で僕をなでた。そしてお昼にはご褒美のカツオが僕のお皿の上に乗っかった。
人間界にはこんな猫の世界では考えられない事が起こるんだと僕は考える。
「少し寒くなって来たみたいだから、ストーブの用意もしなくちゃな。ええっと、ストーブはこの下の奥の方にしまったんだ」
兄ちゃん、居間の押し入れからマタマタでっかいものを引きずり出した。
「ちゃんと掃除してしまったから後は石油を買って来て入れれば好いんだ。ちょっと行って買って来るからな、待ってろ」
兄ちゃん石油のポリタンクなるものを持って出かけて行った。僕は又兄ちゃんの作ったタワーに上って外の景色を眺めた。隣の家には動きがない。只西側の朝あった白い車が見えなかったのでどうもお隣も買い物に出かけたらしい。一体どんな人が住んでるのだろう?ちょっと気になるな。気にはなるけど、僕は猫だ、猫の習性として凄く眠くなった.おやすみなさい。
兄ちゃんが帰って来たらしい、玄関の開く音。
「お、クロ、寝てたのか、石油又値上がりしてたよ、この冬はこの値段で行くしかないか、仕方がないな」兄ちゃん、ぶつくさ言ってストーブの中から何かを取り出し、又玄関へ戻る。それからその取り出したものを持って入って来てそれをストーブの中へ戻す。
「つけてみるか、温かくなるぞ」兄ちゃん上部のボタンらしきものを押す。
「もうすぐしたら支度部屋も台所も寒くなるだろう?そしたら襖を開けて3つの部屋を同時に温かくしなくちゃいけないんだ。電気の小さな温風ストーブを買うかな?俺の両親は二人とも我慢強い人間だったから一つで何でもすましたけど、時代は変わっているんだ、も少し住み心地良くしなくちゃあいけないよなクロ。お前もそう思うだろう」
兄ちゃんぶつくさ言ってる間にストーブからあったかい空気が出始めて忽ち居間の中はあったかくなった。こりゃ天国だね、とっても気持ちが好い。この前から離れたくない気持ちだ。
「好い気持ちだろう。俺は少し腹減った、カップ麺でも食べよう」
兄ちゃん台所に立ってお湯を沸かし兄ちゃんの大好きなカップ麺を作った。
「お前にはドライフードを上げようか?」兄ちゃんは僕のお皿にもドライフードを少し入れる。二人で三時のお八つだねえ。
でも僕の心配は寒さが増すごとに募って行く。おじちゃんの体の事だ。おじちゃんはああいってたけれど前みたいに若くは無くなっているんだ。かと言って今更元居た家には帰れないと僕はそう思う。どうしてもっと強く僕と一緒に行こうと誘わなかったんだろう。特に二階の窓から見える山は厳しい表情を僕に見せつける。ああ僕に鳥のように飛べる翼があれば、兄ちゃんに平身低頭して外へ出してもらいおじちゃんを連れて来るのに。
そんな僕の心を知らず兄ちゃんは会社を休んで僕を獣医さんの所へ連れて行った。色々な検査と言うものをさせられた挙句僕は無残にも去勢とか言う手術を受けさせられたんだ。ウームムムこれについては余りと言うかはっきり言って言いたくない。僕はもう普通の男の子ではなくなったんだ。
2,3日僕はぼんやりして過ごしたよ、本当にそれはショックだったんだ。でも直ぐ僕は気持ちを切り替えられた。これが猫が人間社会で生きる約束事だと思えばなんてことない、僕は僕なりに他の方法で強く生きる術を見つけよう。その所為か、は分からないけれど、何となくもやもやしたものが無くなり頭がすっきりしたように感じた。新しい僕が生まれたと考えよう。
でも僕の環境は何ら変わっていないんだ。外にも出られないし見れるのは居間に置いてある昔怪物、今は変じて僕の相棒になったあの背高のっぽの即席階段君によじ登り見える世界と、本物の階段を上がって二階のガラス窓の狭い桟の上から見える世界だけなんだ。それにここにはあのこの間来た兄ちゃんの説明によると警察の男性が二人来ただけで、他の人はだーれも来ない。うん、これじゃ寂しくて人間じゃなくてもふと死にたくなるよねえ。
本格的に冬が来たと兄ちゃんが言う。そうかも知れない、風の音がとても厳しい音を立てて聞こえるし、もう外にはミカンのようなものを残してその他のはこの間まで赤茶けた葉っぱに混じって見えていた僅かな葉っぱもみんな散ってしまったよ。僕はおじちゃんの事がとても心配でそれを思うと胸が潰れそうになる。どうすればおじちゃんを助けに行けるのだろう?あれこれ考えても名案は全然うかばない。
そうこうしてる内に12月も押し迫りお正月と言うものが来るらしい。お正月には何と、ここの2階の僕がどんなに挑戦しても開けられない部屋の住人、姉ちゃんなる人が帰って帰って来るらしいので、兄ちゃん、二階へ行く階段を掃除している。
「あ、クロ、お前二階にも行っていたのか?そうか、ここの窓からお前のいた山が見えるもんなあ」
ついでに自分の部屋も掃除しようと自分の部屋の襖に手をかける。
「あーここにもお前侵入してたのか?別にお前が気になるもんはないと思うが、鉛筆と消しゴム・・あれれビー玉があったのか。うんこれは気に入るよなあ、綺麗だし、転がるし、気に入っただろう?」
兄ちゃん、鉛筆と消しゴムは元仕舞っていた所に戻したが、ビー玉とか言う宝石は自分のポケットへとしまいこんだ。やはりあれは宝物だったに違いない。良かった無くさなくって。
二階も大体綺麗になったと兄ちゃんは判断し、けたたましい唸り声をあげて仕事をする掃除機と言う名の怪物君と一緒に下へ降りる。
「買い物もしなくちゃいけないんだ」と言って僕を車に乗せてショッピングセンターへでかけた。
「沢山買い物をするから自動車の中で大人しく待っているんだぞ」兄ちゃんはそう言って出て行った。
久々の車からの下界見学だ。心も弾む。今日はこの間と違って自動車も人もとっても多い。買い物が済んだ人達だろう、荷物を一杯抱えて戻って来る人も多いし、子供連れも多い。車の中の僕に気が付いて指さす人もいる。ここでサービスとして何かポーズが出来れば好いんだろうが、残念ながら僕にはそんなサービス精神は持ち合わせていない。でも、おじちゃんに合わせてくれると言うのならしてやらない事はないな。ほれほれよそ見をしながら歩いていると何かにぶつかったり、躓いて転んじゃうぞ。あ、やっぱりあの子転んじゃったな。泣くな泣くなそのくらいの傷では大したことではないぞ。そうだにっこり笑って走って行け。でも何だか食べられそうもない物を持っている人が多いなあれは何に使うのかな、兄ちゃんも買って来るのかな、分らない、買って来たら教えてもらおう。兄ちゃんは台車に荷物を乗っけて帰って来た。みんなが持っていた緑のものもちゃんとあるぞ。後で兄ちゃんの説明を聞くのが楽しみだ。荷物は車の後ろに詰め込み完了。台車は又返しに行くらしい。
「いやー、混んでたな、でも姉ちゃんの言ってたもの全部買って来たぞ、忘れ物はないはずだ」
兄ちゃん鼻歌交じりで我が家を目指す。
「これはなあ、門松とか松飾と言ってな、こうして半紙で巻いてこの細いひもで縛ってから釘で玄関の両脇に打ち付けて飾るんだって。しないとこも増えて来たけども、内は姉ちゃんが煩いからちゃんとやらなきゃいけないいんだ」兄ちゃんの説明でみんなが持っていた緑の怪物の正体は分かったけど、だからそれが何をするのかしてくれるのかは一切不明のままだ。
次の日も兄ちゃん出かけて行って小さな電気ストーブを買って来た。どうも2階の姉ちゃんの部屋で使うらしい。二階のあの僕がどうしても開ける事の出来なかったドアの前に置かれていた。
次の日、その噂の主の姉ちゃんなる人が帰って来たよ。姉ちゃんなる人は兄ちゃんと良く似ていた。やせ形で顔も細い感じだ。姉ちゃんなる人僕を見て随分最初は驚いたみたいだ。
「あんた、猫を飼い出したの?」
「ああ、僕の相棒だよ、クロって言う名前でさあ、山で出会ったんだ。こいつがさあ、土手の上から兄ちゃん、兄ちゃんて走って来たんだ」
ここは間違ってるよ兄ちゃん、僕は父ちゃん、父ちゃんと呼んだんだよと僕は兄ちゃんの顔を見た。でも何にも云わなかった。言ったって人間には僕の弁明はニャーとしか聞き取れないからだ。
「ふーん、どうしてそんな山に行ったのさ。まさか自殺でもしようとして行ったんじゃないの?」
「まあ、何となく山の空気が吸いたくなってさ、ホントだよ、そりゃすこしは世の中面白くない事ばかりでさあ、死にたくなったかも知れないけど、川の流れを見てて、それにこいつに兄ちゃん兄ちゃんて云われたら、死にたいなんてどっかに吹き飛んでしまったよ。ハハハ」
「まあ、でも良かった、この子が止めに来てくれなかったら、今頃どうなっていたのやら。ありがとうね、クロちゃん」姉ちゃんは優しく笑って僕の頭をなでた。
姉ちゃんは仏壇のある部屋の雨戸も開け仏壇の扉も開けて、持って来た花を飾った。それに小さなお餅とか言うものもその中にお供えした。それから居間へ入ってぐるりと部屋を見回した。
「そうね、鏡餅を飾る所がないわ・・・仕方がない、テレビの上に台を作って乗せるしかないわ」
テレビの後ろに数冊の本を置いて、裏白とか言うシダのようなものと昆布と言う黒いものを敷き、丸い大きな餅と言うものを重ねあのミカンのような果物を一つ取って来てそれを一番上に乗せ飾った。僕は暫く見てたけど別にそれが踊り出す事も決してなく、かと言って説教する訳でもなく置かれた場所にジッとして動かなかった。
姉ちゃんはそれから正月料理だと言って台所で忙しく働いた。兄ちゃんはその横で助手として手伝わされた。夜になるとソバと言うものを姉ちゃんが作って兄ちゃんと二人で食べるが、僕は何時ものドライフードだったよなあ。
その後しばらくテレビを見ていたが「明日は休みだからと言ってもここで寝起きしてるんだから、さっと起きなくちゃ駄目よ」と兄ちゃんに言い含めると、姉ちゃんは二階に引き払って行った。
兄ちゃんは僕を見た。僕も兄ちゃんを見る。
「煩いけど俺の姉貴にしては立派だろう?」
「ニャー」
「うん、お前もそう思うか?ま少し煩いが辛抱辛抱、直ぐ帰って行くよ、3が日が過ぎればさあ。その間に親戚の者が何人か挨拶に来るから、その接待もしなくちゃいけないんだ。人間は付き合いが大事でねえこれが中々難しいんだ、ハハハ」
「ニャー」
「良く分かったって言ってるのかい?うん、今日はこれで寝るとするか」と言う訳で兄ちゃんと僕は二人仲良くぐっすりと眠むったね。
朝が来た。兄ちゃんは何時もより少し早く起きて雨戸を居間も仏間も支度部屋もみんな開けた。仏間には先日兄ちゃんが勝って来た電気ストーブがおかれている。今日來るお客さんのためだ。
「去年はさストーブも何にもなくてさあ、みんな寒いのを我慢してたんだ。フフ、まあ今年は少しはましだろう」勿論居間の石油温風ストーブも朝からフル回転だ。姉ちゃんも下へ降りて来てあれやこれやと昨日作った料理を盛り付けている。
「まあこれを食べて腹ごしらえね。これを居間に運んで頂だい」
二人は朝ご飯を食べる、僕は変わらずドライフードを食べる。その後姉ちゃんは洗濯物、兄ちゃんは朝ご飯の片づけをやる。
暫くすると客人がやって来る。一人二人とやって来る小さな居間のコタツは一杯になるがお客さんは長居をしないで帰って行く。4、五人は来ただろか、僕は計算があまり得意でないから分からないけどさ、姉ちゃんの作った料理も減って行く、僕も少しは味見をしてみたかったな。その憂さを晴らそうとドライフードを齧ってみたが昨日と味は変わらなかった。
「クロおいで」と姉ちゃんが僕を呼ぶ。僕は姉ちゃんの傍による。
「お前、本とに良く兄ちゃんの命を守ってくれたねえ、これはねえ今さっき買い物に行ったついでに買って来たんだけど、気に入るかねえ」
姉ちゃん、金色の丸い物の付いた青い革ひもを取り出すと姉ちゃんは僕の首にそれを取り付けた。
「きっとお似合いよ。ほら見てごらん」姉ちゃんは僕の前に手鏡を取り出して僕に見せた。
うん、中々のもんだと僕も思った。
「どれどれ」と兄ちゃんも乗り出してきた。
「似合ってるでしょう?赤とどちらが良いか迷ったんだけど、男の子だからやっぱりブルーにしたのよ」
「ま、黒とくれば赤なんだろうけど、やはりオスだから青が良いんじゃないか、その方が間違われないよ」と兄ちゃんも納得したようだが、猫の僕には赤と青がオスとメスの区別につながるとはさっぱり分からない。でも分からないながらも僕はこの首飾りが気に入った。そこでそれをつけて家の中を歩いてみたのだけど、誰一人としてその首輪を褒めるものがいないんだ。これはとても寂しいな。
姉ちゃんのいる3が日までにまだ2,3人客がやって来て帰って行った。
「もう殆どの人が来たわね。明日わたしは帰るわ、後は宜しくね。向こうの方も色々やる事もあるから」
「うん、大丈夫だよ、クロもいるし平気さ。俺とクロでこの家を守って行くよ」
「何時もはあなたの事が心配で後ろ髪惹かれる気持ちで帰るんだけど、このクロは猫とは思えない位しっかりしてるから、安心して帰れるわ。クロ、この後の事しっかり頼むわ、この家の事も譲の事も」
ここで一応親戚の者の話からこの姉弟の苗字と名前が判明したので紹介しておこう。苗字は山村、姉は弥生、弟は譲と言うらしい。ふーん、皆名前があるんだな、おじちゃんの名前は一体何と言う名前だったんだろう。
姉ちゃんは次の日帰って行った。
「俺も明日から仕事なんだ、ボーとしてられないなあ。良し俺も明日から仕事に頑張ってみるか、クロみたいな後見人もいる事だし、今まで見たいに寂しい、何をやる気も起こらないと言ってられないな」
兄ちゃんポッケットからビー玉なる物をとりだす。
「お前これで遊ぶか?気をつけろよ、丸くて小さいから直ぐ何処かに行ってしまうんだ。ま、なくなったって惜しくはないし、欲しけりゃ又買ってくりゃ良いんだけどさ」
僕の前にあの宝石玉が輝いている。こ、これで遊んで良いの?しかもなくなったら買って来ると兄ちゃんは平然と呟く。もしかしたら兄ちゃん、凄い金持ちかも知れない。僕は納得し、安心してこの宝石玉と格闘する事にした。
翌日から又僕は昼間は一人で過ごす事が多くなりこの頃から寒さも一層厳しさを増して来たようだった。兄ちゃんは暖房を入れない部屋で過ごす僕の事を心配したが、僕より寒い外で暮らしているおじちゃんの事が心配でならなかった。夜になって北風が唸っているとおじちゃんの身を案じて何度も目が覚め寝返りを打った。
「どうしたクロ、何か心配事でもあるのかい?」と兄ちゃんは聞くけども、僕は首を振ってドライフードを食べるのみ。僕がどんなにうまくおじちゃんの事を説明しても多分兄ちゃんにはこれっぽちも伝わらないだろう。
一月の末には雪が降った。
「おい、クロ、これが雪だよ。お前が初めて見る雪だ。白くて見た目はとても綺麗だろう?でもさあ、外に出てみると分かるけど、これが又冷たいんだ」
その日はたまたま土曜日で会社なる物がお休みの日だったので、兄ちゃんに付き添われ少しだけ外に出てみた。素足で歩いてみる。とても冷たい。
「冷たいだろう?分かったら中に入ろう」兄ちゃんは僕をヒョイと抱えると直ぐ中へ戻った。でも考えてみたら、この時がおじちゃんを連れてこれる最大のチャンスだったんだと思えたんだねえ。僕にもう少し強い意志と体力があればおじちゃんをあの野原から救い出せたのに。僕は弱い自分に腹を立てたけど、仕方ない事だったのかなあ。
雪はその日のうちに粗方解け、日曜日には殆ど溶けてしまった。只北の方の山を見るとその雪は解けないで残っているようだ。
「北の山が気になるらしいな。あの山に何か残して来たものがあるのかな?」
僕が2階の窓からジッと山を見てたものだから、兄ちゃんも少し気にして僕に尋ねる。僕は兄ちゃんの顔を見つめた。
「そうなんだよ、大事な大事なものを置いて来ちゃったんだよ」と僕は悲しく鳴いた。
「そうか、良く分からないが、あの山に何か忘れ物をしたと言う事は何となく分かったよ。春になったらもう1度あそこに連れて行ってやろう。でもちゃんと兄ちゃんのとこに帰って来なくちゃいけないよ」
春か、春にならなくちゃおじちゃんの所に行けないのだ。でも春になったらおじちゃんに会える、おじちゃんがこの寒さを乗り越えて生きてさえいれば。祈ろうおじちゃんが寒さに耐え飢えにも負けず生きていたらきっと会えるんだ。僕は少し希望が見えたので元気になった。ここから見える北の山にエールを送った。
2月の初めはもっと寒かった。兄ちゃんは暖房を付けたままで出かけるか躊躇してたが、下に引くホットカーペットだけを付けて会社に出掛ける事を決心した。ホットカーペットだけでも凄く有難い事だと僕は感謝した。でも僕はまだ若いからそこに一日中じっとしていられない。居間の兄ちゃん製造の登り木の上から世間の様子を窺わなければ、先ず世間知らずになってしまうからそれは欠かせない。時たま裏口から出て來る隣のおばちゃんも垣根の緑色した木々越しにしっかり覚えたし、そこに用のある人たちも覚えたよ。勿論彼らも僕に手を振ってくれる人もいるし、手は振らなくとも僕の顔は覚えたろう。皆とても寒そうな顔をしている。今日もそこから眺める限り事件はおこりそうもないと僕は下に降りてホットカーペットが乗っかてるコタツに潜り込み一寝入りする。目が覚めれば二階に行ってあの窓の桟越しに北の山へ向かっておじちゃん頑張れよと暫しエールを送る事を忘れない。
でもある日事件が起きた。何かきな臭いのだ。何だろう?僕は例の木によじ登って世界を見渡した。火事だ、でも隣じゃない。二三軒先の家から煙が出てる。知らせなくちゃいけないけど、知らせる人がいない。
あ、隣のおばちゃんが裏戸から出て来たよ。僕は必死でおばちゃんに合図を送る。おばちゃん気づいたらしく慌てて家の中へ戻って行った。暫くしてまっ赤な自動車が物凄いサイレンとか言うものを鳴らしてやって来た。大した火事ではなかったのかその騒動は直ぐに収まったようだ。やれやれだ。兄ちゃんも帰って来てビックリ。まだその検証が続いているらしくその周りにいた人達に聞いて僕にも説明してくれた。
「なんだかな、あそこのおじいちゃんが石油ストーブの火を消さないで石油を入れたとからしいよ。奥さんも気がついたらしく止めたんだけど、火が付いちゃってさ、慌てて水をぶっかけたりしたんだけど燃え広がって、隣の奥さんが電話してくれて一件落着って事だな」
勿論僕の事は兄ちゃんの話の中にこれっぽっちも出てこなっかったけど一先ず良かった良かった。
でもその週の土曜日に火事を起こしたとこの奥さんとか言う少し年取った女の人がやって来た。又僕は兄ちゃんに呼ばれて玄関に出て行った。
「お前、隣のおばちゃんに火事だと知らせたんだって?」
ニャーと一応返事をする。
「何か変なにおいがすると思って隣の奥さんが裏戸を開けたらこの子がバタバタして必死の形相で知らせていたので出てみたら内が大変な事になってたんで、消防署に電話して下さったそうです。だから、一番手柄はこの猫ちゃんな訳で、お礼に伺った次第です」少し年取った奥さんは風呂敷包みから僕の好きなチュールなる物を取り出した。
と言う訳で僕の活躍も何とか取り上げられて少しホッとする。
「お前、又一つ手柄を立てたなあ」と兄ちゃんも褒めてくれた。姉ちゃんにもその夜僕の活躍を電話したらしい。勿論最初の誘拐事件の時の話も織り込んで。
ああ、あの子可愛かったなあ、あの子が無事で何よりも良かったよ、と本のこの間の事なのに僕は懐かしく思い出していた。
この火事いらいあの隣の裏戸から僕を見に来る人が何だか増えたみたいだ。まあ寒さも峠を越したせいもあるけど、相手は裏戸だから普通の人が裏戸の方まで回って来る筈はないのだから、これはもしかしたらこの僕を見るために来ているとしか考えられない。その所為か僕に向かって手を振る人がたんと増えたりして、へへへ。
「お前、人気者になったよな。お陰でお前にと言って色んなものが差し入れられるようになったよ。本当はあの誘拐犯を捕まえた方が大手柄だったような気がするけど、あの子の両親はお前に何の挨拶もなしだったな。お前、も少し早く有名になっていたのになあ」と兄ちゃん残念そう。
でも僕はそんなことより少しでも早くおじちゃんに会いたい。気温もこの所緩みがちだから、兄ちゃんにその事を思い出させたいがどうすれば良いのか?うーん僕には分からない。ニャーと鳴く以外手立てはない物か。今日も二階の窓から北の山をじっと眺める。おじちゃんの温かかった体を思い出す。今度は僕がおじちゃんの体を温めてあげたいよ、優しくね、優しくね。
でも僕の期待を裏切るように又すごく寒くなった。あーあおじちゃん、無事でいてくれ。僕は祈った。え、何に祈るかって?うんそうだねえ人間だって祈るだろう、神様って言うもにさ。だからさそう言うものにさ。必死に祈ったのさ、何しろ僕はどこにも行けないし、しなくてはならない仕事も全くないんだから朝から兄ちゃんが帰って来るまで祈っていてもだーれも文句を言わない、それによって迷惑をこうむる人もいないんだから。だけどやっぱりお中は空く、出ろものは出る。だからそういう体のわがままにたてつく事はしない。出してあるドライフードを食べ、トイレにも行くのさ。そうそう一階の見晴台によじ登って下界の様子を見るのもさぼっちゃいない。でも人はげんきんだねえあったかい時は結構僕を見に来る人もいたけど、こう寒くちゃ、誰一人僕を見物する人はいなくなちゃったよ。でもそんな事は僕はヘッチャラさ、元々ここは僕の為に兄ちゃんが作り上げた見晴台なんだ、人間が僕を見物するために置かれたもんでもないし、自然に芽生えたもんでもない。
来訪者は普通は玄関からやって来る。土曜日のお昼過ぎにその来訪者は玄関のチャイムを鳴らしてやって来た兄ちゃんが出た。僕が出ても良いけれど玄関を僕に開ける力が残念ながら持っていない。暫くすると兄ちゃんが僕を呼ぶ。又僕に用のある人が来たらしい。見晴らし台から降りて玄関に向かう。
「あ、来た来た。これがこの間の猫のクロです」
客人は男の人だ。どこかで見たことがある。僕がこの世界に来てあった人は限られている。この人は・・そうだこの人はあの女の子の父さんだ。
「あ、クロちゃんって名前だったんだねえ。まそう言う名前だと思っていましたが、この間は娘が誘拐から、誘拐ってわかるかな、つまり悪い人から救ってくれて。もっと早くお礼に伺わなくてはいけなかったんだけど、会社の関係でこんなに遅くなってしまったんだよ。気を悪くしないでくれ。わたしの言ってる事、この猫分かっているのかな」
仕方がないのでニャーと一声鳴いてやった。
「ハハ、どうも分かったらしいですよ」兄ちゃんが言う。
「へー、中々賢い猫ですね、大したもんだ」
「はー、先日もこの2,3軒先の家がボヤを起こしたんですが、こいつが気づいて隣の奥さんに教えて消防署に連絡して大した事なく済んだんですよ」
「へー、そうだったんですか、これは大した手柄だ。うちの子の事もあるし表彰状を上げたいくらいだ」
「そうですね、犬が表彰状を貰ったって時々聞きますけど、猫が貰ったなんて聞きませんね。俺のアピールの仕方が悪いのかもな、ハハハ」
男性は僕の頭を2,3回なでて帰って行った。
僕としては、表彰状もこの男性の来訪よりもあの可愛い女の子の来訪の方が数倍嬉しかったし、待ち望んだものだったがそれははかなくも消えてしまった。残念だよ、この世の中は。
で僕は又2階の桟によじ登り祈りを捧げ、一階に行っては見晴台から下界を見下ろす仕事に舞い戻った。ああ、ちょっとした出入り口があればこの近所を散歩して面白いものを探し出したり、出会えたり出来るんだろうけど。でもそれより早くあの北の山に行きたい、多分もう春に違いないのだ。万が一兄ちゃんが忘れていたりしたら大変だ。ほら又隣の裏戸に僕を見に来る人が増えて来たよ。
でも兄ちゃんは忙しいらしい。兄ちゃんが言うには年度末と言って勤めの一年を振り返ってやらなくちゃいけないことが沢山あるらしい。会社と兄ちゃんの個人的な事もどちらも疎かには出来ないらしい。
そこで一つ気が付いた事がある。あのこの間まで最後の葉っぱを散らしたままずっと裸ん坊のまま突っ立っていた木が、いつの間にか蕾が大きくなっていたんだ。蕾は日に日に大きくなっていく。
「何を見てるんだ」と兄ちゃんも僕が熱心に見ている外が気になったらしく立ち上がって覗き込んだ。
「何だ、木蓮か。あれは白木蓮でね、俺の母ちゃんが好きだった花なんだ。白くてとても綺麗なんだけど、風が吹くと茶色になって汚くなるんだ。それに葉っぱがなあ大きくてお前も見たろう、散る頃には近所の迷惑もんだ。でもこの所花が咲くのが年々早くなって来たよなあ。もうあんなに大きくなってる」兄ちゃんそう言うと又コタツに戻り書類の制作に再び取り掛かる。兄ちゃんのそう言った仕事が一秒でも早く終わる事を祈ろう。
でもなかなか仕事は終わらなかった。ここ何日も降らなかった雨が降り出しその蕾は増々大きくなっていく。下を良く見ると春の証拠の若草も生えて来ている。僕の心は期待に震えている。きっと兄ちゃんはこの山のような仕事が終わり、あ、春が来てたんだと気が付いて、僕を車に乗せてあの北の山を目指して連れて行ってくれる、絶対に連れて行ってくれる。
土曜日、その日は晴れていて風もあんまりなくて暖かだったので、兄ちゃん、洗濯物を温かくなって始めて居間の窓の外へ干した。ガラガラと窓を開け放す。物干し竿に洗濯物を掛けたハンガーを釣るして行く。僕は何となくそれが心楽しくて兄ちゃんの足元に寄り添いそれを見つめていた。
そうだここからこの春草の生え始めた庭に下り立ってみようかな。ぴょんと下へ飛び降りた。ああー何て気持ちが好いんだろう。白木蓮の木の所まで駆けて行った、地面には大分その花びらが散っている。もう茶色になったのもある。虫はまだ飛んでいない。いや、音がするぞ、どこだ、どこを飛んでいるのだ。いたいた、ちっちゃくて良く見ないと分からない位ちっちゃい奴。こんなちっちゃい奴はおじちゃんの腹を満たす事は出来ないなあ、せめてこの十倍ぐらいなきゃ捕まえる元気の元にもならないな。でもちっちゃな虫が飛ぶと言う事は、じきに大きいのも飛ぶはずだよね。もう少しだよおじちゃん、もう少ししたら大きい虫が飛んで、それを獲物とするトカゲなんかも動き出すに違いない。でも兄ちゃん、何時になったら僕をあの山へ連れて行ってくれるんだろう?もう会社の方も自分の方の書類も終わっているはずなのに。
「あらクロちゃん、今日は天気が良いから外に出してもらってるのね」隣の奥さんだかおばちゃんだか分からないけど僕を見つけて声をかける。やーおばさん、こんにちはと返事をした。勿論人間にはニャーとしか聞こえないけどさ。
「あらーお返事ちゃんと返してくれるのね、さすが名猫だわ」おばちゃんニコニコ顔だ。
「これから暑くなってきたら、家の中に閉じ込めておくのは可哀そうだわね、猫専用の自在ドアでも付けてあげたらいいのに」おばちゃんは提案する。
「猫専用の自在ドアですか?」兄ちゃん少し考えている。
「そうですね、でも付けられるような所がないんですよ。まあ前は風呂場の窓を夏の間は空けて出勤してたんですが・・あそこからも出入りは出来るから暫くはあそこで我慢してもらおう。今度大工の知り合いに相談してみて、可能なら台所のドアにその自在ドアをつけてもらおうかな?」
「あら良かったわねえクロちゃん、風呂場の窓は今日からでも出入り可能だしこれからは外へ行きたい時に行けるんだって」
と言う訳でその日から晴れて風呂場の窓から出入り自由の身になった。万歳、僕はもう籠の鳥ではない、自由に外と家の中を行き来出来る身となったんだあ。隣のおばちゃんに深く感謝申し上げます、いえ本当にクロは嬉しくておばちゃんにキスしたいくらいだよ。
でさ、僕が庭にいる事を知った人間たちが僕を見よううと又ぼつぼつ現れた。昼間は今の所兄ちゃんが作ってくれた木の踏み台が木蓮の下に置いてあるのでそこで寝るのが普通だが、それ以外に風呂場から始まって、庭を怪しい所はないか点検するのが日課になった。それが人間には何故か面白いらしく、みんなの話題の的になっているらしい。
楽しみは大いに増えた。あの小さな虫しか出没していなかった庭だったのが今はもっと色んな虫が現れるようになった。アリンコも沢山いる事が分かったし、ハエもアブも結構飛んでいる。もしかしたらその内
蛾も現れるかも知れない。うん、庭はとっても楽しいよ。塀の外も楽しそうだ。人間もいるけど犬もいる。時々近くの猫も垣根の上を通って行く事もある。ちらちらと目配せすると相手も僕に目配せする。いやーここは天国みたいだねえ、ただ一つない事を除けば。そう、おじちゃんが居ない、一番大事なおじちゃんがいないんだ。兄ちゃん思い出してくれよ。絶対思い出させてみせるぞ!でもその前に、お風呂場から毎日抜け出すと言う事は今まで顔すら合わせた事のなかった、2階からしか見下す事しかなかった、そのもう一方の隣人とも顔見知りになると言う事だ。冬の間だったら殆ど顔を合わす事のない僕らだったけれど春の陽気はそうはさせてくれない。我が家のように白木蓮しかない庭だったら別に洗濯物を干すぐらいしか用のない庭だけど、大抵の人間は花をめでるから、花の為に庭に出て土をほじったり種や球根等を植えるか世話を焼く。特に南側の日が当たる方ではなおさらだ。よって僕が出入りすると言うか隣の家からすれば南にあたる庭になるこの家の奥さん、またはおばさんはあったかくなったのでちょいちょい出て来て庭の手入れを始めたんだ。
「あ、あなたが噂の猫ちゃんね。初めまして、わたしの名は古田時恵と言うの、あなたは黒いから多分クロね、分んないけど。うーん、でもあなたに自己紹介してもあなたも多分わたしの名前覚えてくれないわよねえ」とおばちゃん2は笑った。
「にゃー」そんな事はありませんよ、ちゃんと覚えておきますよ、只古田敏江といわれても僕は発音がニャーとしか発音出来なくて失礼しますけど、ええ本当にきちんと覚えておきます。でも欲を言わせてもらえれば、おばちゃん一号とか二号とか言われる方がずっと覚えやすいし連絡の使用がやり易いのだけど。
「あら、中々お返事は出来るのね。内にも猫がいると遊び相手になるんだけど、内には犬しかいないわ。そうね犬だって遊び相手にはなるわねえ、家の中で飼っているのよ、後から合わせてあげるわ」
そこで僕は隣の家の境の塀の上に乗って待つことにした。何としても今僕に欲しいのは話し相手が欲しい。犬だろうが鳥だろうが話せればそれに越したことはない。
「あららら、もう待ってるの、じゃ、少し待っててね、、連れて来るわ」
そう言っておばちゃん2は家に戻って行った。僕はどんな犬が現れるか期待を込めて待つ。余りデカすぎるのは少し怖いな、でも平気、牛みたいに大きくても話せば気の良い奴もいるもん。顔もブルドッグみたいなやつでも構わない。あんまりちいちゃくて壊れそうなのよりドンと構えている方が僕としては良いと思えるな。出て来た出て来た、うん、あれは中型犬だなあ。まあ話し相手としちゃ不足はない。
「ワン」とそいつは僕を見て一声威嚇の鳴き声を立てた。おばちゃん2は犬の頭を軽くたたいた。僕はそう言った鳴き声に動じる猫ではないから悠然と塀の上から犬の様子を観察する。名前は何と言うのかなとも思う。ま茶色だから茶,チャでも良いやな。
「この子の名前はハリーって言うのよ。宜しくねクロちゃん」おばちゃん2は教えてくれた。
ハリーかチャではなかったか、ともう一度ハリーを見つめる。僕は意を決して塀の上から隣の庭へ飛び降りた。そしてそこに佇む。相手の出方を待つ。相手もジッと僕の方を眺めている。
「お友達になるのよ」おばちゃん2はチャではないハリーに声を掛ける。うん、こいつしっぽを振ってるぞ。と言う事はこいつ僕の事を認めたんだなあ。あいつが少し前へ出て來る、僕も前に出て行く、互いの鼻をくっつけ会って友好の挨拶だ。暫し二人で時を過ごした。隣の庭を探検。何しろ初めての庭だ。おばちゃん2が庭の土をほじるのも初めて見たし、球根も種も初めて手元でちゃんと見た。勿論山の畑で農家のおじちゃんやおばちゃんたちが植えているのを遠くから見ていたけど、こんな間近で見るのは初めてだったんだ。
「クロちゃんは土いじりに興味があるみたいね、ハリーはあんまり興味がないのよ。内の子供達と同じ」おばちゃん2は少し寂し気に呟いた。ジョロと言うものも初めて見た。水を入れて傾けると、水が細かくなって降って来るんだ。それで今植えた種や球根に水をやると土が飛び跳ねないでかけられるんだっておばちゃん2は教えてくれた。こんな面白い事を教えてくれるこのおばちゃん2が大好きになった。
勿論ハリーとも仲良くなった。ハリーも僕と同じオスに属するらしい。僕たちは庭の隅から隅まで観察しあった。物珍しいものもあったがそれが何するものかはハリーも全然わからなかったしハリーには興味のない物だった。ハリーがキョロキョロ上の方を気にする。見るとよく見かける猫がいた。どうもその猫は雌のようだ。。僕はその子にここへ来るように眼で合図する。ひらりと彼女は飛び下りた。彼女も鼻をくっつけ会って仲間の儀式を行い僕らの団員になったのだ。夕方になって一応皆それぞれに帰るべき所へ帰るべく分かれて行った。その女の子の猫は4軒先の家の猫らしい。名前はミッチーと言う。
兄ちゃんが帰って来た。僕は日課として彼の送り迎えをきちんとやっている、まあ当たり前と言えば当たり前の話だけど。
「クロ、ただいまー、今日も一杯遊んだかい?」と兄ちゃんは問う。
「ニャー」と答える。本当は北側の家のおばちゃん2と話をしてその内の犬ハリーと友達になった事、4軒先のちょっと可愛い女猫とも仲良くなって遊んだ事を伝えたかったけど、僕の喋れる言葉はそれだけしか喋れないんだ、残念だけど。兄ちゃんもそれは承知しているので彼も彼なりに自分勝手に解釈する。
「フーンそうかそうか、木蓮の所に日が当たり過ぎて少し暑すぎたか?も少し日影の所にも寝床を作って置かないといけないなあ。分かった、今度の土日でその寝床を作ってあげよう。兄ちゃんに大工仕事は任せておけ」兄ちゃん得意そうにのたまわった。
えっ、そんな暇があるなら、お願いだからあの北の山へ行ってよ。僕は慌ててそうじゃないそうじゃないと体を擦り付けてアピールする。
「うん、分かったわかった。飛び切り寝心地の良い奴を作ろうな」増々兄ちゃんの自分勝手な考えの方にそれてしまう。僕は兄ちゃんの好意は嬉しかったけど、北の山へいけない悲しみに半分心が閉ざされて嬉しいのか、悲しいのか複雑な気分だった。
「ああおじちゃん、こういう時はどうすれば良いのかな?」僕は幻のおじちゃんに寝床の中で何度も問うた。でも幻は幻、おじちゃんは答えてくれなかった。
翌日又風呂場から隣の家との境の塀の上に飛び乗ると、もうハリーが庭に出て遊んでいた。そこで僕も隣の庭へ飛び降りる。ハリーも喜んで走り寄って来た。
「おはよう、ハリー、良く眠れたかい?僕は思う事があって、なかなか寝れなかったんだ」
犬に相談しても仕方がないとは思ったけど、誰かに聞いてもらいたかったんだ。ハリーは僕をじーっと見つめた。犬は僕達猫族より言葉が不自由だ、ワンと言う威嚇以外には普通の言葉が話せないのだ。でも僕はここに来るまでの長い一年弱の苦労話をした。初めちぃちゃい蛾しか捕まえられなかった僕に虫の取り方やトカゲの捕まえ方、もっと大きくなってからはネズミの捕り方まで丁寧に親切に食べ物を分けてくれながら教えてくれたおじちゃん猫の事を事細かく話した。ついでに山に流れる川の事もね、そこで初めは名も知らない小さい魚を取り秋に成る頃にはフナも捕まえられるようになったと言う事も。それなのに秋が深まる頃おじちゃん猫は僕に優しそうな人が居たらその人に貰われて行くように言った。彼は自分は元々の飼い主が居るからそれは出来ない、帰ろうと思えばうるさくて厳しい親父がいるが他の母ちゃんも子供達も優しいからどうしても帰るんならそこの家に帰ると僕に言った。
ある日一人の男の人が現れて、彼を僕は僕を置いて行った父ちゃんと間違えて「父ちゃん、父ちゃん」と土手から叫んだんだ。それは父ちゃんではなく、この隣の兄ちゃんだったのさ。それから暫くしてから兄ちゃんは僕を連れにやって来たんだけど、その時勿論僕はおじちゃんにも来るように言ったけどおじちゃんは首を振ったんだ。仕方なく独り僕はここの家の子になったんだけど、おじちゃんの事を忘れる事が出来ない。ある冬の日に兄ちゃんが僕がこの2階の窓から悲しそうな目で見つめているのを見て「お前、何か山に忘れ物をして来たんじゃないか?春になったら一緒に山へ探しに行こう」と言ってくれたんだ。僕は嬉しくて嬉しくて春になるのを待ち続けたよ。でもいくら温かくなっても兄ちゃんは山に連れて行ってくれないんだ。どうしたら兄ちゃんは思い出してくれるんだろう。
ハリーは黙って僕の話を聞いていた。いつの間にかミッチーも傍にいて聞いていた。
「人は猫との約束なんて直ぐ忘れるのよ、何度も何度も催促しなくちゃ駄目よ」とミッチーは言った。「僕もそう思う」と少ない言葉の中でハリーも頷く。
「そうだねえ、もう一度兄ちゃんに山に行く事を思い出させなきゃならないんだねえ」
「何度も何度もよ、連れて行ってくれるまで何度も行動するのよ」ミッチーは厳しく念を入れて僕に言い含めた。実行あるのみと言った所。うん、先ず今日やってみよう。
兄ちゃんが帰って来る。僕は「ニャー」とまず一声鳴いた。二階に行こうと泣いたつもりだったが兄ちゃんには「お帰り」としか聞き取れなかったらしい。少しがっかりした。「何度もよ、何度もよ」と言うミッチーの言葉が蘇る。そう、この位で引き下がちゃ駄目だな、兄ちゃんが着物を着換えたらもう一度挑戦だ。着物を着換えた兄ちゃんの足元へもう一度。でも兄ちゃんは勘違いしたらしく僕にカツオの缶詰を開けてくれただけだった。その後彼は自分の夕食を作るのに忙しい。もう一度、もう一度ご飯を食べたら挑戦しよう。そうだ階段の所で鳴いてみよう、と兄ちゃんがトイレに行った所を待ち伏せした。
「ニャー」と鳴く。
「何だ、何の用だ?」兄ちゃん僕の顔を覗き込む。
「ニャー」と僕も負けず鳴いて2階に誘う。
「一体2階に何の用があるんだ」兄ちゃんいぶかしく思っているが一応僕の招く二階へと足を向ける。
二階に着いた。僕はガラス戸の桟の所に飛び乗った。外は暗くて所々の家の明かりが見えるだけだ。
「どうした、何もないじゃないか」兄ちゃんはガラス窓やその周りを点検する。何もない。
「何もないぞクロ。怪しい所も可笑しな所も何にもないぞ」
「ニャー」と僕は悲しくなって兄ちゃんの顔見て泣いた。言葉を話せない悔しさ悲しさをこれ以上に感じた事があろうか。
「そうだ、思い出したぞクロ。お前、山に何か忘れ物をしてきたんだったなあ。そうそう、春になったら行く約束をしたんだった。ごめんごめん、今度の土曜日に必ず連れて行くからな、約束するよ今度こそ」
兄ちゃんの笑い声と僕の頭をなでる手のひらの温かさ、長い長いトンネルをやっと抜け出られた喜びが僕を包み込む。その日の夢でおじちゃんに会ったら今度の土曜日に絶対会いに行くから待っててねと伝えよう。
次の日又隣の家へ行ってハリーとミッチーにその報告をした。特にミッチーには念を入れてお礼の言葉を述べた。
「ミッチーが何度も何度も言わないと駄目だと言った言葉がありがたかったよ。そう言われなきゃまだ彼は気づいてくれなかったに違いないよ」
「そうでしょうそうでしょう、わたし達の言葉は人間には聞き取れないから、何度も何度も話さなけりゃ駄目なのよ。これからも良くあることだから肝に銘じる事ね」ミッチーは満足そうに頷いた。
僕は土曜日が来るのをルンルンの気持ちで待ち構えた。勿論その輝かしい日が来るまでハリーともミッチーとも楽しく遊んではいたけれどおじちゃんの事が常に僕の心を、そう80パーセントぐらい占領していて遊ぶのをストップして仕舞うくらいだった。
「そんなにそのおじちゃんと言う猫は素晴らしいの?」とミッチーは問うた。
「勿論だよ、おじちゃんは色んな事を知っているんだ。それを僕に分かり安く説明してくれるんだ。虫の捕まえ方もトカゲの捕まえ方も順序良く正確に教えてくれたよ。僕が少し大きくなってからはネズミの捕り方も教えてくれたし、巣穴の中の事や巣穴からネズミたちが出て來る順番迄教えてくれたよ」
「じゃあどうして彼と一緒にこの家に来なかったの?」
「僕はおじちゃんに何度も言ったんだ、一緒に行こうとね。でもおじちゃんは元の家の人達に顔だて出来ない、どうしても寒くなったりお腹が空いたら元の家に帰るからお前独りが彼と一緒に行くんだと言ったんだ。でも、後から考えるとね、彼が元の家に帰ったとは考えられないんだ。だから僕は毎日毎日が心配でならなかったよ。無事でいて欲しい、病気になって動けなくなっても生きていて欲しい。きっと僕が見つけ出して、看病して治して見せるさ」
「ふーんクロも中々の義理堅い猫なんだねえ、僕にはまねできないよ」とハリーが一言。
「当たり前だよ、この位の事。もしおじちゃんに巡り合えていなかったら今頃僕は天国にいたに違いないんだから」
「わたしもクロの話は良く分かるわ、わたしも元々捨てられた猫だから。お腹が空いて死にそうだった所をわたしの家のママが拾ってくれて助かったのよ。ハリーは捨てられたことないでしょう?」
「うん、まあね。たしか、僕が小さい時にもらわれて来たんだ、多分」
「皆それぞれ苦労してるんだね、お互いに」
「そうね、時々本当のお母さんに会いたくなる事もあるけどそれは叶わぬ事だから」
「そう、それは叶わない事なんだね。あの日、兄ちゃんを見かけた時、僕を捨てた父ちゃんだと思ったのは絶対にあるはずがないと言うおおじちゃん説が大当たりだったんだな」
叶わぬ僕の夢が叶おうとしている。5か月近く僕が願い続けた夢、おじちゃんと一緒に暮らしたい、それがやっと叶おうとしている、良かった諦めないで。
土曜日がやって来た、上天気とは言えないけれど雨は降ってない。胸を撫で下ろす。もし雨が降ってたら多分天気が良くなるまで行ってはくれないだろうから。
兄ちゃんは朝食を食べ食器を洗って片付け、洗濯物をする。1週間分だから結構長くかかるんだろうな。でも僕は良い子で待っている。この位5か月間の長さに比べれば大した事ではないもんなあ。洗濯物を干して洋服を着換える。うん人間はする事が多いよね。
「さあ、クロ、待たせたな、出かけるぞ」兄ちゃんが僕に声を掛ける。
「ニャー」と僕も喜びの声を上げた。
車のドアを開けて僕を乗せていざ出発だ。
「向こうに着いたら悪いけどリード付けるよ。信用してるけどさ万が一って事もあるからさ。でも凄く長めの奴買って来たから、多分自由に歩けると思うよ」
車は人通りの多い所から人も車も少ない道路を走る。兄ちゃんも安心したのか鼻歌交じりに運転し始めた。
「お目当ての山までもう少しだ、たった4,5か月だからあまり変わっていないと思うよ。探し物は多分すぐ見つかると思うから、そんなに慌てる事もないさ」
いよいよその山のふもとまでやって来たようだ。
「フーム、あの頃は秋だったからなあ・・今は春の初めだ。少し感じが違っているよ。ええっと何処に車を止めたんだっけ」兄ちゃん車のスピードを落としてキョロキョロ。僕も心配になって窓からのぞいてみる。ここではないようだ。も少し先の方だと僕は思う。あ、ここだここだ、兄ちゃん、ここだよと僕は声を上げた。
「え、ここ?ここか、そうか、思い出したぞ、あの日は1台も車がなかったんだ、その前来た時もあの日も。うんでも俺の自動車止める余裕は十分にあるな。ようし今車止めるからな」
車が止まった。兄ちゃんが僕の首と腕に猫用のリードを付ける。準備完了だ。
「さあ降りよう、でも焦るなよ、多分相手は逃げないだろうからな」兄ちゃんあくまでも悠長だ。
坂道を登ると一人のおじさんが農作業をしている。
「こんにちは、精が出ますね」兄ちゃんおじさんに挨拶する。
「あーこんにちは、猫の散歩ですか?」
「はーまあそんな所ですが・・実は去年の秋にこの子とここで巡り合ったんですが、この子がここに何かを忘れて来たと、この山を見て鳴くものですから、じゃあ探しに行こうかと今日来たわけです」
「え、ああそう言えばこの猫、あのキジ猫と一緒にいた黒猫だ。二人は何時も一緒に行動してたっけ。暫く見かけないと思っていたけどあんたがこの子を引き取ったんですか?」
「え、キジ猫?そうか、そのキジ猫にこの子は育てられたんですね。そうなのかクロ?」
「ニャー」
「で、そのキジ猫どうなりました?」
「フーン、そういやこの所キジ猫の姿見てないなあ。この冬うんと寒い日があったから、あの子も遂にへたばったかな?」
おじさんの言葉を聞いて僕はパニック状態に陥った。もうリードも何もあったもんじゃない。無我夢中であの木の穴目指して駆けだした。駆けに駆けた。おじちゃんがへたばるなんて事がある訳がない、あの穴の中で僕が来るのを待っている。絶対に僕が来るのを待っているんだ。それ程まだ草は生い茂っていない。穴は枯れ葉が十分に詰め込まれた状態だ。二人で詰め込んだあのままの姿である。
「おじちゃん、おじちゃん」僕は夢中で鳴き叫んだ。そして穴の中へ頭を突っ込んだ。いて欲しい、いて欲しい、そう願いつつ頭を突っ込んだ。
でも枯れ葉の中には彼の姿はなかった。では何処にいるのだ、何より恋しいおじちゃんは?
そこいらを探し回る。少し下の方まで下って探してみた、そこにもいない、では上の方を探そう。少し上の方へ行って見た。おじちゃんとネズミを捕りに来た所だ。聞き耳を立てておじちゃんの声を尋ねる。何の声も返って来ない。でもおじちゃんは必ずどこかで生きてる筈だ。待ってろきっと僕が探し出して見せるからね。
もっと上の方まで行ったのか?とも思う、いやいや寒い日にそんな遠くへは行かない筈だ、とも思う。畑のおじさんが見る事のない場所に彼はいる。そこはどこだ?木の後ろを今度は丁寧に探して歩く。1本1本丁寧に見て歩く。大きな石の後ろも気になってみて歩く。いない、いない、どこにもおじちゃんの姿はなかった。
「クロ、も少し違う所を探したらどうだ?例えば・・・そうあの川のあたりを探してみたらどうだろう」
川?川だ、川しかない、病気になってどうしても必要なもの、それは水だ。水無くして誰も生られないんだ。きっと川の傍の何処かに彼は横たわっているに違いない。待ってろ、今行くぞ、僕は必ずおじちゃんを見つけ出すぞ。
僕は又川に向かって走り出す、リードはとっくの昔に僕から外れていてもう用なしのストーブみたいなもんだ。兎も角僕はおじちゃんを見つけるために自由の身でありたい。兄ちゃん御免。
川の見渡せる土手の上まで来た。土手の上から先ずはじっくり見渡した。猫らしい姿はない。でも何処かでうずくまっていたらここからはみえないだろう。僕はおじちゃんが見つかるように自分の神様に祈る。「どうか僕におじちゃんが探し出せますように」そして土手を駆け下りて行った。
「ニャー、ニャー」と僕はなく。そして耳をそばだてる。返事がない。
もう一度声を上げる。うん?何処かでかすかな声が聞こえる。いる、あれはおじちゃんの声だ!こっちの方だ、も少しこっちの方だ。おじちゃんは生きているんだ、神様は僕の神様は僕を見捨てなかったんだ。大分近くに来た所でもう一度鳴く。今度ははっきりおじちゃんの声を聞き取れた。
「ここだここにおじちゃんがいる」僕は土手のくぼみに走り寄った。おじちゃんがそこに居た、スッカリ痩せて毛も抜け落ちてはいたがそれは間違いなくおじちゃんそのものだった。
「お前、俺に会いに来たのかい」か細い声で彼は言った。
「ああそうだよ、あれから毎日おじちゃんの事ばかり考えていたよ。あ、もう喋らないで、僕が一人でしゃべるから。僕は今日おじちゃんを迎えに来たんだ、おじちゃんが何と言おうと連れて行くからね、絶対だよ」
後ろを振り向くと兄ちゃんも人間用の坂道を降りて僕に追いついた。
「大丈夫かい?」と兄ちゃんが尋ねる。
「ニャー」大丈夫だよ、きっと介抱したら元気になるさと僕は兄ちゃんに言った。
「どれどれ見せてごらん」兄ちゃんもおじちゃんを触ってみる。
「大分弱っているようだな、今日は土曜日だし、明日は日曜だ・・うむ、困ったなあ、知ってる動物病院ないし・・お前が手術した病院だってよく知らないんだ、まあ、ここに居るよりも家に連れて帰って温かくして何か体に合うスープでも飲ませれば少しは良いだろう」兄ちゃんは着ていた厚手の上着を脱いでその中におじちゃんの体を移す。
「大分軽いなあ、冬の間あまり食べなかったんだろう。さあ、クロ戻るよ、他に忘れ物はないんだろう?」兄ちゃんはおじちゃんをそっと抱えて立ち上がる。土手を登る。
さっき農作業してたおじさんが気づいてこっちへむかってきた。
「キジ、見つかったんですね、良かった良かった。キジお前も冬中頑張ったんだから、も少し頑張って元気になるんだよ」
「ありがとうございます、必ず元気にして見せますよ」と兄ちゃんは返事を返す。
「車の所まで一緒に行きましょう、それじゃ車を開けるのに不便だから」おじさんは一緒についてきた。おじさんは兄ちゃんから車のカギを受けとり開けてくれた。兄ちゃんは助手席におじちゃんをそっと下した。僕はその横に寝ておじちゃんの体を温める。
「どうもありがとうございました、お蔭で助かりました」と兄ちゃんはおじさんにお礼を言うと元来た道を引き返す。
「少しゆっくりめに走った方がいいかな?」兄ちゃんが尋ねる。家に早くは戻りたいしでも急ぐのはおじちゃんの体を思うとより心配だ。「ニアー」と顔を上げて鳴く。そうだね、そうしようかと言う意味での返事だ。僕はおじちゃんの体にぴったりと寄り添い少しでも温まるようにしている。心の中ではおじちゃん頑張れ、頑張れえと叫んでいる。おじちゃんは目を閉じていてる。もう一回神様にお願いしよう、こいつ欲張りな奴だなと思うか知らん?でも今は祈るしか方法はないのだもん、祈ろう、祈ろう、おじちゃんの体力が持ちますように、体力が持って元気になりますように。分けられるもんなら今の僕の体力を分けてあげたいよう。
「もう少しだ、もう少しで我が家に着くぞ、頑張れキジ」と兄ちゃんの声。僕は顔を上げて外を確かめた。うん、もう少しで我が家だ、兄ちゃんと僕が住んでる我が家の街並がみえる。やがて車は我が家に到達。車が止まる。
「着いたぞ、先ず彼を居間に運ぼう」兄ちゃんは降りて玄関の鍵を開けてからおじちゃんを抱き上げ玄関から居間へ運ぶ。おじちゃんをそっと下すと「ちょっと待ってて」と言って又外へ出て行った。車のキーを掛けに行ったんだろう。やがて帰って来ると皿に牛乳を少し次いで持って来た。
「牛乳飲むかな?」兄ちゃん彼の口元へそっと運ぶ。
「そうだな、このままじゃ飲めないな、何かスポイトみたいのを買ってこないと駄目だ。俺さ、ちょっとドラッグに行ってさ相談して色んなもの買って來るよ」兄ちゃん又出かける。
僕はおじちゃんと二人きりになる。おじちゃんの体をなめる。おじちゃんかすかに目を開ける。
「あ、おじちゃん、大丈夫かい?ねえ牛乳飲む、少しは元気出ると思うよ」
おじちゃん、顔を上げて皿の方に体を向けてピチャピチャとほんの少し飲んで又元気をなくし寝てしまう。あー、も少し力が付かないと牛乳も飲めないな。兄ちゃんが帰って来るまで待とう。僕は仕方なく又彼の傍にうずくまり彼の体を温める。又おじちゃんが目を開けた。
「ねえ、も少し牛乳飲めない。無理する事ないけどもう少し飲めば力着くかもよ」おじちゃんそれを聞いてジッと考えている。もう一度彼は力を振り絞り皿をなめる。さっきより少し多く飲めたみたいだ。
「飲めた飲めたよ、さっきよりずうっと沢山飲めたよ」僕は歓声を上げた。彼は又疲れたのかうつらうつら寝ている。そうしているうちに兄ちゃんが帰って来た。
「はいお待たせ、シリンダーみたいなもの買ってきたよ。これで先ずは試してみよう」
兄ちゃんそのシリンダーなるものに牛乳を入れおじちゃんの頭を起こし少しだけ流し込む。
「うん少しは飲めるようだ」それを2,3回繰り返した。
「ようし、今の所はこの位だろう。又時間を置いてから試してみるとしよう。何でも焦るのは禁物だね」
そう言って兄ちゃんは立ち上がり自分の遅い昼ご飯の為にお湯を沸かし食べ始めた。
「クロ、お前も自分の昼飯食べたらどうだ?あれだけのっぱらを駆け回ったのだから、お中空いただろう?」
兄ちゃんの優しい言葉に僕も自分のお腹が空いている事に気が付いた。
夜になった。おじちゃんはまだまだ自分で何もできない。おじちゃんの下には紙おむつが敷き詰められいたけれど、まだそれさえも用がないみたいだった。「明日になれば少しは良くなるかしらん」僕はおじちゃんの体をなめる。「明日はもっと良くなるさ」と兄ちゃんは安請け合いするが僕は不安でしようがない。あんなに元気だったおじちゃん、何もかも的確で意気揚々としていたおじちゃんがこうなってしまうなんて。あの寒さにやられてしまってきっと何日も獲物も取れず、あの川に降りて行くのだって大変だったろう。彼の傍に僕がいたらここまではきっと彼は弱っていなかったと思う。そして何よりもっと早くあの山に行っていたら、彼をも少し元気な状態で救い出せたのに。
翌日になった。雨が大降りではなかったけど降り出していた。
「昨日行って正解だったな。多分今日みたいな天気だったら行かなかったろう。ごめんな、お前との約束を忘れていて」兄ちゃんは誤った。
「で、どうだキジの様子は?」兄ちゃんが覗き込む。
「素人目には昨日よりは少し良くなったみたいには見えるけど、まだまだだな。兎も角明日、会社休んで病院に連れて行こう。只の風邪と栄養失調とは思うけど」僕も頷く。朝ご飯を食べ、又シリンダーなる物で牛乳を飲ませる。昨日より沢山飲んだみたいだ。
「後でこれも飲ませてみよう」兄ちゃんは昨日ドラッグの人に勧められた栄養剤入りのスープを見せる。「ニャー」と僕も合図地を打つ。何だか凄く好いような気がしたのでね。
おじちゃん、少しだけど元気が出て来たような気配がする。だって自分から起き上がって皿から牛乳を少しだけど飲み始めたんだ。僕は嬉しくって兄ちゃんに報告。
「どうしたんだ、え、何が起こったんだ」僕の鳴き声に気が付いて兄ちゃん顔を覗かせる。
「おおっ、自分で牛乳が飲めるようになったのか。うんそれじゃあこれも大丈夫かな」兄ちゃん栄養剤入りのスープも別の皿に入れて置いてみた。おじちゃん少し休んでそのスープも完食した。
「少し元気でたの?」と僕が聞くと彼はかすかに頷いた。「もうひと眠りすればもっと良くなると思う」と彼はかすれた声で言うと又眠りについた。
「あ、さっきのスープ、飲んだんだねえ」兄ちゃんも嬉しそうにつぶやいた。僕も嬉しくて「ニャー」と兄ちゃんに囁いた。お昼時になって彼はまた目を覚ましたので兄ちゃんは又皿にスープを注いだ。それも又完食。少し目もさっきよりも大きく開いてきた。
「トイレは何処にある?」と彼は僕に問う。
「好いんだよ、ここで出来るようにシートが引いてあるよ」
「しかし、そんなに遠い所じゃなければ、そこ迄歩いて行きたいな、俺のプライドが許さないんだ」
「仕方ないな、ほんとに、立てるの、大丈夫なの?」
「きっと大丈夫、歩いて行けるさ」彼はよろよろ立ち上がる。僕は彼の先導役として彼に付き添う。兄ちゃんも心配して後ろからついて来る。彼は玄関のトイレまで何とかたどり着く。
「ここまで回復したらもう大丈夫だよ、も少しスープを与えてみよう」
兄ちゃんはスープを少し多めに入れる。トイレから戻って来たおじちゃんは疲れたのか又寝てしまった。
「もう少しだな、彼が元気になるまでは」「ニャー」僕も兄ちゃんに応じる。
翌日おじちゃんを獣医さんの所へ連れて行った。やはり風邪のこじれと長い間食べなかった事による栄養不足による体力不良によるものと言われた。薬をもらって帰って来る。兄ちゃんがおじちゃんに薬を飲ませる。もうスープだけでなく半液体状の食べ物も食べられるようになっていたので、チュールみたいなものもOkになった。
「明日から俺会社に行くからさ、俺のいない間、キジの面倒しっかり頼むよ」と兄ちゃんは心配そうに僕の顔を見つめる。「ニャー」と言う返事しかできないが心の中では大丈夫だよ、おじちゃんの看病は僕に任せて、と胸を叩く意味だった。
翌日からおじちゃんと僕だけがこの家に残った。ほんとに長い長い時を経てもう会えないと思っていたけど、こうしておじちゃんと向かい合う事が出来た。
「おじちゃん、あの時も少し強く僕と一緒に来るように言えば良かったねえ。冬があんなに厳しいものだと僕は知らなかったから僕はあっさり別れてしまったよ。もしかしたらおじちゃんは自分が死ぬ覚悟をしていたのかもねえ」
おじちゃんはその言葉にはっきりした返事をしなかった。只微かに笑っただけだった。おじちゃんはまだまだ殆ど寝てばかりだ。
そうだ、ハリーやミッチーも心配してるだろう、一方を入れて置かなくちゃあ悪いな。
僕は風呂場の窓から隣との塀の上に。「ニャー」と声を掛ける。「ワン」と言う返事がある。おばさんがガラス越しに僕を見つける。ガラス戸を開けるとハリーが尻尾を振りながら外へ出て來る。僕もひらりと飛び下りた。
「どうした、おじちゃんは連れて帰れたのか?」とハリーが尋ねる。
「うん、おじちゃんもう少し遅かったら死んでいたかも。でもぐったりしたおじちゃんを見つけて兄ちゃんが抱いて連れ帰ったんだ。昨日獣医さんに見てまらったんだけど、風邪と栄養失調なんだって。まだ全然寝てばかりだけど、トイレは何とか行けるようになったよ。紙おむつを周りに敷いてあるけど、そこでやるのは彼のプライドが許さないんだって」
「ふうん、俺ならそこでやるだろうけどな。猫のプライド何て分からないよ、生きるか死ぬかの時にプライドもへったくれもないだろうに」
「それがおじちゃんなんだよ。秋に僕がここに来るように誘った時、ここに来なかったのもあそこで死ぬ覚悟をしてたみたい」
「ふうん、犬と猫の違いなんだろうね、俺にはそこの所理解できないよ」
「あらークロちゃんいたの、4日振りかしら」ミッチーの声。
「あ、ミッチー、久し振りだねえ」
「久しぶりと言う事もないけれど、でも少し寂しかったわ」そう言いながら彼女もひらりと塀から飛び降りた。三人の再開だ。思えば昨日は雨だったけど今日は良く晴れていて日本晴れだ。ミッチーにもこの2,3日の事をかいつまんで話をする。
「そう、キジさんてプライドの高い猫なのねえ、わたしにはその気持ち、心意気とっても良く分かるわ。彼は猫の中の猫よ、尊敬するわ。元気になったら是非我々に紹介してちょうだい」
「うん、勿論紹介するよ。でも今の所はトイレに行くのが関の山だからね、も少し元気になって欲しいよ」
ひとしきり3人でで遊んだ後僕は二人に別れを告げおじちゃんの元に帰った。
「みんなに報告して来たのかい?」おじちゃんは眼を覚ましていた。
「うん、おじちゃんの事話して来たよ。みんなも早く会いたいと言ってた」
皿にはもう何も残っていなかったが僕が出せるものは何もなかった。只動ければ台所に僕のドライフードと水はあった。
「お腹空かない?僕が出せるものはドライフードしかないけど・・もしかしたら庭に行けばもう気の早いトカゲか何かいるかも知れない、それを取って来てあげようか?」
おじちゃんは少し笑った。
「まだお腹は空いてないよ。ただ少し水を飲みたいな」
「台所に行けば水が置いてあるよ、歩ける?」
「うん、昨日より歩けると思う」そう言っておじちゃんは立ち上がった。僕はおじちゃんを又先導して水が置いてあるところまで連れて行った。おじちゃんは水も沢山飲んだ。
「もう缶詰めみたいのも食べれるかもね、兄ちゃんに言って置こう」
「お前には迷惑かけたな、強がり言ったけどこのありさまだ、少し面目なくて恥ずかしいよ」
「そんな事ないよ、僕はおじちゃんに又会えて嬉しいんだ。もし、もしおじちゃんがあのまま見つからなかったら、僕はこれからの日々嘆き悲しんで暮らさなければいけなかったんだ」
「本当はお前には俺の事をすっかり忘れて気兼ねなくここでの生活を謳歌して欲しかったんだけど、どうもそうは行かなかったらしいな。俺自身もお前が居なくなって生きる張り合いをなくしてしまったもんな。お前に会いたくて会いたくて仕方なっかった、それで気力もなくなってしまったのかな」
おじちゃんも僕も互いに顔を見合わせて笑った。
おじちゃんは日ごとに良くなって行った。数日後にはもうドライフードも食べらるように回復している。
兄ちゃんももうすっかり治ったと判断していた。猫用品も二人分必要になったと見晴らし台も横にもう一つ作り足した。
「あらー猫がもう一匹増えたのね」とおばちゃん1も気づいて声を掛ける。
「まだ病み上がりで毛並みも良くありませんが、も少ししたらもっと良くなるはずです、ハハハ」
「この二匹、とても仲が良さそうね、親子なの?」
「いや、親子ではないらしいですが、クロが捨てられた後、俺がクロを見つけてここに連れて来るまで一緒に暮らしていたらしいです。それを知らずにクロだけを連れて帰って来たもんだから、このクロが2階の窓からこのキジの事を心配して鳴いていたんです。やっとそれが分かって、この間、このキジ猫が死にかけた所を助け出して来たと言う所です、近くで農作業している人に色々聞いて事情が分かりました」
「そう、猫の友情と言うか情愛と言うか、結構深い物なんですね」
おじちゃんの体力も大分ついてきたと言うので僕はおじちゃんを紹介すべく、風呂場の入口より塀に飛び移った。このところ天気も気候も良くなったので、もうハリーは外にでていた。でも遊んでいたわけではない、只ぼーっと揺れる草木を眺めているだけだった。僕は後ろにいたおじちゃんに合図する。おじちゃんも塀の方に飛び移る。ハリーも気が付いたらしく、立ち上がって尻尾を振る。
先ず僕が先に飛び下りた。次におじちゃんも飛び下りる。
「ハリー約束通り僕の大恩人のおじちゃんを連れて来たよ」
「こ、こんにちは、俺、俺ハリーって言います、クロの友達です。今後ともよ、宜しく」
「俺はキジってここの飼い主は言ってるけど、昔は千代太て呼ばれていたんだ」
そうか、おじちゃんにも立派な名前があったんだ。一度もおじちゃんの名前を聞いた事もなかったなあ。兄ちゃんはおじちゃんの事をキジと呼び、僕の事をクロと呼ぶ、でも今はそれで良いと思う。それで好いんだ、何の不便もないんだ。そこにミッチーがやって来た。
「わたしはミッチーよ、宜しく。あなたの話は聞いていたわ。あなたのプライドの話にはとても感銘を受けたわね、わたしも体が動く限り猫らしくプライドを持って生きたいと思ったの」
おじさんは満足そうにミッチーの話を聞いていた。
「ここいらはあなた達が住んでいた山のように本当に自然の恩恵が少ないの、だから面白みもうんと少ないわ、虫も少ないしトカゲやイモリなんかも見かける事があんまりないの。そう、川だって近くにはないわね」
「うん、川はうんと遠くにあるよ、時々朝の散歩のときに見かける程度。俺もも少し自然が欲しいなあ」
「でもあなたは散歩してもらえるから良いわよ、わたし達猫は散歩してもらえないからこうして近くを散策して回るの。何だかちょっと物足りないわ」
「そうだね、冬の間ここに来て家に閉じ込められている間、息が詰まる感じがしたよ。春になって隣のおばさんが風呂場の戸を開けてあげるように言ってくれたから今は自由に出入りが出来て前に比べたら天国だけど、もっと広く活動できたら良いなあと考える事があるよ」
「そうだなあ、冬は寒いから家の中が良いだろうけど、暖かくなったら外が一番だよ、ここいらには獲物は殆どいないけど、それでも空気は旨いし時には蛾も飛ぶし、蝶も飛ぶ」
「そうだよ、おじちゃんももっと元気になってさ、ここいらを歩き回りたいだろう?」
「そしたらあたしが案内して上げるわ、クロちゃんだってこのあたりの事知らないでしょう?早く全快して3人で散歩行きましょう」
「俺だって付いて行きたいけど、ここの母ちゃん、厳しいから許してくれないだろうね」
「でもあんたは、散歩に連れて行ってもらえるんだから我慢しなさい」
4人は笑う。思えばもう4月の中頃になっていた。
つづく お楽しみに




