危機一髪と泣きべそアナグマ
「堀田さん!」
為成は、柏手を打った。
下手な術を使えばいさご虫の身体が砕け、肉薄している堀田が水が浴びる羽目になる。ならば使うのは一つ。
霊力を練り上げ、呪言を叫ぶ。
「天縛、海縛、締めよ絡めよ捕らまえよ!」
為成の霊力が光の縄となって、いさご虫の全身を締め上げる。今にも堀田の頭を食い千切らんとしていた顎が、すんでの所でぴたりと止まった。
縛術によって縛り上げられ、身動きが取れなくなったいさご虫が、ぎぃぎぃと鳴く。丸太のような胴体に付いた幼い少年の顔が、ぎょろぎょろと目を動かした。間近で見つめられた堀田が、黒子装束越しでも分かるほど激しく身体を震わせる。
「ひ、ぃ……!」
「堀田さん……急いでこっちに来て下さい。こいつ、縛るのが中々きついです……!」
胸の前で印を組みながら、為成は堀田に呼びかけた。
耳障りな声で鳴きながら、いさご虫が身をくねらせようとする。それを為成は、必死に押さえ込んだ。
縛術とは、要は綱引きだ。相手の抵抗力が強ければ強いほど、術は簡単に振りほどかれてしまう。オオヌマさんの内部に跋扈する異形が、どれほど強いのか分からなかったので縛術を使いたくなかったのだが、これは仕方ない。
堀田の肩に乗っていた式が飛び降り、為成に向かって一目散に駆け寄って来た。為成の足を駆け上って肩に落ち着き、忙しなく毛づくろいを始める。……どうもこの式は、堀田と似た性格のようだ。
「堀田さん、式はもうこっちに来ましたよ! あなたも早く……!」
いさご虫と為成を何度も見比べた堀田が、意を決したように巣の方に足を踏み出す。為成はぎょっと目を剥いた。
「何してるんですか!? 早く、こっちに!」
「ま、待て、少しだけ待ってくれ、笹山。あ、あそこに……!」
切羽詰まった声で、堀田が指をさす。
いさご虫の胴体を綺麗に覆い隠している、樹皮や苔、石でできた巣。高さ八尺|(約二百四十二センチ)はあるだろう、その一点。堀田が指さした場所に、為成も目を向ける。
円形の巣の頂点に、黒い羽織が引っ付いていた。片袖がひらひらと、風に揺れている。
「村上の羽織だ……! 頼む、少しだけ術を持たせてくれ!」
「少しだけって……ああ、くそっ!」
為成の返事を待たず、堀田は巣に足をかけた。糸で引っ付いている石を掴み、そこを支えにしてずんぐりした身体を必死に引き上げる。
幸い、巣に引っ付いた石は大きいものばかり。黒子の術は、術者の身体能力を強化するので、運動神経が良いとはいえない初老の堀田でもなんとか登れているようだった。
「この縄は解けず緩まず、根雪の如く大樹の如く……!」
いさご虫がぎぃと鳴いた。巣に触られている違和感があるのか、身を揺すろうとする度、為成は呪言を唱え直して術を強化する。
集中を切らせば、たちまちのうちにこいつは術を引き千切る。そうすれば、二人共終わりだ。為成の額に、冷や汗が一筋流れる。巨大な女の髪を一本だけ掴んで引っ張り、身動きできないように押さえようとしている。そんな滑稽な己の姿が脳裏に浮かぶ。
術をかけてみて、分かった。
この異形達は皆々全て、あの巨大な沼……オオヌマさん本体に繋がっている。いわばオオヌマさんの一部だ。気を抜けば、死ぬ。
「くっ、ふ……っ!」
苦し気な息を漏らし、堀田が巣の天辺に登りきった。巣にべったりとしがみ付きながら、羽織に向かって手を伸ばす。
降って来た雪混じりの風に叩かれて、薄っぺらな袖がぱたぱたと舞っていた。必死に身体を伸ばして掴もうとする堀田を嘲笑うかのように、指の間を袖先が蝶々のようにすり抜ける。
「堀田さん、いけそうですか!?」
「な、なんとか……!」
ちっとも何とかなりそうにない声を出しながら、堀田が上半身を起こした。巣についた片膝を、ずりっと前に出して更に身を乗り出す。右手で掴んだ石が遠目からでも分かるほどぐらついていて、為成は呪言を紡ぎながら奥歯を噛み締めた。いつでも飛び出せるよう、足に力を込める。
「とっ、た……、っ!?」
勢いよく腕を伸ばした堀田が、羽織の袖を掴む。同時に、右手の石が巣からぼろっと外れた。堀田の身体が均衡を崩し、巣の天辺から転がり落ちる。
「堀田さん!」
色を失った叫びが喉から上がる。為成は、落ちる堀田目掛けて疾駆した。同時にいさご虫にかけた縛術が解ける。耳障りな鳴き声が耳を劈いた。
落下する堀田を、ぎりぎりの所で受け止める。ずしりとした重量に、両腕がぎしりっと軋んだ。
「――……っ!」
その勢いのまま転がって距離を取り、立ち上がるや否や堀田を肩に担ぎ上げた。なりふり構わず、走る。肩の堀田に向けて叫んだ。
「堀田さん、鶴! 鶴を、急いで!」
「わ、わかっ、分かった!」
肩の上の堀田が、折り鶴を懐から取ろうと身体を必死に揺らす。
ただでさえ苔や木の根で足を取られやすいのに、堀田を担いでいるのだから、為成の負担は増えるばかりだ。しかし止まってはいられない。背後からは苔を磨り潰しながら、いさご虫が迫ってくる。
隠形術はいつの間にか解けてしまっていたが、かけ直す余裕が無い。
「あっ、天翔けっ……!」
どもり、つっかえながらも堀田が呪言を叫び、巨大な折り鶴が隣に現れた。地面を滑るように隣を飛ぶ鶴に堀田をぶん投げて己も飛び乗ると、勢いよく折り鶴が舞い上がる。細い枝が、頭や肩にぶつかってべきべきとへし折れる。
林を抜け、風花舞う空へと白い鶴が舞い上がった。
視界が一気に開ける。眼前に村上の顏があった。
「――っ!」
村上の顏をぶら下げた虻が、耳障りな羽音を響かせ、すぐそこに。壮年を迎えた顔に表情は無く、薄い髭の下にある口が大きく開き――柏手。
「東泡、西弦、南米、北瞳、千禍を退け給え」
虻全体を囲むように、光の壁が四方から伸びた。為成の顔面を丸呑みにするより早く、結界が完成する。がづん、と頭突きをする硬い音が響く。
振り返れる。堀田が片手で印を組みながら、もう片手を懐に突っ込んでいる。がづん。また頭突き。結界に罅が入る。懐から堀田が長い針を取り出した。虻目掛け、それが鋭く投じられた。がづん。結界が壊れた。光の破片が風花と共に宙に舞う。
だが堀田の次の手は、とうに完成していた。
投げられた針は全部で十本。霊力を帯びた針が、虻の周囲に円を描くように展開する。面布の奥で、呪言を紡いだ。
「ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、こ、と。ゆらゆらと伸びよ十鎖、ゆらゆらと伸びよ十鎖、搦めよ結わえよ縛めよ」
ぱぁん、と柏手。
十本の針が光り、鎖となって虻を十方から拘束する。村上の顏が、無表情のまま逃れようとするが、ほどけずその場で足踏みするように羽を動かすだけだ。
「今の内だ、本殿に戻るぞ。すまんが笹山、鶴の方を頼む」
疲れたような、元気の無い声音が後ろから聞こえた。
それに短く返事をし、為成は鶴に霊力を込める。鶴が本殿の方角へ首を巡らせ、そちらへ飛ぶ。虻の羽音がすぐに聞こえなくなった。
「十方封陣は俺も一度やったことがありますが、空中で展開できるとは知りませんでした」
十方封陣。十本の針に流した霊力が円の中を途切れることなく巡り続け、束縛を強化する。少ない霊力で格上の相手を縛る事ができる術だが、本来は地面に針を円状に刺すことで発動する。
「空中に針を固定することができれば、可能なのだ。ただ、余計に霊力を消耗するのだがな」
霊力回復の霊薬を飲んで、堀田は深く息を吐いた。その背後にはもう、虻の姿は見えない。
「少ない力で格上の怪異を縛るのが売りの十方封陣で、余計な霊力を使うのは愚の骨頂だが……あの場合には、仕方なかった」
「おかげで助かりました。しかし、よくあんなに早く結界を展開できましたね」
あの瞬間に結界で虻を閉じ込めていなければ、封陣は間に合わなかったし、為成は死んでいた。
「常に最悪の事態を想定していると言っただろう。『林を抜けた際に、何かが襲ってくるかもしれない』――そう思って、先んじて呪言を唱えていた。だから、すぐに結界を張れたのだ」
「成程。こう言うのはなんですけど、臆病っていうのは逆に良いことを引き寄せることもあるんですね」
「うむ、人から臆病だなんだとそしられる事は多いが、悪いことばかりじゃない」
為成は頷く。
「確かに。今日、身をもって体感しました」
「女性と逢引した際、最悪なことばかりを想定しておけば不測の事態が起こっても、すぐに対応できる恰好良い男だと思われるぞ」
「覚えておきます」
堀田の冗談に微かに笑い、為成はすぐに表情を引き締めた。
冗談を言う堀田の声が、それと分かるほど震えている。ちらと背後を見れば、袖が千切れかけた村上の羽織を抱きしめる手が震えていた。
「……平気ですか」
「平気じゃない。面布をしていてよかった」
お前に泣き顔を見られなくてすむ。
そう零す堀田の声は紛うことなき涙声で、為成は聞かないふりをした。
〇 ● 〇
まだ おきない
からだ は つくったのに
たましい が たりない
さがさないと
〇 ● 〇
いさご虫に襲われたことと、村上の顔をした虻と出会ったこと。それと、ここ数日の疲れも出たのだろう。
「面目無い……」
翌日、敷布に横たわった堀田は、真っ赤な顔をしてぜひゅぜひゅと荒い息を吐いていた。額に手を当てると、かなり熱い。
為成は眉を下げた。
「堀田さん、今日は無理ですよ。休んでいてください。俺だけで行ってきますから」
はふはふと息を荒げながら、堀田が綺麗な緑の目を見開く。
「熱が出て動けない私を一人にする気か? 怖くて仕方ないんだぞ。この目は熱で潤んでいるだけじゃないんだ。それに、お前一人で行かせるのは心配だ。昨日のような事になったらどうするんだ?」
「しかし、今日中に巾木のものを見つけてすぐに帰った方が良いと思うんです。堀田さんの熱も、いつ下がるかは分かりませんし」
異怪奉行所からは保存食や霊力を水に変換する水成符の他、薬も色々持ち込んできているが、熱冷ましの薬は持ってきていない。堀田の熱が今日下がればいいが、長引く可能性もある。
堀田は心細いだろうが、少しの間だけ我慢してもらいたい。
「ここに奴らは入って来ません。用心の為にここの戸には結界を張って、堀田さんから開けない限りは解けないようにします。それと今日は俺も、二刻|(約四時間)で探索を切り上げて帰ってきます。それでどうでしょうか」
「……うむぅ……」
堀田は渋るように唸る。一人にしないでほしい、と顔にはっきり出ている。
確かに熱が出ると人間、心細くなるものだ。自宅でなく怪異の腹の中にいるようなものだから、その気持ちは更に強いに違いない。なにかお守りのようなものを置いて行けば、堀田も多少は心安くなるだろうか。
「分かりました。堀田さん、これを預けます」
「……これは?」
幸い、為成の懐にはちょうどいいものがあった。
太短い指に、小さな杭を握らせる。熱で潤んだ目が、白っぽい木肌の杭を見つめる。
「オオヌマさんを封じることができるという、阿菜山の神杭です」
「神杭……これが。よく持っていたな、笹山」
「ここに来る前、友人に一つ頂きまして」
一本だけでも、お守りとしては十分だと丞幻は言っていた。杭からは確かに、仄かに神気が感じられる。異形相手では心もとないが、瘴気程度なら跳ね返せるだろう。
神杭を胸の前で握りしめた堀田が、深く息を吐く。不安の色は先ほどより薄くなっていた。
「……しかし、どうやって探すのだ? 私の式を借りる気か? あれがいなくなるのは心細くなるから嫌だぞ。例えか弱い式でも、いれば寂しくないし怖くないからな」
「分かってますよ。人探しの術を使うから大丈夫です」
為成は、部屋の隅に置いてある自分の荷物を漁った。巾木の長屋から持ってきた、簪を取り出す。
先に珊瑚の玉が付いた、銀の簪。母から貰った大事なもので失くしたくないから、外出の時はいつも外しているのだと、前に巾木が言っていた。
巾木の思いが詰まったこれを術の媒介にすれば、居場所を見つけることができるだろう。
「…………分かった。では、今日の探索は笹山に任せる。しかし、本当に早く帰ってきてくれ。二刻を少しでも過ぎたら、私は泣き喚くからな」
「見つかっても見つからなくても、二刻きっちりで帰ってきますよ」
真剣な顏の堀田に、為成も真剣な顏でそう返した。六十に手が届こうかという男が、恥も外聞もなく泣き喚く様は、流石に見たくない。




