07 それでも逃走を選択する
カガリは駆けていた。
武神の一族の村には多種多様の装備をした者達がいる。
それが、世界が武神の一族を亡き者にしようとしているのだと知らしめていた。
彼等は武神の一族の力を求めてきた。
それらを全て拒んだら、今度はその力が他に回るのを防ぐために襲いかかってきた。
敵対している国同士が結託してまで、武神の一族という存在を消してしまおうとする。
今や、世界が敵にまわっていると言っても過言ではない状況だ。
オコシは無事だろうか。
アカシは大丈夫だろうか。
村中の至るところから火の手があがり、悲鳴が上がっている。
必然とタキの手を握る力も強くなってしまう。
カガリは焦燥感に身も心も焼かれていた。
ちらりとタキの横顔を見ればカガリも思いつめた顔をしている。
ここに鏡があれば自分も同じような顔をしているだろう。
そんな焦りを助長するかのように敵がカガリとタキの行く手を遮る。
所詮は雑兵である。二人の敵ではないはずだ。
それでも、多少の時間が掛かってしまう。
それが更なる焦りを呼ぶ。
「邪魔だ!」
「邪魔です!」
鎧袖一触。
屈強な敵を、柳を払いのけるかのように前へと進む。
だが、ここには雑兵ばかりではない。
世界は武神の一族を本気で消しに来ている。
それは此処に居る戦力が物語っている。
「ふむ、武神の一族の者の中でも相当な手練とみた」
『無駄に兵を散らしたくないのでな、我らが相手しよう』
その声は空からやってきた。
「タキッ!」
「ッ!!」
カガリとタキは手を解き散開する。
二人がいた場所に墜落、とも言える勢いで何かが落ちてくる。
地面をすり鉢状にへこませ、抉り取った土が周囲に散乱する。
丁度カガリとタキが襲撃者を挟撃している形となった。
だが、その程度で有利になる相手ではなかった。
土煙が晴れ、襲撃者の姿が露わになる。
「我が名はエドレッヘドレーフェのヴァーダンという。相棒は『飛蝗』のヒハン」
『武神の一族の手練よ、我らと手合わせ願おうか』
『飛蝗』の蟲者ヴァーダンとヒハン。
枯れ葉色の甲殻を持つその異形は、異形の中でも異形に感じられる。
その理由は一目瞭然である。
まずは胴と頭の境が無いのかと思うほど太い首。
そして、人の形から逸脱した脚部だ。
その太さ、長さ、大きさ、どれもが一回りほど大きく感じられる。
蟲者の中でも、人の形から離れた異形である。
「タキ、先に行って母さんを頼む」
「カガリお兄様……」
「無茶はしない」
カガリはヴァーダンの巨躯に隠れたタキに告げる。
既にカガリは構えをとっており、視線は異形の蟲者から少しも外さない。
目の前の相手がただの蟲者ではないとカガリの本能が告げていた。
「我は女子供には興味がないのでな。そういうのは部下に任せている」
『行きたいなら行くといい』
「タキ」
「……分かりました。どうかご無事で」
タキが離れていくのを感じつつ、カガリは冷や汗を流しながら目の前の相手を睨む。
そうしないと、目の前にいる巨体を見失ってしまいそうだからだ。
「ヒハンの隠密能力に惑わされぬとは流石だな」
『ふむ、俺の隠形はそれなりのはずなのだがな』
この蟲者の発言から察するに、朝から感じていた違和の正体は蟲者の隠密能力によって隠れていた襲撃者達の気配だったようだ。
だが、気付いてしまえば武神の一族の者達であれば看破できるだろう。
しかしながら、看破できたといえど蟲者の相手は荷が重い。
並の相手であれば複数人で当たればどうにかなったのだろう。
だが、此処に居る者達はおそらく並のものではない。
目の前に居るヴァーダンがそうであるように。
「たかが人間、と侮るのは無粋よ」
『最初から全力でお相手させていただく』
「はっ、なら武神の一族の戦いを見せてやろう。虎の尾を踏んだ愚かさを身をもって知れ!」
その言葉を皮切りに、戦いは始まった。
# # # # # #
『飛蝗』の特徴的な足が曲げられる。かがんだ状態でも尚カガリよりも大きな身体の威圧感は凄まじい。
カガリは一挙一動を見逃してはなるものかと視線を逸らさない。
その足の甲殻が蠢き、形を変えていく。
カガリは生理的な嫌悪を感じたが、それでも視線は外さない。
そうして出来たのは大きな足を覆う脚甲だった。ブレード状の突起が横に伸びており、身を守るもの、というよりは足を武器そのものに変えたという印象を受ける。
『行くぞ』
「受けて見よ、音よりも速く駆ける我が一撃を」
その言葉と共に、異形の蟲者の姿がぶれた。
カガリが動けたのは武神と呼ばれる程の一族のものだからだろう。
ヴァーダンが居た場所には陥没した痕があっただけで、蟲者の巨躯は存在していない。
砲弾の様な影がカガリの横を通り抜けていったのだけは分かった。
その直後に襲ってきた衝撃によってカガリの身体は木の葉のように吹き飛ばされた。
「がっぁ……っ!!」
痛みに呻きながらも空中で身を捻り両足と片手から着地する。
すぐさま気配のする方へ振り向けば、少しだけ驚愕した雰囲気を醸し出すヴァーダンがいた。
「なるほど……、今の一撃を初見で凌ぐとは武神の一族と言う者は凄まじいものだな」
『蟲者でさえ、初見で我らが一撃を躱すのは至難なのだが』
「今の一撃は確かに全力であった。その一撃を躱すとなれば此処からは本気で行くしかあるまい」
『武人の時間は終わりだ。これからは兵としての全力を持って戦わせていただこう』
カガリはヴァーダンの雰囲気が変わるのを感じ取った。
今までは武人の果たし合いをしているような雰囲気であった。
だが、今は軍人としての任務を遂行しようとする気配。
遊びや油断、侮りに私情、そんな物が全て削ぎ落された雰囲気。
カガリを排除すべき存在として認識したのだ。
それが分かったからこそ、カガリは痛みを堪えて立ち上がる。両の拳を握りしめ、歯をきつく食いしばり、相手が異形だろうと知ってもなお、戦う為に構える。
「敵と認めたからこそ、果たし合いではなく軍人として相手する」
『悪く思うな』
そうして『飛蝗』の蟲者は背中の翅を広げる。
それこそ、戦場の覇者の本気だ。
翅のある蟲者が翅を使わない、というのは本気ではない。
これこそが、蟲者としての全力。
ヴァーダンと言う蟲者の全力であり本気だ。
「ヒハン、隠密能力だ」
『応』
目の前にいる巨躯が鎧蟲の能力を使う。
その圧倒的な存在感が薄らぎ、目前に居ると言うのに気配が感じられなくなる。最早、目の前にいるのに、視覚以外はヴァーダンがいないと錯覚している。
「クライブ流格闘術蟲技『音撃脚』」
『『飛蝗』の鎧蟲の力を見よ!』
# # # # # #
タキは村長の屋敷へと辿りついていた。
まだ、屋敷の中への侵入は許してはいないがそれも時間の問題だろう。
相手はこちらよりも数が多い。
蟲者がいる時点でこちらの不利は明らかである。
武の神と言われていようと、その力は人間のものだ。
人外の者と比べてしまえばその力の差は歴然である。
「退きなさい!」
「なっ!?」
タキは屋敷を包囲している敵の中を縫うようにして通り抜けた。
その際に敵の兵が宙を舞い、仲間を巻き込んで吹き飛ぶ。
「アカシ義母さまは無事ですか!!」
「はい! アカシ様は屋敷の中に居ます」
「分かりました! アカシ義母さまと少しだけ話をします。それまで持ちこたえてください」
屋敷の使用人達に告げ、タキはアカシのいるだろう場所へと向かう。
今は村に不在であるオコシの執務室だ。
「アカシ義母さま!」
「ああ、タキ。無事でしたのですね」
アカシはその手に2.5cmほどの大きさの球体を持っていたところだった。
真珠のように光沢があり、また瞳のように一カ所にだけ翡翠色の模様があることから『翡翠の眼』と呼ばれている武神の一族に伝わるものだ。
ガンディワナ大陸から逃れて来た時から存在しているそれは、武神の一族と共にあり続けたものだ。
口伝では、この翡翠の瞳はガンディワナ大陸の女神が武を厭う武神の一族に心を打たれ、見守り続ける為に自らの瞳を差し出したのだという。
これは、武神の一族が戦いを厭う象徴でもあるのだ。
「アカシ義母さま、オコシ義父さまはまだ?」
「まだ『蜂』のところから帰ってきてはいません」
「そうですか……」
タキはその言葉に安堵と落胆の二つの感情が湧いた。
『蜂』のところであればここよりも安全であるため、オコシは無事だと言うことへの安堵。
カガリが今も蟲者と対峙していることを考えれば武神の一族で最も実力のあるオコシがいないため、助力は叶わないことへの落胆。
「タキ、私たち武神の一族は『蜂』のところに行こうと思います」
「……彼等は受け入れてくれるでしょうか?」
「その為にオコシ様が『蜂』のところへ向かったのです。まさか、その日のうちに襲撃があるとは私も、オコシ様も予想していませんでしたが……」
アカシは一度顔を俯かせたが、すぐに毅然とした顔をタキに向ける。
それは村の長であるオコシが不在の今、その代理としての決意の表情であった。
「私たちは村を放棄します。少しでも敵に混乱を与える為に可能な限り家は燃やしま……っ!」
破砕音と共にやってきた衝撃がアカシの声を遮る。
その後に悲鳴が聞えてきた。
バタバタと慌てた足音が聞え、執務室の扉が開かれる。
「守りが突破されました!」
タキとアカシはお互いの顔を見て頷き合う。
「タキ、貴方はカガリの元へ戻りなさい。私は無事な屋敷の者達を連れて此処を脱出、『蜂』の元へ行きます」
「はい、アカシ義母さま」
人知れず翡翠の瞳が煌めいたのを、気付いた者はこの場にはいなかった。
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『種族』:飛蝗
『主な使用者』:ヴァーダン
『所有能力』:音響、隠密能力
『性能:膂力』:C
『性能:速度』:A+
『性能:旋回』:C
『性能:甲殻』:C
『性能:蟲器』:B 【脚甲】
『備考』:
『飛蝗』は脚部が発達している。特徴はほとんどがその脚に集中している。
隠密能力と地上での瞬発力、そして蟲器である脚甲に備わる発音器官を用いる戦いはトリッキーではあるが、扱いこなせれば相手を翻弄することができる。
能力が脚部に集中している為、それ以外は平凡以下であるが、その突出した能力は決して侮れない。