12 砕ける黒金の理想
ジャクホウは『蜂』を率いて武神の一族を救出に飛んでいた。
盟友とも呼ぶべき隣人たちを救うべく。
自らを原種と称する彼等は人蟲の契儀を結ぼうとはせず、ただ鎧蟲としての生を全うする彼ら。
人で言う本能を抑えつけてまで蟲者とならない彼等はある意味で戦いを避け続けて来たと言えよう。
蟲者というのは、鎧蟲の本能を満たす為の姿だ。
人に依存し、自らの全力を引き出し、その全能感に酔う。
このロレンシア大陸では、蟲者とは戦場の覇者である。
それは、戦う、というほかならない。
『蜂』という種族もまた、武神の一族というべき存在だ。
鎧蟲と人との差はあれど、在り方は同じである。
力とは何の為にあるのであろう。
ジャクホウはそれを考え続けていた。
己の中にある鎧蟲としての本能は解放されることをを求めている。
原種と呼ばれる混ざり気の無い純粋な鎧蟲は、今この世において『蜂』しかいないであろう。
その欲求は混ざり者達よりも強く、そして渇きにも似た欲求である。
しかしながら、『蜂』という種族はそれを抑え続けていた。
その理由はジャクホウはやっと見出すことができた。
偉大なる『蜂』の女王、ホウユウキが見せた力の在り様は『大切な何かを守る為』であった。
力とは、何かを壊す為にも、奪う為にも振るわれる。
力によって快楽を得、力によって何かを支配する。
それは、獣と同義だ。
力によって支配される世界などに平和なんてものはない。
だが、力が無ければ奪われてしまう。
だからこそ、守るための力と言うものが必要なのだ。
誰もかれもが信じられるのなら、この世に力なんてものは必要無いだろう。
そう言う意味では、鎧蟲という存在はなんと歪な存在なのだろうか。
力に酔わせる為の生き物のように思えてくる。
その本能に抗う姿は、神と言う存在が見ていたらさぞ滑稽に映っているのではないだろうか。
それでもジャクホウはそれを誇りに思っていた。
守れるだけの力があればいいのだから。
だが、今は自らの力の至らなさに悔しさが募るばかりだ。
翅を震わせ、空気を叩く。
強弓を限界まで引き絞った矢のように素早く飛ぶ。
それでも足りない。
遅い。
この時ばかりは、蟲者であればと思いもした。
焦燥に気を取られていたジャクホウは突然の爆音に意識を引き戻される。
『あれは……?!』
未だに感じる闘気とは別の場所から発生した爆発。
それはそこでも戦闘が起きているということを意味している。
どちらに向かうべきかの判断に迷い、二手に分かれるべきかを検討する。
迷いは一瞬。
だが、その空隙を突くかのようにして、枯れ葉色の矢がジャクホウ達の合間を穿つ。
何匹かの『蜂』が対応できずに貫かれ、硬い甲殻を拉げて重力に引かれて地面に吸い込まれていく。
通り過ぎた矢は空中を蹴るかのようにして直角に軌道を変更する。
「我が名はヴァーダン!」
『そしてその契蟲のヒハンと申す!』
「勝手ながら、お主ら『蜂』と手合わせ願おう!」
声が音響によって全周囲から響くようにして届けられる。
その間にも枯れ葉色の矢は高速で移動し続けている。
『蜂』の複眼はその姿を捉えることこそできているものの、後を追って攻撃を加えるということは出来なかった。
そもそもとして速度が違いすぎる。
蟲者と人、蟲者と鎧蟲の違い。
それは所有能力と魔術を同時に併用できるか否かの違いであろう。
人は魔術を使える。しかし所有能力は持っていない。
逆に鎧蟲は所有能力を持っているが、魔術を使えない。
所有能力と魔術を同時に使うことができるのは蟲者だけであるのだ。
この場合、ヴァーダンは背中の翅だけでなく、足の蟲器と音響、そして風の魔術を使用することで空を蹴るような高速移動を可能としている。
しかし、人蟲の契儀を行っていないジャクホウ達『蜂』は己の持つ所有能力だけで対処しなくてはならない。
何度かの交錯で既に五匹の『蜂』が地に堕ちた。『蜂』は個体としての能力も高いのだが、相手となるヴァーダンと言う蟲者はかなりの力量の持ち主であることがうかがい知れる。
だが。
『随分と舐めた真似を……!』
一方的に攻撃をされる、ということに原種としての誇りが燃え上がる。
混ざり者に煽られるというのは気位の高い『蜂』にとって度し難いことでもあった。
だからこそ、次期女王であるジャクホウは己の所有能力を解放する。
『【感覚共有領域】』
『蜂』や『蟻』のような鎧蟲が持つ能力感覚共有領域。
それは自身の周囲に居る同族と感覚を共有し、上位個体が統括してその情報を采配する能力である。
ジャクホウ達『蜂』が数十匹の鎧蟲から、一匹の巨大な『蜂』になった瞬間である。
空気の変化を敏感に感じ取ったヴァーダンは背中に冷たいものが奔る感覚があった。
空中で肥大した両の足を蹴り出したヴァーダンはその悪寒が間違いではないものだと確信する。
今までの『蜂』達の動きと、今の『蜂』達の動きが違う。
ヴァーダンの音の速さに並びそうな蹴撃をどうにか躱していた『蜂』達。
しかし、今はその射線軌道上には一匹もいない。
躱された事を悟ったヴァーダンは蟲器の脚甲によって増幅された風と音を同時に吐き出すことで急制動を掛ける。
その瞬間を狙ったかのようにして『蜂』という一つの生き物が襲いかかる。
『『『我が同胞を救う邪魔立てをするな、混ざり者っ!』』』
感覚共有領域によって感覚を共有した『蜂』達が吠え猛る。
黒金の弾丸が迫る圧力に流石のヴァーダンとヒハンも危機感を募らせた。
「これは……!」
『……まるで一匹の鎧蟲よッ!』
脳裏をガンガンと叩く危機感とは裏腹に、ヴァーダンは歓喜の声を上げる。
先ほど戦った武神の一族の青年と少年の中間点に居る者はヴァーダンを楽しませてくれた。
その余韻を持ったまま奇襲した『蜂』は期待はずれかと思っていたのだ。
しかしながら相手取ってみれば中々面白い相手である。
人間の軍とはまた違った動きを見せる『蜂』の姿に、ヴァーダンは人の姿であれば唇を吊りあげて笑っているだろう。
そして、この『蜂』達を一匹の鎧蟲たらしめている存在に視線を向ける。
ジャクホウはその視線を感じ取り猛る。
どこまでも上から目線なその視線に、どこまでも身勝手な敵にその怒りをぶつける。
『身の程を知れ!【飛蝗】如きの混ざり者よッ!』
『ふむ、まるで独身女のヒステリーのようだ』
「言うな、ヒハン。所詮『蜂』という種族は童貞や処女を拗らせた化石の一族の様なものなのだから」
『……それを誇りだと思っている種族とは度し難い』
その言い様に、ジャクホウの指揮に荒々しさが加わる。
『蜂』という濁流の中、ヴァーダンは高速機動で猛攻をくぐり抜け、時には反撃を加えていく。
しかし、先ほどと違い『蜂』を地に落とす程の威力は持っていないので牽制程度にしかならなかったが。
『力に溺れた者達が何を言うかッ!』
「力を求めることの何が悪いというのだ」
『武神の一族も、お主ら『蜂』も脅威と取れる力を持っているではないか』
『何のために力を振うのかと言っているのだ! 我らが力は何かを守る為に振るわれるものだッ』
「更なる武を得る為だ」
『そしてその武を持って武を持つ者と相見え、武を重ね合わせることこそが我らの力を求める理由よ』
『それを我らは身勝手だと言っているのだ!』
『そうであろうか、『蜂』よ。貴様らは守る為と言うがそれは何を守ると言うのだ? 誇りか? 意志か? 同胞か?』
「我らが守るのはその全てよ! 奪うことは祖国の民を守ることに繋がり、戦うことで誇りは守られ、意志を貫くことで己を守る。何も変わらんのだよ!」
『違うッ! 我らの、『蜂』の、武神の一族のものは戦いを望む力ではない!』
ジャクホウは叫ぶ。
ヴァーダンとヒハンはその青い叫びに武を持って応える。
「力とは全てが同じものよ! 振るわれた力の本質など関係などないのだからなあッ!!」
『なればこそ、力には力で応えよ! それがこの世の理である!』
「『もはや問答は無用!』」
ジャクホウは己の持つ価値観を砕かれた気持ちであった。
この者達と、『蜂』と武神の一族は変わらないのだろうか?
その迷いが感覚共有領域に現れる。
先ほどまでの精彩さと猛々しさを併せ持った動きは見る影も無く。
まるで標を失った虫であるかのようにふらふらと飛んでいた。
「『我が奥義を受けよ!クライブ流格闘術蟲技!!』」
ジャクホウの迷いを笑うかのようにしてヴァーダンは宙であるにも関わらず足を大きく撓める。その足を包む脚甲に今まで以上の魔術が集中している。
そして、風の魔術と音響が放たれる。
一度ではなく、連続で。
ジャクホウ達の間を何かが通り抜けた。
隠密能力も組み合わさったその一撃はまさしく音よりも速く駆け抜ける『飛蝗』の一撃であった。
吹き飛ばされ、甲殻が砕けたのを感じたジャクホウは同じようにして重力にひっぱられている同胞の姿を複眼に収めた。
そこへ、ヴァーダンとヒハンの声が、更には音の雪崩が遅れてやってくる。
「『音撃脚が崩し――音崩』」
まさに一網打尽。『蜂』たちは音の波に流されていく。
落ち行くジャクホウを見つめ、ヴァーダンは余韻に浸る。
ヴァーダンはジャクホウを間違っているとは言わない。
だが、正しいとも言えない。
それを語るのは、武を持つ者ではないと知っているからだ。
己の意志を貫く為に力を得た者達。
だが、皮肉なことに彼らも力なき者から見れば恐ろしき化物なのである。
「その事に気付いていたのだろうか……?」
『分からぬ。理想を語る幼子の様なものでなかろうか』
真の戦争を知らぬ者達。
人の欲から遠ざかった者達。
そのあり様に少しだけ眩しさを覚えるヴァーダンとヒハン。
だが、理想を叶えるには、世界を変えるには力が必要であり、夢物語でしかあり得ない。
武神の一族と『蜂』の望む平穏な世界というのを作り出す方法をヴァーダンは思う。
あの者達の在り様であればあり得ぬもの。
――それは武神の一族と『蜂』を頂点とした武によって世界を統一することこそが近道なのではなかろうか。
「部下と合流しよう」
『あい分かった』
ふと、その未来が訪れるのであればとヴァーダンは考え、頭を振る。
それはもうありえない未来であった。
武神の一族も、『蜂』も此処で潰えるのだから。