04
晃一郎が、同世代の『女の子』の部屋に入ったのは、これで二人目だ。
一人目は、今は亡き恋人、もう一人の優花。
彼女の部屋は、どちらかというと、淡いトーンの女性らしい柔らかな空間だった。
目の前に広がる、カラフル・ビビットな、可愛らしい空間に視線を巡らせながら、晃一郎はまぶしげに目を眇めた。
イレギュラー体と本体。
姿形も、DNAさえ同じ二人だが、三歳という年齢の差ばかりではなく、やはり別の人間なのだと実感させられる。
――あたりまえだ。
あいつは、あいつ。
このこは、このこ。
同じ人間のわけがないじゃないか――。
ふとした瞬間に垣間見せる、表情や仕草。
どんなに似ていようとも、二人はまったくの別人格。
いうなれば、『生き別れの一卵性の姉妹』、
それが、一番、納得のいく説明かもしれない。
大人二人が並んで座るのがやっとの大きさの、キッチンカウンター・テーブルの上には、所狭しと、朝食のメニューが並べられた。
ホカホカと湯気を上げる、炊き立てのご飯は、つやつやと粒が立っていて、豆腐とワカメの味噌汁も、香ばしいにおいを上げている。
焼き鮭も、程よい焼き加減で、だし巻き卵も、色よく形よく、ふんわりと柔らかそうに仕上がっていた。
主役の肉じゃがときたら、味がじっくりと染み渡り、醤油と砂糖が織り成す絶妙のコンビネーションの賜物な、実に食欲中枢を刺激する、あの独特の甘じょっぱい良いにおいが、漂ってくる。
『日本人でよかった』
和食党の晃一郎は、しみじみと感じ入りながら、「いただきます」と、両手を合わせた。
まずは、味噌汁をゴクリと一口、口に含む。
濃すぎず、薄すぎず、
熱すぎず、冷めすぎず。
程よい出汁かげんの味噌汁は、薬味のネギが良い感じに味を引き締めていて、なかなかに美味い。
さて、次は――。
晃一郎は、そそくさと、肉じゃがの盛られた皿に箸を伸ばした。
目標は、やはり、ごろっと大きな、ジャガイモだ。
ぽくぽくと粉が吹き、見るからにとろけそうなその一品を、箸で突き刺し、すかさず口に運ぶ。
トロリ、ポクポク。
ポクポクポクッ。
――うわ、なんだこれ?
こ、これは、やばいかも……。
優花の手作りの肉じゃがは、予想外に、美味すぎた。
十五歳。
晃一郎の感覚から言えば、十歳程度の精神年齢に感じる優花が作る煮物の味の程度など、たかが知れている。
心のどこかで、そう、あなどっていた。
だが、これは――、
この味は、かなり、やばかった。
「……」
いつもなら、考えずとも、優花の顔を見ていると、からかう言葉がポンポンと口から飛び出してくるのに、今ばかりは何もわいてこない。
久しく食べていない肉じゃがは、
懐かしい、田舎の味がした。
優花は、黙々と箸を進める晃一郎の様子を、隣の席から固唾をのんで見守っていた。
普段なら、からかうような言葉が弾丸のように飛んでくるのに、ひたすら無言なのだから、心配になる。
――ま、不味いのかな?
料理を教わった祖母の味は少し濃いめだから、自然と優花の味付けも濃いめになる。
そう自覚しているが、やはり自分が美味しいと感じる味に仕上がってしまう。
口に合わないのかもしれない。
「あの、晃ちゃん、味はどう……かな?」
心配げな優花の表情に、晃一郎は、ふっと、目元を緩ませる。
「美味いよ」
「――え?」
拍子抜けするほど素直な言葉が返ってきて、優花は信じられないというように、目を瞬かせた。
「すっげぇ、美味い、って言ったんだ。たいしたもんだな、お前」
なんだか、こうも素直に正面きって褒められると、かなり照れくさい。
だけど、とても、うれしかった。
「えへへへ。よかった。おかわり、たくさんあるから、いっぱい食べてね!」
思っても見なかった高評価に、優花は、ほっと胸をなでおろして、自分を朝食を口に運ぶ。
――うん。美味しいー。
元の世界にいたころ、朝食は、必ず家族全員で食べていた。
共働きで勤め人の両親は、残業で夕飯を一緒に取れないことも多かったが、それでも、祖父母が必ず一緒に食卓を囲んでくれていた。
誰かと一緒に、こうしておしゃべりをしながら食事をする。
それが、どんなに心を満たしてくれるものなのか。
こうして、一人になってみて初めて、優花は、そのありがたみを肌で感じていた。
「見直したよ。料理の腕前だけなら、すぐにでも嫁にいけるぞー」
「あははは……。貰い手がいないからだめだよ」
――なにせ、彼氏いない歴イコール、年齢イコール、十五年だもん。
「そうなのか? んじゃ、売れ残ったら、俺がもらってやるよ」
愉快そうに放たれた言葉に、優花の鼓動は、ドキン、と大きく跳ね上がった。
冗談だとわかっている。
きっと、いつも取り巻いている女性たちにも言っている、挨拶がわりの、冗談。
でも、胸のドキドキがとまらない。
――うわーっ。顔が、熱いっ。
これ、ぜったい、赤くなってるよ、顔!
嬉しさと恥ずかしさで、いっぱいいっぱいになってしまった優花は、何か他の話題を振ろうと、せわしなく考えを巡らせた。
「彼女さんも、お料理上手だったの?」
そして、何も考えずに、世間話の延長の気軽さで、思わず口をついて出た自分自身の言葉に、優花は、全身に冷水を浴びせかけられたかのように、凍りついた。
恋人を目の前で亡くしたという人間に、
それも、まだ一年しか経っていない人間に、気軽に質問していいような言葉じゃない。
気をつけていたのに。
いったん口から零れだしてしまった言葉は、元には戻せない。
覆水は盆に返らず、優花の質問に、晃一郎の箸がピタリと止まる。
「……」
落ちた沈黙が、痛かった。
ばか、ばか、ばかっ!
如月優花の、考えなしの、おっちょこちょいっ!
人の傷口に塩を塗りこむような真似をしてしまった自分を、心の中で罵りたおしながら、優花は、かすれるような声を絞り出した。
「ごめんなさい……」
ぺこりと頭を下げたまま、顔が上げられない。
怖かった。
今、晃一郎が、どんな表情をしているのか、見る勇気がなかった。
無神経な質問をするなと、怒っているのだろうか?
それとも。
帰っては来ない人を思い出して、悲しんでいるのだろうか?
まんじりともできずに、顔を上げられないでいる優花の耳に届いたのは、そのどちらでもないような、穏やかな声音だった。
「なーに、変な気を使ってるんだ。いちいちそんな事で、謝るなよ。ばかだな」
ふわり、と、
うつむいたままの頭に、ぬくもりを感じた。
――手だ。
晃ちゃんの、大きな、、手のひら。
あの時も、
事故の混乱と怪我の痛みで、心が壊れそうになっていたあの時も、こんなふうに、このぬくもりに救われたっけ。
「気にすんな」
ぽんぽんぽん、と、
大きな手のひらから与えられる温もりが、優しく心に染み渡り、思わず、目の奥がジワリと熱くなる。
「うん」
何か言ったら、きっと声が震えてしまいそうで、優花はただコクリとうなづいた。




