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【黄昏の記憶】~ファースト・キスは封印の味~  作者: 水樹ゆう
第四章◆記 憶 Ⅱ《MemoryⅡ》
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04

 晃一郎が、同世代の『女の子』の部屋に入ったのは、これで二人目だ。

 一人目は、今は亡き恋人、もう一人の優花。

 彼女の部屋は、どちらかというと、淡いトーンの女性らしい柔らかな空間だった。

 目の前に広がる、カラフル・ビビットな、可愛らしい空間に視線を巡らせながら、晃一郎はまぶしげに目を眇めた。

 イレギュラー体と本体。

 姿形も、DNAさえ同じ二人だが、三歳という年齢の差ばかりではなく、やはり別の人間なのだと実感させられる。

――あたりまえだ。

 あいつは、あいつ。

 このこは、このこ。

 同じ人間のわけがないじゃないか――。

 ふとした瞬間に垣間見せる、表情や仕草。

 どんなに似ていようとも、二人はまったくの別人格。

 いうなれば、『生き別れの一卵性の姉妹』、

 それが、一番、納得のいく説明かもしれない。


 大人二人が並んで座るのがやっとの大きさの、キッチンカウンター・テーブルの上には、所狭しと、朝食のメニューが並べられた。

 ホカホカと湯気を上げる、炊き立てのご飯は、つやつやと粒が立っていて、豆腐とワカメの味噌汁も、香ばしいにおいを上げている。

 焼き鮭も、程よい焼き加減で、だし巻き卵も、色よく形よく、ふんわりと柔らかそうに仕上がっていた。

 主役の肉じゃがときたら、味がじっくりと染み渡り、醤油と砂糖が織り成す絶妙のコンビネーションの賜物な、実に食欲中枢を刺激する、あの独特の甘じょっぱい良いにおいが、漂ってくる。

『日本人でよかった』

 和食党の晃一郎は、しみじみと感じ入りながら、「いただきます」と、両手を合わせた。

 まずは、味噌汁をゴクリと一口、口に含む。

 濃すぎず、薄すぎず、

 熱すぎず、冷めすぎず。

 程よい出汁かげんの味噌汁は、薬味のネギが良い感じに味を引き締めていて、なかなかに美味い。

 さて、次は――。

 晃一郎は、そそくさと、肉じゃがの盛られた皿に箸を伸ばした。

 目標は、やはり、ごろっと大きな、ジャガイモだ。

ぽくぽくと粉が吹き、見るからにとろけそうなその一品を、箸で突き刺し、すかさず口に運ぶ。

 トロリ、ポクポク。

 ポクポクポクッ。

――うわ、なんだこれ?

 こ、これは、やばいかも……。

 優花の手作りの肉じゃがは、予想外に、美味すぎた。

 十五歳。

 晃一郎の感覚から言えば、十歳程度の精神年齢に感じる優花が作る煮物の味の程度など、たかが知れている。

 心のどこかで、そう、あなどっていた。

 だが、これは――、

 この味は、かなり、やばかった。

「……」

 いつもなら、考えずとも、優花の顔を見ていると、からかう言葉がポンポンと口から飛び出してくるのに、今ばかりは何もわいてこない。

 久しく食べていない肉じゃがは、

 懐かしい、田舎の味がした。


 優花は、黙々と箸を進める晃一郎の様子を、隣の席から固唾をのんで見守っていた。

 普段なら、からかうような言葉が弾丸のように飛んでくるのに、ひたすら無言なのだから、心配になる。

――ま、不味いのかな?

 料理を教わった祖母の味は少し濃いめだから、自然と優花の味付けも濃いめになる。

 そう自覚しているが、やはり自分が美味しいと感じる味に仕上がってしまう。

口に合わないのかもしれない。

「あの、晃ちゃん、味はどう……かな?」

 心配げな優花の表情に、晃一郎は、ふっと、目元を緩ませる。

「美味いよ」

「――え?」

 拍子抜けするほど素直な言葉が返ってきて、優花は信じられないというように、目を瞬かせた。

「すっげぇ、美味い、って言ったんだ。たいしたもんだな、お前」

 なんだか、こうも素直に正面きって褒められると、かなり照れくさい。

 だけど、とても、うれしかった。

「えへへへ。よかった。おかわり、たくさんあるから、いっぱい食べてね!」

 思っても見なかった高評価に、優花は、ほっと胸をなでおろして、自分を朝食を口に運ぶ。

――うん。美味しいー。

 元の世界にいたころ、朝食は、必ず家族全員で食べていた。

 共働きで勤め人の両親は、残業で夕飯を一緒に取れないことも多かったが、それでも、祖父母が必ず一緒に食卓を囲んでくれていた。

 誰かと一緒に、こうしておしゃべりをしながら食事をする。

 それが、どんなに心を満たしてくれるものなのか。

 こうして、一人になってみて初めて、優花は、そのありがたみを肌で感じていた。

「見直したよ。料理の腕前だけなら、すぐにでも嫁にいけるぞー」

「あははは……。貰い手がいないからだめだよ」

――なにせ、彼氏いない歴イコール、年齢イコール、十五年だもん。

「そうなのか? んじゃ、売れ残ったら、俺がもらってやるよ」

 愉快そうに放たれた言葉に、優花の鼓動は、ドキン、と大きく跳ね上がった。

 冗談だとわかっている。

 きっと、いつも取り巻いている女性たちにも言っている、挨拶がわりの、冗談。

 でも、胸のドキドキがとまらない。

――うわーっ。顔が、熱いっ。

 これ、ぜったい、赤くなってるよ、顔!

 嬉しさと恥ずかしさで、いっぱいいっぱいになってしまった優花は、何か他の話題を振ろうと、せわしなく考えを巡らせた。

「彼女さんも、お料理上手だったの?」

 そして、何も考えずに、世間話の延長の気軽さで、思わず口をついて出た自分自身の言葉に、優花は、全身に冷水を浴びせかけられたかのように、凍りついた。

 恋人を目の前で亡くしたという人間に、

 それも、まだ一年しか経っていない人間に、気軽に質問していいような言葉じゃない。

 気をつけていたのに。

 いったん口から零れだしてしまった言葉は、元には戻せない。

 覆水は盆に返らず、優花の質問に、晃一郎の箸がピタリと止まる。

「……」

 落ちた沈黙が、痛かった。

 ばか、ばか、ばかっ!

 如月優花の、考えなしの、おっちょこちょいっ!

 人の傷口に塩を塗りこむような真似をしてしまった自分を、心の中で罵りたおしながら、優花は、かすれるような声を絞り出した。

「ごめんなさい……」

 ぺこりと頭を下げたまま、顔が上げられない。

 怖かった。

 今、晃一郎が、どんな表情をしているのか、見る勇気がなかった。

 無神経な質問をするなと、怒っているのだろうか?

 それとも。

 帰っては来ない人を思い出して、悲しんでいるのだろうか?

 まんじりともできずに、顔を上げられないでいる優花の耳に届いたのは、そのどちらでもないような、穏やかな声音だった。

「なーに、変な気を使ってるんだ。いちいちそんな事で、謝るなよ。ばかだな」

 ふわり、と、

 うつむいたままの頭に、ぬくもりを感じた。

――手だ。

 晃ちゃんの、大きな、、手のひら。

 あの時も、

 事故の混乱と怪我の痛みで、心が壊れそうになっていたあの時も、こんなふうに、このぬくもりに救われたっけ。

「気にすんな」

 ぽんぽんぽん、と、

 大きな手のひらから与えられる温もりが、優しく心に染み渡り、思わず、目の奥がジワリと熱くなる。

「うん」

 何か言ったら、きっと声が震えてしまいそうで、優花はただコクリとうなづいた。





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