第55話「どれが、あなたですか」
水は、減っていなかった。
翌朝。ドナルゥトゥは昨日と同じ席にいる。コップも同じ位置だった。
飲まなかったことだけは、昨日から残っている。
「二択が悪かったのかもしれません」
真意が顔を上げる。
「何択にします?」
「増やせばいいって話じゃ……」
言いかけて、好代は黙った。
増やすつもりだった。
テーブルへ四枚置く。
《渡す》
《受け取る》
《運ぶ》
《食べる》
54話で見た四つの動きだ。
「どれが、あなたですか」
ドナルゥトゥは《渡す》へ触れた。
次に《食べる》。それから《運ぶ》《受け取る》。四枚を重ね、好代へ差し出す。
好代が受け取らないと、また広げた。
《受け取る》を自分の胸へ。
《渡す》を好代の前へ。
《運ぶ》を入口へ。
《食べる》を空の皿へ。
「役割ごとに違う……」
好代は途中で止めた。
「今のも、私の解釈ですね」
真意が頷く。
好代は四枚を裏返した。白紙になる。ペンを置く。
「じゃあ、自分で書けます?」
ドナルゥトゥはペンを持った。
短い線。
もう一本。
最後に、長い線。
好代の背中が冷えた。
ライ。
ライ。
ル。
「三拍子と形は似ています」
真意が言う。
「意味は?」
「まだ別」
好代がカードを戻そうとした時、指に油がついた。
四枚の端に細い染みがある。一枚ずつでは途切れている。
ドナルゥトゥが置いた位置へ戻す。
油が一本につながった。
輪になる。
ただし、一か所だけ開いている。
好代は四枚を見た。
「四つで一個?」
「可能性はあります」
「じゃあ、全部が本人?」
「それもまだ別」
好代は、最初に自分が言った言葉を見る。
どれが、あなたですか。
どれかに分かれていると、先に決めた質問だった。
「ごめんなさい」
ドナルゥトゥが顔を上げる。
「選んでって言えば、あなたの答えになると思ってました」
四枚を指で揃えかける。
やめる。
「でも、これを作ったの、私でした」
カードはその位置のまま透明板で挟んだ。油の輪も、開いた一か所も動かさない。
◇
昼、好代は質問を変えた。
「今、してほしくないことあります?」
持っていたパンを見せる。
ドナルゥトゥはすぐ手を伸ばし、パンを好代から遠ざけた。
「食べてほしくない?」
さらに押す。
好代はパンを下げた。
「分かりました。食べません」
次は何も見せずに聞く。
「ここにいていいです?」
反応はない。
「帰ってほしい?」
反応はない。
「一人にした方がいい?」
制服の袖口が引かれた。
好代は下を見る。
ドナルゥトゥの指が、布をつまんでいる。
強くない。
でも、離れない。
好代は隣の椅子を引いた。
座る。
指が離れた。
好代は袖口に残った小さなしわを指で伸ばしかけて、やめた。
「これも、同席してほしいって決めない方がいいですよね」
真意は少し離れた場所から答えた。
「観測だけなら、袖を掴んだ。座った後に離した」
「じゃあ、それで」
記録は三行だけになった。
《提示四分類:全てに反応》
《拒否・回避:成立》
《好代着席後、袖接触終了》
◇
夕方。
好代は隣で伝票を整理していた。
ドナルゥトゥは何も選ばない。好代も選ばせない。
しばらくして、昨日から残っていた水を好代の方へ押した。
「私はいりません」
コップが止まる。
ドナルゥトゥは少し置いてから、自分で持ち上げた。
一口。
水位が初めて下がった。
好代は笑いそうになった。
でも、意味はつけなかった。
真意がペンを持つ。
好代は先に言った。
「一行でいいです」
《水:本人が一口摂取》
「これだけ?」
「これだけです」
どれが本人なのかは、まだ分からない。
袖口には、伸ばさなかったしわが残っていた。




