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ユリside
雨が降る。
石畳を濡らす冷たい雨を、ユリはぼんやり見つめていた。
王都から遠く離れた、小国の安宿。
薄暗い部屋。
軋む椅子。
湿った空気。
「……最悪」
ぽつりと呟く。
誰も返事をしない。
昔なら、そんな顔をすればすぐ男が慰めてくれたのに。
ユリは爪を噛んだ。
最近、そればかりだ。
イライラすると爪を噛む。
前の世界でもそうだった。
「……はぁ」
鏡を見る。
黒髪黒目。
顔立ちはまだ綺麗だった。
でも。
「……なんか、老けた?」
目元。
肌。
疲れ。
王城にいた頃とは違う。
あの頃は毎日高価な化粧品を使って、綺麗なドレスを着て、男たちがちやほやしてくれた。
だから、自分は特別なんだと思っていた。
でも今は。
安物の服。
荒れた指。
鏡の中の女は、どこにでもいる疲れた女だった。
「……クソ」
苛立って鏡を伏せる。
見たくなかった。
◇
「お姉さん、一人?」
酒場で声を掛けられた時、ユリは少し安心した。
まだいける。
まだ自分は女として通じる。
振り向けば、若い商人風の男だった。
そこそこ身なりもいい。
ユリは反射的に笑顔を作る。
「あはは、そうなんですぅ。ちょっと旅しててぇ……」
自然に甘い声が出る。
身体が覚えていた。
男が好きな顔。
好きな声。
好きな距離感。
男はすぐ頬を緩めた。
「へぇ、可愛いね」
ほら。
簡単。
ユリは少しだけ安心する。
大丈夫。
まだ生きていける。
「よかったら飲み直さない?」
「え~? どうしよっかなぁ」
わざと迷う。
即答しない。
これも昔覚えた。
その方が男は追いかける。
実際、男はさらに身を乗り出した。
「頼むよ」
その時だった。
「あんた」
低い女の声。
振り返る。
派手な赤髪の女が立っていた。
「またそうやって引っかけてんの?」
「……は?」
女は呆れた顔で男を見る。
「この前も同じことしてたでしょ」
「ち、違……」
「奥さん泣いてたけど?」
空気が変わる。
ユリの笑顔が引き攣った。
男は舌打ちして立ち上がる。
「……めんどくせぇな」
そしてユリへ視線を向けた。
「悪い。また今度」
あっさり。
本当にあっさり去っていった。
ユリは呆然とする。
「……は?」
赤髪の女は肩を竦めた。
「そういう男やめときな」
「……別に本気じゃないし」
「へぇ」
女は座った。
勝手に。
「でもあんた、そういう顔してないよ」
「なにそれ」
「“選ばれたい女”の顔」
ユリの眉がぴくりと動く。
「……意味わかんない」
「男に“特別扱い”されたいんでしょ」
ユリは反射的に笑った。
「は? 別に? 男なんてちょろいし」
「ふぅん」
女はつまらなそうに酒を飲む。
「でもあんた、愛され慣れてない顔してる」
その瞬間。
ユリの胸がざわついた。
「……何それ」
「そのまんま」
女は淡々と言う。
「媚びるのは上手い。でも安心してる顔したことない」
ユリは黙る。
知らない女だ。
なのに。
なんでそんなこと言われなきゃいけない。
「……知ったような口きかないで」
「知ってるよ」
女は笑った。
少しだけ苦そうに。
「私も昔そうだったから」
◇
夜。
宿へ戻ったユリは、ベッドへ倒れ込んだ。
頭の中がうるさい。
『愛され慣れてない顔してる』
「……うるさい」
毛布を被る。
でも声が消えない。
思い出す。
前の世界。
狭い部屋。
知らない男。
煙草。
『可愛いね』
『若いね』
『また来る』
皆、そう言った。
でも誰も残らなかった。
だからユリは覚えた。
男が欲しがる女になればいい。
泣いて。
甘えて。
身体を使えば。
みんな優しくする。
そう思っていた。
この世界でも同じだった。
男たちは簡単だった。
少し笑えば夢中になる。
だからシオンも落ちると思った。
実際、落ちた。
クノエを捨てるくらい。
なのに。
最後には、戻ってしまった。
ユリの脳裏に、あの日の二人が浮かぶ。
クノエの隣に立つシオン。
穏やかな顔。
安心した目。
あんな顔、自分には向けなかった。
「……なんで」
ユリは唇を噛む。
「私の方が可愛いじゃん……」
泣き方だって知ってる。
男の扱いだって知ってる。
甘え方も。
触り方も。
全部。
なのに。
クノエは何もしていなかった。
ただ隣にいただけだ。
それなのにシオンは、最後にクノエを選んだ。
「……意味わかんない」
涙が落ちる。
ぽろ、ぽろ、と。
ユリはぼんやり思い出していた。
クノエの顔。
あの女、いつも安心した顔で笑っていた。
男に媚びる笑いじゃない。
“好きだから隣にいる”顔。
ユリには、あれが分からなかった。
好きだから隣にいる。
幸せにしたいから触れる。
そういうの。
知らなかった。
「……私」
掠れた声。
「誰か好きになったこと、あったっけ」
沈黙。
答える人はいない。
ユリはそこで初めて気づいた。
自分はずっと、“愛される側”になろうとしていた。
でも。
誰かを愛する方法は、一度も知らなかったのだと。
窓の外では、まだ雨が降っていた。




