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31 王子たちの反撃

 手紙には、レオンの想いが静かな字で綴られていた。


 自分がかつて死を選ぼうとしたこと。そしてチヨに救われ、弟たちの成長を見守れたこと。もう後悔はないこと。そして最後に、残された者たちへの言葉が紡がれていた。


 『セドリック』


 その瞬間、セドリックの喉がひくりと鳴った。それでも目をそらさず、続きを追う。


 『お前は誰より人の心を見ている。軽薄を装いながら、ずっと周囲を支えてきた。お前なら王になれる』


 声が、少しだけ詰まった。


 セドリックはそこで一瞬だけ唇を噛み、紙を持つ手にぐっと力をこめる。


 兄に認められた。


 その事実は、ずっと欲しかったはずの言葉だった。


 なのに、こんな形で渡されるなど、望んでいなかった。


「……っ」


 『ルカ。お前は優しいだけではない。もう、自分の言葉で立てる』


 ルカの目に、じわりと涙が浮かぶ。


 兄が自分を見ていてくれたことが嬉しい。


 けれどその優しい言葉のすべてが、まるで別れのように響いて、胸が苦しかった。


 『アルベール。お前はまだ幼いが、誰よりまっすぐで強い子だ』


 その一文で、アルベールの目からぽろりと涙がこぼれた。


 あわてて袖でぬぐうが、次の涙がすぐに落ちる。


「……ボク、強くなんかない……」


 震える小さな声が、部屋の静けさに溶けた。


 セドリックは一度だけ大きく息を吐き、最後のほうへと視線を落とした。


 『そしてチヨ。――ありがとう』


 たったひと言。


 それだけなのに、部屋の空気がひどく重くなる。


 チヨは目を伏せた。


 そのひと言に込められた重みが、痛いほどわかった。


 『本当は、あの川で死んでいたはずの私に、少し長い時間をくれた』


 チヨの胸が、ずきりと痛んだ。


 あの子は、そんなふうに思っていたのか。

 ただ、いつもの通りお茶をふるまっただけだった。


 けれどレオンにとっては、それ以上の意味を持っていたのだと、今さら思い知らされる。


 そして、最後の一行。


 『弟たちを頼む』


 読み終えた瞬間、セドリックはゆっくりと手を下ろした。


 顔は伏せたままだった。


 だが、その睫毛の先から一筋、涙が落ちた。


 ルカはとうとう顔を両手で覆った。


「……兄上……っ」


 堪えていたものが決壊したように、細い肩が震えだす。


 アルベールもぼろぼろと涙をこぼしながら、しゃくりあげた。


「やだよ……兄上、いなくなるなんて、やだ……っ」


 セドリックもまた、目元をぬぐおうともせず、ただ手紙を握ったまま立ち尽くしている。


 その横顔には、怒りと悲しみと、兄に置いていかれた痛みがそのまま浮かんでいた。


 チヨは三人を見た。


 胸の奥が裂けそうに痛んだ。

 泣きたいのは自分も同じだった。


 けれど、ここで泣いて終わるわけにはいかなかった。


 チヨはすう、と息を吸う。


「みんな、泣いている場合じゃないわ」


 三人が、はっと顔を上げる。


 チヨの声は静かだったが、揺らがなかった。


「レオンを助けに行くのよ」


 ルカが涙を拭いながら、かすれた声で言う。


「助けに行くって、どうやって……」


 セドリックも低く続けた。


「そうだ。兄上が人質にならないと、戦争が起きるんだ」


 チヨはまっすぐ答えた。


「向こうの王様を説得するのよ」


 ルカもアルベールも、ぽかんとする。


 セドリックさえ、涙の跡を残したまま目を見開いた。


 だがチヨは真剣だった。


「おばあちゃんに任せなさい。大丈夫よ、年の功があるから」


 いつもなら、すかさず誰かがつっこんでいた。


 けれど今は、誰もつっこまなかった。


 その言葉が妙に本気で、妙に頼もしく聞こえたからだ。


 ルカが鼻をすすりながら、小さく言った。


「……でも、チヨならなんかできそうな気がする」


 アルベールも涙で濡れた顔のまま、何度も頷く。


「ボクも……そう思う」


 セドリックは目元を乱暴にぬぐい、それからふっと息を吐いた。


「……まったく、無茶苦茶だ」


 そう言いながらも、その目にはもう先ほどまでの絶望だけではない光が宿っていた。



***


「……で、どうする。見張りつきだぞ」


 扉の外に立つ護衛騎士たちの気配が、現実を思い出させる。


 レオンの最後の命令を受けた護衛たちが、自分たちを見張っているのだ。


 チヨは、くるりとルカを見た。


「ルカの出番よ」


「え?」


 突然名を呼ばれ、ルカが目をぱちくりさせる。


 チヨはにっこりした。


「こういうとき、いちばん頼りになるのはあなたでしょう?」


 ルカは一瞬きょとんとしたあと、すぐに意味を悟ったらしい。


 その目に、いつもの繊細な光が戻る。


「……なるほど」


 涙の跡が残る顔のまま、ルカはふっと息を整えた。


「わかった。任せて」


***


 それからしばらくして、部屋の空気はまるで別のものに変わっていた。


 ルカは衣装棚や化粧台を開き、布や帽子や装飾を次々と引っ張り出していく。


 その動きに、もう迷いはなかった。


「セドリック兄さまは、こっち」


「待て。なんで俺がこのひらひらしたのを着るんだ」


「体格的にいちばん目立つからだよ。逆に派手な貴婦人にしたほうが、視線をごまかせる」


「ちょっと派手すぎじゃないか?」


「いいから座って」


 有無を言わせぬ口調だった。


 セドリックは眉をひそめながらも、結局おとなしく椅子に座る。


 ルカは髪を整え、濃い化粧を施し、つばの広い帽子とヴェールをかぶせた。


 最後に全身を見て、満足げにうなずく。


「うん。口を開かなければ完璧」


「……やっぱりいけるな、俺」


 次にルカはチヨを振り返った。


「チヨはいつもの落ち着いた服もかわいいけど、今日は少し若いデザインの恰好にしよう。家庭教師というより、どこかの令嬢の付き添いって感じで」


「ええ、任せるわ」


「アルベールは妹風がいいかな。少し動きやすい恰好にしよう」


 最後に自分も、旅装の令嬢風に整える。


 鏡の前に並んだ四人は、もはやさっきまでの王族たちには見えなかった。


「……本当に行けるのか、これで」


 セドリックが低く言うと、ルカはふっと笑った。


「大丈夫。僕を信じて」


 部屋を出た四人は、廊下で見張っていた護衛たちの前を、まるで何事もないように通り過ぎた。


 護衛たちは、ヴェールをかぶった女たちが出てくることに一瞬違和感を覚えたようだったが、ルカが自然な所作で会釈すると、それ以上深くは追及しなかった。


 息を止めるような時間を経て、ようやく人気の少ない通路までたどり着いたとき、アルベールが小さく息を吐いた。


「でも、このあとどうするの?」


「馬車を手配しなければいけないな」


 セドリックも辺りを見回す。


「この格好で門を出ても、足がなければどうにもならない」


 チヨはそこで、少しだけ得意そうに笑った。


「大丈夫よ。私たちを応援してくれる人がいるから」


「……応援?」


 訝しむセドリックをよそに、チヨは中庭に面した裏の回廊へと足を向けた。


 そこには、すでに三つの影が待っていた。


「セドリック様!チヨ様!」


 ひときわ華やかな衣装に身を包んだ三人の令嬢たちである。

 かつてセドリックにつきまとい、何かと騒ぎを起こしていたあの三人だった。


 セドリックがぎょっとする。


「お前たち、なんでここに」


 令嬢たちは一斉に扇を下ろし、真剣な顔で頭を下げた。


「チヨ様より事情はうかがいました」


「このようなときのための、『チヨ様×セドリック様応援隊』ですもの」


「少しだけ、お力をお貸しいたしますわ」


 (絶対応援の意味が違うだろ!)


 セドリックは内心ツッコんだ。


 だが、いつもの騒がしさはなかった。


 その代わり、彼女たちの目には強い覚悟が宿っていた。


 ひとりが小さな包みを差し出す。


「こちら、馬車の手配書と通行に使える身分証ですわ」


 もうひとりは旅用の袋を渡す。


「食糧と水を少し。急ごしらえですが」


 最後のひとりは、チヨの手をぎゅっと握った。


「チヨ様、どうかご無事で」


 そして、頬を赤くしながらもまっすぐセドリックを見上げる。


「セドリック様、がんばってくださいませ」


 セドリックは一瞬、言葉を失った。


 軽口も出てこない。


 やがて、少しだけ照れたように目をそらし、それでも真面目な声で言った。


「……恩に着る」


 三人の令嬢は、ぱっと花が咲くように表情を明るくした。


「まあ!」

「セドリック様にお礼を言われてしまいましたわ!」

「どうかご無事で、皆さま!」


 その勢いに少しだけ押されながらも、四人は用意された裏門へ向かう。


 そこには、地味だが足の速そうな馬車が一台待っていた。


 御者は事情を聞かされているらしく、無言で帽子を下げる。


 扉が閉まり、車輪が静かに動き出す。


 城壁が遠ざかっていく。


 夕暮れの光の中、王都の屋根が流れていくのを見ながら、誰もすぐには口を開かなかった。


 けれど、その沈黙はさっきまでの絶望のものではなかった。


 悲しみは消えていない。


 不安も消えていない。


 それでも、進むしかないのだと四人とも知っていた。


 やがてチヨが小さく呟く。


「待ってなさい、レオン」


 帝国へ向かう馬車は、夕闇の道をまっすぐ走っていく。


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