おばあちゃんはお城に向かうことにしました
「そうだわ。あなたたちの分も、お茶をいれなくちゃ」
チヨはそう言うなり、てきぱきと手を動かし始めた。
石を寄せて作った簡易のかまどに火はまだ残っている。竹の器を並べ、さっき摘んだ葉を指先でほぐしながら、湯の加減を確かめる。その手つきは慣れたもので、野外だというのに少しも慌てた様子がない。
突然の展開に、騎士たちは顔を見合わせた。
「殿下、その方は……」
ひとりが戸惑い混じりに尋ねると、レオンは短く答えた。
「命の恩人だ」
そのひと言で、騎士たちの表情が変わった。
驚きが走り、視線がいっせいにチヨへ集まる。こんな華奢な少女が、第一王子の命を救った。すぐには信じがたい話だったが、レオンが冗談を言うはずもない。
当の本人は、そんな視線をものともせず、にこにこと竹のコップを並べていた。
「はい、みなさんもお茶をどうぞ」
差し出された言葉に、騎士のひとりが思わず聞き返す。
「……ここで、ですか?」
「そうよ。こういうときこそ、お茶なの」
チヨは当然のことのように言った。
「長旅で疲れているでしょう。追いかけてきたなら、なおさらね。まずひと息つかなくちゃ」
そう言いながら、葉を湯の中に入れる。ふわりと立ちのぼった湯気に、草の青さとやさしい香りが混ざった。さっきレオンに出したものと同じ、素朴で落ち着く香りだ。
「ほらほら、みんな座りなさい」
年若い見た目には不釣り合いな、すっかり言い慣れた口調だった。
騎士たちはまた顔を見合わせ、それからおそるおそるレオンを見る。
「殿下、よろしいのですか」
レオンは小さく頷いた。
「かまわない」
それから少し間を置き、静かに続ける。
「みな、チヨの言うことは聞け」
「は、はあ……」
どこか釈然としない顔をしながらも、主命には逆らえない。騎士たちは鎧の音を立てつつ、その場に腰を下ろした。草の上に座るなど普段ならありえないことだが、不思議と逆らいづらい空気がある。
チヨは満足そうに頷くと、ひとりひとりに竹のコップを配っていった。
「熱いから気をつけてね」
受け取った騎士たちは、しばらくそのコップを見つめていた。竹の節を生かした即席の器は、質素なのに妙に趣がある。
やがて、ひとりが意を決して口をつけた。
そして次の瞬間、目を丸くした。
「……うまい」
その反応に、別の騎士も恐る恐る飲む。
「本当だ。なんだこれは……。こんなうまい茶は初めてだ」
さらにもうひとり、またひとりと口をつけ、たちまちあちこちから感嘆の声が漏れた。
「香りがいいな」
「体に染みる……」
チヨはその様子を見て、嬉しそうに目を細めた。
「でしょう」
ただそれだけなのに、どこか誇らしげだ。
鳥の声が、梢の向こうから聞こえてくる。風が吹くたび草がさわさわと揺れ、木漏れ日が騎士たちの鎧にまだらに落ちた。先ほどまで緊張に張りつめていた空気は、もうすっかりほどけている。
ひとりの騎士が、ぽつりと呟いた。
「こんな静かな時間は久しぶりです」
その声には、思いがけず本音がにじんでいた。
「ああ……故郷を思い出しますね」
それを聞いて、隣の騎士が少し笑う。
「わかる。なんだか、田舎のばあちゃんに会いたくなってきたな」
そんな取りとめのない会話まで始まり、騎士たちはすっかりくつろいでいた。
レオンはその様子を眺めながら、自分のコップに口をつける。
温かさが喉を通り、胸の奥までゆるめていくようだった。
「……こういう時間も、悪くない」
その呟きは小さかったが、チヨの耳にはちゃんと届いたらしい。
「あらあら、王子様もすっかりお茶の魅力にとりつかれたわね」
からかうように笑われ、レオンは少しだけ眉をひそめたが、否定はしなかった。
*
それからしばらく、誰も急かさなかった。
火のはぜる音。風に揺れる葉の音。遠くを流れる川の気配。誰かがコップを置く小さな音さえ、妙に心地よく響く。
やがて、その静けさの中でレオンが口を開いた。
「チヨ」
「なあに?」
チヨは竹のコップを両手で包んだまま、穏やかに首をかしげた。
レオンは少しだけ表情を引き締める。
「城へ来てほしい」
「お城?」
意外そうに目を瞬かせるチヨに、レオンは真っすぐ視線を向けた。
「王室付きの教師になってくれないだろうか」
チヨはきょとんとした。
「教師?」
その言葉には覚えがある。長年、教えることを仕事にしてきた。けれど、まさかこんな場所で、こんな姿で、またその言葉を聞くとは思わなかった。
レオンは静かに頷く。
「私には三人の弟がいる」
「まあ、にぎやかそうね」
チヨが素直に感想を述べると、レオンは微妙な顔になった。
「……にぎやか、というか」
そこで一度言葉を切る。あまり人に聞かせたい話ではないのだろう。しかし、少し迷った末に、観念したように続けた。
「問題児ばかりだ」
その場の騎士たちが、一斉に何とも言えない顔になった。
否定できないのだろう。
チヨはその反応を見て、くすりと笑った。
「あらあら、若い子はみんなそんなものよ」
「そんな可愛い言い方で済む相手ではないのだが……」
レオンは思わず本音を漏らし、それから小さく息をついた。
「教師を何人もつけた。だが、全員辞めてしまった」
それは軽い事態ではない。王族の教育係など、本来なら名誉ある役目のはずだ。それでも続かなかったということは、よほどなのだろう。
「だが、あなたなら」
レオンはそこで言葉を止め、チヨを見る。
真っすぐだった。変な打算も、お世辞めいた軽さもない。ただ本気で頼んでいる目だ。
「あなたと話していると、なぜか安心する」
チヨは少しだけ目を見開いた。
レオンは構わず続ける。
「あなたになら、弟たちも心を開くかもしれない」
その言葉は、不思議と静かに響いた。
周囲の騎士たちも、冗談ではないと察したのか、もう茶化すような空気ではなかった。
チヨはしばらくレオンの顔を見つめ、それからやわらかく笑った。
「まあまあ、嬉しいことを言ってくれるじゃない」
そう言うと、レオンは少しだけ視線をそらした。褒め言葉を口に慣れていないのかもしれない。
「それから……」
珍しく、少しだけ言いにくそうに言葉を継ぐ。
「たまにでいい」
レオンは咳払いひとつしてから続けた。
「私とも、こうしてお茶をしてほしい」
その瞬間だった。
空気が固まった。
騎士たちが、一斉にレオンを見た。
「えっ」
誰かが、ぽろりと声を漏らす。
「い、今、殿下が……」
「女性を、お茶に……?」
ひそひそ声が一気に広がる。
「信じられん……」
「あの殿下が……?」
「聞こえているぞ」
レオンが低く言うと、騎士たちはびくりと背筋を伸ばした。
「い、いえ!」
「何でもありません!」
一斉に姿勢を正す様子があまりに見事で、チヨは思わず声を立てて笑った。
「いいわよ。お茶くらい、いくらでも付き合うわ」
その返事に、レオンの肩からわずかに力が抜けたように見えた。
チヨはコップの中の茶を見つめながら、胸の内でそっと考える。
――そうね。天国で急いでやることもないものね。もう少し長生きしてみようかしら。
不思議な話だ。ついさっきまで、自分は人生を終えたのだと思っていた。けれど今こうして、見知らぬ王子に頼られ、見知らぬ騎士たちに茶をふるまっている。ならば、もう少しだけこの先を見てみるのも悪くない。
それに。
――教師なら、まだ役に立てるかもしれないわね。
チヨは顔を上げ、はっきりと頷いた。
「教師の話も、引き受けましょう」
その言葉に、騎士たちの顔がぱっと明るくなる。レオンも、表には出さないが、目元がわずかにやわらいだ。
チヨは胸の中で、遠い懐かしい人たちに語りかける。
――姉さん、トメさん、フミさん。そちらへ行くのは、もう少し先になりそうよ。
こうしてチヨは、王子たちの教師になることになった。
けれどこのとき、まだ誰も知らなかった。
彼女が教えることになる王子たちが、そろいもそろって、とんでもない問題児だということを。
* * *
城へ向かう馬車が、街道をゆっくりと進んでいた。
車輪が石を踏む音が、規則正しく響く。左右には緑の木々が続き、その先に王都の城壁が少しずつ大きく見えてきていた。
その一行の姿を、城の高い棟の上から眺めている者がいた。
石造りの手すりにもたれ、青年は退屈そうに顎を乗せている。
陽の光を受けてきらめく金の髪。整った顔立ち。けれどその口元には、品のよい微笑みではなく、いかにも面白がっている悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「へえ」
青年は小さく呟いた。
「あの堅物の兄上が、女を連れて帰るなんて」
細めた目で、馬車を見下ろす。
「珍しいこともあるもんだ」
頬杖をつきながら、青年はくすりと笑った。
その声音には、興味と、退屈しのぎを見つけた子どものような気配が混じっている。
「ちょっと面白そうじゃないか」
この青年こそ――
第二王子、セドリックだった。




