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28 王の決断

 城の中は、かつてないほどの慌ただしさに包まれていた。


 戴冠式を数日後に控え、廊下には磨き上げられた花器や織物が運びこまれ、侍女たちは何度も足早に行き交っている。騎士たちも警備や式次第の確認で忙しく、普段は重々しい空気の王城が、どこか浮き立つような熱を帯びていた。


 その中心で動いているのは、ほかでもない弟たちだった。


「その布は、もう少し高い位置にかけたほうが見映えがいいよ。そう、そのあたり。……あっ、待って、そこに白い花を足して。兄上の衣装は威厳があるから、会場は少しやわらかくしたいんだ」


 ルカは会場の中央に立ち、装飾の指示をてきぱきと飛ばしていた。以前なら兄たちの前でここまで堂々と話すことなどなかったはずなのに、今は誰もがその言葉に耳を傾けている。衣装合わせの際も、仕立て職人に細かな修正を告げていたのはルカだった。


 一方、別の広間では、セドリックが式全体の進行役たちを相手に話していた。


「祝辞は長すぎるとだれる。三人目まではそのままでいいが、四人目は少し削れ。あと、兄上が歩く速度に合わせて楽団の入りを調整しろ。最初の一礼のあと、間をひとつ置け。……そうだ、そのほうが場が締まる」


 軽薄そうな笑みはいつものままだが、その目は真剣だった。貴族たちの顔色を見て話の流れを整え、誰がどこで何をすべきかを的確に捌いていく。その姿は、もう遊び人の仮面をかぶった次男ではなかった。


 少し離れた回廊からその様子を眺めていたチヨは、ふっと目を細めた。


「本当に、立派になったわね」


 隣に立つレオンも静かにうなずく。


「ああ。私が思っていた以上に、二人ともよくやっている」


 声は穏やかだったが、その目には深い感慨が滲んでいた。


 ルカが使用人たちに囲まれながら指示を出しているのを見て、チヨはやわらかく笑う。


「ルカなんて、少し前までは人前で意見を言うだけでも緊張していたのにね」


「……あいつは、もともと自分を持っていた。ただ、自分の言葉に自信がなかっただけだろう」


 そして、チヨはそっとセドリックにも視線を向けた。


「セドリックも頑張ってるわね。あの子、すごく周りを見て動いてるわ」


「あいつは器用だからな。……いや、器用に見せているだけかもしれないが」


「ふふ。そういうところ、あなたはちゃんとわかっているのね」


 レオンは苦く笑った。


「兄だからな」


 しばらくレオンはセドリックを見つめると、静かに言った。


「……少し、セドリックと話してくる」


***


 セドリックが呼び出されたのは、人気のない中庭だった。


 戴冠式の準備で城中が慌ただしいというのに、ここだけは妙に静かだ。遠くの喧騒が、かえってこの場の張りつめた空気を際立たせていた。


 レオンはすでにそこに立っていた。


「兄上。こんなところに呼び出して、どうした?」


「少し話がある」


 セドリックは軽く肩をすくめた。


「説教なら短めに頼む。こっちも忙しいんだ」


「長くはしない。だが大事な話だ」


 レオンは真正面から弟を見た。


「即位する前に、お前に言っておかなければならないことがある」


「……なんだよ、急に」


「お前はずっと、私とチヨをくっつけようとしていただろう」


 その一言に、セドリックは目を細めた。


 図星だった。だが、今さらそれを兄の口から言われるのは、妙に落ち着かなかった。


「それがどうした」


「はっきり言っておく。私は、チヨとどうこうなるつもりはない」


 セドリックはしばらく何も言えなかった。ただ兄の顔を見た。冗談を言っている顔ではない。突き放すためにわざと冷たくしているわけでもなかった。


「……それを、わざわざ俺に言うのか」


「言っておくべきだと思った」


「なぜだ」


「お前が妙な遠慮をしているからだ」


「……は?」


「お前は昔から、私を立てようとして動くところがある。だが、今回はそうする必要はない」


「兄上」


「私とチヨがどうこうなることはない。だからお前はもっと素直に――」


「やめろ」


 怒りに滲んだ声が出た。

 レオンがわずかに口を閉ざす。


「それ、本気で言ってるのか」


「ああ」


 セドリックはゆっくり顔を上げた。


「俺が兄上とチヨをくっつけようとしてたのは、兄上が幸せそうだったからだ」


 言ってから、自分で少し驚いた。

 もっと軽口めかして言うつもりだったのに、出てきたのはひどくまっすぐな言葉だった。


「兄上はあの人といるときだけ、少しだけ力が抜ける。王としてでも、兄としてでもなく、ただ普通に……ひとりの人間みたいな顔をする」


 レオンは何も言わない。

 その沈黙が、かえって肯定のように思えた。


「だから、よかったと思ったんだ。兄上にもそういう相手がいて。ようやく、ひとつくらい自分のために望めるものができたんだと思った」


 セドリックは苦く笑う。


「なのに何だよ。また王だ兄だって言って、自分の想いを切り捨てるのか」


「……私は国を背負うものとして、正しい選択をするだけだ」


「じゃあ、兄上の気持ちはいらないものなのかよ」


 レオンの目がわずかに揺れる。


「王だからって、結婚相手を選べない規則はないだろ」


「規則の話ではない」


「じゃあ何だよ。兄上が勝手に自分を諦めてるだけじゃないか」


「セドリック」


「俺は、兄上のそういうところが嫌いだ」


 声が震えた。


 怒っているからだけではない。わかっていた。自分は今、兄を責めながら、同時にどうしようもなく悲しいのだ。


 兄上はずっとこうだった。


 自分が耐えればいい、自分が引けばいい、自分が背負えばいいと、そうして全部を抱え込んできた。


 そしてたぶん今も、弟のためだとか国のためだとか、そういう顔をして、自分の大事なものを手放そうとしている。


「兄上は、俺に素直になれって言うけどな」


 セドリックは絞り出すように言った。


「いちばん素直じゃないのは、兄上だろ」


 レオンは黙ったままだった。

 言い返さない兄を見ると、余計に苦しくなる。


 怒鳴り合いたいわけじゃない。傷つけたいわけでもない。認めてほしいだけだ。兄自身の気持ちを、兄自身が見捨てないでほしいだけなのに。


「……兄上は、本当にチヨのことを何とも思ってないのか」


 思わず、聞いていた。

 聞くつもりはなかったのに。


 レオンの表情が、ほんの少しだけ固まる。

 それだけで十分だった。


「その顔で、よく言う」


「……」


 返事はない。

 だが、その沈黙が答えだった。


「私は――」


 レオンが何か言いかける。

 けれど、その先は続かなかった。


 初めてだったかもしれない。

 兄が、責められて言葉を失うのを見たのは。


 しばらく沈黙が落ちる。


 遠くで、準備を急かす声が聞こえた。戴冠式は待ってくれない。こんなところで立ち止まっていても、時は進んでしまう。


 本当はまだ言いたいことが山ほどあった。怒鳴りつけたい。殴ってでも考えを変えさせたい。兄上は間違ってると、子どもみたいに叫びたかった。


 でも、今はそのときではない。

 このあと兄は大勢の前に立つ。王として、国の前に出る。

 どれだけ腹が立っていても、それを台無しにしたくはなかった。


 セドリックは乱暴に息を吐き、顔を背ける。


「……今は戴冠式が優先だ」


 レオンが顔を上げる。


「セドリック」


「喧嘩の続きは、終わってからだ」


 セドリックは振り返らず、そのまま中庭をあとにした。


***


 その後のセドリックは、少し不機嫌だった。


 使用人が恐る恐る進行表を持ってくれば、「遅い」と短く返し、楽団の動きが一拍ずれれば即座に指摘する。普段のような飄々とした笑顔は薄かったが、それでも仕事に乱れはなかった。


 むしろ、いつも以上に隙がなかった。


 ルカがそんな兄を見て、小さく首をかしげる。


「……セドリック兄さま、なんだか怖いね」


 その横で花の位置を整えていたチヨが、ちらりとセドリックを見る。


「そうね。でも、手は抜いていないわ」


「兄上と喧嘩でもしたのかな」


「したでしょうね」


「えっ」


「でも今は、どちらも式を台無しにはしないわ。あの子たちは、そういうところはちゃんとしているもの」


 チヨの言葉どおりだった。


 式の本番が近づくにつれ、セドリックは見事に役目を果たした。貴族たちの動線も、祝辞の順番も、騎士たちの配置も、すべてが乱れなく整えられていく。


 なにひとつ乱れなく、完璧に。


***


 そして、戴冠式がはじまった。


 大広間は荘厳な空気に満ちていた。高い天井からは大きな旗が垂れ、磨き上げられた床には光が映り込む。列席する貴族たちは正装に身を包み、騎士たちは両脇に整列し、誰もが新たな王の誕生を待っていた。


 大扉が開く。


 レオンが、ゆっくりと姿を現した。


 深い色の正装に身を包み、背筋を伸ばし、まっすぐ前を見て歩いてくる。その威厳ある姿に、大広間の空気がぴんと張りつめた。


 ルカは思わず息をのむ。


 セドリックもまた、無言で兄を見つめていた。


 準備は完璧だった。装飾も、進行も、警備も、すべて整っている。自分たちが積み上げたものの中を、長兄が王として歩いていく。


 やがて、儀式は粛々と進み、ついに冠がレオンの頭上に掲げられた。


 新たな王が、誕生する。


 冠を受けたレオンは、玉座の前に立つ。

 そして、堂々と前を見渡した。


「みな、待たせてすまなかった」


 低くよく通る声が、広間に響く。


「私はこれまで、王として立つ覚悟が決まっていなかった」


 ざわり、と空気が揺れる。


「私は、自分一人で国を背負うものだと思っていた。長兄として、誰にも弱さを見せず、誰にも頼らず、そうあるべきだと考えていた」


 その声は静かで、しかし確かな重みがあった。


「だが、それは違った」


 そこで、レオンは弟たちの方へと視線を向けた。


「この戴冠式の準備をしてくれたのは、弟たちだ」


 まずルカを見る。


「ルカは、会場の装飾と私の礼装を見事に整えた。美しさとは、ただ飾ることではない。この国がいまなお秩序と誇りを失っていないことを、形として示してくれた」


 ルカは目を見開き、それから慌てて姿勢を正した。


 次に、アルベールへ視線が向く。


「アルベールもまた、この場に立っている。まだ幼い。だが幼いなりに、この大きな節目を見届けようとしている。その勇気を、私は兄として誇りに思う」


 不意に名を呼ばれたアルベールは、ぱちぱちと目を瞬かせたあと、少しだけ唇を引き結んだ。照れを隠すようにそっぽを向きかけたが、最後はきちんと前を向いた。


 そして最後に、レオンの視線はセドリックに定まる。


「そしてセドリック」


 名を呼ばれたセドリックは、無言のまま兄を見返した。


「今回の戴冠式における全体の采配、調整、折衝――そのすべてを取り仕切ったのは、セドリックだ」


 広間のあちこちで小さなどよめきが起こる。

 レオンの声はさらに強くなる。


「セドリックは社交に長け、場を読み、人を見て、その力を正しく動かす術を知っている。必要なときには前に立ち、必要なときには一歩引いて全体を整える。王族に必要な資質を、すでに十分に備えている」


 その評価は、兄が弟を甘やかして述べる言葉ではなかった。

 王家の長子が、公の場で、貴族たちに向けて、次代を担う器として紹介している。


 その事実の重みを、誰もが悟った。


 セドリックの表情から、さすがに余裕が消える。

 貴族たちの視線も一斉に向いた。


「私は、弟たちの成長を見て、ようやく理解した。私は一人では

ない。頼りになる家族がいる。支えてくれる者たちがいる」


 レオンはそこで一度、言葉を切った。


「……だからこそ、覚悟が決まった」


 大広間が静まり返る。

 その言葉に、誰もが次を待った。


 レオンはまっすぐ前を見据え、はっきりと言い放った。


「私は王位を退き、次期国王をセドリックとする!」


 一瞬、誰もその言葉を理解できなかった。


 空気が凍りつく。


「……は?」


 いちばん先に声を漏らしたのは、当のセドリックだった。


 ルカも目を見開き、言葉を失っている。貴族たちは騒然となり、ざわめきが一気に広がった。


 だが、その中心に立つレオンだけは静かだった。


 祝福に満ちるはずだった戴冠式は、国を揺るがす宣言の場へと変わったのだった。


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