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26 皇帝陛下の執心 ※順番変更のため再投稿

※順番変更のため24話→26話へ再投稿しています。内容に変更はありません。

「24 王子たちの旅行」「25 第二王子と贈り物」をまだお読みいただいてない方は先にお読みいただけると幸いです。

 馬車が、ゆるやかに街道を進んでいた。


 春の陽気は穏やかで、空は高い。道沿いには畑が広がり、荷車を引く農夫や、のんびり歩く旅人の姿が見える。王国の町へ向かう道は、拍子抜けするほど平和だった。


 だが、その景色を眺める若き皇帝ゼノヴァルトの顔には、露骨な退屈が浮かんでいた。


「つまらんな」


 窓枠に肘をつき、外を見たまま吐き捨てる。


「平和ボケした国だ。骨がない。あの第一王子も、とんだ腑抜けだ」


 向かいに控える従者エリオスは、表情を変えずに答えた。


「争いが少ないということです。良いことではあります」


「私にとっては退屈だ」


 即答だった。


 エリオスは反論しなかった。するだけ無駄だと、もう十分に知っている。


 ゼノヴァルトは若い。だが、若さだけでは片づけられない、剣のような鋭さがあった。才覚も決断力も本物だ。だからこそ帝国は短期間で勢いを増した。


 ただし――人の心の機微や、穏やかな幸福に価値を見いだす趣味は、驚くほど薄い。だからこそ、この男は強い。そして、危うい。


 そのときだった。


 ゼノヴァルトの視線が、ふと止まる。


 街道の近くを流れる浅い川。そのほとりで、ひとりの少女と小さな少年が遊んでいた。


 石を拾い、少女が水面へ投げる。石は軽やかに跳ね、ひゅん、ひゅん、と小さな音を立てながら向こう岸へ走っていった。


「……あの女と子供は」


 忘れるはずもなかった。


 以前、顔を隠してあの第四王子をさらおうとしたときだ。あの場で思わぬ横槍を入れてきた女がいた。あの歪な兄弟たちをまとめあげていた、あの女だ。


「馬車を止めろ」


 エリオスが目を閉じた。


「何だ、その顔は」


「嫌な予感がしている顔です」


 馬車が止まる。


 ゼノヴァルトはさっさと降り立った。エリオスも続くが、すでに胸中では諦めていた。こうなった皇帝陛下は止まらない。


***


「むう……また二回しか跳ねなかった」


 アルベールが唇を尖らせる。


 今日はお忍びで遊びにきていた。貴族の子息らしい服を着て、髪も少し整えている。少し離れた場所には護衛もいるが、目立たぬよう距離を取っていた。


 チヨは川辺にしゃがみ込み、石をいくつか選んでいた。


「でも、最初よりずっと上手よ。えらいわね」


「ほんと?」


「ええ。ちゃんと腕の振り方を覚えてきてるもの」


 そう言って、薄くて平たい石を一つ手渡す。


「手首を使って回転をかけるの。力いっぱいじゃなくて、すっとね」


「すっと……」


 アルベールが真面目な顔でうなずいた、そのとき。


「面白いことをしているな」


 背後から声が降ってきた。


 アルベールはすぐさま振り返り、チヨの前に出た。小さいながらも、はっきりした警戒だった。


 目の前の男は、旅人にしては隙がない。立ち姿も、視線の運び方も、妙に堂々としている。普通の人間ではないことは、子どもの目にもなんとなくわかる。


「誰だ」


 アルベールがきっと睨む。


「あら、こんにちは」


 チヨはいつも通りに微笑んだ。


 ゼノヴァルトはその反応に、内心わずかに愉快さを覚える。この女は、まさか帝国の皇帝だとは、これっぽっちも思っていない。それが妙におかしかった。


「よかったら、あなたもやる?」


 アルベールがぎょっとしてチヨを見上げた。


「えっ」


 怪しい男だぞ、と言いたげな顔だ。


「大丈夫よ。何かあったら騎士さんたちも飛んできてくれるでしょう。ほら、この石をどうぞ」


 ゼノヴァルトは差し出された石を見る。


 皇帝である自分に、何の躊躇もなく石を握らせる女。帝国ではまず見ない。


「……いいだろう」


 受け取り、川へ向かって投げる。


 石は一度だけ跳ね、あっさり沈んだ。


「へた」


 アルベールが間髪入れず言う。


「なんだと?」


「ボクのほうがうまいもん」


「今のは失敗しただけだ」


「負け惜しみ?」


 ゼノヴァルトが片眉を上げる。


 チヨがくすりと笑った。


「いいじゃない。ライバルがいたほうが楽しいでしょう?」


「……ああ。負けっぱなしは好きじゃない」


 ゼノヴァルトは別の石を拾う。今度はチヨの言葉通り、水面を払うように投げた。


 石は二度、三度と跳ねる。


「おおっ!」


 アルベールが目を丸くした。


「すごい!」


「ふん」


 ゼノヴァルトは鼻で笑ったが、少しだけ満足そうだった。


 そこから先は、妙な時間だった。


 アルベールが記録を競おうとむきになり、ゼノヴァルトが大人げなく張り合う。チヨがその間に入って、あちらを褒め、こちらをなだめ、ときどき自分でも見事な水切りを見せる。


 川辺に、ぱしゃ、ぱしゃ、と軽い音が続く。風が水面を揺らし、笑い声がときおり混じる。


 少し離れた場所で、エリオスはその様子を見守っていた。いや、見守るというより、呆れていた。


 帝国の皇帝が、王国の川辺で子どもと石投げ。しかも、思ったより楽しんでいる。


「……このことは、墓場まで持って行った方がよさそうですね」


 護衛のひとりが、こっそりうなずいた。


***


 ひとしきり遊んだあと、チヨが籠を広げた。


「そろそろ休憩しましょうか」


 アルベールが嬉しそうに駆け寄る。


「おやつ?」


「ええ、おやつ」


 ゼノヴァルトはそのやりとりを眺める。


(……教育係というよりは、まるで祖母のようだな。王子に対してこんなに気安い教育係は聞いたことがない)


 そんなゼノヴァルトをよそに、チヨは慣れた手つきで布の上に茶器を並べ、包みをほどく。中から出てきたのは、小さな焼き菓子だった。素朴だが、きれいに焼けている。


「こんなところで茶を飲むのか」


「こういうところで飲むからおいしいのよ」


 チヨはそう言って笑う。


「ほら、座って」


 自然に促され、ゼノヴァルトは一瞬だけ間を置いてから腰を下ろした。命令されたわけではない。だが、妙に逆らう気にならない。


 渡された茶を飲み、菓子を一つ口にする。甘さは控えめで、素朴な味だった。けれど、不思議と悪くない。むしろ、良かった。豪奢な食卓に並ぶどんな菓子より、ずっと記憶に残りそうな味だった。


「……うまいな」


 口をついて出た本音に、チヨがにこりとした。


「でしょう?」


 まるで自分のことのように嬉しそうに笑う。


 その顔を見て、ゼノヴァルトは思う。


 この女は、自分を飾らない。何かを差し出すときも、気負いがない。相手が誰であろうと、自分が良いと思ったものを普通に出す。


 そういう人間は、自分のまわりにはいなかった。


 皇帝に気に入られようと媚びへつらうものばかり。だが、この女は違う。


「気に入った」


 ゼノヴァルトが言うと、チヨは首をかしげた。


「お茶が?」


「お前がだ」


 アルベールが盛大にむせた。


「げほっ」


 チヨは目をぱちぱちさせる。


「あらまあ」


「私の元に来い」


 ゼノヴァルトは真正面から言った。


「私の侍女となれ。お前のような女なら、退屈もしないだろう」


 アルベールの顔がむっと曇る。だが、その前に、チヨが穏やかに首を振った。


「ごめんなさいね。この子の教育係の仕事があるの」


「では、その十倍の金を出そう」


 あまりにも迷いのない言い方だった。


 アルベールがかっとする。


「なっ……!」


 自分の身分を言い返してやろうとした、その肩に、チヨがそっと手を置いた。口を開きかけたアルベールは、はっとして押し黙る。


「強き者が弱き者を従わせる。それが道理だ。悔しかったら強くなってみろ、坊主」


 ゼノヴァルトは当然のことのように言う。


 それが帝国のやり方だ。それで国は大きくなった。間違っているとは思わない。


 だが。


「違う!」


 アルベールが真っ向から言い返した。


 チヨの横で、小さな拳を握っている。


「強き者は、弱き者を従わせるんじゃない!」


 その声には、子どもらしい勢いだけではない、まっすぐな信念があった。


「ただ命令で従わせるんじゃだめだ! 従いたいって思ってもらうから強いんだ!」


「ほう……?」


 この歳の子どもが、そんなことを言うのか。力を持つ者に対して、媚びも恐れもなく、それでも理想を口にするのか。


 その視線は、自然とチヨに移る。この女が教えたのだろう。教え込んだというより、そばで育てた結果として、こういう考えが根づいたのだ。


 それが少し、まぶしくすら見えた。


「……なるほど」


 ゼノヴァルトが呟く。


「教育係というのは、本当のようだな」


 チヨはふわりと笑った。


「ええ。こうやって、弱き者から学ぶこともあるでしょう。ただ従わせるだけじゃ、その学びは手に入らないわ」


 そして、ゼノヴァルトの目を見て言った。


「あなたも王様なら、弱き者の声に耳を傾けなさい」


 ゼノヴァルトの目がわずかに見開かれた。


 見抜かれた。


 この女はたぶん、知識で当てたのではない。ただ、そう見えたから言ったのだ。だが、それを分かったうえで、相手が何者かを怖がるより先に、人としての態度を見て、言うべきことを言った。


「……ますます欲しくなった」


 低く、はっきりと告げる。


「お前はやはり私の元に来るべきだ。金でも地位でも、何でもくれてやる。あいつの傍に置いておくには惜しい」


 アルベールがむっとした顔になるより先に、チヨはきょとんとゼノヴァルトを見上げた。


 そして、いつもの調子で言う。


「あらあら、だめよ」


「は?」


「そんな言い方じゃ、私はあげられないわ」


 ゼノヴァルトは一瞬、言葉を失った。


 子どもをたしなめるような声音だった。


 チヨはまるで気にした様子もなく、ぽん、と軽く彼の腕を叩く。


「まずは従いたいと思ってもらうところからね」


「……何?」


「あなたの教育係はお受けできないけど……もしまた遊びに来ることがあったら、お茶くらい出すわよ」


「私の教育係……?」


 違う。そういう意味で誘ったんじゃない。

 だが、あまりにも自然で、あまりにも軽い返しだった。

 皇帝からの誘いに向けられたものとは、とても思えない。


 ゼノヴァルトはぽかんとした。

 本当に、ぽかんとした。

 断られたことよりも、自分がこの女を押し切れると少しでも思っていたことの方が、妙におかしかった。


 チヨはそんな彼を置いて、アルベールの手を引く。


「ほら、そろそろ行きましょう」


「うん!」


 そのまま二人は、さっさと歩き出してしまう。

 アルベールは「ねぇねえ、王様ってどういう意味?」と無邪気に聞いていた。

 ゼノヴァルトはその背中を見送ったまま、しばらく動かなかった。


「陛下……?」


 エリオスがそろそろと声をかける。


 するとゼノヴァルトは、遅れて我に返ったように目を瞬かせた。


 それから、ふっと口元をゆるめる。


「……は」


 短い息のような笑いが漏れる。


 次の瞬間には、それが大きくなる。


「ははははは!」


 堪えきれないような笑い声が、春の川辺に響いた。


 エリオスは肩を落としながらも、内心では少しだけ安堵していた。怒ってはいない。むしろ、完全に気に入っている。


 ゼノヴァルトは笑いながら、遠ざかるチヨの背を見つめた。


「……面白い。この世でまだ私が手に入れられぬものがあったとはな」


 その声は愉快そうで、だがそれだけではなかった。興味。執着。そして、まだ本人もはっきり自覚していない欲。


 エリオスはそれを聞いて、静かに覚悟を決める。


「……ご命令は」


「あの娘の情報を集めろ」


 やはり、そうなる。


「名も、素性も、立場も。あの娘に関すること全部だ」


「承知しました」


 エリオスは一礼した。顔には出さなかったが、胸中では重いため息をついている。


(陛下がこんなに興味を持つ相手は初めてですね……。ご愁傷様です)


 だが、ゼノヴァルトはそんな従者の苦労など知りもしない顔で、ただ楽しげに口元を上げた。


「必ず、手に入れる」


「第三章 ~恋と愛~」これにて完結です。

「第四章 ~選択の時」では、ついに大きな転換点を迎えます。最後までお付き合いいただけると幸いです。

***

ここまで読んでくださりありがとうございます。

みなさまのリアクション、応援にとても励まされています。

もし楽しんでいただけましたら「★」で応援いただけますと幸いです。

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