16 第一王子のお見合い
その日、レオンは珍しく仕事が手についていなかった。執務机の上には書類が山のように積まれている。けれど、そのどれにも手が伸びていない。向かいでは、チヨがお茶を飲みながら首をかしげていた。
「さっきから難しい顔をしているわね。書類ににらみをきかせたって、勝手に片づいたりはしないわよ」
「書類で悩んでいる訳ではない」
「じゃあ、何を悩んでいるの?」
レオンは少しだけ視線を伏せた。
「……見合いだ」
チヨはぱちぱちと瞬きをする。
「まあ」
「王になるなら、王妃を迎える必要がある。避けては通れない」
「そうねえ」
「理屈はわかっている。だが……」
そこでレオンは口をつぐんだ。
「私は、あまり女性慣れしていない」
チヨは吹き出しかけて、慌てて口元を押さえた。
「笑うな」
「ごめんなさい。でも、そんなふうに真面目に相談されると、なんだか可愛らしくて」
チヨはふふっと笑ってから、少し身を乗り出した。
「それで? 何が不安なの?」
「何を話せばいいのかわからない。政務の話ならまだしも、穏やかに雑談をしろと言われても困る」
「まあ、たしかにあなたは世間話が得意なほうではなさそうね」
レオンは小さく息をついた。
「……だから、相談している」
その一言はぶっきらぼうだったが、信頼がにじんでいた。チヨは少し目を丸くして、それからやわらかく微笑んだ。
「ええ、いいわ。そういうことなら、私に任せなさい」
「任せると言っても、何をするつもりだ」
「練習よ。見合いは会話でしょう? だったら実際にやってみればいいのよ」
「チヨが相手になるのか?」
「そうよ。私が令嬢役をやれば――」
「駄目だ」
即答だった。
「チヨを基準にして練習しても、何の参考にもならない気がする」
「まぁ? 失礼ね」
だがそのとき、開け放した扉の向こうから声が飛んできた。
「その判断は正しいな、兄上」
入ってきたのはセドリックだった。続いてルカ、そして後ろからアルベールまでついてくる。
「なんでお前たちがいるんだ」
「兄上が珍しく悩んでる顔をしてたから、ちょっと気になってさ」
笑いながら言うセドリックの横で、ルカはレオンを見てほんの少しだけ真剣な顔をした。
「見合いの相談をしてたんでしょう? 僕たちも手伝うよ」
「なんかおもしろそう!」
アルベールがきらきらした目で言う。
「おい、面白がるな」
レオンはこめかみを押さえ、チヨはぽんと手を打った。
「じゃあ決まりね。みんなでレオンの見合い対策をするのよ」
「……私の意思は?」
こうして、王城の一室で急きょ〝レオンお見合い対策会議〟が始まった。
***
「まず、兄上は女性との話し方が固すぎる」
真っ先に口を開いたのはセドリックだった。
「見合いってのは面接じゃないんだ。『よろしく頼む』じゃなくて、もう少し柔らかく入らないと」
ルカもすかさず口を挟む。
「服も大事だよ。黒ばっかりだと怖く見えるもん。もう少し明るい色を入れたほうがいい」
「王族として軽く見えないか?」
「大丈夫。ちゃんと上品にするから」
アルベールは机に肘をついてにやにやしている。
「兄上、お嫁さんに逃げられたりして!」
「縁起でもないことを言うな」
「みんな、ちゃんとあなたの心配をしているのね」
「面白いから手伝ってるだけだろう」
そうレオンが言うと、セドリックは涼しい顔で返した。
「半分はそうだな。もう半分は、兄上が本当に逃げられそうだから心配してる」
ルカもうんうんとうなずいた。
「笑顔の練習もしようよ」
「笑顔?」
「そう。兄上、笑って」
レオンはしばらく黙ったあと、ぎこちなく口角を上げた。室内が静まり返る。
「……こわい」
「兄上、それだと微笑みっていうより、〝悪役の笑み〟なんだけど……」
セドリックは腹を抱えて笑っていた。
「すごいな、兄上。笑顔で圧をかけるなんて普通できないぞ」
チヨがふっと手を挙げた。
「じゃあ、やっぱり私が練習相手になるのが一番じゃない?」
その場の全員が即座に反応した。
「駄目だ」「だめ」「だめだよ」「だめ!」
見事な四重奏だった。チヨが頬をふくらませる。
「どうしてよ」
「チヨは普通じゃないから」
セドリックは真面目な顔で言った。
「ひどい言い方ね?」
ルカも続ける。
「普通の令嬢はもっと繊細だよ。チヨ相手でうまくいっても参考にならない」
「そうだ! チヨはちょっと変!」
アルベールまで元気よく乗っかり、レオンも小さくうなずいた。
「残念だが、その通りだ」
「あなたまで」
四対一で否決され、チヨは不満そうにしながらも引き下がった。
「もう。じゃあ私は見守るだけにするわ」
「それがいい」
「そんなはっきり言うなんて、失礼しちゃうわね」
***
そして迎えた見合い当日、応接間には静かな緊張が満ちていた。
ルカに整えられた装いはいつもより柔らかく、セドリックに仕込まれた会話の導入も頭に入っている。準備はした。できることはした。
だが、相手の令嬢が席につき、レオンと正面から向かい合った瞬間――その表情が目に見えてこわばった。
「本日はお越しいただき感謝する」
できるだけ穏やかに言ったつもりだったが、令嬢は肩をびくりと震わせ、ぎゅっと扇を握りしめた。
「い、いいえ……」
沈黙が落ちる。レオンはまずいと思い、少しでも和らげようと口元をゆるめた。その瞬間、令嬢の顔色が変わった。
「……あ、あの」
震える声だった。
「何か……何か悪いことをしましたでしょうか」
レオンは目を見開いた。
「いや、そんなことは」
「申し訳ございません……! 私、失礼があったのなら――」
「違う。そうではなく」
否定しようとするほど、令嬢は怯えたように見える。結局そのまま、見合いは気まずい空気のまま早々に打ち切られた。令嬢は最後までおびえた顔を隠せず、去っていった。残されたレオンは、しばらくその場から動けなかった。
***
夕方、中庭の隅。レオンは人気のない場所で一人、石のベンチに腰を下ろしていた。
「やっぱりここにいたのね」
聞き慣れた声に顔を上げると、チヨが立っていた。彼女はためらいなく隣に座る。
「……弟たちに聞いたのか」
「ええ。みんな心配していたわ」
「心配というより、予想通りだと笑っているだろう」
「そんなことないわよ」
「……令嬢に逃げられた」
レオンは低く言った。
「私の顔が怖いのは、私の日頃の行いが悪い証拠だな」
自嘲がにじむ声だった。チヨはすぐには口を開かず、少しだけ考えてから、ゆっくり言う。
「いいえ。あなたの怖い顔は、あなたが一生懸命な証拠よ」
レオンはわずかに眉を動かした。
「だってあなた、何でも真面目に受け止めるでしょう。王になることも、見合いも、失敗しちゃいけないって思って、きっとずっと力が入っているのよ」
チヨはやわらかく笑う。
「だけどその真面目さは、あなたの良いところでもあるわ」
レオンはチヨの顔を見上げた。
「そもそも、本当に怖い人は、逃げられたくらいでこんなに落ち込まないわよ」
「それは……そうかもしれないが」
「でしょう?」
チヨはにっこり笑った。
「それに、私はあなたが怖いと思わないもの」
「チヨは普通の女性とは違う」
「そうね。年の功があるから」
「だからその発言がおかしいんだが」
レオンは思わず息を漏らした。笑いに近い、小さな吐息だった。
***
「……チヨと一緒の兄上は、怖くないのにね」
少し離れた回廊の陰で、その様子を見ていたセドリックがぽつりとつぶやいた。




