14 王子たちの装い
ルカとレオンがひとまず和解してから、城の空気はだいぶ穏やかになった。
以前のように、顔を合わせれば即座に空気が凍ることはない。食事の席でも会話は続くし、レオンもルカの趣味を頭ごなしに否定しなくなった。
だがある日の午後、ルカはチヨの部屋で紅茶を飲みながら、むくれた顔で頬杖をついていた。
「兄上、ぜんぜんわかってない」
テーブルには焼き菓子と、色とりどりの布見本。すっかり恒例になったお茶会兼おしゃれ談義の時間である。
チヨはクッキーをひとつつまみながら首をかしげた。
「あら、仲直りしたんじゃなかったの?」
「したよ? したけど、なんていうか……」
ルカは唇を尖らせた。
「兄上、前よりは優しくなったし、僕のことも認めてくれた。でもそれって、“ルカがそうしたいなら好きにすればいい”ってだけなんだよね」
「ふむふむ」
「否定はしなくなったよ。でも、絶対に“わかった”って顔じゃないもん。たぶん兄上の中では、まだ僕のことは“よくわからないけど本人が好きなら仕方ないもの”なんだよ」
「まあ、それはそれでだいぶ前進ではあるけれどね」
「そうなんだけどさあ」
ルカはテーブルにぐでっと突っ伏した。
「せっかくなら、兄上にもちゃんと知ってほしいんだよ。僕のこと」
チヨはしばらく考え、それから、ぽんと手を打った。
「じゃあ女装してみるのはどう?」
ルカががばっと顔を上げる。
「えっ」
「だから、レオンに着せるのよ」
チヨは当然のように言った。
「可愛い服を着る喜びは、着た人にしかわからないもの。百聞は一着にしかず、よ」
「それだよ、チヨ!」
ルカの目がみるみる輝いていく。
「兄上にも一回着てもらえばいいんだ! そうしたら、僕の気持ちもわかるかもしれない!」
***
「兄上!」
「レオン、少しよろしいかしら」
「よくない」
「まだ何も言ってないよ」
ルカとチヨが、やけにきらきらした顔で立っている。
書類に目を通していたレオンは、何か嫌な予感がした。
「兄上、女装してみない?」
「断る」
間髪入れずに返ってきた。
ルカが「早っ」と声を上げる。
レオンは机に肘をついて、心底呆れた顔をした。
「なぜ私がそんなことをしなければならない」
とりつくしまもない、断固とした拒否だった。
ルカはちらっとチヨを見た。
チヨが小さくうなずく。
その瞬間、ルカの表情がころりと変わった。
わざとらしく肩を落とし、うるうるした目でレオンを見る。
「そっかあ……」
語尾まで妙に甘ったるい。
「兄上は、昔みたいに僕のこと否定しないでくれるようになったし、優しくもなったし、仲直りもしてくれたけど……」
レオンの顔が少し険しくなる。
「でもやっぱり、兄上は僕のこと、理解してくれないんだ……」
ルカはちらっ、と上目遣いでレオンを見た。
「僕の好きなもの、兄上にはわかってもらえないんだなあ……」
レオンはしばらく黙った。
机の上の書類を見る。逃げ道を探す。ない。
レオンは深く、深く息を吐いた。
「……一度だけだ」
「やったー!」
「やったわね」
ルカとチヨがハイタッチをする。
それからしばらくして――レオンは、大きな後悔をする。
***
「帰りたい……」
レオンは絶望していた。
着せられているのは、淡い色合いの上品なドレス風の衣装。胸元は控えめ、袖はやわらかく、腰のあたりはすっきりと整えられている。露出は少ないのに、妙に洗練されていた。
「兄上、じっとして。髪が崩れる」
「触るな、引っ張るな、何を塗っている」
「うすく整えるだけだよ。大丈夫、兄上は素材がいいから」
「うれしくない」
「眉が整うと印象が変わるのよ」
「変わらなくていい」
「まあまあ」
チヨは器用な手つきで髪をまとめ、ルカは楽しそうに飾りを選ぶ。
「こっちはどうかな?」
「可愛すぎるわね」
「じゃあこっち」
レオンはもう何を言っても無駄だと観念し、黙ったままこの時間が終わることを祈った。
そしてついに、すべての準備が整った。
「……できたわ」
チヨが一歩下がる。
ルカも息をのんだ。
「え」
「あら」
「おい、なんだその反応は」
ルカとチヨが何も言わずにレオンをじっと見続ける。
レオンは失敗したのか、と思った瞬間――
「兄上、ずるい」
ルカはぽつりと言った。
「なんでそんなに似合うの!?」
レオンが怪訝そうに鏡を見る。
そして固まった。
そこにいたのは、怖い顔の大女ではなかった。
鋭い目元はそのままなのに、それが冷たいのではなく、凛とした美しさに変わっている。整った輪郭も高い鼻筋も、普段は威圧感に見えるものが、全部まとめて“近寄りがたい美人”として完成していた。
ルカは本気で口を押さえた。
「これはちょっと嫉妬する」
「するな」
「するよ! 僕、けっこう頑張って可愛くしてるのに、兄上は初回でこれなの!?」
そこへ、何も知らないアルベールが部屋に飛び込んできた。
「兄上ー? チヨー? なんか楽しそうなことを――」
ぴたりと止まる。
部屋の中を見回し、きょとんとした。
「……あれ? レオン兄上は? 声がしたはずなのに」
ルカが吹き出した。
チヨも肩を震わせている。
レオンは静かに言った。
「ここだ」
「えっ!?」
アルベールは目をむいた。
「えっ!? ええ!? ええええええええ!?!?」
「騒がしいな。何の祭り――」
セドリックだった。
いつもの軽い足取りで入ってきた彼は、部屋の中央に立つレオンを見て、ぴたりと止まる。
数秒、沈黙。
そして、さらりと言った。
「……誰だ、この絶世の美女は」
レオンの眉がぴくりと動く。
だがセドリックは気づかない。気づかないまま、すっと一歩進み出た。
「失礼。見慣れない顔だが、君はチヨの知り合いか?」
「ええ、いとこなの」
「なんでこんな綺麗な身内がいることを黙ってたんだ」
ルカがふるふる震え始める。アルベールはすでに笑う準備に入っていた。
「初めまして、美しいお嬢さん」
「お嬢さん呼びはやめろ。セドリック」
レオンは低い声で言った。
「ん? 兄上の声?」
ルカがついに床にしゃがみこんで笑い出した。
「だめ、むり、セドリック兄さま、本気で口説いてる!」
チヨも耐えきれなかった。
「やだ、見事に引っかかったわ」
アルベールは腹を抱えている。
「それ兄上! それ兄上だよ!」
セドリックの笑顔が止まった。
「……は?」
ゆっくりとレオンを見る。
もう一度見る。
さらに目を細めて見る。
そして。
「兄上?」
「そうだ」
「…………」
「どうした」
「いや」
セドリックはすっと真顔になった。
「今すぐ記憶を消したい」
***
「せっかくだから、セドリックとアルベールも着替えましょう」
ひとしきり笑った後、チヨは手をたたいた。
「せっかく、の意味がわからないんだけど」
「観念しろ。先生のいうことは絶対なんだろ?」
「ボクも着る! チヨとおそろいにする!」
アルベールまで元気に手を挙げる。
結果、さらにしばらくして、四兄弟のうち全員が女装することになった。
ルカはいつもどおり華やかで愛らしい。アルベールは年相応に無邪気で、やたら似合う。セドリックは案の定、妙に色気のある美女に仕上がっていて、本人も鏡を見て満更でもなさそうだった。
「俺、かなりいけるな」
鏡に映った顔を何度も見る。
「兄上は気品、ルカは可憐、アルベールは愛嬌、俺は艶っぽさか」
するとアルベールがぱっと顔を上げた。
「ねえ! このままおしろ歩こうよ!」
ルカもすぐに乗る。
「それいい!」
「よくない」
「変装して歩けば、いつも見えないものが見えるかもしれないわよ?」
チヨのその一言に、レオンが止まった。
「どういう意味だ?」
「誰もあなたを王だと思わないもの」
王太子として歩けば、誰もが身構える。だが別の姿なら、いつもは見えないものが見えるかもしれない。
レオンは渋い顔のまま言った。
「……短時間だけだ」
「やったあ!」
こうして、チヨと“四人のいとこ”は城内を歩くことになった。
もちろん、誰も王子たちだとは気づかない。
「まあ、チヨさまのご親戚?」
「ええ、田舎から遊びに来たのよ」
チヨがにこやかに答えると、使用人たちは素直に信じた。
そして信じたまま、わりと好き放題しゃべった。
「あの方、すごく綺麗……」
「でもちょっと近寄りがたいわね」
「わかる、怒らせたらこわそう」
レオンの眉間にしわが寄る。
「ひぃっ!さらに怖くなったわ!」
「い、行きましょう!」
別の廊下では、若い兵士たちがこちらを見てひそひそ話していた。
「なあ、あの金髪の美人、すごくないか?」
セドリックのことである。
「わかる。ああいう余裕ありそうな女、絶対モテるよな」
「隣の女は高嶺の花って感じだな……でもあれはあれでいい」
レオンがぴくりと反応する。
ルカが袖を引いた。
「兄上、だめ。耐えて」
さらに別の場所では、調子に乗った従者がセドリックとレオンに声をかけた。
「あの、よかったら今度お茶でも――」
セドリックは一瞬で営業用の微笑を浮かべたが、その横でレオンがすうっと前に出た。
「断る」
低い声だった。
従者がびくっとする。
「え、あ、はい……?」
ルカが慌てて割って入る。
「ご、ごめんなさい、この人ちょっと風邪気味で!」
また別の兵士は、今度はレオンに向かって軽口を叩いた。
「お姉さん、そんな怖い顔してると嫁のもらい手なくすよ」
その瞬間、空気が死んだ。
レオンがにっこりした。
にっこりしているのに怖かった。
チヨが素早く間に入り、兵士の肩をぽんと叩く。
「女の子にそういうことを言うものじゃないわよ」
「す、すみません!」
兵士は顔を青くして走り去った。
レオンがまだ怒っている気配を出しているので、セドリックが横から言う。
「兄上、落ち着け。完全に“綺麗だけど怒らせたらヤバい女”だったぞ」
「黙れ」
「褒めたつもりなんだがな」
だが、ふざけたやり取りの合間にも、レオンはちゃんと見ていた。
普段は背筋を伸ばしている部下たちが、仲間同士ではずいぶん柔らかく笑うこと。厳しそうに見える補佐官が、年若い従者の失敗を陰でこっそりフォローしていたこと。口数の少ない近衛が、迷子の子どもにしゃがんで目線を合わせていたこと。
王子の前では見えない顔が、そこにはいくつもあった。
***
部屋に戻ったころには、全員かなり疲れていた。
アルベールは椅子に沈み込み、ルカは笑い疲れて机に突っ伏し、セドリックは「惜しいな、この姿のままもう少し歩きたかった」とまだ言っている。
「一人で歩け」
レオンが吐き捨てる。
チヨはそんな彼を見上げた。
「それで、どうだった?」
レオンは少し黙ってから答えた。
「……得るものはあった」
ルカが顔を上げる。
「ほんと?」
「ああ。着飾って、いつもと違う自分になるという気持ちはわかった。お前がどうしてああいう装いを好きで、それと同時に、周囲にどう見られるかを気にしていたのか、少しわかった気がする」
ルカは目をぱちぱちさせたあと、へにゃっと笑った。
「そっか」
「それに、王子の恰好では分からない、部下たちの一面も見られた。悪くない経験だった」
珍しく素直なレオンに、ルカとセドリックは目をぱちくりさせた。
最初の断固拒否していたレオンとは大違いで、穏やかな表情だった。
「じゃあ」
チヨがにっこりした。
「もう一度する?」
レオンは即答した。
「断る!!!!」
城の一室に、第一王子の全力の拒絶が高らかに響き渡った。




