表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/35

14 王子たちの装い



 ルカとレオンがひとまず和解してから、城の空気はだいぶ穏やかになった。


 以前のように、顔を合わせれば即座に空気が凍ることはない。食事の席でも会話は続くし、レオンもルカの趣味を頭ごなしに否定しなくなった。


 だがある日の午後、ルカはチヨの部屋で紅茶を飲みながら、むくれた顔で頬杖をついていた。


「兄上、ぜんぜんわかってない」


 テーブルには焼き菓子と、色とりどりの布見本。すっかり恒例になったお茶会兼おしゃれ談義の時間である。


 チヨはクッキーをひとつつまみながら首をかしげた。


「あら、仲直りしたんじゃなかったの?」


「したよ? したけど、なんていうか……」


 ルカは唇を尖らせた。


「兄上、前よりは優しくなったし、僕のことも認めてくれた。でもそれって、“ルカがそうしたいなら好きにすればいい”ってだけなんだよね」


「ふむふむ」


「否定はしなくなったよ。でも、絶対に“わかった”って顔じゃないもん。たぶん兄上の中では、まだ僕のことは“よくわからないけど本人が好きなら仕方ないもの”なんだよ」


「まあ、それはそれでだいぶ前進ではあるけれどね」


「そうなんだけどさあ」


 ルカはテーブルにぐでっと突っ伏した。


「せっかくなら、兄上にもちゃんと知ってほしいんだよ。僕のこと」


 チヨはしばらく考え、それから、ぽんと手を打った。


「じゃあ女装してみるのはどう?」


 ルカががばっと顔を上げる。


「えっ」


「だから、レオンに着せるのよ」


 チヨは当然のように言った。


「可愛い服を着る喜びは、着た人にしかわからないもの。百聞は一着にしかず、よ」


「それだよ、チヨ!」


 ルカの目がみるみる輝いていく。


「兄上にも一回着てもらえばいいんだ! そうしたら、僕の気持ちもわかるかもしれない!」


***


「兄上!」


「レオン、少しよろしいかしら」


「よくない」


「まだ何も言ってないよ」


 ルカとチヨが、やけにきらきらした顔で立っている。

 書類に目を通していたレオンは、何か嫌な予感がした。


「兄上、女装してみない?」


「断る」


 間髪入れずに返ってきた。


 ルカが「早っ」と声を上げる。


 レオンは机に肘をついて、心底呆れた顔をした。


「なぜ私がそんなことをしなければならない」


 とりつくしまもない、断固とした拒否だった。

 ルカはちらっとチヨを見た。

 チヨが小さくうなずく。


 その瞬間、ルカの表情がころりと変わった。

 わざとらしく肩を落とし、うるうるした目でレオンを見る。


「そっかあ……」


 語尾まで妙に甘ったるい。


「兄上は、昔みたいに僕のこと否定しないでくれるようになったし、優しくもなったし、仲直りもしてくれたけど……」


 レオンの顔が少し険しくなる。


「でもやっぱり、兄上は僕のこと、理解してくれないんだ……」


 ルカはちらっ、と上目遣いでレオンを見た。


「僕の好きなもの、兄上にはわかってもらえないんだなあ……」


 レオンはしばらく黙った。


 机の上の書類を見る。逃げ道を探す。ない。


 レオンは深く、深く息を吐いた。


「……一度だけだ」


「やったー!」


「やったわね」


 ルカとチヨがハイタッチをする。

 それからしばらくして――レオンは、大きな後悔をする。


***


「帰りたい……」


 レオンは絶望していた。


 着せられているのは、淡い色合いの上品なドレス風の衣装。胸元は控えめ、袖はやわらかく、腰のあたりはすっきりと整えられている。露出は少ないのに、妙に洗練されていた。


「兄上、じっとして。髪が崩れる」


「触るな、引っ張るな、何を塗っている」


「うすく整えるだけだよ。大丈夫、兄上は素材がいいから」


「うれしくない」


「眉が整うと印象が変わるのよ」


「変わらなくていい」


「まあまあ」


 チヨは器用な手つきで髪をまとめ、ルカは楽しそうに飾りを選ぶ。


「こっちはどうかな?」


「可愛すぎるわね」


「じゃあこっち」


 レオンはもう何を言っても無駄だと観念し、黙ったままこの時間が終わることを祈った。


 そしてついに、すべての準備が整った。


「……できたわ」


 チヨが一歩下がる。

 ルカも息をのんだ。


「え」


「あら」


「おい、なんだその反応は」


 ルカとチヨが何も言わずにレオンをじっと見続ける。

 レオンは失敗したのか、と思った瞬間――


「兄上、ずるい」


 ルカはぽつりと言った。


「なんでそんなに似合うの!?」


 レオンが怪訝そうに鏡を見る。

 そして固まった。


 そこにいたのは、怖い顔の大女ではなかった。

 鋭い目元はそのままなのに、それが冷たいのではなく、凛とした美しさに変わっている。整った輪郭も高い鼻筋も、普段は威圧感に見えるものが、全部まとめて“近寄りがたい美人”として完成していた。


 ルカは本気で口を押さえた。


「これはちょっと嫉妬する」


「するな」


「するよ! 僕、けっこう頑張って可愛くしてるのに、兄上は初回でこれなの!?」


 そこへ、何も知らないアルベールが部屋に飛び込んできた。


「兄上ー? チヨー? なんか楽しそうなことを――」


 ぴたりと止まる。

 部屋の中を見回し、きょとんとした。


「……あれ? レオン兄上は? 声がしたはずなのに」


 ルカが吹き出した。

 チヨも肩を震わせている。


 レオンは静かに言った。


「ここだ」


「えっ!?」


 アルベールは目をむいた。


「えっ!? ええ!? ええええええええ!?!?」


「騒がしいな。何の祭り――」


 セドリックだった。


 いつもの軽い足取りで入ってきた彼は、部屋の中央に立つレオンを見て、ぴたりと止まる。


 数秒、沈黙。


 そして、さらりと言った。


「……誰だ、この絶世の美女は」


 レオンの眉がぴくりと動く。

 だがセドリックは気づかない。気づかないまま、すっと一歩進み出た。


「失礼。見慣れない顔だが、君はチヨの知り合いか?」


「ええ、いとこなの」


「なんでこんな綺麗な身内がいることを黙ってたんだ」


 ルカがふるふる震え始める。アルベールはすでに笑う準備に入っていた。


「初めまして、美しいお嬢さん」


「お嬢さん呼びはやめろ。セドリック」


 レオンは低い声で言った。


「ん? 兄上の声?」


 ルカがついに床にしゃがみこんで笑い出した。


「だめ、むり、セドリック兄さま、本気で口説いてる!」


 チヨも耐えきれなかった。


「やだ、見事に引っかかったわ」


 アルベールは腹を抱えている。


「それ兄上! それ兄上だよ!」


 セドリックの笑顔が止まった。


「……は?」


 ゆっくりとレオンを見る。

 もう一度見る。

 さらに目を細めて見る。


 そして。


「兄上?」


「そうだ」


「…………」


「どうした」


「いや」


 セドリックはすっと真顔になった。


「今すぐ記憶を消したい」


***


「せっかくだから、セドリックとアルベールも着替えましょう」


 ひとしきり笑った後、チヨは手をたたいた。


「せっかく、の意味がわからないんだけど」


「観念しろ。先生のいうことは絶対なんだろ?」


「ボクも着る! チヨとおそろいにする!」


 アルベールまで元気に手を挙げる。


 結果、さらにしばらくして、四兄弟のうち全員が女装することになった。


 ルカはいつもどおり華やかで愛らしい。アルベールは年相応に無邪気で、やたら似合う。セドリックは案の定、妙に色気のある美女に仕上がっていて、本人も鏡を見て満更でもなさそうだった。


「俺、かなりいけるな」


 鏡に映った顔を何度も見る。


「兄上は気品、ルカは可憐、アルベールは愛嬌、俺は艶っぽさか」


 するとアルベールがぱっと顔を上げた。


「ねえ! このままおしろ歩こうよ!」


 ルカもすぐに乗る。


「それいい!」


「よくない」


「変装して歩けば、いつも見えないものが見えるかもしれないわよ?」


 チヨのその一言に、レオンが止まった。


「どういう意味だ?」


「誰もあなたを王だと思わないもの」


 王太子として歩けば、誰もが身構える。だが別の姿なら、いつもは見えないものが見えるかもしれない。


 レオンは渋い顔のまま言った。


「……短時間だけだ」


「やったあ!」


 こうして、チヨと“四人のいとこ”は城内を歩くことになった。

 もちろん、誰も王子たちだとは気づかない。


「まあ、チヨさまのご親戚?」


「ええ、田舎から遊びに来たのよ」


 チヨがにこやかに答えると、使用人たちは素直に信じた。


 そして信じたまま、わりと好き放題しゃべった。


「あの方、すごく綺麗……」


「でもちょっと近寄りがたいわね」


「わかる、怒らせたらこわそう」


 レオンの眉間にしわが寄る。


「ひぃっ!さらに怖くなったわ!」


「い、行きましょう!」



 別の廊下では、若い兵士たちがこちらを見てひそひそ話していた。


「なあ、あの金髪の美人、すごくないか?」


 セドリックのことである。


「わかる。ああいう余裕ありそうな女、絶対モテるよな」


「隣の女は高嶺の花って感じだな……でもあれはあれでいい」


 レオンがぴくりと反応する。

 

 ルカが袖を引いた。


「兄上、だめ。耐えて」



 さらに別の場所では、調子に乗った従者がセドリックとレオンに声をかけた。


「あの、よかったら今度お茶でも――」


 セドリックは一瞬で営業用の微笑を浮かべたが、その横でレオンがすうっと前に出た。


「断る」


 低い声だった。

 従者がびくっとする。


「え、あ、はい……?」


 ルカが慌てて割って入る。


「ご、ごめんなさい、この人ちょっと風邪気味で!」



 また別の兵士は、今度はレオンに向かって軽口を叩いた。


「お姉さん、そんな怖い顔してると嫁のもらい手なくすよ」


 その瞬間、空気が死んだ。


 レオンがにっこりした。

 にっこりしているのに怖かった。


 チヨが素早く間に入り、兵士の肩をぽんと叩く。


「女の子にそういうことを言うものじゃないわよ」


「す、すみません!」


 兵士は顔を青くして走り去った。


 レオンがまだ怒っている気配を出しているので、セドリックが横から言う。


「兄上、落ち着け。完全に“綺麗だけど怒らせたらヤバい女”だったぞ」


「黙れ」


「褒めたつもりなんだがな」


 だが、ふざけたやり取りの合間にも、レオンはちゃんと見ていた。


 普段は背筋を伸ばしている部下たちが、仲間同士ではずいぶん柔らかく笑うこと。厳しそうに見える補佐官が、年若い従者の失敗を陰でこっそりフォローしていたこと。口数の少ない近衛が、迷子の子どもにしゃがんで目線を合わせていたこと。


 王子の前では見えない顔が、そこにはいくつもあった。


***


 部屋に戻ったころには、全員かなり疲れていた。


 アルベールは椅子に沈み込み、ルカは笑い疲れて机に突っ伏し、セドリックは「惜しいな、この姿のままもう少し歩きたかった」とまだ言っている。


「一人で歩け」


 レオンが吐き捨てる。


 チヨはそんな彼を見上げた。


「それで、どうだった?」


 レオンは少し黙ってから答えた。


「……得るものはあった」


 ルカが顔を上げる。


「ほんと?」


「ああ。着飾って、いつもと違う自分になるという気持ちはわかった。お前がどうしてああいう装いを好きで、それと同時に、周囲にどう見られるかを気にしていたのか、少しわかった気がする」


 ルカは目をぱちぱちさせたあと、へにゃっと笑った。


「そっか」


「それに、王子の恰好では分からない、部下たちの一面も見られた。悪くない経験だった」


 珍しく素直なレオンに、ルカとセドリックは目をぱちくりさせた。

 最初の断固拒否していたレオンとは大違いで、穏やかな表情だった。


「じゃあ」


 チヨがにっこりした。


「もう一度する?」


 レオンは即答した。


「断る!!!!」


 城の一室に、第一王子の全力の拒絶が高らかに響き渡った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ