11 第四王子、襲来
穏やかな午後だった。
王城の庭園にある東屋では、レオン、ルカ、セドリック、そしてチヨの四人がお茶を囲んでいた。白いクロスの上には、焼き菓子と果物、それから香りのよい紅茶。風はやわらかく、花壇の薔薇が揺れている。
そんな優雅な空気の中で、ひときわ優雅ではない光景があった。
「チヨ、はい、あーん」
ルカがにこにこと笑いながら、小さく切った果物をフォークの先に刺して差し出している。
「まあ、ありがとう。気が利く子ね」
チヨは何のためらいもなく口を開けた。
「あーん」
ぱくり。ルカは満足そうに目を細める。
「おいしい?」
「ええ、とっても。あなた、ほんとうにやさしいわね」
「ふふ。もっと食べる?」
「いただこうかしら」
「一体何を見せられてるんだ……」
呆れたように言ったのはセドリックだった。紅茶のカップを片手に、半眼でそのやり取りを眺めている。
「いや、仲がいいのは結構だが、さすがに人前でいちゃつきすぎじゃないか?」
「いちゃいちゃじゃないよ。これは親切だよ」
ルカが当然のように言う。
「親切にしては妙に甘ったるいだろ」
「ルカはかわいいから仕方ないのよ」
「チヨもかわいいよ」
「まあまあ」
チヨが頬に手を当ててうふふと笑うのを横目に、セドリックは深いため息をついて隣を見た。
「兄上、何か言わなくていいのか?」
「何をだ?」
レオンは焼き菓子を一口食べながら、本気で分かっていない顔をしていた。
「いや、だからこの空気についてだよ」
「仲がいいならいいことだろう」
「兄上って時々、本当に鈍いな……。宣戦布告の意味も分かってないだろ」
セドリックが額を押さえた瞬間、ひゅん、と風を切る音がした。次の瞬間、テーブルの上の砂糖壺が、ぱこん、と軽い音を立てて跳ねた。
「きゃっ」
「何だ?」
見ると、小石がひとつ転がっている。東屋の柱の陰から、小さな影がぴょこりと現れた。黒色の髪に、勝ち気な瞳。まだ少年らしい顔立ちに、どこか生意気そうな笑み。
「へへ、命中!」
第四王子アルベールだった。
「アルベール!」
レオンの声が低くなる。アルベールは一瞬だけ肩を揺らしたが、すぐにふんと顎を上げた。
「なんだよ。少し遊んだだけだろ」
「遊びで済むか。チヨに当たったらどうするんだ」
「別に当てるつもりじゃ――」
「つもりの話じゃない」
レオンは立ち上がった。叱る声音には王太子としての鋭さがある。
「お前の行動で、みんなが怪我していたかもしれないと言ってるんだ」
アルベールの顔がみるみるむくれていく。
「うるさいな」
「アルベール」
「兄上はいつもそうだ! 説教ばっかり!」
そう叫ぶと、アルベールは踵を返して走り去ってしまった。
しん、と静かになる。
「……怒られ慣れてる顔だったわね」
「慣れてるからって、平気ってわけじゃないさ」
セドリックが肩をすくめる。
「追った方がいい?」
ルカが訊く。だが、チヨがそっと立ち上がった。
「大丈夫。ここは私が行くわ」
レオンが振り返る。
「チヨ」
「石を投げるのは、心の中に投げたいものがある時だもの」
そう言って、チヨは静かに庭園の奥へ歩いていった。
***
城の裏手を流れる小川のほとりで、アルベールはしゃがみこんでいた。
手元の石をひとつ掴んでは、川へ投げる。ぽちゃん。またひとつ、ぽちゃん。
「ずいぶんと景気の悪い投げ方をするのね」
後ろから声がして、アルベールはびくっと振り返った。彼女は何でもない顔で隣にしゃがみ、川面を眺めた。
「石を投げるなら、水切りにしなさいな。そのほうが楽しいわよ」
「みずきり?」
「こうするの」
チヨは平たい石をひとつ拾い、指先で角度を確かめる。すっと腕を振ると、石は水面に触れた瞬間、ぴしっ、ぴしっ、ぴしっ、と軽やかに跳ねた。
アルベールは目を見開く。
「なっ……!」
「ほら」
「今の何!?」
「水切りよ」
「すごい! もう一回!」
「ふふ、いいわよ。でも見るだけじゃだめ。やってみなさい」
アルベールは慌てて石を拾い、真似して投げた。しかし当然のように、ぽちゃん、と沈むだけだ。
「全然できない!」
「力みすぎね。怒るみたいに投げちゃだめ。撫でるみたいに、横に滑らせるの」
「そんなので飛ぶわけ――」
「飛ぶのよ」
チヨは落ち着いた声で言った。
「上手くいかないからって拗ねてたら、石も言うこと聞いてくれないわ」
「石なんかしゃべらないだろ!」
「石にも意思はあるのよ。石だけにね」
それから二人は、しばらく夢中で水切りをした。何度も失敗し、何度も挑戦して、ついにアルベールの石が二回、水面を跳ねた時。
「やった!」
アルベールは思わず飛び上がった。
「見た!? 見ただろ!?」
「ええ、見たわ。上出来よ」
チヨが微笑む。その笑顔に、アルベールはほんの少しだけ胸がくすぐったくなった。叱られた後だったのに、いつの間にか嫌な気分は消えていた。
***
その日から、アルベールはチヨに懐いた。
「別に、お前に会いに来たわけじゃないぞ」
アルベールはそう言いながらチヨの部屋に現れた。
「そうなの? でもちょうどよかったわ。紙風船を作ろうと思っていたの」
「かみふうせん?」
「それともめんこがいい? あやとりもあるわよ」
「……やる」
紙風船をつくれば目を輝かせ、めんこでは負けず嫌いを発揮し、あやとりでは「何でそんなものができるんだ!」と本気で驚く。チヨは、遊びを通してアルベールの気を引き出していった。
「はい、今日は竹馬よ」
「こんなの乗れるわけないだろ! 転んだらどうするんだ!」
「そう、たくさん転ぶのよ」
「わっ! 手を離さないでぇ!」
わあわあと騒ぎながらも、アルベールは少しずつできることを増やしていった。そしてできた時には、誰よりもうれしそうに笑った。
その様子を少し離れた廊下から眺めながら、レオンが静かに目を細める。
「……あんな顔もするんだな」
「するさ。年相応の子どもなんだから」
セドリックが壁にもたれて笑う横で、ルカはむくれた顔で腕を組んでいた。
「最近、チヨがアルベールとばっかり遊んでる。前はもっと僕とも一緒にいてくれたのに」
「ルカが分かりやすく拗ねてる」
「あんまり嫉妬するな、ルカ。お前はアルベールの兄だろう」
レオンがルカをたしなめる。すると、ルカは面白くなさそうな顔をした。
「兄上だって、少し寂しいんじゃないの?」
「……私か?」
レオンは一瞬だけ言葉を止め、否定しようとして、だが結局、わずかに視線をそらした。それをルカは見逃さなかった。
「ほら!」
ルカがすかさず身を乗り出す。
「やっぱり兄上もそうなんだ!」
「い、いや。アルベールが落ち着いたのはいいことだ。それは本心だぞ」
レオンは咳払いをひとつした。
「ただ……私ともう少しお茶をしてほしい」
セドリックがにやりとする。
「それを世間では嫉妬って言うんですよ、兄上」
「うるさい」
レオンは眉をひそめたが、否定しきれないあたりが余計に図星だった。
***
その日の夕方、レオンはチヨを静かな回廊へ呼び出した。
夕陽が石床を赤く染め、長い影を落としている。
「改めて礼を言う。ありがとう」
レオンがそう言うと、チヨは小さく首をかしげた。
「アルベールのこと?」
「ああ」
レオンは手すりに手を置いたまま、ゆっくりと言葉を選んだ。
「アルベールを産んで、母は亡くなった。父もその頃から病に伏しがちになった。……あいつは、親に甘えることをほとんど知らずに育った」
風が吹く。レオンの横顔は、夕陽に照らされてどこか痛々しかった。
「私も兄として面倒を見たつもりではいた。だが、王太子としての仕事や父のことがあって、十分だったとは言えない。叱ることはあっても、甘えさせてやる余裕はなかった」
「そう」
チヨは静かにうなずいた。
「あの子は、寂しいのね」
「……ああ」
「でも、これからでしょう?」
レオンがわずかに目を上げる。
「今まで足りなかったからといって、これからも足りないままとは限らないわ」
「これから、か」
「ええ。家族は、今からでもやり直せるものよ」
チヨは遠くを見つめる。
「ただね、アルベールにはどうしても直さなければならないところがあるわ」
レオンの表情が引き締まる。
「何だ?」
「それはまだ言わない。あなた、つい言っちゃいそうだもの」
「なぜ言ってはいけないんだ」
「本人がちゃんと身をもって実感しないと、意味がないことだからよ」
チヨはそう言って、意味ありげに微笑んだ。




