第7話:治癒魔術
ジャスティナの話を聞くうちに、ヒジリの顔はどんどん曇っていった。ずぅんと、雨降りの日みたいな表情になっていった。
「お母様が、ご機嫌が悪くなるのですって。それで、なんとかってものを投げつけられて、アザができちゃったって……なんだって言ったっけ」
マコはリビングルームの椅子に座らされている。なぜなら、ジャスティナが風術で髪を乾かしてくれているから。
勢いのいい風が髪を通って、どうにも心地良い。
髪は気持ちがいいけれど、気は重い。悪いことをしたわけではないけれど、どうにもヒジリの顔を直視しにくい。だからつい、うつむいてしまった。
「あ、そりゃあ、この世界にはないですよね。テレビの、リモコンです……」
「……ああ」
ヒジリが喉の奥から声を出した。
とてもつらそうな響きだった。
ちらり、と顔を上げる。
ヒジリは泣きそうな顔をしていた。男性のこんな表情を見るのは初めてかもしれないと思った。
空中を仰ぎ、はぁ……と大きな息を吐いてからヒジリは言った。
「すみません。治癒魔術をつかわせてもらってもいいですか。あの、男性に、肌を見られるのは抵抗があるかもしれませんけれど……最低限しか見ませんから。医者に見せるようなものだと思って少し我慢してください」
そう言って、まずは優しく肩に手を置いてくれた。
それから、マコが着ている麻の部屋着にそっと触れ、ゆっくりと捲る。極力肌の露出が少なくなるよう気を配っていてくれているようだ。
「これ、ですね……痛かったですね」
自分のことのように悲しそうな声を出すから、かえって申し訳なく思えてくる。
「触れますよ。驚かせたらすみません」
言葉のあと、手のひらが背中に触れた。
その手のひらはとにかく温かかった。意外と大きな手。少しだけガサガサしている。
なにか、ボソボソとした言葉が聞こえる。魔術の詠唱というものなのかもしれない。
落ち着かない気持ちのまま、ほんの数秒。
驚いた。
背中に感じていたズゥンとした重い痛みが、すっきりと消えていた。
「もう、アザもなく背中はきれいです。ほかにも、痛いところがあれば、遠慮なく言ってください。それに、困ったことなんかも……」
衣服を戻しながらヒジリが語りかける。
マコは、少し考えてから返事をした。
「うん。大丈夫。ありがとう」
ヒジリの魔術はとても優しい。長い年月をかけて心の中に蓄積していた痛い痛い傷まで治してもらえたように思えた。
心配そうに見守っていたジャスティナが、ふうっと力を抜くようにしながら言った。
「引退したって言っても、治癒魔術の腕は相変わらずいいのね」
「大きなケガはもう治せませんよ」
「……ええ、分かってる」
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「あなたの母親は……。ええと、つまり……」
ヒジリは言葉をゆっくりと選んでから、マコに話しかける。
「あなたが母親をどう思っているとしても……第三者から見れば、マコにアザを負わせるような人は、ひどい人です。マコは……今は何歳ですか」
「18歳に……なりました……」
「18歳。まだまだ子供だ。それなのに、親がそんな……」
つい、ヒジリの言葉を遮ってしまった。
「あ、あの……18歳は、大人です。それで母にも、大人なら大人として生きていくようにと、言われるようになって」
「たとえ本人がそう思っていても、18歳ならまだ子供です」
「いいえ、私の国では、18歳からが大人と定められています……」
「……」
ヒジリは眉をひそめ、首を傾げる。そうしてから、気を取り直したように言葉を続けた。
「そうでしたか。大人……。まあ、たとえそうだとしても、人を頼ってはいけないというわけはない」
うんうん、と頷いたあと、ヒジリは柔らかい声で言った。
「もしマコが嫌でなければ、私とジャスティナを、父親と母親だと思ってもらうわけにはいきませんか……」