第20話:異世界に蕎麦がある理由
「そういえばさあ……」
楽しい休日が終わって、いつも通りの朝の開店準備。
マコは、ふと思ったことをヒジリに尋ねてみる。
「そもそも、どうしてこの異世界に蕎麦があるの?」
蕎麦粉に水を加え、力いっぱい捏ねながらヒジリが答えた。
「そんなことは私が聞きたいくらいです。ただ、あったんです」
「……どういうこと?」
よく分からない。マコは思わず、テーブルを拭く手を止めてしまった。
ヒジリは捏ねた生地の塊をグイとつぶしながら続ける。
「私もヒルデガルトに来てからというもの、この世界の動植物を色々と観察しているんですけどね。日本とヒルデガルトに共通して存在するものと、どちらか一方の世界にのみ存在するものがあります。その法則性はさっぱり見当たらない」
なんだか難しく説明されている気がする。
困り顔のマコに気付き、ヒジリはふとジャスティナの方を見た。
「うーん……例えばこの世界には玉ねぎがある」
ジャスティナはそう言われて、かき揚げに使うための玉ねぎを示す。
「でも、人参はない」
「人参ってなに?」
ジャスティナがすかさず尋ねる。
「オレンジ色の根菜なんですけど」
「なにそれ。おいしくなさそうね」
「うん、おいしくはない」
マコが答えるとヒジリが「あはは」と声を出して笑った。
「マコは人参、嫌いでしたか。じゃあ、ちょうどよかったのかな。今後はもう、人参を食べなくても生きていけますよ」
ヒジリは麺棒で蕎麦を引き伸ばしつつ、さらに例を示してくれた。
「ほかには、エノキダケがない。シイタケはある」
「シイタケがあるんなら、キノコ蕎麦には黄色や紫の不思議キノコじゃなくて、シイタケを入れたらいいのに」
マコが素朴な疑問を口にしたら、ジャスティナがぽかんと口を開けた。
「それができたら苦労はしません」
「蕎麦にシイタケなんか入れたら、金貨でお会計しなきゃならなくなるわね」
「な、なんで……?」
「この国のシイタケは、日本のマツタケくらい貴重なんですよ……しばらく食べてないなぁ、シイタケ。炙ってお醤油をかけて、食べたいなあ。ああ、ちなみにマツタケはないです。マツタケも食べたいなあ……」
ヒジリが遠い目をした。
「そうなんだ……」
シイタケなんて、日本であればスーパーマーケットに山ほど積まれている。あらためて、日本とヒルデガルトにはたくさんの違いがあるようだ。
「それはさておき。蕎麦です。蕎麦はどういうわけか、この世界に自生していました」
そう説明したあと、ヒジリは口腔内で魔術を唱える。
ヒジリが引き伸ばした蕎麦生地は刃の魔術で分断される。ほんの一瞬で、美しい麺が出来上がった。
「国防の仕事をしていた頃は、馬車であちこちに移動することが多かったんです。あるとき移動中に、遠くに赤い花と白い花が咲いているのが見えて、すごく気になって。最初は、アカツメクサとシロツメクサかと思ったんですけど」
「アカツメクサとシロツメクサ……ってどんな花?」
マコは思わず首を傾げる。
「見たことがないわけはないと思いますよ。なんだか、小さい花びらが縦にクルッと巻いたようなのが1本の茎に無数に生えている雑草です」
イメージしてみたけれど、うまくいかなかった。
「そういえば、こっちに来てから、アカツメクサとシロツメクサは見てませんねえ……多分、存在しないんだろうなあ……。で、アカツメクサとシロツメクサに見えたその花は、近づいてよく見たら蕎麦の花でした。私も蕎麦屋の息子なんで、蕎麦が咲いてるなら蕎麦打ちができるぞ、と俄然張り切りまして。仕事がない日にいそいそと蕎麦の群生まで出かけて、収穫して加工して、周りの人に振る舞ったら大変好評だったというわけです」
ヒジリは仕込み用の蕎麦を丁寧にケースに入れながら、そんなことを語ってくれた。
「ねえヒジリ、小麦粉がないんだけど」
キッチンの奥からジャスティナの声がした。
「この世界に小麦粉はありますよ」
話の流れのまま、ヒジリがそんなことを言う。
「そうじゃなくて、棚にないの」
「二八に使う分はありますよ」
「そうじゃなくて、天ぷらの分」
「……えぇ!?」
ようやくヒジリは手を止め、身を乗り出すようにして遠くの戸棚を眺めた。
「あー……」
「買い置き、忘れたのね……?」
ジャスティナが、水術でサッと手を洗いながら言う。
「買ってくるわ」
「ジャスティナが行ったら野菜の仕込み、間に合わないでしょう?私が行きます」
「ヒジリが行ったら蕎麦の仕込み、間に合わないでしょう?私が行きます」
オウム返しが飛んできた。そのまま、2人は目を合わせて嘆息する。
「ねえ、ねえ!私が行く!!」
一部始終を聞いていたマコが、少しワクワクしたような表情で割って入った。




