第9話:鴨蕎麦とフルーツ
「晩ご飯、お店の方に用意したんです」
と、ヒジリが言ったときには、よく意味が分からなかった。
2人は、マコを連れて住宅を出る。家の隣に、和風の大きな建物があった。
建物の入口には、木製の看板が掲げられている。
[二八そば 聖]
ヒジリが引き戸をガラガラと開けた瞬間、優しい木の匂いが漂ってきた。なんだか、とても懐かしい感じがした。
「ここは、私とジャスティナが2人で切り盛りしている大切なお店です」
木の風合いを活かして建てられているらしいそのお蕎麦屋さんは、温かい雰囲気だった。十分な広さもある。
促されてテーブル席に座ったら、ヒジリはお肉の乗った温かい蕎麦を出してくれた。
それから、見たこともない形のフルーツらしきものを3種類、お皿に乗せて置いてくれた。
「いただきます」
異世界の料理とはどんな味だろう、と思いながら、おそるおそる蕎麦を一口。
「あれ……普通に……お蕎麦だ」
驚いた。
日本で食べる蕎麦とそれほど味は変わらない。優しい塩気のある出汁には魚介の香りがあるし、麺の食感も抜群だ。
「おいしい!」
正直な感想を伝えることにした。
「それはよかったです。お肉はね、鴨です。意外とクセがなくて、柔らかくて、でも食べごたえがあると思います。蕎麦は二八といって、小麦粉と蕎麦粉を2:8の配合で打っています。九割とか、十割という蕎麦もあるんですけど、二八は幅広い人の好みに合うんですよね」
なるほどな、と思う。確かに、つるつるとしていて食べやすい。
「お蕎麦は、私がいた国で食べていたものによく似ているけど……。あの、こっちは……」
さっきから気になっていた。おそるおそる指をさしてみる。
多分、果実だと思う。しかし……
りんごによく似た形の果実は、外側に無数のトゲが生えている。
みかんくらいの大きさの果実は、どういうわけか真っ青。
さくらんぼのように見える果実は、虹色のグラデーション。
フルーツと呼ぶには、なんだか冗談が過ぎるという感じがする。
「珍しいですか?」
「……見たこと、ない」
おいしそうにはとても見えなかった。
「レインの実はね。柔らかいから手で2つに割って、スプーンですくい取って。はい」
トゲだらけの果実をジャスティナが裂き、緑色の果実をすくってくれた。ちょっとためらってしまうけれど、思い切って食べてみることにする。
「あ、柔らかくておいしいかも……」
すっきりした味わいの果実は、ゼリーのような食感だった。
「モコの実は酸っぱいかもね。あとで切り分けてあげる。ファララはそのまま食べられるわよ」
そう言うと、ジャスティナは虹色の小さな果実をぽいと口に入れた。せっかく出してもらったから真似して食べてみる。
「あ、甘い……!?」
お砂糖の塊をそのまま口に放り込んだような甘さだった。
食事をしながら、ヒジリはこんなことを言った。
「先ほどマコに、お店を手伝ってくれませんか?とは言ったものの、実際のところマコはマコにしたいようにしてくれていいんです。ヒルデガルトというこの国にはさまざまな職業があり、さまざまな生き方があります。街道沿いにも、王城にも、働き口はあるでしょうし、いろいろな人と出会う機会もあるでしょう。これまでと違う世界に慣れるまで、まずはこの世界をうろうろしてみてもいいかもしれません」
確かに、マコにはこの世界のことはほとんど分からない。世界を見て回るというのも、1つの魅力的な選択肢だと思う。
「でも、外にはいろんな人がいて、中には野蛮な人もいて、遠くに行けば竜もいて、危ないかなあ。ああ、マコが危ない目に遭うのはいやだなあ」
ヒジリはブツブツ、ブツブツとつぶやく。
「それだったらやっぱり、お蕎麦屋さんで働いてくれたほうがいいなあ……」
なんだか、すごく心配されているようだ。
人に心配されることなんて、今までなかったように思う。身を案じてもらえるというのはどうにもむず痒くて、くすぐったくて、心が落ち着かなかった。
「うちはねえ、この世界の8日暦に合わせて、3日働いたら1日休み、3日働いたら1日休みって感じなんで、働きやすいですよ。夜はお店を開けていなくて、お仕事は昼間だけですしね。お給料もはずみますよ。ああ、だからマコはここにいたらいいと思うなあ」
どうにも、誘導されているように感じる。
でも、反発するような要素もなかった。
なにしろヒジリとジャスティナは恩人だ。知らない世界に降り立って右も左も分からないマコを、保護してくれている。たくさんのものを与えてくれる。道筋を示してくれる。
そして、慈しんで愛してくれる。
きっとこのお店にいたら、優しい2人の役に立てるのだろう。
「うん。私ね……」
それならば、迷う理由なんてない。
「このお店で働いてみたい」