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憮然とした表情を浮かべるアーロン。そんな彼に聞きたいことがたくさんあるクローディアだが、思わず笑ってしまった。
「何がおかしい」
怒ったような低い声でクローディアを睨みつける。しかし、それがますますクローディアの笑いを誘ってしまう。
「いえ、何も」
普段のアーロンらしくない姿に親しみやすさを感じるのが楽しいなんて言ったら怒られてしまうだろか。
(かわいい、なんて言ったらどんな顔をされるかしら? あら、でも考えていることが分かるのなら……これも知られているっていうこと?)
「……そういうことだ」
「きゃーーーっ!」
クローディアは握りしめていたアーロンの両手を投げ出すように放した。考えを知られていたことに驚く。そう言えばと、今まで何を考えていたかを反芻しだした。アーロンが呆れるような、何か変なことを考えていたりはしていないだろうか。そうして遅ればせながら気づく。今だけではない。これまではどうだったのだろうか。自分は頭の中で何を考えて思っていたのだろうか、と。いろいろと思い返せば赤くなったり青くなったりしてしまう。
「気づいていないかもしれないが、貴方は大抵のことを口に出している」
「えっ!」
思いもしない言葉に、クローディアは恥ずかしさで顔に覆っていた手を外すと、アーロンは片方の口角を歪めた。
「それに私も極力人の心の中など知りたくない。楽しいことなどないからな。大方幻滅させられる。だから、私は見ないようにしている。触れる前に準備さえしていれば見なくても済むようにはできるんだ。それがお互いのためだというのに、貴方は不意に私に触れようとするから困っていたんだ」
「そうですか……」
馬車の揺れに身をまかせるようにアーロンは瞳を閉じた。
「あまりに無防備だから、貴方にこちらが申し訳なく思ってね。自衛のためにしていたことが、こんな風に思わされるとは」
クローディアは以前に、触れられるのが好きではないとアーロンから告げられたのを思い出した。自分の問題だと言っていたのは、こういうことだったのかと理解する。
「隠し通せる自信はあったのだが。このようなことを隠して結婚をした貴方には申し訳ないと思っているよ。しかし、私の代でマクシミリアン家を終わらせるわけにはいかないのだ。そのためにはどうしても結婚をしなくてはならなかった」
代々続いてきた家を途絶えさせるわけにはいかないのはクローディアでもわかる。アーロンは瞳を閉じたまま続けた。
「だが、その代わりに誓ったことが二つある。極力貴方の心の中を見ないようにすること。そして貴方が望むことは叶う範囲ならば思い通りにさせること。まあ、勝手なことと思うだろうが」
たしかに自戒を込めてアーロンが決めたことだろうと推察するが、勝手ではあるとクローディアも思うので遠慮がちに頷いた。高潔なアーロンらしいことだと思う。
「さて。今後のことは私で手配する。すぐに実家へ帰ってもらっても構わない。もちろん貴方に責めが及ばないようにするつもりだ」
「はぁ」
「貴方が出て行くまでは王宮へ泊り込むことにするつもりだ。顔も合わせない方がいいだろう」
「えぇっ! ちょっと待ってください! それって、つまり。私、出て行かないといけないんですか?」
閉じていた瞳を開いたアーロンが眉間に皺を寄せて怪訝な表情を見せる。
「まさかこのまま屋敷にいるつもりなのか?」
「はい。そのつもりですが」
なぜアーロンが出て行けなどと言うのだろうかと意味がわからない。クローディアは自分でも間抜けな顔をしているだろうと思う。
「……嫌ではないのか?」
「だって、アーロンさまはみだりに心の中を覗いたりはなさらないのでしょう? もちろん、最初に言ってくださればとは思いますけどね」
わざと頬を膨らませて見せるクローディア。するとみるみるアーロンの眉が下がり、なんとも情けない顔になる。
「それになんだかとっても面白そうではないですか!」
実はクローディアはわくわくしていた。怖いだなんて不思議と微塵も感じなかった。それよりも重大なアーロンの秘密を知って胸がどきどきと高鳴っている。いままで気にかかっていたことだってこれから答え合わせができるのだ。ジーンも様子がおかしいことがたびたびあった。おそらくアーロンの秘密を知っていてクローディアに隠していたのだろう。
「私を信じようとするなんて、どうかしているよ」
そう言うと長い腕をクローディアへのばした。ここで少しでもクローディアが嫌がるそぶりを見せれば、すぐにやめるだろうと推察する。微動だにしないクローディアの細い肩をアーロンは強く抱きしめた。クローディアはアーロンの香りに包まれて瞳を閉じる。
「私だって普通の心を持っている。だから腹に一物持っている者とは一緒に暮らすのは大変だ。そんな人物と一緒にいるだけでこちらは神経をすり減らす。その点貴方は。初めて会ったときに空から降ってきただろう。思いがけないことで自衛ができなかった。しかし、聞こえてきた声があまりに幼い少女のようで」
「それはつまり、年相応でない馬鹿だとおっしゃりたいということですか?」
「いや違う。つまり、少女のように純粋だと言いたかったわけだ」
信じられないという思いでアーロンの腕の中で抗議しようとするが、力強い腕はそんなクローディアを離そうとはしなかった。仕方がないのでクローディアは抗議の手を緩める。その代わりに聞いてみたかったことを口にした。
「ではなぜ、私に求婚なさったのですか? 世の女性たちが皆、暗いことを考えているというわけではありませんよ」
クローディアの友人だってそうだ。腹に一物だなんてとんでもない。皆気が良くて楽しい人たちだ。アーロンはしばらくの沈黙の後、ぽつりと呟いた。
「つまり……貴方の父上の言うことも一理あるというわけだよ」
父が言っていたこと……。クローディアは頭を巡らして記憶を辿る。そうしてぽんと手を叩いた。何ということだろうか。
「まあ! アーロンさまがそうだとは知りませんでしたわ! 私はどうしたらいいのでしょう?」
「そのままでいてくれればそれでいい」
アーロンはクローディアの顎に手を添えて上向かせる。甘い色を浮かべた青い瞳がクローディアを映していた。
「でも、具体的にどうすればいいのかしら?」
「は?」
「私知りませんでしたわ! 父の冗談だとばかり思っていましたのに。アーロンさまがまさか、女性の意のままにされたいと考えていらしたなんて」
父はマクシミリアン伯爵は尻に敷かれたくなったのだろうと言っていた。てっきり酔った上での父の戯言だと思っていたのに。尻に敷くというのは具体的にはどうすればいいのだろうかとクローディアは頭を捻った。
なぜだかアーロンの手から力が抜けるのをクローディアは感じた。