12
青い瞳が光っていた。いや、まさか、そんなことはないだろうと思う。
でも。
クローディアが確かめようと、顔を背けたアーロンに回り込んで下から覗き込んだ。しかし、さらにアーロンが顔を見せないようにさらに首を背けてしまう。そして、逃げるように廊下へ出てしまった。クローディアは慌てて追いかける。
「待ってください。なぜ、逃げるんですか?」
その言葉にピタリと足を止めたアーロンに、クローディアは逃げられないように両腕を掴んで急いで下から覗き込んだ。
(あれ?)
「逃げてなどいないが」
「部屋から逃げたじゃないですか」
先ほどまで光っているように見えたのに、シャンデリアの灯る下で見ると、青い瞳はいつものように澄んだ色をたたえていた。
「それは、貴方がおかしなことを言っているからだろう」
「おかしいわ。さっきまで、たしかに光って見えたのに……」
独り言のように呟くクローディア。そこで、はた、と気づく。それって。
「やっぱり逃げたってことじゃないですか!」
ふーっと、長いため息を吐いてアーロンが天井を見上げた。さも、面倒くさいとでも言うように。大人の男性にそんな態度を取られると怯みそうになるが、クローディアだって負けていられない。そんな気持ちでアーロンを見つめると、観念したように両手を広げた。
「では、どうぞ。貴方のお気の済むまで」
じっくりと見たらいい、と言われなくてもクローディアは、おかしいところはないかと検分していた。しかし、普段と変わらないアーロンの瞳。凛々しいとも言えるが、険を含んだような表情はいつも通り愛嬌もない。強いて言えば、短く刈られた黒髪が風に吹かれたように乱れているぐらい。外から帰ったばかりのせいだろうか。
「これで、満足しただろう? ご期待に添えず申し訳ないが、貴方の見間違いだろう」
(そう言えば……それも変だわ)
アーロンが帰ったばかりで、普段使われていないこの部屋に足を向けるのはおかしい。いったい何の用事がこの部屋にあると言うのだろうか。
やはり、何か隠している。アーロンの不審な行動にクローディアの確信が強まった。
「どうして、お帰りになってすぐこのお部屋にいらしたのですか?」
アーロンは訝しげに片目だけを見開く。それは意識していることなのかクローディアには分からないが、目の前の娘を竦ませるには十分な表情だ。
「では、貴方こそなぜこの部屋に?」
問うならば先に自分が話さねばフェアじゃないだろう、とクローディアは素直に口を開く。
「見たからです。こちらへやって来る大きな何かを。それがこの窓に降り立ったようなので、正体を確かめに来たのです」
クローディアは先ほどの光景を思い浮かべる。黒い、人間ほどの大きさの何か。たしかにこの窓に降りたはずだ。鴉だって旋回していたのに、それもいなくなっている。
「……私も、そうだ」
「えっ! アーロンさまも?」
そうだ、と言うように無言で頷くアーロン。天井から吊るされたシャンデリアを見ながら腕を組んだ。
「私も、確かめに来たのだ。その……あれだ。……黒い、何かを」
そう言ってアーロンは明後日の方向へ視線を向ける。
(絶っっ対に変だわ!)
「で、何かいましたか?」
アーロンの説明が信じられないクローディアは自分でも分かるほどの訝しげな視線をやる。
「いや、何も。私たちの見間違いだったようだな。さて、サイラスがやって来るし、私は着替えてくる」
この話はこれで終わり、というように踵を返すアーロン。咄嗟にクローディアは腕を取って逃げられないようにした。
(おかしい。……なんだか、これでは。これでは、まるで丸め込まれるみたいじゃない! 逃がすものですか)
「だから、なんで逃げるんですか!」
「逃げてなどいないだろう」
やれやれ、と肩をすくめられた。これでは堂々巡りだ。クローディアははっと思い至る。
(もしかしたら!)
「アーロンさま、ちょっとこちらへ来てください」
クローディアはアーロンの腕を取って、薄暗い部屋の中へ引っ張っていった。明るいところだから分からなかったのかもしれないと思ったのだ。暗闇で光っていたのだから、同じところで確認すればまた見られるかもしれない。
薄暗い部屋の中で、アーロンの顔にクローディアは自分の顔を近づけてじっと確認する。小さなことでも見逃さないように。しかし、先ほどとは違い、光ったりなどしない。
(どうして? 見間違いだったの? いいえ、そんなことはないわ!)
だって、はっきりと見たのだ。暗闇で光るアーロンの瞳を。クローディアが不思議に思い首を傾げていると、なんとアーロンの端正な顔が近づいてくるではないか。まるで、口づけをするように。
「えっ! ちょ、ちょっと待ってください!」
予想外のアーロンの行動に、クローディアは慌てた。思わず両手でアーロンの顔がこれ以上近づいてこないように、力一杯押し返していた。
「いや、そういう気なのかと思って」
(そういう気ってどういう気なのよっ!)
表情はいつものように変わらないのに、アーロンの力は弱まるどころが、クローディアの背に腕を回して逃げられないようにする始末。
「瞳が光るなどとおかしなことを言って、こんな薄暗い部屋へ連れ込もうとするなんて、よほど寂しい思いをさせたようだ。それもこれも私が忙しくしていたからだな」
「そ、そ、そんなことありません!」
(連れ込むって、私が? アーロンさまを?)
もう、やだやだ、そんなの勘違いよ。と泣きたい気持ちでクローディアは力一杯坑うが、その気になったアーロンの力にはとうてい敵わない。クローディアが引っ張ってきたはずなのに、いつの間にかアーロンの両腕に囚われていた。
そのとき。
「ふっ、その顔」
半べそをかいていたクローディアの顔が可笑しかったようでアーロンが口角を上げた。
「へっ?」
(その顔って?)
アーロンが笑うのは珍しい。クローディアが一緒に暮らしだして笑ったのを見たのは、片手で数えるくらい。それくらい珍しいことなのだ。笑っているということは……
「からかったのですね?」
焦らされた分、怒りがふつふつと湧いてくるクローディア。アーロンを睨みつけるように顔を見上げると、細く節だった指先にさっと顎を捕らわれた。
「からかってなどいない」
細められた青い瞳がクローディアを見つめていた。覆いかぶさるように上から唇が降ってくる。優しく触れられる唇。何度触れられても慣れないそれは、いつものようにクローディアの胸を高鳴らせた。言いたい文句もあるはずなのに、飲み込まされてしまうほどに。クローディアが仕方なく、自分の両腕をアーロンの逞しい背に回そうとしたとき、声がかかった。
ヒューッと揶揄うような口笛の音。
「これはお熱いですね」
にっこりと微笑むサイラス。なぜか今宵招いていたお客様が立っていた。その後ろには申し訳なさそうなジーンの顔。
その二人を見て、恥ずかしさでクローディアは力一杯アーロンを両手で突き飛ばしていた。