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斑に案内されるまま中庭に出る。草が割と刈られている地面を見つけると、斑はいきなりしゃがみこみ、おもむろに字を書き始めた。読めない、見たことがない字だ。斑はそれを一心不乱に書き続けた。速さも大概だが、すごい集中力、話しかける隙がなかなか出来ない。
適当に書き殴っているようにも見えるが、その動きは何かに似ていた。なぜかそれがすごく気になりずっと考えていると、ようやく思い当たった。草詩が技を出すときの腕の動きに似ているんだ。
いい加減声をかけようとしていると、斑が、書き終わったらしく文字たちを思い切り両手で叩く、すると、少し先の木が倒れた。大分心が鋼並みに頑丈になったつもりではいたが、これには軽く驚いた。
「あ…出来ましたね」
「魔法、か?」
「はい。やっぱり本読むしかなくて。夜更かしは何でか出来なくなりましたけど。この世界の人間でなくても、出来るようになるみたいです。元の世界に帰るのは、やっぱり無理なようですが」
「なるほど」
この世界の、という表現が妙に気になった。草詩も恐らく、自分と斑と同じ世界から来た人間だ。草詩もまた斑のように努力して魔法が使えるようになったのだろうかと思ったが、どうあっても想像出来なかった。
「この通り、僕、護衛くらいなら出来るようになりました。僕も城下を見て回っていいですか」
「つうか、んなもん出来なくても、普通についてくりゃ良かったのに」
「連れてってもらえる理由が欲しくて」
そしてまた、顔を崩して斑を笑う。あいかわらず変わったやつだとは思うが、もう何だか、逆に笑えてきた。
「あー、久しぶりに外の空気吸った気がします」
「お前は獄中帰りか」
「遊馬さんは入ったことありますか?」
「ねぇよ。ギリで」
「ギリ」
また笑う。楽しそうだなあ、遊馬が斑を少し呆れたように見る。見た目より年上だったとはいえまだ18だ。何だろう、よく分からない保護欲が沸き続けてあちこち痒くて仕方がない。草詩とはまた違う、息子というよりは孫に近いかもしれない。ひたすらオモチャを買い与えそうだ。
「 」
ふと大きな泣き声に驚いた遊馬が斑と目で合図し、声が聞こえた方に急いで向かう。すると何のことはない、泣いているのは小さな女の子で、それを必死に母親らしき女性が宥めている。彼女の近くには、大きな木があり、そこに風船が引っかかってしまっていた。高さ的に取るのは難しいと母親が諭すが、彼女は聞かずに泣き続けている。
見かねた遊馬が木を登ろうとしていると、彼を制して斑が立った。
「任せて下さい」
斑は少し誇らしげに笑うと、地面にまた何か文字を書き出した。それは先ほどよりずっと短い文章だったが、木に引っかかっていたはずの風船が、少女の手に舞うように戻っていったのだ。
周囲がどよめき立ち、少女は驚きながらも、満面な笑みを浮かべていた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
斑と少女が笑い合い、見合っていて、遊馬は正直助かったと思った。周囲の目が痛い。賞賛というよりは、恐怖に近い。それが一番激しいのが母親で、彼女はろくにお礼を言わないまま去っていき、物珍しそうな目で見物していた人々も、まるで逃げるように去っていった。
「そろそろ帰りましょうか」
「ああ」
あまりにも平和すぎて、少しの異変でさえも敏感になる。だからあの視線の数が何か言い表せぬ不安を感じたが、また更に数日経っても、特に何も起こらなかった。
考えすぎだろうと思っていたが、それは本当に忘れた頃にやってきた。
「ちょっとよろしいですか」
「………はい。」
思わず敬語で返事してしまった。呑気に入浴していたら、召使い人形が天井から逆さにぶらさがり、こちらの顔を覗き込んできたのだ。当然全裸を見られた、おまけにどこから入ってきたのか分からない、そもそも、何で逆向きなんだ。
まさか赤くなったり落ち込むようなわけはないが、色々と納得がいかなかった。絶対にこの人形たちは自分を馬鹿にしているところがある。
「ちょっと大変なことが起こりました」
「なんだ、珍しいな」
珍しく声を潜めている、おまけに何だかきょろきょろ当たりを見渡していて落ち着かない。草詩に聞かれたくないのだろうか。
「内乱が起こりそうです」
「ないら…」
外国の言葉かと思った。それくらい、自分はここの世界で平和ボケしていた。元々いた世界では毎日毎日何か事件が起きてはいたが、それはあくまで『出来事』として過ぎ去っていった。自分に何か関係がない限りは、残酷なほど、平和しか感じない。
「何で」
「草詩様の魔力よりも、斑様の魔力の方が強いのではないかという意見が出て来ました。斑様に国一の魔法使いの座を渡してなるものかと、斑様を殺そうとしている者まで出てきています」
「待て待て。魔力の件は置いといて、あのぼーっとした眼鏡がそんな地位を狙ってるように見えるか」
「草詩様が一番でなくなるということが重要なんです」
「は?」
「そういう風に出来てるんです、ここの世界の住人は」
分かりたくないが。
「…魔法か」
「魔法ですね」
分かる、理解するしか、なかった。
「それは草詩の魔法じゃどうにもならんのか」
「ええ、草詩様がこの世界にかけた魔法は一番強い。一番の女性魔法使い、それを解くのはご本人では無理でしょう。何せ、彼が自分の命を守る為、この世界にやって来たときに始めてかけた呪文ですから」
「何ともならんことはよく分かった。草詩には相談したのか」
「しませんでした。喜んで戦争するとか言い出しそうだったので」
「お前偉いな」
恐らく始めて褒めると、人形は珍しく遠い目をした。
「先日、草詩様がアリの巣を閉じ込めようとしていたとき、怒って下さいましたよね。拗ねてはいましたが、言うことを聞いてました」
「ああ、そんなこともあったな。けど、何でそれ、今」
「私供が束になっても、聞いてもらえませんでした。戦争で街一つ焼き払うことも、あの方は、止まってくれたこともありませんでした」
ぽつり、と、人形がゆっくりと傅く。
「私の言いたいことが分かっていただけましたか」
「…よく分かった」
止めろってか。内乱を。草詩を。後者のが大変だと思うのは俺だけだろうか-ぐらり、と、頭痛がしてきた。が、この頭痛の種を除去するわけにはいかないのもまた、現実だった。