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それから、溌はずっと何もせず、何も話さず、ただずっと、目の前に起こること全てに目を奪われていた。遊馬が流れるように、人形たちを次々と殴り蹴り壊していき、そして、血まみれの顔でにたりと笑う。震えるほどに恐ろしい、王は王でも魔王だ、でもそんな魔王も、草詩の顔を見て、そしてこちらを見ると、こんなにも穏やかに笑ってくれる。
「無事かよ。お父さん」
「…っ、はい」
この人が味方で本当にありがたい、もし敵に回したら、例えこちらに百万の軍勢がいても敵わないだろう。溌が遊馬に自然と膝まづいていると、ふと、彼の気がそがれたのが分かる。魔法使いを見降ろす草詩の雰囲気が変わった。
「へえ、傷随分綺麗に治ってるね。何か嫌になるくらい覚えがあるんだけど、この魔力」
「そうだ…そうだそうだ、この傷を治したのは誰だと思う?お前と結婚式を挙げた巫女だ!どうだ、自分の結婚相手に敵を治療された気分は!」
「…っ、あのクソガキ…!」
「―ひっ」
「草詩!!」
魔法使いの首が変な方向に曲がりかけた瞬間、遊馬の草詩を呼ぶ声が城全体に響き渡った。こちらをちょっとむくれた顔でふり返った草詩は、いつもの表情に戻っていた。
「冗談冗談」
「冗談で人を簡単に殺すな、馬鹿」
「―どうしました?何か変な声が聞こえ…っ、ぎゃあああああ!!」
声を聞きつけた斑が部屋に入ってくるなり、また、空気が変わった。彼は遊馬の姿を見るなり涙目で彼に飛びついた。
「ど、どうしたんですか遊馬さん!血まみれ!血まみれ!!」
「心配するな返り血だ」
「別の心配がある!ああもう、タオルタオル…」
人の為に大声を出し、忙しく動いてる斑が嬉しくて、じっと見ていた溌がはっと我に返る。悪い顔して笑った魔法使いが、斑に向かって魔法弾を飛ばしていた。共通の弱点を見つけたのだ。
「斑ちゃん!」
「えっ」
危ない、と思った瞬間、かばうより早く、溌の手から小さな魔法弾が生まれ、それは魔法使いの足元を崩すだけに終わった。
「がっ」
が、その隙を突いて遊馬が思い切り殴りとばし、動かなくなってしまった。驚いた斑が溌の元に駆け寄ると、彼はもっと驚いてるようだった。
「すごい、すごいねお父さん」
「ああ…驚いた」
「お父さん、俺の世界一嫌いな言葉を言ってあげる」
「え?」
「人生、やって意味のないことはないんだよ」
ぽたり、と、滴るように溌の目から涙が溢れだした。それを情けなさそうに、どこか嬉しそうに斑が慰めてやっている。暖かい雰囲気の中、魔法使いの体から何か見つけたがすぐに隠した草詩を、遊馬は見逃さなかった。
「お前、今、何隠した」
「いやー、ははは」
「出せ」
駄目だこりゃ、罰が悪そうに草詩が出すと、遊馬の額に血管が浮かび上がった。それは、忘れもしない、忘れたくない、雪の国の王章だった。裏で何か糸を引いているとどこかで思っていたが、そういうことか。
「おい草詩。こいつ、回復しろ。もう一回再起不能にする」
「やめときなよ、何のプレイだよ」
「-っ、失礼します」
扉を開き、少し慌てた様子の大倉が入ってくる。彼の手には、大泣きする奏がいた。まさかまた魔法熱かと思っていたら、単なる癇癪だったらしい。一同、力なく笑った。
それでも、やはり心配は心配で。夜に、といったが、溌は奏を抱いて帰ることを言いだした。見送りに来たのは、斑だけだ。
「王たちは」
「来ないって」
「そうか…ごあいさつしたかったが」
「大丈夫。きっと伝わってるよ。伝わってなくても、気にするような人たちじゃない」
ぎゅっと自分の拳を握った斑が、草詩から受け取った水晶玉を取り出す。草詩のありたっけの魔力が詰まったもの、即席の、何でも願いが叶うものが出来あがってしまっている。
「ここに手をかざせば、願いが叶う。元の世界に帰れるよ」
「そうか。斑ちゃんは、残るのか」
「僕も、触る」
「え?」
奏を抱いた溌が水晶玉に触れたその上から、斑も手を乗せる。元の世界に父と妹と供に帰りたいのか、それともこの世界にとどまりたいのか、水晶玉に選んでもらう、情けないことを選んだ。やがて水晶玉がまたたき、眩しい光が三人を包む。とても目が開けていられず、ようやく目を開けると、もうそこには、父も奏もおらず、斑だけがいた。
「…っ、はは。はははは」
草詩の魔法の力は残酷だ。残酷すぎるほど優秀だ。彼の魔法のせいにして、結局これは、自分の願いの結果だ。
「斑殿」
「一縷さん」
いつもいつも、一番顔を見せたくないときに来るなこの子は。力なく笑った斑を、一縷が無言で抱きしめた。今は、赤くなる元気はなく、そのままでいる甘えしかなかった。
「僕は最低です。家族よりも、この世界を選んだ」
「違うだろう。貴方が選んだのは、世界ではなく、遊馬殿と草詩殿だろう」
「―っ、なんで」
は、と、斑が一縷の顔を見る。泣きながらこちらを見る一縷は、最高に綺麗だった。
「私を舐めては困るよ、斑殿。どれくらい君に夢中だと思っているのだ」
「…っ、僕…馬鹿ですよね…何で…あんな…2人まとめて…好きになっちゃったんだろう…」
「ああ、馬鹿だ。そして、そんな君に惹かれた私はもっと馬鹿だよ」
子供のように泣く斑を、一縷がただ抱きしめる。笑わせようと、キスでもすりふりをしようと、一縷がそろそろと顔を近づけると、先に唇を奪ったのは斑の方だった。
「ひ、ひ、う…うう…っ…」
泣きながら、つまづきながら、常盤が何度も何度も立ち上がる。目指すのは草詩の城だが、全く辿りつかない。城はこんなに遠かったか。
「どうしてですの…早く、行かなきゃ…あの男はきっと草詩様に仇なす者ですわ…早く行って教えてさしあげないと…私、私が治療してしまったと…」
草詩のことだ、治療痕を見て、自分が治したとすぐに気付くだろう。草詩の魔法ならあの魔法使いに負けるわけないが、万が一、それで怪我でもしたら。もっと酷い目にあったら。そしたら、そしたら―
『 』
遊馬の怒鳴り声が聞こえた気がして、常盤はその場にへたりこみ、泣き叫ぶ。こんなことで泣き叫ぶ自分がショックで、更に、泣き叫ぶ。いつの間に、いつの間にこんなにも、この心の中が、遊馬でいっぱいになってしまったんだろう。自分は草詩に惹かれていたのに、そうでなければ、ならなかったのに。
何度も首を横に振り、常盤はふと、小さな十字架があるところを見つけた。何を祀っているものか分からなかったが、常盤はすがらずにはいられなかった。
「お願いします…何もかも…なかったことにして下さい…何もかも…元通りにして下さい…・」
-ぱあん!!
「え?」
大きな音が空からした、驚いた常盤が顔を上げる。何かが降ってくると思えば、ガラスの破片だ。その端々が、草詩の魔法だ。何か、何かとても大変なことをしてしまった気がして、常盤があたりを見渡すと、世界がどんどん曲がり始めていった。
・
・
・
-ジリリリリリ!ジリリリリ!!
「…っ、んがっ…」
五月蠅い目覚ましを投げ止め、遊馬が体を起こす。おおあくびしながら冷蔵庫の中から、30パーセント割引きとシールを貼られた惣菜パンを取り出し、牛乳で流し込む。時計を見て舌打ち一つ、ぐしゃぐしゃの学生服に着替え、そして、扉を開ける。と、そこに待ちかねたように大家がやってきた。
「あ!遊馬君!今月の家賃まだだよ!」
「すいまっせん、金欠で」
「嘘つきなさい、麻雀で負けたのおばちゃん知ってるんだよ!」
「何で知ってんだよ、耳良くする前にダイエットしろよばばあ」
「んまー!!家賃上げるよ!!」
ん?
ん?
ん―――?
「…あれ?」
「何だい」
ばっ!と遊馬が、アパート廊下にある古い鏡を見る。懐かしい顔、高校生の自分、そして、記憶にあるよりずいぶん若い、学生時代のときに世話になりっぱなしだった大家。
「…おばさん、今、何年だっけ」
「はあ?寝ぼけてんのかい?20××年だよ」
暑くもないのに、遊馬の額から汗がしたたり落ちる。間違いない、11年前の、元の世界だ。




