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杏の思い出  作者: 神井
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2



「眠れぬ夜半には


み国をおもいて


暗きのちからに


打ち勝たせたまえ」





広い聖堂に彼方のフルートのような美声が響く。



彼女の歌声を聞いて虜にならない者がいるだろうか。



聴衆はみな、彼方の声に聞き惚れ、ため息をついていた。



今回のソロはたったの4行だったが、聞いた者の心を掴むには充分だった。





美笛もまた、彼方の歌声の虜になった一人だった。





初めて彼方の歌を聞いたのは2年半前、高校に入学して間もないころだった。




2人の学校は中高一貫で、



彼方は高校からの編入生だった。




「すごい歌唱力がある生徒が編入してきたんだって。しかも超美人!」



噂には聞いていたが、



昼の礼拝で彼女の賛美歌を生で聞いたときは



その声量に圧倒されてしまった。



15歳の少女とは思えないほどなのだ。



賛美歌に慣れない、公立からの編入生は大抵自信なさげに怖ず怖ず歌うものだ。



しかし、彼女は違った。




「神はそのひとりごを


十字架につけて


招かれる私達


全ての子どもを……」




賛美歌を歌いなれた男性教員たちに勝るとも劣らないその歌声。



今まで音楽としてというより、キリストへの信仰を示すために歌っていた賛美歌。



彼女の歌声は



美笛の賛美歌の価値観に



新しい色を塗ったのだった。




「特待生か…。」



このとき美笛にとって彼方は遠い存在だった。



「彼女が噂の特待生か」



「あんな風になれたらいいな」



「憧れるわ」




この程度にしか思ってなかった。



まるで芸能人を見るみたいに。



しかし、彼女が聖歌隊に入るということになり、



状況は一変した。



あれだけの歌唱力を持っているのだから聖歌隊に入るのは自然なことなのかもしれないが…。




美笛は動揺した。



あんな大物と肩を並べていいのだろうか、



自分みたいなの、見下されやしないか、と。



しかし、そんな心配は無用だった。





「珍しい名前だね。何て読むの?」



練習の休憩時間、突然彼方に話しかけられた。



彼方の地声はわりと低く、少年のようだった。



「みてき、だけど…。」



美笛の胸は高鳴った。



憧れの彼方が目の前にいる。



彼女に話しかけられている。




「素敵な名前だね。」




…彼方の笑顔には、嫌らしい感じはなかった。



しかし、どこか影のある微笑みだった。



歌っているときの生き生きとした表情とはどこか違う。



彼方は自分が思っていたような人間ではないようだ。



美笛はそう感じた。



気がつけば、別人を見るような目で彼方を見ていた。



そして彼女のことをもっと、もっと知りたいと思うようになった。




それからも彼方は、未熟な聖歌隊員の美笛に



色々なことを教えてくれた。



「そこちょっと低いんじゃない?この音だよ。」



そう言って、美笛のパートの音をパイプオルガンでとってくれることもあった。



「息継ぎのときは肩を動かさないで。腹式呼吸ができなくなるから。」



練習の合間に肩に触れられ、そう注意されたこともあった。




美笛は同い年の彼方を姉のように感じた。




心の中で彼方の存在が大きくなっていくうちに、



複雑な想いを彼方に対して抱くようになっていた。










続く…

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