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卒業記念コンサートが行われるのは
市で一番大きなコンサート会場。
会場には学生を含め、2000人以上の観衆がいた。
ビーっと開演の合図がなった。
暗闇と静寂の中、
パイプオルガンの音色が流れ出した。
前奏だ。
曲はバッハの「キリエ、永遠の父なる神よ」。
前奏が止むと
ステージにスポットライトが当てられた。
このコンサートは司会や進行のような者がいない。
ライトの中へ
真っ黒なおさげの女子生徒が一人、進み出た。
「声楽科3年、桜川美笛、曲目『天使の糧』」
アナウンスがなった。
彼女に熱い視線を送る客席の彼方。
(…美笛、頑張って!)
歌が下手な彼女を最後の方にしたら気の毒だと
教師たちは美笛を一番最初に歌わせることにしたのだろうか。
美笛の表情は落ち着いていた。
意外と彼女は舞台度胸があるのかもしれない。
神様が見守っていると信じているからだろう。
美笛は軽く礼をすると
いつもの無邪気な表情で歌い始めた。
「panis angelicus
fit panis hominum;
(天使のパンは人のパンになった)
dat panis coelicus
figures terminum;
(天のパンは予兆の終わりとなった)
o res mirabilis!
(驚くべきものよ、)
manducat Dominum
pauper,servus et homilis.
(貧しく卑しい僕が主を味わう。)
」
音程は荒削り、
声も少々かすれてはいた。
しかし、いやらしさのない、素直な歌声であった。
この調子なら「音痴!」などと罵る者はいないだろう。
この曲のタイトルになっている「天使の糧」。
それは聖餐式で配られるパンを指している。
「私は天から降ってきた生きたパンである」
(ヨハネ福音書6章51節)
というキリストの言葉に基づき
聖餐式のパンにキリストの身体が現臨するという信仰が生まれた。
クリスチャンの美笛が歌うと大変説得力がある歌である。
彼方は思わず泣きそうになった。
美笛が敬虔なクリスチャンであることや
彼女が本当に歌を愛していることを知っている
彼方だからこそ。
歌唱力不足なんて関係ない。
美笛の声が好きだ。
彼方の胸は熱くなった。
(美笛…!卒業しても君と離れたくない。)
彼方は神に祈った。
もちろんクリスチャンではなかったが。
(神様、
僕から美笛を取り上げないで!
彼女にこの想いが届くことがないのなら
それが赦されないことなら
せめて傍にいさせて下さい。)
続く




