17
休日の早朝。
年明けは間近。
ステンドグラスから輝かしい朝の光が差し込んでいたが
教会の空気はひんやりとしていた。
それでも彼方はいつものように練習をしていた。
家で練習しても構わない。
しかし、コンサートの会場は広いのだから、狭いところで練習してもさじ加減がわからない。
何よりも近所迷惑だ。
「O mio babbino caro,
(ああ、愛しいお父様)
mi piace,
(私あの方を愛してるの)
e bello,bello;
(あの方はとっても素敵なの)」
彼方の鈴を転がすようなソプラノの声は、
聖堂にある全ての空気を支配しているかのようだった。
ステンドグラスが割れるのではないか
というくらいの声量である。
「vo'andare in Porta Rossa
(私はポルタ・ロッサに)
a comperar l'anello!
(指輪を買いに行きたいのです!)
Si,si,
(そうなの、そうなんです!)
ci vogio andare!
どうしても買いに行きたいのです!)
」
何て自分に似合わない曲なんだろうか。
彼方はそう思った。
主任と講師が決めた課題曲だから勝手に変えるわけにはいかないのだが。
この曲は「ジャンニ・スキッキ」の劇中歌で
主人公スキッキの娘、ラウレッタが恋人との結婚を許して欲しいと懇願する場面で歌われる。
自分にこのような機会は一生訪れないんだと彼方はしみじみと思った。
父がいない、ということもあるが、自分はいわゆる女の幸せを手にすることはできないと薄々感じていたのだ。
なぜなら…
「カーナちゃんっ」
振り返らなくても誰だかわかる。
「ああ、美笛…。」
「本当に凄い声量ね。公民館の辺りまで聞こえてたわよ。みんな振り返ってたっ。」
美笛はにこにこしていた。
彼女は最近やけに陽気だ。
しかし、彼方の心は曇っていた。
「ねえ、この曲僕らしくないと思わない?」
美笛は目を丸くし、あごに手を当てた。
「……そう言われてみれば…そうね。どっちかというと女性らしくて、いかにもお嬢様って人が歌うイメージがあるわ。でもカナちゃんは何歌っても上手いじゃない。」
しかしながら、器用に上手いだけでは、聴衆に感動を与えることはできない。
「せめて自由曲は自分にあった曲にしたいんだ。」
彼方は聖アグネスの壁画に手を当てた。
あどけないようでどこか威厳のある彼女の眼差しはどこか美笛に似ている。
しかし、本当に彼女はこんな雰囲気だったのだろうか?
自分を表現するだけでなく
同時に美笛への想いを込められる曲を、と
彼方は考えていた。
続く。




