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「当然ながら、卒業コンサートの大取りは君だ、岡咲。」
音楽科の主任が誇らしげに言った。
「ありがとうございます。」
彼方は深々とお辞儀をした。
そして真剣な顔つきで主任を見ると、こう尋ねた。
「ところで、桜川美笛さんは今回のコンサートには参加させていただけないのですか?」
…思いがけない質問に主任は目を見開いた。
「そ、それは…難しいところだろうね。」
「練習なら私がみますから。」
「いや。しかしね…、野木先生(厭味講師)の話を聞くと、いくら練習しても上手くならないそうだし。彼女はすぐ声帯炎になってしまうしね。
だいたい根性が足りないんじゃないか?
最近頻繁に祈りに行ってるみたいだけど、そんなことをする暇があったら、もっと練習すればいい。やる気がないとしか思えない。我が校の汚点だ。君もアレとは付き合わない方がいいと思うがな。」
…大切な美笛を「アレ」などと言われて彼方の中で何かが切れた。
彼方は近くにあった、椅子を引っ張ってくると
主任の前にガンと置いた。
そして椅子の上に上ると主任を見下ろしながらこう言った。
「おい、あんた先生だろ?ここクリスチャンの学校だろ?主任のくせに、あんなメクラ講師の言うことまんまと信じてふざけんな。」
「……!?」
いつも真面目で従順だった彼方の豹変ぶりに主任は唖然としていた。
「できない奴は処分してできる奴だけ伸ばそうって?それがここの教育方針なわけ?
それで教育って言えるの?飼育の間違いじゃないの?」
「岡咲…。」
「そうやって人のアラ探しばっかしてさ、美笛の何を見てんの?全然彼女のいいところ見つけようとしてないじゃん?
アラ探しと厭味しか能ない教員に教育なんて無理。せいぜい飼育がいいとこだわ。」
呆然と固まる主任。
彼方はふっと息を吐くと椅子から降りた。
「ま、とにかく、桜川さんをを参加させないと言うのなら、私も出ませんから。」
美笛を見捨て、自分だけ安全圏に行くなどと、彼方にはできなかったのだ。
「わ、わかった。わかったから、落ち着いてくれ、岡咲。私が悪かった。野木先生には私から言っておくから…。」
主任は必死で彼方を宥めた。
「わかって下さればいいんです。」
彼方は冷めた声で言った。
主任は本当にわかったわけではない。
特待生の自分にボイコットでもされたら学校の名誉に関わるため、
自分の言うことを聞き入れようとしていることを知っていた。
しかし、これ以上の議論は不毛だ。
「課題曲はパーセルの『夕べの賛歌』とプッチーニの『私のお父さん』でしたよね?自由曲は私が決めてよろしいんでしょうか?」
いつのまにか彼方はにこにこしていた。
「あ、ああ。」
主任はまだびくびくしている。
「では、よろしくお願いしますね。」
彼方は艶やかに教室を出ていった。
彼方のすらりとした後ろ姿を見送ると
主任はへなへなと床に崩れた。
続く。




