1章ー5 坑道の先の死闘
「ダンテ!」
エメラが叫ぶ。このまま守勢に回っては駄目だ。そう判断したエメラは、詠唱を始めた。
「天地の理を反むきて、命の種を禍根と成す。根なき弾よ、風を裂きて飛び、敵の身を穿て。彼の命を糧として芽吹き、やがて花を咲かすは死の華――」
エメラの杖が淡い緑の光を放ち始める。魔力が集束し、杖の先端に小さな光の球が次々と生まれていく。
「くらえ! 種弾!!」
杖を相手に向けると、杖の周りにいくつもの小さな魔法陣が出現し、そこから種が弾丸のように放たれた。鋭い風切り音を立てて、種弾が空気を裂いて飛んでいく。
「!」
ファスは咄嗟に身を捻り、種弾をかわそうとする。だが、数が多い。腕と足に何発か命中した。
「ぐああ、おのれえ!」
ファスが苦痛に顔を歪める。種が肉に食い込み、じんじんとした痛みが走る。魔術師も回避を試みるが、種弾は広範囲に散らばって飛んでくる。
「エイル・ダーン・イグナ(火炎障壁)!」
魔術師が慌てて札を投げ、炎の壁を展開する。いくつかの種弾は炎に触れて焼け落ちるが、障壁の展開が間に合わなかった種が肩と脇腹に突き刺さった。
「ぐっ!」
魔術師が呻く。
「痛みはありますが、この程度大したことはねえですぜい!」
魔術師は歯を食いしばり、反撃の姿勢を崩さない。すぐさま懐から新たな札を取り出す。
「エイル・セル・イグナ!(火炎連弾)」
5つ、6つ、7つ——連続で放たれる火球がエメラとダンテに向かって飛んでくる。
「地這い蛇!」
エメラは素早く蛇を呼び出す。地面から木の蛇が次々と這い出し、火球に向かって跳躍する。蛇たちが火球に巻きつき、爆発を相殺していく。ボン、ボンと小さな爆発音が連続して響く。
だが、数が多い。蛇が間に合わず、火球がエメラに迫った。
「くっ!」
エメラは杖を盾のように構え、炎を受け止める。衝撃で体が後ろに押される。杖が熱を帯び、手のひらがじりじりと焼けた。
「エメラ!」
ダンテが心配そうに叫ぶ。
「大丈夫だ!」
エメラは歯を食いしばりながら答えた。だが、息が上がり始めている。
内心では、残りのマナを計算していた。戦闘の術よりも、回復術の方がはるかに大量のマナを消費する。前日の鉱夫たちの治療で大量消費し、先ほどカールにマナを通しながら回復術を並行して行ったことで、さらに削れた。現在残っているマナは、ベストの状態の二割も満たない。
それでも——戦いを止めるわけにはいかない。
「ちっ、しつこい!」
ファスはナイフを構えたまま、じりじりと後ろへ下がり始めた。逃げる算段を考えているのが分かる。視線が時折、森の奥へと向けられた。
「旦那、こいつらしつこいですぜ!どうしますかい!?」
「時間を稼げ! 俺が逃げ道を確保する!」
「了解ですぜい!」
再び札を取り出し、立て続けに魔術を放つ。
「エイル・セル・イグナ!(火炎連弾) エイル・セル・イグナ!(火炎連弾)」
二度、三度と連続で火炎連弾が放たれる。今度は数がさらに多い。空気が歪むほどの熱量が迫ってくる。
「こんなに連続で!」
エメラは必死に地這い蛇を召喚し続けた。だが、蛇の生成が追いつかない。
「逃がすか!」
ダンテが地面を蹴り、ファスの足元に飛びかかった。鋭い牙がファスのブーツに噛みつく。小さな体ながら、顎の力は強い。
「この小動物が!」
ファスは足を激しく振ってダンテを振り払おうとする。だが、ダンテは食らいついたまま離さない。
「邪魔だ!」
ファスはナイフを逆手に持ち、ダンテに向けて振り下ろす。
「ダンテ!」
エメラが叫ぶが、距離がある。間に合わない——その瞬間、ダンテは咄嗟にファスの足から離れ、横に跳んだ。ナイフが地面を抉る。
「ちっ、素早い!」
「エイル・セル・イグナ!(火炎連弾)」
ダンテに向けて火球を3つ同時に放つ。
「ダンテ、危ない!」
エメラが叫ぶと同時に、地這い蛇が地面から飛び出し、ダンテの前に割り込んだ。蛇たちが火球を受け止め、激しく燃え上がる。焦げた木の匂いが漂う。
「へっへっ、そっちに気を取られてる場合ですかい!」
エメラに向けて連続で火球を放つ。今度は一度に十発近い火球が迫ってくる。
「くっ、多すぎる!」
エメラは杖を振るって地這い蛇を次々と召喚する。蛇たちが火球を迎え撃つが、数が足りない。いくつかの火球がエメラの体をかすめ、服が焦げる。熱で肌がひりひりと痛んだ。
「エメラ!」
ダンテが再びファスに飛びかかる。今度は足ではなく、腕を狙った。ファスがナイフを構えている腕に噛みつく。
「ぐっ!」
ファスが痛みに顔を歪め、ナイフを落としそうになる。
「この……!」
ファスは左手でダンテの体を掴み、力任せに引き剥がそうとする。ダンテは必死に抵抗するが、人間の力には敵わない。
「離せ!」
ファスがダンテを地面に叩きつけた。ダンテの体が地面に激突し、苦しそうに呻く。
「ダンテ!」
エメラが駆け寄ろうとするが、魔術師がそれを許さない。
「エイル・セル・イグナ!(火炎連弾)」
再び火球がエメラを阻む。エメラは立ち止まり、防御に専念せざるを得ない。額に汗が滲み、呼吸が荒くなってきた。
「へっへっ、そろそろ限界ですかい?」
魔術師が嘲笑う。
「エイル・ダーン・イグナ(火炎障壁)!」
魔術札を投げると、炎の壁が自分とファスの前に展開された。エメラの地這い蛇が炎の壁に触れ、次々と焼け焦げていく。高い炎の壁が視界を遮る。
「くそっ……!」
エメラは歯を食いしばった。このままではジリ貧だ。ファスは着々と逃げる準備を整えている。火炎障壁が邪魔で、ファスの動きが見えない。
ダンテは地面から立ち上がったが、体を震わせていた。小さな体には、限界がある。
「エメラ……このままじゃ逃げられちまう……」
「大丈夫……もう少しだけ、時間を稼げば……」
エメラは杖を構え直した。そして——笑みを浮かべた。疲れ果てた顔の中の、静かな笑みだった。
「地這い蛇!」
再び蛇を召喚する。今度は数を増やし、一度に20匹近い蛇が地面から這い出す。
「おっと!」
魔術師が驚く。
「エイル・ラシュ・イグナ!(拡散火炎弾)」
先ほどより火の威力は小さいが無数の火球を放つ。しかし蛇の数が多すぎて、全ては焼ききれない。いくつかの蛇が火炎障壁をすり抜け、魔術師に襲いかかった。
「ぐっ!」
魔術師は慌てて後ろに下がり、蛇を踏みつけて潰す。だが蛇は次々と襲ってくる。足元に絡みつき、動きを鈍らせる。
「旦那、ちょいとまずいですぜ!」
「もう少しだ! 耐えろ!」
ファスの声が火炎障壁の向こうから聞こえる。
ダンテも再び動き出した。小さな体で地面を蹴り、火炎障壁の脇を回り込む。魔術師の足に飛びかかった。
「またお前か!」
魔術師はダンテを蹴り飛ばそうとするが、地這い蛇が足に絡みついているため、動きが鈍い。ダンテの牙が魔術師のふくらはぎに食い込む。
「ぎゃあ!」
魔術師が悲鳴を上げる。足に食らいついたダンテめがけてファスがナイフを投げるが、ダンテは身をひるがえしてかわした。
「もう知らねえ、全て灰になりやがれい」
「エイル・ヴァン・イグナ!(中級火球連弾)」
魔術師は痛みをこらえ、残りのマナをつぎ込んだ。至近距離からの攻撃だ。
「ダンテ!」
エメラが叫ぶ。だが、ダンテは素早く離れ、火球をかわした。火球は地面に激突し、小さなクレーターを作る。
「ちっ、当たらねえ!」
魔術師が苛立った声を上げる。
そして——。
「時間切れだ」
エメラが低く呟いた。
その瞬間、ファスと魔術師の体に異変が起きた。
「な、なんだ!?」
ファスが驚きの声を上げる。体にめり込んでいた種弾が、2人の生命力を吸って急激に成長し始めたのだ。みるみるうちに芽を出し、蔓となり、二人の体に絡みつく。皮膚を突き破って伸びた蔓が、まるで生き物のように蠢いた。
種弾の詠唱に、答えがあった。
やがて花を咲かすは死の華——。
それは比喩ではなかった。種は肉の中で眠り、時を待ち、宿主の命を糧に芽吹く。
「ぐ、ぐああ! なんだこれは!」
ファスが腕を振り回すが、蔓はさらに伸び、腕全体を覆っていく。肩から胸へ、胸から腹へと這い上がる。
魔術師も同様だ。肩と脇腹から伸びた蔓が、腕と胴体を締め上げていく。緑色の蔓が服を突き破って体に食い込む。
「ぐっ、ぐおおお!」
魔術師が苦しそうに呻く。札を取り出そうとするが、腕が蔓に縛られて動かせない。
「生命の息吹よ、そのまま体を縛り上げよ!」
エメラが命じると、蔓はさらに勢いを増した。ファスの両腕、両足が完全に蔓に覆われ、動きが封じられる。蔓は首にも巻きつき、締め上げていく。
「くそっ、離せ、離せえ!」
ファスが暴れるが、蔓はびくともしない。それどころか、暴れれば暴れるほど、蔓は締め付けを強めていく。まるで意思を持っているかのように、確実に獲物を捕らえる。
ファスの体が地面に引き倒された。膝から崩れ落ち、そのまま横倒しになる。
「旦那、やべえですぜ! こ、これ……!」
魔術師も必死に抵抗するが、同じように蔓に全身を縛られていく。足が蔓に絡め取られ、バランスを崩して倒れる。
「エイル・ダーン・イ……!」
魔術師が最後の抵抗として火炎障壁を展開しようとする。だが、蔓が腕を締め上げ、手に持っていた札が地面に落ちた。詠唱が途切れ、魔法陣が霧散する。
「ぐ……ぐあああ!」
魔術師の悲鳴が森に響く。
2人は完全に拘束された。蔓は絶え間なく成長し続け、まるで繭のように二人を包み込んでいく。わずかに顔が見える程度で、体は完全に緑の蔓に覆われている。
静寂が、森に落ちた。
エメラは深く息をついた。
杖を下ろす。体中から力が抜けていく。膝がガクガクと震え、今にも崩れ落ちそうだった。杖を地面につき、支えにして、かろうじて立っている。
「ハァ……ハァ……」
荒い息を吐きながら、額の汗を拭った。手の甲に、熱の痛みがある。いくつか、傷もある。しかし今はそれを気にしている余裕がない。
ダンテがエメラの足元に歩み寄ってきた。体のあちこちに焦げ跡があり、毛並みがボロボロだ。
「イマイチいいとこなかったな」
ダンテが少し落ち込んだ様子で呟く。小さな体で必死に戦ったが、決定打を与えることはできなかった。その悔しさが、声の底に滲んでいた。
「だってお前、手加減できないからな。本気出させるわけにはいかないよ」
エメラは苦笑しながら、ダンテの頭を撫でた。焦げて固くなった毛並みを、それでも優しく。
「この体じゃあ、どうしても限界がある」
ダンテは小さく唸った。悔しそうに地面を見つめる。自分の力を一番よく知っているのは、ダンテ自身だ。本来の姿なら、あの程度の2人、相手にもならなかっただろう。それが分かっているからこそ、悔しい。
「でも、お前のおかげで隙ができた。それで十分だ」
エメラはそう言って、ダンテの体を抱き上げた。焦げた毛の匂いがした。それでも、温かかった。
「ちょっと休んでろ。後は任せて」
「……ああ」
ダンテはエメラの腕の中で大人しくなった。体の力を抜いて、エメラに預ける。普段は絶対にしない、その体勢で。
エメラは拘束されたファスと魔術師に近づいた。2人は蔓に縛られたまま、地面でもがいている。
ファスの目がエメラを見上げた。怒りと、それから——恐怖の色が混じっていた。
「さて……お前たちには色々と聞きたいことがある」
エメラの目が鋭く光った。疲労で霞みかけた視界の中、しかし意思の強さは失われていない。杖を2人に向ける。
「2人とも、町の警備隊に突き出させてもらうよ」
風が吹いた。木々が揺れ、葉の擦れる音が森に満ちた。
「その前に……」
エメラは静かに続けた。
「この炭鉱で何をしていたのか。誰の指示で動いていたのか。カールや他の鉱夫たちをどうやって操っていたのか……全て、話してもらおう」
蔓に縛られたまま、ファスは唇を噛みしめていた。しばらくの沈黙の後、視線を逸らす。
しかし、蔓はじわりとさらに締め付けを強めた。
「……っ」
ファスは息を呑んだ。
森の中で、鳥の声だけが響いていた。
「お前たちの目的はなんだ。鉱山を崩壊させて、何をしようとしていた」
エメラは杖を2人に向けたまま、低く問いかけた。
蔓に縛られたファスは、苦しそうに顔を歪めながらも、エメラを睨みつけた。憎悪の色が、その目にある。疲弊しきっているのに、それだけは消えていない。
沈黙が続いた。
「答える気はないようだな」
エメラは冷静に言った。
魔術師の男も、歯を食いしばって黙り込んでいる。肩で息をしながら、視線を地面に落としていた。
「まあ、いい。時間はたっぷりある」
エメラはそう言うと、杖を軽く振った。
その瞬間、2人の体に巻きついた蔓がぐっと締まった。
「ぐっ……!」ファスが苦痛に顔を歪める。
「が、ぐあああ!」
魔術師が悲鳴を上げた。蔓が胴体を締め上げ、肋骨に食い込んでいく。呼吸が浅くなり、顔が赤くなる。
「い、痛い……! 痛い痛い痛い!」
「黙れ……!」
ファスが低く言ったが、その声も苦しげだ。
「ぐ……ぐう……」
ファスは歯を食いしばり、痛みに耐えている。額に脂汗が浮かび、顔が青白くなっていく。それでも、口を割ろうとしない。
「旦那……! 俺は……俺はもう……!」
魔術師が泣きそうな声で言った。
「喋るな……! 絶対に……喋るな……!」
「ぐ、ぐあああああ!」
魔術師の悲鳴が一段と大きくなった。蔓が腕を締め上げ、骨が軋む音がする。
「もう……もう無理ですぜ……! 話す……話しますから……!」
「貴様……!」
怒りに満ちた目で魔術師を睨む。
「ここまでされて黙っとく義理はねえですぜい……! 俺は……俺はただの雇われですぜ……! 金をもらって、この炭鉱を潰す仕事を請け負っただけで……!」
「黙れ! 黙れと言っている!」
「ファスの旦那に雇われただけですぜい! ただ、金が良かったから引き受けただけですぜい……! この炭鉱を山ごと無くせと……それだけ言われたんです……!」
「……」
エメラは黙って聞いていた。
「本当ですぜ! 俺はただの魔術師で、旦那に雇われて……!」
「うるさい! 黙れと言っている!」
ファスが怒鳴るが、その声も苦しげだ。蔓の締め付けで、呼吸がままならない。それでも彼は口を割ろうとしない。唇が紫色になり始めているのに、まだ抵抗している。
「ファスとやら」
エメラが静かに言った。
「お前がどれほど忠誠心が強いのかは分からないが……このまま死ぬつもりか?」
「……くそ……」
ファスは歯を食いしばったまま、まだ抵抗している。蔓がさらに締まり、彼の体が痙攣する。
その時だった。
「エメラの旦那!」
森の奥から声が聞こえた。
エメラが振り向くと、ガレスが数人の警備隊を引き連れて駆けつけてきた。
「ガレスさん!」
エメラは驚いた。カールと一緒に町に戻ったはずだが——。
「カールは無事に町に送り届けた。そのまま警備隊を連れてきたぞ!」
ガレスが息を切らしながら説明する。その後ろには、剣や槍を持った警備隊員が5人ほど立っている。
「これは……どういう状況だ?」
警備隊の隊長らしき男が、蔓に縛られたファスと魔術師を見て尋ねた。
「この2人が、炭鉱での一連の事件の犯人です。鉱夫を操り、炭鉱を爆破しようとしていました」
「なるほど……よくやってくれた。後は我々が引き受けよう。この術は解けるのか? こちらが用意したもので拘束して連れて行こう」
エメラは頷き、杖を振って蔓を解いた。緑の蔓がゆっくりと萎み、枯れていく。土に還るように、静かに消えた。
「ハァ……ハァ……」
ファスと魔術師は解放されたが、体力を消耗しきっており、立ち上がることもできない。警備隊員たちが2人に駆け寄り、縄で縛り上ける。
「さあ、お前たち。町まで来てもらおう。暴れても無駄だ。この縄は切れんし、魔術も封じられる。カールさんの証言もある。逃げられると思うなよ」
隊長が言った。ファスは苦々しい表情で地面を見つめていた。
「旦那、ありがとう。あんたのおかげで爆破を防ぐことができて、カールも無事に帰ってくることができた」
ガレスがエメラに歩み寄った。
「いえ……当然のことをしただけです」
エメラは微笑んだが、その顔には疲労の色が濃く出ていた。
「お疲れ様です。後は我々に任せて、ゆっくり休んでください」
警備隊員たちがファスと魔術師を引き立てていく。2人は抵抗する力も残っておらず、されるがままだった。
「じゃあ、俺たちも町に戻ろう」ガレスが言った。
「ああ……」
エメラは頷いた。
その瞬間——視界が揺らいだ。
「旦那?」
ガレスの声が、遠くなる。
体からすべての力が抜けていく感覚だった。底が抜けたように、一気に。マナの消耗が、限界を超えていた。カールを救い、戦闘を続け——もう、何も残っていない。
「エメラ!」
ダンテが叫ぶ声が聞こえた。
そして、エメラの意識は闇に沈んだ。




