実食
作業を終え、友人へと報告すると友人はまたも冷たく言葉を返しました。
「そこに置いとけ。金は向こうのテーブルに置いてある」
「君ね、せめてご苦労くらい言いなさいな」
「ご苦労」
冷たい。実に冷たい。いつもの事でこれに慣れてしまってきているのも、また冷たい。
「まぁ良いだろう。また手伝ってやるから、必要な時は呼びなね。それじゃ、失礼するよ」
「おう。またな」
友人宅を跡にしまして、また汽車に揺られ、大学の最寄り駅で降り、彼薦めの喫茶店へと向かいます。向かいながら友人からの報酬である、茶封筒の中身を確認しようと中を広げ覗いてみますと、そこには10枚の札が入っておりました。彼はいつも仕事以上の報酬を寄越すので、罪悪感を感じてしまいます。前に友人にそれを申し立てたところ
「君はそれなりの仕事をしたということだ」
と一蹴されてしまいましたので、それ以降何も言えずにいるのです。前にも申した通り、私はこのような弱みになり得る事が苦手なので、できれば止めていただきたいのですが。まぁ、諦めるほかないのですが。
悩みを脳でどうにか消化しようと理由付けを行っておりますと、あっという間に喫茶店前へと着いておりました。
喫茶店のドアを押し開きますと、カランカランッとドアベルが心地良く店内へと鳴り響きまして、店員が人数確認へと小走りに近づいて来ます。
「お客様は、お一人様ですか」
「あぁ、お一人だ」
店員は一礼し『畏まりました。お好きな席へどうぞ』と続けました。私は礼を返し、中央の四人程座れる席へと着きました。
横に立て掛けられたメニュー表を手に取り、広げてみますと一番手前にデカデカと、お薦めの文字と共にビーフシチューの写真が貼られておりました。これは確かについ注文してしまいます。気付くとクスクスと笑いが零れていることに気付き、恥ずかしくなりメニュー表で顔を隠してしまいました。
それからも、頼むものは決めているのですが、一通りメニューを見て、特に気になるものはありませんでしたので、呼び出しチャイムを鳴らし店員を呼びました。
「ご注文でしょうか」
「あぁ、ご注文だ。ビーフシチューを一つ頼む」
「承知いたしました。一緒に珈琲はいかがですか」
「珈琲は結構だ。すまないね」
「畏まりました。少々お待ちください」
そう言うと店員は厨房へと小走りで向かって行きました。なんとも愛らしい店員です。まるで小動物をみているようです。実に健気です。
待ち時間を潰そうと読みかけの小説を取り出し、栞をゆっくりと持ち上げ、文頭へと目をやります。一昨日から読んでおりますこの本は、名を舵といいます。このお話は、ある大工が寿司屋になるというお話です。現在半分程読み終えているのですが、主人公は未だ寿司屋になれておりません。ですがなんとも主人公が健気で不器用で、心を擽られておりまして、まったく飽きがこないのです。頁が次へ次へとどんどん進んでいくのです。
「お待たせ致しました。ビーフシチューになります」
「おお、ありがとう」
丁度100頁読み終えたところで、ビーフシチューは出てきました。
湯気立つビーフシチューを眺めておりますと、涎が垂れそうになり、急いで袖で口元を拭います。彼の言っていたことは誠でした。何も疑っていた訳ではありませんが、ここまで美味そうとは思いもしませんでした。黒く輝いているソースの上に散りばめられたパセリ、ゴツゴツしているのに柔らかいのが分かる人参、控えめに顔を出しているじゃが芋。スプーンに手もつけていないのにこんなにも情報が拡がっているだなんて。感動です。
「いただきます」
スプーンを手に取り、表面を割りますと湯気が増して立ち上ってきて、視界を奪います。ですが不快な気分には一切なりません。寧ろ心地が良いのです。湯気を少し吸います。するとやはり噎せてしまいました。ですが高揚は納まりません。ゆっくりソースを掻き分けますと、噂のマッシュルームが顔を見せました。その姿は、この何もかもを自分色に染めてしまいそうなソースに負けることなく、しっかりと自分の白色を程よく残しており、まるで自分が主役だと主張しているようでした。
「どれどれ」
マッシュルームをソースと共に口に運び入れ、咀嚼しますと、マッシュルームの甘みと共にソースの濃厚な香りが口いっぱいに拡がり、幸せ心地で昇天してしまいそうになります。
「次は君だ」
人参を掬い数秒見つめ合い、口へ運びます。実に美味い。人参の甘みが抜群です。このソースの濃さを程よく抑え、主役を主張しております。
食べ進めること数十分。実に幸福な数十分でした。彼の説明以上でした。具材、ソース、全てが主役。実に小学校の理念を実現しておりました。
「ごちそうさまでした」
スプーンを受け皿へ置き、会計を済ませようと鞄を取り、席を立ちます。
「お会計650円になります」
「はいはい。これで」
「一万円からですね。こちら9350円のお返しです。ありがとうございました」
「ああ、どうも。また来ます」
ドアを押し開け外に出ますと、世界がまた変わったようでした。いつもよりも空が高く、鮮明に色付いているのです。路面電車の警笛の音も、いつもより良く響いております。
「ビーフシチューとは、凄いものだな」
私は今日、ビーフシチューが好物になりました。




