受け答え
彼女の家はとても豪勢なものでした。タクシーから降りた途端広がるは視界に入り切らない塀の連なる中心に立つ、重厚な門でした。
「これは、想像以上」
この様な門を見るのは人生初のことでして、どうも身震いが止まりません。ですがこの震えは怯え、というよりは驚愕です。ですので、ここから逃げ出してしまおうだなんて考えは、一つもありませんでした。
何とか生まれたての小鹿のように震える足を動かし、インターホンを鳴らします。すると、抹茶を想起させる女性の声が、鼓膜を震わせます。
「ようこそお越しくださいました。どうぞお入りください」
女性が言い終わると、ガコンッと大きな音を立て門が開かれました。使用人、というべきであろう二人が門を抑え頭を垂れている光景は、気味の悪いものでした。
戸を三回叩き、開くと和装の女性が出迎えてくださいました。声を聞くに、インターホンに出た女性はこの方のようです。そして女性は彼女の母親を名乗りました。何も今まで無礼な態度だとか、軽んじていた訳ではありませんが、母親であると聞き、態度を改めるように背筋を更に伸ばします。
母親は私を、彼女の待つという客間に案内してくださりました。その際、声だけでなく、背中にも抹茶を感じたことに、とても驚きました。身から溢れるその温かみは、恐らく母親の鑑です。
客間の襖は明け放たれており、近づくと直ぐに彼女のご尊顔を拝むことができました。その佇まいは正に大和撫子でした。朱色の着物がよく似合っております。
「ようこそ我が家へ」
彼女の声は、震えていました。
「すみません、突然」
「いいえ、構いません」
沈黙が流れ、庭の池の鯉が水を掻き分ける音がよく聞こえてきます。
沈黙を破ったのは、彼女でした。
「どうか、お掛けになってください」
彼女の美しい細長い指が、彼女の向かいにある椅子に向けられます。私はそれに一礼し、椅子を引きます。
「美しい庭ですな」
「ええ、我が家自慢の庭です。兄共々、気に入っております」
「そうですか」
見合いの時よりも重苦しい空気。そしてまた、沈黙がやってきます。それはまたしても、情けない事に、彼女が打ち破りました。
「あの、お話というのは」
「は、はい。話というのはですね、私の趣味に関してでして」
「趣味、ですか」
「はい」
彼女は訝しげな顔をしてはいますが、どこか安心したといった顔もしております。
私は全てを話しました。それは老婆に話した内容と違わないのですが、まぁそれは想い人ですから、多少見栄を張ってはいたと思われます。ですが真摯に語りました。
彼女の反応は、想像だにしないものでした。いえ、正確には排除していた反応でした。
「その趣味は、気持ちが悪いです」
彼女の声は再び震え、おずおずとしておりました。ですが、顔は何の曇りもありません。
「で、ですよね」
「はい、気持ち悪いです。妹さんを口実に使ったところなどや、見知った方の物をお使いになっているところなど」
これには少々驚きました。そうですか。いえ、言われれば単純で当然なのですが。私は今まで、男が人形遊びをするのが醜悪であると、悍ましい事であると思っておりました。ですがそうです。どちらかと申しますと、知った者の衣服をというのが、何よりも気味の悪い事です。
「そうですね」
「ですが、もうお止めになったのでしょう? でしたら、もう、良いと思います。私は気にしません」
彼女の顔に陽が射し込み、彼女の心根をよく反映した、凛々しい顔がよく映えます。
「後は、貴方様の問題です」
彼女の瞳が潤んでいるのに、今気付きました。もしくは今、潤み始めたのかもしれませんが、ようやく、私は彼女を見れたような気がします。
懐のお守りを固く握りしめ、緩めます。
「私は貴女と人生を共にしたい。共に死にたい。ですから、どうか。どうか私を、受け入れてはくれませんでしょうか」
机に額をくっつけ、数分。彼女の返事がなく、少し頭を上げ、彼女を見ると、着物の裾を目元に当てており、急いで額を机へと戻します。
「前にも言いましたよ」
その言葉に、頭を勢い良く持ち上げます。
「子供は5人です」
彼女の表情は以前よりも明るく、そして落ち着いたものでした。
「ありがとうございます」
私は俯き、何度も繰り返しました。気付けば涙が頬伝い、膝へと落ちていきます。
それから彼女に10分程慰められ、漸く私の感情は収まりました。彼女の手の温もりが、背中を伝い心に入ってくるのを感じました。
「すみません、長らく」
「いえ、このくらいいつでも」
隣に座って私の手を握る彼女の横顔を眺めておりますと、ふと友人の顔が浮かんでまいりました。
「あの、明日はお暇ですか?」
私が問いますと、彼女は勢い良くこちらに向き、答えました。
「はい、これといった用はございません」
「でしたら、私の友人に会ってはくださいませんか」
「ご友人様ですか」
「はい。何かと世話になっておりますので、会っていただきたいのです。そして、報告したいのです。この方が、私の妻になる人なのだ、と」
彼女は顔を赤くし、自分の手をぎゅっと握りました。私の手には、離れた彼女の手の温もりが物悲しく残っております。
「承知いたしました。明日、ですね」
私は目を見開き、彼女の手を握り取ります。
「行ってくださいますか! ありがとうございます」
彼女は相変わらず照れています。
「な、何時程から参りますか?」
「そうですね、少し席を外しても構いませんか? 友人へ電話で確認してまいります」
「ええ、どうぞ」
私はだだっ広い縁側を少し進み、友人へ電話を掛けました。
「もしもし」
『あ? どうした、女と会ってるんじゃないのか』
友人の声は心配の色をしておりました。
「ああ会っているよ」
『それなのに何故、俺に電話を掛けてきているんだ。振られたのか?』
友人は鼻で笑い飛ばして言います。それに私も鼻で笑い答えます。
「違う違う。今話しが上手くいった所だ」
『それでは尚の事何故、俺に電話を』
「明日、彼女に会ってはくれないか」
電話の向こう側から何やら物が倒れる音が響いて来たかと思うと『少し待て』と、怒鳴るようにして友人は電話を切ってしまいました。
「どうでした、ご友人様は」
「それが、少々待てと言われ切られてしまいました」
彼女は頬に手を当て「そうですか」と呟き、俯きます。
「すぐに掛かってくれば良いですね」
「ええ。友人の事ですから本当にすぐだとは思うのですがね」
友人から折り返しが来たのは、それから10分程経ってからの事でした。
「遅いじゃないか。こっちは心臓が張り裂けそうだったぞ」
『たかが10分で大げさだな。だいたい、急に明日会えってのが無茶だろうが。こっちにだって仕事があるんだぞ』
「そうだったな、すまん」
『いや、それは今はどうでもいいか。で、明日な。朝の9時にこっちへ来てくれ。そこから2時間ほどなら会える』
「そんなに長居するつもりは…」
『俺がお前の女と話したいのさ。時間を空けてやるんだ、それくらい構わんだろう?』
「構うかは彼女次第だろう」
友人は舌打ちし『説得しろ』と言うと電話をまた切ってしまいました。
「すみません、今終わりました」
「それで友人様は何と?」
「9時から2時間ほどなら構わないと。そして数時間、貴女と話がしたいと」
「私とですか」
彼女は唇に指を添えます。
「どうでしょうか」
「分かりました。お話、させていただきます」
「そ、そうですか。ありがとうございます」
「では、今から手土産を買いに行きましょう」
「今からですか」
「今行かねば、買うタイミングがございませんので」
「そう、ですね。ではいきますか」
「はい!」
彼女に手を引かれ長い縁側を駆けると、心地よい秋の風が鼻を撫で椛の香りが脳を満たすのでした。




