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『追放悪役令嬢の発酵無双 〜腐敗した王国を、前世の知識(バイオテクノロジー)で美味しく改革します〜』  作者: 杜陽月
黒い土に種を蒔く

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黒い土と、緑の芽生え

実験条件: 三週間の期限。結果を出せるか。

約束の三週間が満ちた日、ヴェルテンベルク領の空は、まるで私たちの未来を試すかのように、鉛色の雲に覆われていた。

冷たい風が吹き荒れ、枯れ木が不気味な音を立てて揺れている。

 村の広場には、ほとんど全ての村人たちが集まっていた。彼らは固唾を飲んで、広場の中央に鎮座する巨大な堆肥枠を見つめている。

 三週間前、私が村長に啖呵を切ったあの日から、この木枠は村の風景の中心となった。

 最初は嘲笑と侮蔑の対象でしかなかったそれは、発酵熱という目に見える「温もり」を生み出してからは、畏怖と、そして今や、かすかな期待の対象へと変わっていた。


「お嬢様、時間でございます」


 アルフレッドが、緊張した面持ちで私に告げる。彼の忠実な手は、今や私の実験手順を完璧に覚え、私の右腕として機能してくれている。


「ええ、わかっているわ」


 私は頷き、村人たちの前に進み出た。その視線は、三週間前とは明らかに違う。そこには、最後の希望を託すような、祈るような色が混じっていた。


「皆さん、お集まりいただき感謝します。本日が、約束の日です」


 私は静かに告げると、エリックに目配せをした。彼は力強く頷き、数人の男たちと共に堆肥枠の側面に取り付けられた板を、慎重に取り外し始めた。

 板が外された瞬間、集まった村人たちから、どよめきと、驚嘆の声が上がった。


 堆肥枠の中から現れたのは、もはや枯れ草や糞尿の成れの果てではなかった。それは、しっとりとした湯気をまとう、漆黒の土の塊だった。

 灰色で砂のように乾ききったこの土地の土とは、全くの別物。生命力に満ち溢れた、豊かな森の奥深くにある腐葉土のような、濃厚で、甘い土の香りが広場に満ちていく。


「……なんだ、これは……」


 村長が、震える声で呟いた。


「土……だよな? 俺たちの知ってる土とは、まるで違う……」


 エリックが、その黒い土を両手ですくい上げ、村人たちに見せる。彼の武骨な手のひらの上で、それはまるで黒い宝石のように見えた。


「これが、私が言っていた『贈り物』です。この土地を蝕む毒――魔法機械(グレイ・ダスト)を喰らい、養分へと変える微生物たちの働きによって生まれた、新しい命の土。私が『腐植土』と名付けたものですわ」


(正しくは完熟堆肥だけど、この世界の人々には、より分かりやすい言葉で伝える必要があるわね)


 私は内心で補足しながら、説明を続ける。


「この土には、植物が育つために必要な栄養が、たっぷりと含まれています。ですが……」


 私は言葉を切り、集まった村人たちの顔を一人一人見渡した。


「言葉だけでは、信じられないでしょう。科学とは、結果が全て。再現性のある事実こそが、その正しさを証明する唯一の術なのですから」


 私はアルフレッドに合図を送る。彼が恭しく差し出したのは、小さな麻袋と、水で満たされた桶だった。


「この袋の中には、『ラディッシュ』の種が入っています。この辺りの地域でも、かつては栽培されていたと聞いていますわ。成長が早く、寒さにも比較的強い。最初の実験には最適な作物です」


 私は袋から数粒の種を取り出し、村人たちに見せる。小さく、茶色い、何の変哲もない種だ。


「そして、この桶の水。これには、私が培養した別の微生物――植物の根の成長を助ける特殊な菌を溶かし込んであります。いわば、赤ん坊にとっての栄養満点のミルクのようなもの。これで、種が芽を出す力を、最大限に引き出してあげます」


 私は種を桶の水に浸し、しばらく待つ。これは、前世の農業技術でいうところの「種子プライミング処理」に近い。

 発芽のスイッチを強制的に入れるための、科学的な下準備だ。

 その間に、エリックたちが、村の片隅にあった古い木箱に、完成したばかりの腐植土を詰めていく。即席のプランターだ。

 準備が整った。私は桶から種を取り出し、黒い土が満たされた木箱に、指でそっと穴を開け、一粒、また一粒と、丁寧に植えていく。


 村人たちが、息を殺してその様子を見守っている。彼らの視線は、私の指先に集中していた。

 全ての種を植え終えると、私は桶に残った栄養豊富な水を、上から静かに注いだ。黒い土が、命の水をごくりと飲み込むように吸収していく。


「……これで、終わりですわ」


 私が立ち上がると、村人たちの間に、失望とも困惑ともつかない空気が流れた。


「終わり……ですと? 令嬢様」


 村長が、訝しげに尋ねる。


「何か、こう……光ったり、奇跡が起きたりはしないので?」


「ええ。科学とは、地道なものですから。ですが、ご安心を。この土の中で、今、確かに新しい命が目覚めようとしています。結果は、必ず現れます」


 残酷な、現実。

 だが、長年の絶望は、そう簡単には拭えない。村人たちの間に、ざわめきが広がる。


「やっぱり、口だけだったんじゃないか……」


「俺たちの期待を弄びやがって……」


 不穏な空気が流れ始めた、その時。


「待て!」


 声を張り上げたのは、エリックだった。彼は、不満を口にする村人たちの前に立ちはだかった。


「あんたたちは、もう忘れたのか! この三週間、俺たちが何を見てきたかを! あの冷たい堆肥が、生き物のように温かくなったのを、この手で触れたじゃねえか!」


 エリックは力を込めた。


「あの令嬢様は、一度だって俺たちに嘘をついたか? 俺は、信じる。この人が、俺たちの最後の希望なんだ。だから、黙って待て!」


 彼の魂からの叫びに、村人たちは押し黙った。

 私は、静かに彼に感謝の視線を送る。そして、村人たちに向かって告げた。


「ありがとうございます、エリック。ですが、長くお待たせはしませんわ。明日の朝、もう一度、ここにお集まりください。その時には、私の言葉が真実であったと、皆さんのその目で確かめることができるでしょう」


 その夜、私はアルフレッドと共に、教会の蝋燭の灯りの下で、静かに時間を過ごしていた。


「お嬢様、本当に……明日には芽が?」


「ええ、きっと。私が育てた根粒菌(こんりゅうきん)と、プライミング処理の効果は絶大よ。それに、あの腐植土の窒素・リン酸・カリのバランスは、私が計算した通りなら、完璧なはずだから」


 私は自信を持って答えたが、心の片隅に、わずかな不安がなかったわけではない。ここは異世界だ。前世の常識が、全て通用するとは限らない。

 もし、明日、何も起きていなかったら……。

 いや、弱気になってはダメだ。科学を信じるのよ、茅野莉子。


 翌朝。夜明けと共に、私は広場へと向かった。すでに、昨日よりも多くの村人たちが、遠巻きに木箱を囲んでいた。

 私は人垣をかき分け、木箱の前に膝をつく。

 そして、息を呑んだ。


 黒い土の表面を突き破って、小さな、しかし力強い、二葉の緑の芽が、いくつも顔を出していたのだ。

 夜露に濡れたその葉は、まるで生まれたての赤ん坊のように、朝日を浴びてきらきらと輝いていた。


「……芽だ」


 誰かが、かすれた声で言った。


「芽が出てる……!」


「おお……神よ……」


 村人たちが、次々に木箱の周りに駆け寄る。誰もが、信じられないものを見るような目で、その小さな緑を見つめている。

 村長が、震える指で、そっとその芽に触れた。


「……本物だ。幻じゃない……」


 次の瞬間、広場は、歓喜の渦に包まれた。泣き出す者、抱き合う者、天に感謝を捧げる者。

 エリックの妻が、ハンナを抱きしめながら、私の前に来て深く頭を下げた。


「ありがとうございます……令嬢様……ありがとうございます……!」


 その声は、涙で震えていた。

 私は、静かに立ち上がり、歓喜に沸く村人たちを見渡した。

 これは、奇跡じゃない。魔法でもない。


 絶望の淵に立たされた人間が、知識と、勇気と、そして諦めない心で掴み取った、科学の勝利なのだ。

 私の頬を、一筋の温かいものが伝っていく。

 それは、悪役令嬢イザベラのものでもなく、研究者・茅野莉子のものでもない。

 ただ、芽の前に膝をつき、土の匂いを吸い込んだ、一人の人間の涙だった。

芽が出た。たった一つの、小さな科学の証明。


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― 新着の感想 ―
ついに、完成な土壌ちゃん。良かった。コンポストにトライしたことがありますが、エリックさんのような方が欲しかったな。 次の希望に期待
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