それぞれの、明日へ
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ついに『最後の治療』が完了しました。仲間たちのあまりにも大きな犠牲の上にイザベラは、世界の『上書き』に成功しました。 絶対的な『秩序』は崩壊し人々は、感情と自由という名の『混沌』を取り戻しました。しかしそれは、新たな苦難の時代の幕開けでもあります。 それぞれの戦いを終えた者たち、そしてこれから始まる戦いへ向かう者たち。彼らの、明日への物語です。
至聖所の崩れ落ちた瓦礫の山の上で私は太陽の光を浴びていた。
それは教皇のナノマシンによって完璧に管理されていた偽りの光ではない。 雲の隙間から差し込む不規則で、しかしどうしようもなく温かい本物の光。
「……あったかい……」
私の隣でハンナがその小さな手を空にかざし、ボロボロと涙をこぼしていた。
「おねえちゃん……。これが本物のおひさまなんだね……」
「ええ、そうよハンナ。……これが私たちの世界よ」
その光景の下では混沌が生まれていた。 教皇の絶対的な『秩序』という呪縛から解き放たれた市民たち。 彼らは泣き、叫び、戸惑い、そして抱き合っていた。
「……ここはどこだ……? 私は何を……」
「……ああ……、あなた……! あなたなのね……! 思い出した……! 私、あなたのこと……!」
感情を失っていた人形たちが一斉に感情を取り戻す。 それは決して美しい光景ではなかった。 喜びも悲しみも怒りも混乱も全てが混じり合った泥臭い、しかし力強い人間の営み《・・》のものだった。
「……うるせえなあ……」
瓦礫に腰掛けたギムレックがそのボロボロの体でぶっきらぼうに吐き捨てた。
「……だが、まあ……。てめえらのあの気色悪ぃ笑みよりはよっぽどマシか」
彼はそう言うと満足そうに目を閉じた。彼の内なる溶鉱炉の光は消えていたが、その魂の熱はまだ確かに燻っていた。
日が傾き始めた頃だった。
カエル率いる根の生き残りの戦士たちと、ボルンに率いられたドワーフたちが崩れ落ちたタワーの残骸から戻ってきた。 彼らの手には二つの亡骸が白い布に包まれ、大切に運ばれていた。
一つは私の忠実な執事アルフレッド。 そして、もう一つは最後まで私たちを信じ、赤い光の網の中でその命を散らしたクラウス副官だった。
「……嬢ちゃん。約束は果たしたぜ」
ギムレックがアルフレッドの亡骸の傍らに膝をつき、その胸元にあの砕け散った懐中時計の残骸と私が託したアルフレッドの家の紋章をそっと置いた。
「……ドワーフの誓いだ。こいつらにはこの瓦礫の下で一番頑丈で立派な墓を俺たちが作ってやる。……だから、てめえは泣くんじゃねえ」
私は泣かなかった。 ただアルフレッドの安らかなその顔を見つめ、深く、深く、頭を下げた。
「……お疲れ様でした、アルフレッド。……いいえ。ありがとうございました。あなたの完璧な仕事、しかと見届けましたわ」
その時だった。
「――イザベラ様!」
空気を切り裂くような声と共に、瓦礫の向こうから一つの影が転がり込むように現れた。
「……ラエロン殿……!」
それはあの最初の墜落ではぐれてしまったエルフの部隊長ラエロンだった。彼の服はボロボロだったが、その瞳には信じられないといった光が宿っていた。
「……イザベラ様……! あなたがこれを……!」
彼は空を指差した。
「……『沈黙の災厄』が……。あの北の空を覆っていた不気味なオーロラが消えていきます……! そして、水晶の森が……崩れていく……!」
上書きは成功したのだ。 『エデン』システムを乗っ取った『星の癒し手』は今この瞬間も世界を蝕んでいたナノマシンに新たな指令を送り続けている。
破壊ではない。 修復せよと。 世界は確かに治療され始めていた。
その夜。
私たちはこの街で初めて本物の火を灯した。教皇の管理されたエネルギーではない。根の人々が瓦礫の木材を集めて燃やした、不揃いで、しかし温かい混沌の火。 その火を囲み、生き残った者たちの最後の会議が開かれた。
「……俺たちはここに残る」
最初に口を開いたのはカエルだった。
「ここは俺たちの故郷だ。……いや、俺たちが初めて手に入れた俺たちの街だ。太陽の下での生き方なんざ誰も知らねえ。だが、ゼロから作っていくさ。あんたの科学の力を借りてな」
「……我らも残ろう」
ドワーフのボルンがギムレックの肩を借りながら言った。
「この街のインフラは我らが作った。今度は奴隷としてではなく誇りある職人としてこの街を立て直す。……それが我らの明日だ」
「我らエルフは森へ帰ります」
ラエロンが静かに言った。
「世界は癒え始めた。だが、このナノマシンという力は残り続ける。我らはそれを監視し、二度とこのような過ちが繰り返されぬよう語り部とならねば」
根の明日。ドワーフの明日。 エルフの明日。 それぞれがそれぞれの進むべき道を見出していた。
カエルが私を見た。
「……イザベラ。あんたはどうする。あんたが望むならこの街の女王にだってなれる。俺たちはあんたに従う」
私は静かに首を横に振った。 そして東の空を見つめた。
遥か彼方。 私の本当の居場所。
「……私は帰らなければなりません」
翌朝。
ラエロンたちが奇跡的に修復したもう一機の『隼』が瓦礫の広場にその翼を休めていた。 私はアルフレッドとクラウスのドワーフたちが一夜にして作り上げた立派な石の墓標の前に立っていた。 ポケットからアルフレッドの紋章を取り出し、そっと墓標に置く。
「……お別れですわアルフレッド。……いいえ。いってまいりますアルフレッド」
私は振り向いた。 そこにはハンナと、そして傷だらけのギムレックが立っていた。
「……嬢ちゃん。てめえまさか一人で帰るつもりじゃあるめえな?」
「親方……? あなたの体は……」
「へっ。ドワーフの頑固さをなめるなよ。……それに」
彼はニヤリと笑った。
「こいつの操縦桿を握れるのはこの俺様だけだ。……違うか?」
ラエロンたちエルフは地上に残ることを選んだ。 だがギムレックは行くと行った。
カエルもボルンも皆が私たちを見送りに来ていた。 私は隼に乗り込み、最後にカエルに尋ねた。
「……カエルさん。一つ聞いてもよろしいですか。……教皇ヴァレリウスは……。そしてセラフィナはどうなりましたの?」
カエルは崩れ落ちたタワーの残骸を見上げ、静かに言った。 「……セラフィナは見つかった。瓦礫の中でただ膝を抱えていた。……赤ん坊のようにな。だが、教皇はいなかった。どこにも。……まるで最初から存在しなかったかのように」
そう。 私たちの戦いはまだ終わっていない。
この世界の本当の悪意はまだどこかで息を潜めている。
「……イザベラ」
カエルが私の手を掴んだ。
「……必ず戻ってこい。俺たちはいつまでもあんたの剣だ」
「ええ。必ず」
ギムレックの操縦で隼は大地を蹴った。
眼下に生まれ変わった街が小さくなっていく。
私たちは西へ来た時とは逆。太陽が昇る東へと機首を向けた。
(……レオンハルト様)
あなたの剣は今帰ります。
たくさんのものを失い、それでもたくさんのものを得て。
あなたの盾の元へ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「科学の王国と支配の聖女」これにて完結です。
アルフレッドという大きな存在を失い、イザベラはそれでも前へと進みます。
教皇の支配は終わりましたがしかし、その元凶であるヴァレリウスはまだ謎に包まれたまま。
次回よりついに物語は最終部「科学の帝国」編へと突入します。 イザベラとレオンハルトの再会。 そしてこの世界の全ての謎が明らかになる最後の戦いが始まります。
第二部までお付き合いいただき、本当にありがとうございました! 面白いと思っていただけましたら、ブックマークや↓の☆☆☆☆☆での評価をいただけますと、最終部への大きな大きな励みになります!




